第12章 厨川 5


 黒装束の頭目――久清が砦内部に潜入し、各部屋を確認してまわっていると、なにやらパチリ、パチリと小さな物音が聞こえてきた。

 足音を忍ばせ覗き込んでみると、平服を来た男が一人で碁盤に向かっていた。

「……誰じゃ?」

 ふと、男が顔を上げる。但し、こちらを向いている様子でもない、虚空の方へ閉じたままの眼差しを向けている。

(ははあ、この男が盲目の井殿という奴か)

 彼もまた清原と血縁のある安倍の一人だが、どうせ家督候補から外されていた男である。首だけでも持ち帰れば、褒美の足しにはなるかもしれぬ。

「?」

 訝しそうに首を傾げる真任の背後に廻り、音をたてぬよう鞘を払う。

(……悪く思うなよ?)

 そう胸の内で呟き刀を振り上げかけた久清の臍から下顎までの中心線が突如血を噴いた。

「ぎぇ――」

 はらわたを零しながら崩れ落ちる久清に背中を向けたまま、ぱちり、と真任が鉄扇を閉じる。

「先程外壁を吹き飛ばしおった輩か。油の匂いですぐわかるわ」



 

「……う、……うあああ」

 自分の目の前に転がり落ちた生首を、信じられぬ面持ちで菘が見つめていた。

 菘の髪を掴んでいた男の身体が、首を失い崩れるように倒れる。


「――二度目の狼藉は流石に見過ごせぬな」


 大太刀を振り下ろしたまま、じろりと蘿蔔を抱えた清原兵を睨みつける。

「元親様!?」

 肩の担がれたままの蘿蔔が、目を輝かせて男の名を叫んだ。

「……う、うわーん、うわーん!」

 死の恐怖から解放された菘が、安堵の余りか火が着いたように泣きだした。

「なんじゃ、貴様はぐがっ!?」

 娘を肩に担いだまま刀を抜きかけた兵士の口に元親の刀が突き刺さる。

「おっと!」

 放り出されそうになった蘿蔔を抱き止め、地面に下ろすと、代わりに怪我を忘れて泣きじゃくる菘を抱え上げる。

「元親様、ありがとうございまする! うわああん!」

「怖い思いをしたな。もう大丈夫じゃ」

 咽びながら腰に抱きついてくる蘿蔔の頭を撫でてやりたくて仕方なかったが、生憎両手が塞がっている。

「あいつ、たしか国府の軍監じゃ。安倍に寝返りおったぞ!」

 周りを取り囲む清原兵の一人が、自分を指さして叫んだ。

(やれやれ、もう多賀城には戻れぬな……)

 尤も、いい加減国府の下で戦うのはうんざりしていたところではあったが。

「すまぬな。もう少しだけ怖い思いをさせてしまうかもしれん」

 詫びながら微笑みかけ、屹と顔を上げ、周囲の敵兵を睨みまわすと鋭い声で二人に言った。

「これから敵中を斬り進む。途中で逸れぬよう俺の裾を掴んで離すなよ!」



 炎の隙間を搔い潜り、砦を脱出した女子供らは、家任の護衛を受けながら北上川河岸まで逃げ延びたものの、とうとう敵の追手に追い詰められていた。

 怯えて泣き叫ぶ侍女や雑仕女達を庇いながら、飛び来る矢に応戦するも、徐々に数を増していく清原勢に、為すすべなく唇を噛み締める。

 そこへ思わぬ援軍が駆け付けた。

「兄上!」

 思わず家任が声を上げる。

 敵勢の背後から躍り掛かった宗任は、不意を突かれた敵勢を次々と討ち取り、寄せ来る敵の増援に弓を放ちながら叫んだ。

「ここは俺が引き受けた。そなたは女達を安全なところへ逃がしてやってくれ!」

 涙を浮かべ手を振り去っていく弟の背中を見送ると、迫り来る清原勢に向き直る。

 手ぶらで敵陣から逃げ出したため、身に帯びているのは戦場でたまたま拾った馬に、同じく兵士の亡骸から搔き集めた弓矢と薙刀である。……さて、この寄せ集めでどこまで持ち堪えられるか。




