怠惰 sloth_03

 2LDKのリビングは清潔に掃除され、よく整頓されていた。デザイナーという職業のわりには、あるいはデザイナーだからか、物が少ない。インテリアはモノクロのシンプルなデザインで、カーテンや照明、ソファも、パッと見で上質な品だと分かる。布張りのソファに掛けさせてもらうと、コースターの上に缶珈琲が出された。普段は手ずから茶を淹れるタイプだろう。服もスッキリした飾り気の無いデザインで誠実そうだが無個性に見える。髪だけは流行りのスタイルできちんとセットされている。そこもまた無個性と言えるかもしれない。伊東自身も平凡で地味な顔立ちの、記憶に残らないタイプだ。

「鵜辺野さんともお知り合いだったんですね」

 おもむろに二階堂が切り出すと、伊東は気まずそうに口籠った。

「はい。ええ、まあ……」

「十月二十一日の夜から二十二日の朝にかけて、どこで何をしていましたか?」

「刑事さん、俺を疑ってるんですか?」

 伊東は不安げに身を震わせた。警察官にアリバイを問い質されると大抵の人間はこうなる。これは不自然な反応ではない。

「念の為にです。みなさんに訊いている事ですよ。三嶋さんが亡くなられた際にも同じ事を訊かれたでしょう?」

「……あの夜は金曜でしたから、いつもの仲間と新宿で飲んでました」

 新宿で――二階堂はその言葉を強く意識した。伊東は事件当夜、現場の近くに居たという事だ。

「証言してくれる人は?」

「います。バーの店長とは馴染みなので」

「何時まで飲んでいましたか?」

「十一時くらいです。終電は混んでキツイので、早めに席を立って帰りました」

「その後のアリバイを証言してくれる人は?」

「いません……」

 では、十分に犯行は可能だったという事だ。

「ところで、鵜辺野さんとはどういったお知り合いで?」

 はあ……と伊東は泣きそうな顔で溜息をついた。

「やっぱり、それ、言わないとダメですよね」

 二階堂は無言で答えを促す。ある程度察しは付いているが本人の口から聞きたい。しばらく躊躇する素振りを見せた後、伊東は諦めたように肩の力を抜いた。

「俺もゲイなんです。鵜辺野とは二丁目のバーで知り合いました。でも、鵜辺野とはただの友人です。イベントがあれば誘い合って行く程度で、住んでる場所も知りませんでしたし、フルネームも知らなかった。ハンドルネームで呼び合って、お互いのプライバシーは詮索しない。二丁目仲間ではよくある事なんです。深い関係はありませんでした」

「そうですか」

 素っ気なく当たり障りのない二階堂の返答に、伊東は心もとない表情を浮かべた。

「あの……鵜辺野の事情はよく知らないんですが、和臣の事は、ゲイだって報道されないようにしてやってくれませんか。和臣は必死に隠していました。あんな風に殺されて、この上、日本中の無神経な奴らに面白おかしく噂されるなんて可哀想過ぎます。誰も和臣の本当の姿なんて知らないのに……」

 伊東は本気で三嶋の事を思い遣っているように見える。二階堂は、伊東の反応を見る為に、少し水を向けてみる事にした。

「あなたは、三嶋さんが殺害された時の聴取では、ただの大学からの仲間だと言い張っていましたよね。何か知られて困る事でも?」

「ありますよ、そりゃ。自分もゲイだって知られたくなかったんです。それがそんなに悪い事ですか?」

「いえ、そういう意味では……」

 真っ当な反応だ。まあ、こんなものだろう。伊東は憤懣やるかたなしといった様子で、滔々と心情を語る。

「和臣は、中学時代にクラスメイトがゲイバレして酷い苛めに遭ったのを見てトラウマになったって言ってました。そいつ、男性教諭に告白してバラされたらしくて、クラス全員に笑われて学校に来なくなって、卒業式の直前に自殺したらしいんです。和臣、バレたらそいつと同じ目に遭うって、ものすごく恐がってました。三十歳になったら従順でバカな女と結婚する、それが口癖だったんですよ。そういう気持ち、理解できます?」

