4 キャロル、帝都へ

 …などと、執事長ロータスとやりとりをしてから、更に数年。


 相変わらず、母カレル・ローレンスはカーヴィアル帝国から動かない。


 父親であるデューイ…レアール侯爵も、貴族としては異例の独身のまま、他国に認知済みのと子どもがいるとの噂だけが、社交界で密かに語られていた。


 キャロルはこの世界の小学校に相当する学校へは結局行かず、さすがにその先をどうするかと、警備隊長や商業ギルド長が、我が子の進路の如く悩み始めた頃、街に思いがけず、帝都・メレディスからの定例監察官がやってきた。


 キャロル・ローレンスと言う名の、世間的にはただの花屋の娘が、世間一般の常識枠から大きく逸脱した形ながら、商業ギルドや警備隊を手伝うようになって以降、このクーディアの街には、冗談ではなく一切の不正が存在していなかったそうだ。

 だからこそ、商業ギルド長も警備隊長も、キャロル・ローレンスの名を隠す事なく、報告書の端々にその事を記載し続け、監察官の前でも堂々と自分達の補佐をさせていた。


 そのやりとりに、驚いたのはむしろ監察官の方で、今の国立士官学校にも、これほどの逸材はなかなかいないと、彼は一切問題のなかった定例監査はそこそこに、帝都から、帝国軍の上層部と近衛からそれぞれ、権限のある人間を連れて、クーディアに引き返してきたのである。


「他国語で書かれた、ギルドの商業書類を読みこなし、相手が新人にしろ、警備隊の大の男の足を狙って地に倒すような子は、そうはいません。上手く育てれば、間違いなくアデリシア殿下の右腕たり得る才があります」


 話半分に聞きながら、クーディアまでやってきた上層部と近衛の将も、3日もいれば、その話の信憑性を認めるには、充分だったらしい。


 あれよあれよと言う間に、宮廷で仕える事や他国の貴族階級に輿入れが決まった際などに、一般常識以上の教育が必要な子女のための、国立高等教育院への特待生招聘状がキャロルの手元に届き、街中が大騒ぎとなった。


「学費がタダ…」


「いやいや、そこじゃないだろう、キャロル?今までこの街から、国立高等教育院に合格した子はいないんだ。小学校にも行かせず、ギルドと警備隊で実地修行させてしまった事は、私も警備隊長ゲイルも申し訳なく思っていて、せめて君に、私が昔学んだ帝都メレディスの商業高を紹介して、将来的にはこのギルドを継いで貰おうか――なんて話をしていたんだ。だけど、国立高等教育院からの、特待生招聘状が来たのなら、話は別だ。カレル殿の店と知識は、どうしたって狙われやすい。だからこの先、君自身がカレル殿の店と才能を保護出来るように、帝都メレディスで力と知識を蓄えて、戻っておいで。それまでは我々が、意地でもここを守り抜くから」


ギルド長ジルダールさん…」


 国立高等教育院は、国の中枢に関わる知識を学ぶと言う性質上、身分の貴賎を問わず、全寮制だと言う。


 迷いがなかったわけではない。


 ただふと、自分がその寮に入れば、いったん扶養者としての義務が外れる母カレルを、ルフトヴェーク公国に向かわせる事は可能なのではないかと思い立ち、母には内緒で、レアール侯爵邸の執事長ロータス宛に手紙を書き、定住の第一段階として、カレルを花屋〝リラ・ブルーメ〟のに連れて行くよう、をしてみた。


 いきなり出戻るのが不安なら、まずは何度か行き来しながら、慣れていけと言う療法である。


 父デューイも執事長ロータスも、いきなり2人で押しかけたところで、何の問題もないと言うスタンスでいたものの、それではカレルが一生動かないかも知れない、と言う娘の言葉には、さすがに思うところがあったらしかった。


「正攻法がダメなら絡め手で、か。キャロル…娘は、カレルではなく私に似たのか、ロータス?」


「ええ、デューイ様のご幼少時代によく似ておいででした。あまり帝国むこうの中枢で出世なさいますと、公国こちらへは戻って頂きにくくなるのでしょうが――キャロル様は、デューイ様がまず第一に望まれているのは、自分ではなくカレル様の筈だと、何度か仰っておいでですから、どうしてもご自分の事が後回しになるのでしょうね。カレル様はカレル様で、デューイ様の血を引くキャロル様の方が、侯爵家での優先度は高いと思っておいでですから、私が帝国のお2人をお訪ねする都度、噛み合わない議論をなさっていらっしゃいますよ」


