物言わぬカスタリアの華麗なるノック

文子夕夏

『ジン・ラミーの手順と深慮なる作戦の指南について』

 この分厚くて値段も張る書物を書店で買い求め、やけに大きく重たい革製の荷物を家まで連れ帰って頂いた事に、まず、深く御礼申し上げる次第である。


 私はアナタという素敵な人物が、埃にまみれた歴史だけが自慢の書店に出向き、「『ジン・ラミーの手順と深慮なる作戦の指南について』という本はありますか」としてくれるのを、すっかりくたびれたトランプを切り混ぜ、ついでに麦酒を飲んで待っていた。


 この書物を買い求めたという事は、アナタはジン・ラミーの手順を学びたいか、或いは友人との一戦で腸の煮えくり返るような思いをしたか、もしくは空いた本棚の肥やしにするのか、何れかだと推測する。


 ご安心頂きたい。以上三つのどれかが目的ならば、必ずやこの書物はアナタの望み通りの働きを見せるだろう。


 今や国民的趣味として成熟し切ったトランプの各種技法の中でも、ごく短い時間で奥行きのある駆け引きを味わわせてくれる、ジン・ラミーの手順については、文字が読めるのなら誰でも習得出来るよう、特別に易しく、学習に難のある読者も着いて来られるよう、実に優しく、語り掛けるように書いたつもりだ。


 手順を学んだ後には実戦あるのみだが、経験も作戦も無く、唯がむしゃらに敵城へ攻め込めば、何処からともなく飛んで来る矢の雨に打たれてお終いだ。無駄死に、という訳である。それと時間の無駄遣い。


 この長ったらしい題名の書物を読み込めば、敵城――手札を入れ替え、ニヤニヤと此方を見つめている相手――の設計図、地形図、極秘のはずの作戦内容が手に入る事は保証しよう。勝利至上主義のアナタの為に、本書では序盤の動き方から、確率も盛り込んだカードの入れ替え指南、《ノック》の時機、暇潰しの練習問題まで、タップリ用意している。


 手順も習得した、戦い方も学んだ、一定の勝率を保てるようになって来た……。この時点で、恐らくアナタはジン・ラミー自体について知りたがるはずだ。得てして人間という生き物は、余裕が出来ればそれまで見向きもしなかった情報を拾い上げ、興味深そうに読む素振りを見せるものだから。


 問題無い。私もその一人だった。私と同類であるアナタの為に、本書ではジン・ラミーの成り立ちと、今後役に立つかは分からない程の雑学、用語集、各地で行われている大会の情報や最新結果まで、余すところ無く書き込んだつもりだ。対戦相手に恵まれない夜はこの書物を引っ張り出し、類い希なる衒学者の仮面を被る事をお勧めする。


 読んで良し、飾って良し、眠い時には枕にも良しの本書は、真にアナタのような奇特を極めるジン・ラミー愛好家の本棚に収まる事が出来て幸せだろう。勿論、印税が入って来る私も嬉しいし、このような珍書を出版した、英断と無謀の狭間に立たされている出版社もホッと一息のはずだ。


 前書きが長くなってしまった。きっとアナタはトランプを手元に置き、「いつになったら本編が始まるんだ」と舌打ちをしている事だろう。


 それではいけない。これぐらいで精神の安定を欠いては、連戦連勝の栄光が遠のくばかりだ。一〇〇点を目指して戦い抜くジン・ラミーでは、時々、最善手を打っても二、三回戦と負けてしまう事が往々にしてある。世界を呪いたくなるような不運の際も、ドッシリ構えて「これぐらい、くれてやる」と微笑む豪胆者にこそ、神は味方をしてくれるというものだ。


 さぁ、長文を読む為の眼球運動は終わった。アナタの頭は両目から伝わる刺激によって、丁度良く解れている頃合いだ。何事も準備はするに越した事は無いのだから。


 ようこそ、ジン・ラミーの世界へ。


 そして――残念でした。アナタはもう、底無し沼に足を突っ込んでいるのだ。私はすぐ傍で麦酒を飲み、アナタが沈んでいくのを眺めるだけだ。


 お気付きだろうか? そう、私という人間はジン・ラミーの悪魔から遣わされた、底無し沼の案内人である――。

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