第2話 スカウトを受けました

「……どういうことですか?」


 事情が理解できない芳樹は、困惑気味に一葉さんへ質問を投げかける。

 突然、取引先である部長の一葉さんから、をやってみないかと誘われのだ。困惑するのも無理はない。

 

「そのままの意味よ。今、私がプロデュースしている事業で、女子寮運営を行っているのだけれど、その寮の住み込みの管理人を、是非芳樹君にしてもらいたいと思っているの」

「なるほど?」


 一葉さんの話を聞いても、芳樹は全くもって理解が出来ない。

 疑問点が多すぎて、どこからツッコミを入れればいいのか分からず、返答に困る。

 芳樹は、一旦頭の中を落ち着つかせて、状況を整理した。


「えぇっと……つまり、俺をその女子寮の管理人としてスカウトしたいという認識であってますか?」

「ご名答、その通りよ!」

「いやいやいや、そんな当たり前のように正解と言われましても……」


 芳樹はただのブラック企業で働く平社員。

 いきなり女子寮の管理人をやって欲しいと言われても困る。


「いきなり言われても困りますよ。そもそも、管理人なんてやったことないですし……」

「でも芳樹君。転職したいとは思っているわけでしょ? なら、私がスカウトする分には何ら問題はないと思うけれど?」


 一葉さんの言う通り、スカウトすること自体には問題はない。

 ただ、その中身が問題なのだ。

 女子寮の管理人ということは、必然的に男子は芳樹一人ということになるわけで……。


「それはそうですけど、これとそれとは話が別です。女子寮の管理人なんてハードルが高すぎます! というか、男子である俺がやること自体が非常識では?」

「そこに関しては安心して頂戴、住居人の女の子たちにはもう許可は貰っているわ!」

「なんでそこの根回しだけは早いんですか!?」

「実は、その寮に私も住んでいるの。それで、みんなに管理人が見つからない現状を説明した後、『もしかしたら男の人になっちゃうかもしれないけどいいかしら?』って聞いたのよ」

「それで、OKを貰ったと?」


 女子寮の住居人が男性の管理人を容認するとはにわかに信じがたい話だけれど、一葉さんの人望あってそこ為し得たことなのだろう。


「今は猫の手も借りたいくらい急ピッチなの。とにかく、早く管理人を見つけないと、パッ……父に何を言われるか分かったものじゃないわ」


 一葉さんのお父さんと言えば、笠間不動産の現会長。

 次期社長筆頭候補とも言われている娘の事業が上手く行かなければ、周りの風当たりも強いものになるのは自明の理。

 一葉さんも一葉さんで、のっぴきならない事情というものがあるらしい。


「とにかく事情は分かりました。俺としても、一葉さんを助けてあげたい気持ちはあります」

「本当に!?」


 ぱぁっと嬉しそうな表情を浮かべる一葉さん。

 今にも飛びつきそうな勢いの一葉さんを押し留めるように、芳樹は手で制止する。


「でも、今はまだやるべき仕事が残っていますし、まだ退職願も提出していません。今すぐに管理人になるのは現実的に考えて難しいです」

「こっちは今年中であれば構わないわ。むしろ心配しているのはそっちの方よ。芳樹君は今、まだやるべき仕事残っているって言ったけれど、【けたらはさん】でやるべき仕事が綺麗に片付くことなんてあるの?」