「……っ」


「デューイ様が、もちろんお二人共を大切に思っていらっしゃるのは分かりますが、今回に限って言えば、キャロル様がお取りになられた行動の方が、より現実的かと。まずは、カレル様から直接ご説得されては如何ですか?」


 ――そんなやりとりがあったらしい後日、デューイはキャロルの入学祝いと称して、2頭の馬を、執事長ロータスに届けさせた。


 もちろんそれは、いつ、ルフトヴェーク公国に戻って来ても良いようにと言う、の為の馬だ。


「…父は本当に、母を心から愛しているんですね…」


 馬を見た瞬間、すぐにそんな父親デューイの思惑に気が付いてしまい、ほとんど呆れたような苦笑いで、キャロルは馬の背を撫でた。


「デューイ様は、キャロル様の事も大切に思っておいでですよ。手紙をご覧になって『娘はどうやら、私に似たらしいな』と、嬉しそうにおっしゃっていらっしゃいましたから」


「……そうですか」


 もしかしたら、口元が僅かに緩んだのを、ロータスに気付かれていたかも知れない。


「それじゃあロータスさん、私が帝都メレディスに向けてったら、この手紙を母に渡して下さい」


 照れ隠しの様にかぶりを振ったキャロルは、一通の手紙をロータスに差し出した。


「手紙…え、出発にですか?」


「はい。今まで育てて貰って有難う…と言うお礼と共に、私が〝慰安旅行〟として、サプライズの旅行を計画、ロータスさん全面協力の下、道中の費用は全て私が前払い済みなので、拒否権はない――ことなんかを、泣き落とし風に書いてみました。目の前にいると、母も抵抗すると思いますので、なのでこれは、どうか私の出発後に」


 しれっと告げたキャロルに、さすがのロータスも思わず吹き出していた。


 ――本当に、父親譲りの策士ぶりですね。

 笑いながらそう呟いたのが聞こえる。


「あ、もちろん、終着点はルフトヴェーク公国のレアール侯爵邸にしてありますから、ロータスさん、後は宜しくお願いします。ただ、母がパニックを起こす事は確実だと思いますので、いくら父が浮かれて暴走しかけても、出来れば今回は、家に帰してあげて下さい」


「…確かに承りました、キャロル様」


 どちらの様子も簡単に想像が出来てしまい、ロータスの腹筋が、爆笑を堪えるあまりに痛くなった――とは、後日聞いた話だ。



 こうして11歳の春、カレル・ローレンス――華森志帆の下を離れたキャロルは、カーヴィアル帝国帝都・メレディスへと上京する事になったのだ。



 〝エールデ・クロニクル〟が、もしも次に誰かに読まれるとしたら、ここから始まるか、ここから第二章になるかの、どちらかじゃないか――と、深青わたしは微かな息を吐き出した。


 手紙にも、ここからは自分の章になるだろうから、どうか志帆さんカレルはデューイと幸せになって欲しいと、ロータスには言わなかったけど、密かにそうも書き足した。


 だから、ああは言ったものの、カレルが「拗らせヤンデレ」デューイに捕まって、このままルフトヴェーク公国から戻って来なかったとしても、仕方がないと実は内心で思っていたのだが。


「ヒドいわ、深青ちゃん!深青ちゃんは、深青ちゃんだけど、私がお腹を痛めて産んだ娘・キャロルなのに!あなたがいるからこその、私とデューイの幸せなのに!」


 ――と、実際には怒りに満ちた日本語手紙レターを、送りつけられる羽目になり、親の愛と言うのをなめていたと、諸々反省する事にはなるのだが。


(色々丸めこまれて、ルフトヴェーク公国に向かわされた志帆さんの八つ当たりではない…と、思いたいけど)


 ともかくも、この先帝都メレディスでは、キャロル・ローレンスの前世=八剣やつるぎ深青みおを知る人はいない。



 ――1人と愛馬1頭で、深青みおはキャロル・ローレンスとしての気持ちも新たに、帝都へと旅立ったのだ。

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