2. 無邪気な約束

 太陽のような黄金の長い髪と、今の空を映した薄青い美しい瞳を持つ怜悧な美貌のその男は、こちらをじっと見つめていたが、ややして歩み寄ってくる。向けられる眼差しは、その髪の色に反して、吹雪もかくやと言うほどに冷ややかだ。


「……エーヴェルト、あなたを招待した記憶はないんだけれどね」

「私だってこんなところに好き好んで来るものか。お前がまっとうにあちらに顔を出さぬが故に、私が伝令の真似事をさせられる始末だ」

「ならば放っておけばいいじゃないか」

 そう言ったアストリッドに、エーヴェルトは怒りに満ちた眼差しを向けてくる。視線だけで人が殺せるなら、たぶんこんな色をしているだろうと思えるほどの。

「できるならとっくにそうしている!」

 アストリッドの顎を掴んで、エーヴェルトは憎々しげに見つめる。

「長老どもがくだらない予言になどにこだわらなければな! 天の瞳も持たぬ出来損ないが『世界に干渉する者』だと?」

「年寄りの戯言など放っておけばいい。私にはそんな大きな力はないよ。それに興味もない」

 その手を払ってそう言ったアストリッドに、エーヴェルトは吐き捨てるように言う。

「ならば己の言葉でそう言うがいい。一月後、スタヴィルの街で会議が行われる。人間と竜も立ち会って長を決めるのだ。その場で辞退する旨をお前の口から明言しろ」

「あなたが伝えてくれればいい。私は行かないよ」

「お前が来なければ、あの年寄りどもは納得しない! 逃げたら承知せぬぞ」


 それだけ言い捨てて、エーヴェルトは怒りの風を吹き荒らしてその場から姿を消した。その煽りを食って、テーブルの上の料理と共に吹き飛ばされたジークが逆さのまま、壁際から声を上げる。

「おっかねえなあ」

 言葉の割には怯えている様子はなかったが、アストリッドはそっとその体を拾い上げて目の高さに視線を合わせる。

「すまなかったね」

「別にあんたのせいじゃねえだろ。何なんだ、あの綺麗で性格の悪そうな兄ちゃんは?」

「精霊の一人でね。長になりたいそうなんだが、そのためには私が邪魔らしい」

 へえ、とジークは首を傾げる。

「権力志向って奴か。めんどくさそうなのに目えつけられてんな、あんた」


 まったくだ、とアストリッドはため息をつく。自分としては人と関わることさえ面倒だと思っているから、長になりたいなどと夢にも思わない。だが、長老たちはアストリッドこそがなるべきだと妙に推してきているらしい。彼はそれが気に入らないのだ。

 本人が別になりたくないと言っているのだから、なりたい者がなればいいとアストリッドは再三言っているのだが、どうしてだかエーヴェルトの憎しみは頭の固い長老たちよりは、常にのらりくらりとしているアストリッドの方に向かってくる。いちいち相手をするのも面倒なのだが、それをうまく回避する術を、アストリッドは知らなかった。


 そんなアストリッドを見て、ジークは気の毒そうに顔をしかめた。それからふと、もう一つの疑問を挙げてくる。

「そういや、天の瞳ってのは何だ?」

「精霊の中には、大きな力を持つ者たちがいる。その者たちは天候さえも操る力を持ち、その証として空の色と共に変化する瞳を持っているんだそうだ。それを天の瞳と呼ぶんだそうだよ」

「あんたのは綺麗な薔薇色だな。それに、その真っ直ぐな淡い月の光を集めたみたいな金の髪も悪くないと思うぞ」

 うん、俺は好きだ、とふわりと浮き上がり、アストリッドの顔の前でまじまじとその瞳を見つめながらジークはそう言った。

「まあ、あんな面倒くさい男のことは気にすんな。俺が守ってやっからよ」

 にっと笑ったその顔に、アストリッドもエーヴェルトのせいでわずかに淀んだ心が洗われるような気がした。こんな小さな妖精が、彼に対抗できるとは到底思えなかったけれど。


「あらあら勇ましいこと。あなたにもついに素敵な守護者かれしが現れたのかしら?」


 艶めいた声に目を向ければ、窓枠に腰掛けている美しい人の姿があった。豪奢な金の髪と深い緑柱石ベリルのような瞳。闇のような黒いドレスの胸元は大きく開いており、その豊かな質感が明らかだ。ヒュウ、とジークが口笛を吹く。本当に恐れを知らない妖精だ。

 来客の多い日だ、と思いながらもアストリッドは先ほどとは違って穏やかに笑う。

「珍しいね、イングリッド」

「嫌な予感がしたから様子を見にきたのだけれど、大丈夫だったようね」

 アストリッドはただ肩をすくめる。エーヴェルトの一方的な憎しみのことも彼女はよく知っていたので。

「姐さん、色っぽいなあ。こいつの恋人か何かか? 隅に置けねえなあ、あんたも」

「残念だけれど、違うわ。姉妹みたいなものよ」

「姉妹? にしちゃあ似てねえなあ。あんたもこの人の半分くらい色気がありゃあ、あの男もイチコロじゃねえの?」

 何を言い出すんだろうこの妖精は、とさすがのアストリッドも呆れてしまう。イングリッドも一瞬呆気に取られ、だがすぐに心の底から楽しげに笑った。

「ずいぶん面白い子を見つけたのね?」

「今朝庭を見回っていたら、自然発生していたんだよ」

「何だ人をキノコみたいに言いやがって」

「別に私は……」


 子供じみた言い合いをする二人に、イングリッドはにっこりと笑っている。それを見て、ようやくアストリッドも我に返った。

「これから君はどうするんだい?」

「どうするって、そりゃあここに住んで、いずれあんたを嫁にするんだろ?」

 さも当然というように言ったジークに、アストリッドだけでなく、イングリッドまでもが目を丸くする。

「……あなたも隅におけないわねえ」

「いつの間にそんな話になってたんだ?」

 だが、ジークはにかっと笑うとアストリッドの顔の前に再び浮かび上がる。

「言っただろ、嫁にしてやろうかって」

「疑問形だと思っていたよ?」

 首を傾げると、ジークはしばらく何かを考え込むようにくるくると回っていたが、ぽんと手を叩いて、今度はイングリッドの目の前に飛んで行った。

「なああんた」

「なあに?」

「俺はこいつに一目惚れしたんだ。で、これから求婚するから、あんた証人になってくれ」

「……ちょっと気が早くないかしら?」

「いいんだよ、それくらいで。こいつうすらぼんやりしてるから、気がついたらさっきの性悪野郎とかに襲われて花を散らされたりしちまうかもしれないだろう?」


 婉曲な表現は、だがずいぶん直接的な話でもあった。一体この妖精の知識はどうなっているのだろうかと二人は首を傾げたけれど、ジークは思いのほか、真剣そうに見えた。

「……それはないと思うけれど」

「まあ細かいこたあいいんだよ。なあアストリッド」

「え?」

「俺がもうちっとでっかくなってあんたに釣り合うようになるまで、他の男によろめいたりするんじゃねえぞ?」

 そう言って、その小さな唇でアストリッドのそれに触れた。

「本気なの?」

「おうよ、あんたが証人だ」


 イングリッドに笑って見せるジークは、子供の表情ながらも、確かに男のそれも兼ね備えているように見えてしまい、アストリッドは何だか頭を抱えたのだった。

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