 義家が厨川柵に到着した時には、既に戦いが終わった後であった。


 一加の姿を探すうちに国府の軍勢も到着し、捕らえられた陸奥勢将兵が次々と連行されていく。

 その中に貞任の姿もあった。

「貞任殿!」

 駆け寄ると、余りの巨躯ゆえ瀕死の身体を盾の上に乗せられ、四人がかりで担がれていた。

 すぐ傍で、頼義が意地の悪い顔でなにやら恨み言を呟きかけている。それを払い除けるように義家は貞任の傍へと縋り付いた。

「貞任殿、一加がおらぬ。どこへ行ったのじゃ? 教えてくれ!」

 義家の姿を認めた貞任が、薄っすらと目を開けて、掠れるような声を漏らす。既に虫の息であった。

「妹……も果報者じゃ……のう。これ……ほど慕って……くれる男の子供を……授かる……とは」

 義家の顔色が変わる。

「……今、何といったのじゃ?」

「一……加は、そなたの子を……孕んで……おる。はは……まったく、誰に似て ……ぐぅっ! 川沿いの……林に……行け」

 そこで、貞任はニヤリと笑い、義家に片目を瞑って見せた。


「……そなた……との決着、……つかぬ……ままで……残念……じゃ――」


 それが、貞任の最期の言葉となった。



 康平五年九月十七日。

 安倍厨川次郎貞任、逝去。享年三十四歳。




 皆が砦からの脱出を試みた後も、未だ陣屋に残り、一族の最期を見届けようとしている者達がいた。

 そのうちの二人が、経清の妻、有加と、その息子である。

「……もう、良いでしょう」

 柵の内外の阿鼻叫喚に背を向け、有加は強張った表情で座り込む息子の元へ歩み寄る。

 子も、まだ七つを数えたばかりだが、聡明な子供と見えて、今自分達が置かれていることを大方察しているものと見える。

「きっとお父様も、すぐに妾達の元に来てくださるでしょう。決して怖くも寂しくもないわ」

「母上」

 ぽろぽろと涙を零す息子を強く抱きしめ嗚咽を漏らす。

 その手には短剣が握られていた。


 どたどたと足音も騒々しく部屋に踏み込んでくる者達がある。

「いたぞ。頼時の娘じゃ!」

 武者の一人が叫び、その後に続いて現れたのは小柄な女武将であった。元服を迎えて間もないと見えるが、その双眸に宿る鋭さは酷薄という他ない。

「安倍頼時娘、有加一乃末陪様とお見受けいたしまする。御身を生かしてお連れするよう我が主から命じられておりますれば、どうかその剣呑な物をこちらに放って頂きたい」

 ちらりと、有加の手にあるものに視線を投げる。

 屹と千任を睨みつけ有加が言う。

「貴公も武家なれば武家の妻の覚悟は御承知のはず。我らのことはどうかこのまま捨て置き、妻子としての本懐を遂げさせてくださいまし!」

「……大人しく従っていただけないなら多少手荒なあしらいとなるものと覚悟されよ」

 溜息を吐きながら近寄ろうとする千任の前に有加の息子が両手を広げ立ちはだかった。

「あ、駄目っ!」

「ほう!」

 感心したように千任が声を上げる。

「母上に近寄るなっ!」

 強い眼差しで自分を睨み据える健気な様子に千任が目を細める。

「これはこれは、勇ましい、可愛らしい坊や。あはっ、小さい男の子は大好きさ!」

 ずい、と顔を寄せてくる女武将にビクリと身体を震わせる有加の息子の様子に、千任は思わず噴き出した。

「でもね――」

 いきなりその子の肩を掴むとすかさずその首に刀を押し付ける。

「ああっ!」

「この可愛らしい子がどうなるかはあんた次第さ! ねえどうする、降参しちゃおうよ?」

 驚きと恐怖に大きく見開いた両目に涙を浮かべる我が子を前に、ぎり、と唇を噛み締め千任を睨みつける。

「卑怯者奴……!」

 やがて、諦めたようにその手から短剣が落ちた。

「あはは、良い子良い子! 後で二人共たーっぷり武則様に可愛がってもらいな! まあ、誰の相手をさせられるかは知らないけどね」

 勝ち誇ったように捕らえた我が子の頭を撫でまわす千任の前で、膝を折った有加がはらはらと涙を落とした。




「鏃が抜けていて良かったな。中で止まっていたらもっと痛い思いをしていたぞ。よく泣かずに堪えた」

 流石にここまで逃げれば大丈夫であろうという山裾まで逃げ延びた元親らは、矢に射貫かれたままの菘の手当てを終えたところであった。

「元親様、ありがとうございまする!」

「私、水を汲んできまする!」

 蘿蔔が水筒を手にその場を離れた。

「もう少ししたら残党狩りが始まるかもしれぬ。あまり遠くへは行くなよ!」

 その背中に呼び掛ける元親の傍らで、「あ!」と菘が声を上げる。

 菘が、大きく目を見開いて切り株に立て掛けていた元親の刀を見つめている。

「お父さんの刀でございまする!」

「なんだと!?」

 元親も驚いて刀を手に取った。

「この鞘の傷、私が小さい頃に悪戯して付けたものでございまする。なぜ、元親様がお父さんの刀を?」

 言われた所を見ると、確かに「ス」とも読めるような傷が刻まれている。


 ――娘も二人生まれたので、もう故国に帰ることはないでしょう。


(……ああ、そうだ。確かにそんな身の上話をしていたっけ)


 ……驚きを隠せぬ様子の菘を見つめ、元親は口を開いた。

「お前たちの御父上は、俺の友達であった。鬼切部の戦で、俺を庇って亡くなられた。それ以来、この刀はずっと、俺を守り続けてくれた。……ひょっとしたら御父上は、お前達をあの兵隊共から救い出すために、俺を此処へ導いてきたのかもしれんな」

 菘の目から涙が零れ落ちた。

(……ああ、これでやっとあの時の恩を返せたぞ、名も知らぬ我が友よ!)

 そこへ蘿蔔が戻ってきて、驚いた顔で妹に駆け寄る。

「菘、どうして泣いているの?」

 不思議そうな顔で見つめる蘿蔔と嗚咽に咽ぶ菘を、堪らずに元親は抱きしめた。


「――今から、俺がお前達の父親じゃ。お前達を、もう決して危ない目には遭わせぬ。安心してついてまいれ!」

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