 理解できない──というのが言葉に出来ない二階堂の率直な答えだった。

 三嶋和臣は異常に用心深く、親しく付き合っていた同性愛者の友人は伊東のみだったらしい。伊東の言によると、そんな三嶋でも男漁りはしていたようだ。ただし、大抵がワンナイト――二丁目のクラブやバーなどで開催されるゲイ・イベントでナンパした相手と一夜限りの関係を結ぶ事らしい――の浅い関係で、特定の恋人はいなかったらしい。更に問い詰めると、三嶋は証拠が残るメールや会話アプリを嫌い、ゲイ仲間とは連絡先すら交換せず、出会い系ゲイサイトは閲覧すらしなかったと伊東は語った。徹底している。それが本当なら、三嶋の携帯端末や自宅PCの履歴から辿れなかった事にも納得がいく。本人が自分の性癖を探られる事をそれほどまでに忌諱していたのなら。

「恐怖症じみてますね」

 晴翔は思わず独り言を零してしまい、伊東は黙って晴翔を睨んだ。二階堂は咳払いをして質問を続ける。

「そんなに慎重な性格だった三嶋さんが、どうしてあなたにだけ性癖を打ち明けたんですか。不自然な気がするんですが……」

 ふっ、と伊東は鼻で笑った。

「大学一年の時に、俺は、少しだけ和臣の事が好きだったんです。それでカムして、そしたらアイツ、その時は何も言わなくて……半年くらい経って、たぶん俺の性格を見極めてから、実は俺もゲイだって打ち明けてくれました。確かに慎重な性格でした」

「それじゃあ、三嶋さんはどうやって……その、遊んでいたんですか?」

「俺が二丁目の事を教えて、イベントにも連れて行ってやってました。どうせ自分も遊びに行くわけですし、ついでです」

「つまり、あなたが男性と遊べる場所と遊び方を教えた?」

「いや、違いますよ。俺は二丁目に連れて行ってやっただけです。後は、イベントがある時は誘ってただけで……」

「ずいぶん尽くしてたんですね」

「尽くしてたって言うか、一緒に遊んでただけです」

「あなたは三嶋さんに都合良く利用されていたようにも思えますが?」

「いや、だから、普通の友達ですよ。刑事さんだって友達の好きそうなイベントに自分が行く時はついでに誘うでしょ? 誘いませんか?」

「ああ、二階堂さんはたぶん誘わないですね」

「余計な事は言うな」

 場違いに口を挟んだ晴翔を小声で制し、二階堂は伊東に向き直る。

「失礼、脱線を……」

「はあ……?」

 伊東は何かを微妙に否定したがっていた。三嶋の行動に自分の責任を認めたくないとでもいうように。二階堂は矛先を変える事にした。

「和臣さんと顔見知りだった同性愛者の方を紹介して頂けませんか。軽くお話を伺うだけですので」

 パッ、と火が付いたように伊東は激高した。

「勘弁してください。そんな事したら俺の居場所が無くなっちゃいますよ。俺達の世界はあなた達と違って物凄く狭い世界なんです。警察に仲間の情報を売っただなんて思われたら、あっという間に噂が回る。ゲイが二丁目仲間から爪弾きにされたら悲惨ですよ。俺達みたいな奴が、どこで仲間と出会えばいいんです? 偶然、職場の同僚がゲイだったなんて幸運は滅多に無いですよ。俺が和臣と大学で知り合えたのは、奇跡みたいなものなんですから」

「奇跡、ですか……」

 随分大袈裟な言い方をするな、と二階堂は軽く首を捻った。

 伊東は喉の奥で皮肉に笑い、嘲笑混じりの暗い眼差しを二階堂に向ける。

「二丁目で聞き込みをしても誰も協力しないと思いますよ。警察なんかに協力して、もしも家族や職場にバレたらと思うとゾッとします。家族は運が良ければ理解を示してくれる事もあるかも知れませんが、職場は……」

 伊東は何かに怯えるように組み合わせていた両手に固く力を入れた。

「居づらくなるだけじゃなく、質の悪いクズに知られたら、周りにバラすって恐喝される事もあるんですよ。俺は、そういう目に遭った奴を知ってます」

「恐喝は犯罪ですよ。警察に相談してもらえれば」

「言えるわけないでしょう!」

 伊東は完全に心を閉ざしてしまった。

「すいません。もう帰ってください。そろそろ出掛ける支度をしないと」


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