暴食 gluttony_02

 一つ目は、二台の携帯端末の件だ。カバンの中に残されていた他の品には三嶋の指紋がベタベタと残っていたのに、なぜか二台の携帯端末だけは、綺麗に指紋が拭き取られていたのだ。

 両方とも三嶋の名義で契約されており、片方は三嶋本人が仕事とプライベートで利用していた。通信記録も極めて真っ当なものしか残っていなかった。相手は会社の同僚と、取引先と、友人と、母親のみ。メールの内容も健全そのもの。ともかく、メインで利用されていたと見られるその一台には、何も怪しいところは無かった。ついでに言えば、被害者のPCに残っていたインターネットの閲覧履歴も健全そのものだった。SNSと通販サイト、辞書サイト、それにレジャーと音楽関連の情報にアクセスしていた程度だった。誰とも知れぬ犯人とラブホテルに行った事が嘘のように思える。

 だが、もう一台の携帯端末が奇妙だったのだ。通信記録がほとんど無かった。いくつかのゲームアプリに接続する以外は、三嶋が所有するもう一台の端末との着発信記録しか無く、メールも利用されていなかった。

 ゲームアプリ専用の端末など用意するだろうか。

 それに、自分で自分自身に、頻繁に架電するものだろうか。しかも、ご丁寧に折り返し通話の記録まである。それらはすべて吉祥寺三丁目の携帯基地局を経由されていた。

 誰かが、三嶋との連絡用に利用していたと考えるのが自然だ。

 だが、その誰かが浮かび上がらない。三嶋の周囲をどんなに洗っても、容疑者と言えるほどの女性はいなかった。もちろん、女性だけを捜査していたわけではない。犯人の人着が分からない以上、男性も念の為に疑わざるを得ない。それで、もしやと疑った三嶋の大学時代の友人たちは全員、事件当夜のアリバイがあった。山梨のキャンプ場で恒例のバーベキューパーティーを開いていたのだ。

 収穫が無いまま一か月はあっという間に過ぎ、第一期期間捜査本部が解散になる日が目前に迫る頃には、二台目の携帯端末の謎は軽視されるようになり、やはり流しの犯行だったのだろうという結論に傾いて行った。

 もう一つ、二階堂が引っ掛かっていたのは、三嶋和臣の祖母の証言だ。

 三嶋の祖母は、事件の翌日の八月二十一日、日曜日の午後に「いつも通りに孫が訪ねて来た」と主張したのだ。

 三嶋和臣の母、千尋の証言と食い違う。何年も交流が無かったはずなのに、三嶋の祖母は、二年前の正月以来、孫は頻繁に訪ねて来ていたと主張している。ただし、三嶋和臣の携帯端末から祖母の自宅電話への架電記録は無い。

「認知症の老人の妄想だよ」

 三鷹署の刑事が面倒臭そうに吐き捨てた時、意地の悪い堅城が珍しく他人を擁護した。

「そんな言い草はよせ。失礼だろう」

 三嶋の祖母、園部峰子は七十二歳で、三年前に緑内障で失明していた。三鷹市の豪邸に三十年前から仕えている家政婦と二人で暮らしている。二階堂も、唐尾係長と堅城に大利根、三鷹署の刑事二人を加えた五人と共に、彼女に話を聞きに行ったのだが、園部峰子は最初と同じ証言を繰り返した。

「ええ、和君なら二十一日に遊びに来てくれましたよ。いつも通り、わたくしの大好きなタルト・タタンをお土産に持って。米原さんに紅茶を淹れて頂いて、みんなでこの部屋でおやつにしたんですよ。変ねえ、あの子が殺されただなんて、そんなバカな事あるはずないのに……」

 園部峰子は少し浮世離れした、貴婦人然とした白髪の老女で、白いレース編みのケープを肩に掛けた姿は凛として、まるで映画女優のように美しかった。

 住み込み家政婦の米原良江は、ふくよかで優し気な顔をした平凡な女性で、二十六歳から園部家に仕え続け、嫁き遅れて一度も結婚しないまま五十六歳になってしまった、と訊かれもしないのに自ら語った。

「でも、これで良かったと思ってるんですよ。奥様は私が若い頃からとても良くしてくださいましたし、お体が少し不自由になられた今、奥様がお困りにならないよう、こうして付きっ切りでお世話させて頂けるのは、私に取ってもありがたいことです。他の人に奥様のお世話を任せる事にでもなったら心配で夜も眠れませんもの」

 お喋りな質のようで、明治時代から続く名家である園部家の自慢をあれこれと並べ立てたが、肝心の二十一日に和臣が訪ねて来たか否かについては、うやむやな答え方しかしなかった。

「奥様のおっしゃる事が本当でございます。例え、あなた方には勘違いに思えたとしてもです。奥様は間違った事などひとつもおっしゃっておりません」

 まるで、老いて衰えた女主人の些細な勘違いを誰にも非難させまいと庇っているように見えて、誰もそれ以上は追及できなかった。結局、園部峰子は思い違いをしているのだろうという見方が大勢になり、証言は認知症に起因する妄想として片付けられた。

 あの猟奇殺人を犯した異常者は、いまだ野放しになったままだ。


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