「そ、それは……」


 痛い所を突かれてしまい、芳樹は言葉に詰まる。

 現時点で、多くのマルチタスクを抱えている芳樹。

 次々に仕事が降りかかってくるので、毎日が繁忙期同然はんぼうきどうぜん。ぶっちゃけ、閑散期かんさんきなんて無いに等しい。


「でも、仕事をやり残したまま退職したら、他の人にも迷惑が掛かりますし……」

「そんなこと言っていたら、いつまで経っても辞められないわよ?」


 一葉さんの言うとおりだ。

 どこかで踏ん切りをつけて退職の意思を示さなければ、一生仕事が降りかかってくるのが会社という組織だ。

 多少の犠牲は必要なのである。


「だとしても、後味悪い退職の仕方だけはしたくないです」


 芳樹としては、平和的な退職を望んでいる。

 退職した後もわだかまりが残るようなことは、出来ればしたくない。


「でも私の知る限り、【けたらはさん】で円満退職出来ている例を知らないのだけれど、今までにあったかしら?」

「え、えぇっと……」


 一葉さんの鋭い指摘に、芳樹はさらに言葉を詰まらせる。

 困り果てる芳樹を見て、一葉さんはここぞとばかりに追撃してきた。


「【けたらはさん】との取引は、私が入社した時から担当しているけれど、ここ数年で何度も担当者が変わってきたわ。新しい担当者になるたびに前の担当者のお話を聞くのだけれど、『実は……突然会社に来なくなりまして』とか、『一身上の都合で退職しまして……』という理由しか聞いた事がないの。これは私の憶測でしかないのだけれど、退職届を提出しても辞めさせてくれないんじゃないかしら?」


 一葉さんの憶測は正しい。

 実際、芳樹が在籍してきたこの一年半の間にも、多くの先輩社員たちが辞めていった。しかも、その大半が突如会社に姿を現さなくなるケースばかり。

 一人だけ、律儀に退職届を提出して退職を試みた者がいたけれど、『今は仕事が溜まっていて辞めさせられないんだ』と適当にあしらわれていた。

 結局その人も、ある日突然会社に姿を現さなくなったというのがオチ。


 結果、逃げ出した社員たちの請け負っていた業務が芳樹たちの元へ降りかかってきて、仕事が永遠に終わらないという負のスパイラルを生み出していた。

 つまり、芳樹が退職届を提出して、円満に退職するというのは現実的に考えて――


「……無理ですね」


 芳樹の口から出た結論は、無情にも一葉さんの意見を肯定せざる負えないものだった。


「でしょ? なら形式上、笠間不動産からのヘッドハンティングによる退職ということにして、私から上に直接話を通せば、芳樹君も円満に退職できると思うの。それに、私としても管理人が見つかって、芳樹君も次の職に困らない。お互いに望むものは得られるのよ」


 確かに、お互いのメリットは大きい。

 損得勘定で物事を考えるのはあまり好きではない芳樹。

 けれど今回に関しては、一葉さんが提案してくれた案に乗っかることが、最も波風立てずに退職できる方法だと感じていた。


「このまま永遠に会社の奴隷になって鉾田ほこたさんの下で働き続けるか、私の下で管理人として働くか。選ぶのは芳樹君の自由よ?」


 鉾田とは、芳樹の直属の上司だ。

 見てくれだけはよく、取引先の女性からも一定の人気がある。

 しかし実情は、部下の手柄を全て自分の成果だと豪語する横暴さを持ち合わせ。さらには、仕事を部下に押し付け、自分だけ悠々と定時退社。

 挙句の果てには、女遊びに呆けて奥さんに勘当されたという噂もあるほど、やりたい放題で悪行極まりない手に負えぬ上司である。


 鉾田の下でこき使われて働くか、一葉さんのもとで管理人として働くか。

 そんなの、比べるまでもない。


 今の環境から抜け出すなら、この機会を利用するすべはない。

 上司の天秤てんびんをかけられた瞬間、芳樹の意思は固まった。


「分かりました。女子寮の管理人、引き受けます!」


 芳樹が答えると、一葉さんはにっと頬を緩ませて――


「ふふっ、その返事を待っていたわ」


 っと、嬉しそうに微笑んだ。


「これで交渉成立ね。お祝いに、今日は芳樹君をべろんべろんに酔わせてあげるから、覚悟して頂戴」


 挑発的な笑みでウインクをしてくる一葉さんに対し、芳樹はクールに答える。


「俺が酔いつぶれることはないですよ。自分のキャパシティーはしっかり把握してますので」

「あら残念。芳樹君がお酒に呑まれた姿、是非見てみたかったのに」


 そんな冗談を交わしながら、二人は再びジョッキで乾杯を交わした。

 こうして芳樹は、スカウトという形で【けたらはシステム株式会社】を退職して、一葉さんがプランディングする女子寮の管理人へ転職する契約を交わしたのである。

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