第9章 衣川関陥落 1


 磐井川からの敗退より数日後、衣川関。


 昨日、和賀黒沢尻柵を守備していた正任が手勢を率いて衣川に着陣した。

 関を本陣とし集っているのは彼の他、貞任、宗任、一加、そして客将である経清ら主力武将達である。

「重任が見えぬのは少々寂しいのう」

 残念そうな貞任に宗任が応える。

「また一昨日から降り始めたせいで、河川の氾濫が頻発し街道が寸断されているとのことですからな。已むを得ぬでしょう。しかし正任が加わってくれたのは心強い。先日の磐井川では大きな痛手を蒙りましたでな」

 磐井川戦の敗退により、安倍勢は主力の兵馬に甚大な損害を被った他に、有力な同盟勢力である磐井勢を失うという決定的な損失を受けていた。これにより北上川という最大の外堀をも失い、内堀である衣川の河川を盾にし敵の攻勢を食い止めなければならない。

「とはいえ、この衣川関も函谷関に例えられるほどの要害じゃ。然しもの清原とて破れぬだろうて!」

 貞任が大きな声で笑い、ともすれば塞ぎがちな皆を励ました。


 ――件の関は、素より隘路嶮岨にして、崤函の固きに過ぎたり。一人嶮に距げば、万夫も進むことを得ず。


 古伝に記されている通り、衣川関は南東側を深く流れの激しい渓流に面し、切り立った渓谷に囲まれているうえ、沿道は馬一頭通るのがやっとという狭い道幅であり、大軍が周囲を警戒しながら幾重にも隊列を組んで関攻めに当たることが非常に困難な、小松柵以上に難攻の砦である。そして、この関が落とされぬ限り、敵勢が奥六郡へ侵入することはない。


 しかし、兄の励ましにもかかわらず浮かぬ顔で宗任は或る懸念を感じていた。

(……破られるはずのない小松柵の防壁が、あの夜いつの間にか破られ敵の侵入を許してしまった。……果たしてこの衣川の護りは、無事に済めばよいが)


 一加もまた、懐から紫の花を取り出し、複雑な思いに囚われていた。


 ……次に会う時は、殺し合わねばならぬ。




 高梨宿、清原・国府軍本陣。


 物見の者より報告を受けた武則が、衣川関攻略の軍議の場にて、腕を組みながら皆の前で口を開く。

「何でも沿道の数か所が切り崩され、或いは樹木を斬り倒し道を塞がれているそうじゃ」

 矢張り、という様子で頼義、義家らも考え込む。二人とも開戦前は幾度も衣川を往来している径路である。あの沿道を塞がれては幾ら外から攻撃したところで関の門を叩けない。

「おまけに再びの長雨で衣川の水嵩は増し、流れも激しいときている。実に厄介な渓谷じゃ。磐井川戦のように無理をすれば渡れるような場所でもない。仮に試みたとしても、格好の弓矢の的じゃ」

 武則の嫡男、武貞が眉を寄せながら懸念を口にする。

「なに、案ずるに及ばぬ。それについては無論手は打っておる」

 唇を吊り上げながら、武則が一同を見渡して告げる。

「この度の攻略戦は三陣を以て編成する。武貞の第一陣並びに頼貞の第四陣は共に関上道から北進し攻撃せよ。儂と国府の第五陣は関下道から南より攻める。……但し、これらは全て陽動じゃ。――久清!」

 武則の呼びかけに、陣の外より黒装束の男が二人現れ、主の前に跪いた。

「源氏の棟梁殿は、忍びという輩については無論御存じであろうな?」

「当然知ってはおるし、それに関わる兵法も齧ってはおるが……まさか、この者らがか?」

 興味深そうに二人を観察する。

「我ら清原が抱える隠密頭、久清と雪平じゃ。殊に久清は先の小松柵攻略では大いに活躍してくれた。二人共、この度も期待しておるぞ!」

「はっ!」

 一礼し、忍びの二人が退出した後に、「父上」と遠慮がちに武貞が口を開いた。

「先程の編成につきまして、我ら三陣は陽動と仰せられましたが、それにしてはちと大勢に過ぎるかと存じまする。囮といえども損害は必須、将兵もまた財なれば、無暗な犠牲は抑えるべきと具申致しまする」

「無論、そなたの言う通りじゃ。だからこそ先日の戦で損失の少ないものを選んだ。尤も、我ら第五陣は出陣せぬわけには参らぬがな。譬え犠牲を払おうとも、皆の奮闘の分、戦功と褒美は国府が弾んでくれようぞ。安心して戦に臨むがよい」

 そこまで口にした武則がじろりと双眸を細める。

「……よもや怖気づいているという訳ではあるまいよな? もしそうならば今から編成を再検討するがどうじゃ?」

 父に凄まれ、「いえ」と答えた武貞が小さくなって座り直した。

 義家は少しだけこの青年に同情を覚えた。




 康平五(一〇六二)年長月。衣川関。


 南北三方向から進軍した清原・国府勢はたちまち衣川周辺を取り囲み、両軍戦名乗りを交わさぬままに川を挟んで激しい攻防戦が開始された。

「無粋な奴らじゃのう!」

 いきなり有無を言わせず火矢の雨を降らせてきた敵勢に貞任が苦笑いする。偶然にも、川を挟んだ向こうの陣においても頼義親子が渋い顔で同じ台詞を口にしていたのである。

「経清殿、万が一もあり得る故、念のため衣川の官舎や並木屋敷に残っている将兵らの妻子を退避させてやってはくれぬか? 仲村の集落のような狼藉を奴らがまたしでかさぬとも限らぬ」

「承知した!」

 要請を受けた経清が馬を走らせて陣を後にした。


「畜生、何で火がつかんのじゃ!」

 青筋を浮かべて頼義が拳を振るう。

「恐らく小松柵と同じでござろう。内側に分厚い鉄板を施しているものと思われまする。奴ら相当金をかけておるのう」

「おのれ、国府に無断で城柵をいじるなと言っておるのに!」

 悔しそうに歯軋りする。


「しかし、こちらばかり一方的に火攻めに遭うというのは面白くないのう。宗任よ、例の物は沿道に仕込んでおるか?」

「それはもうばっちりでござる!」

 包帯で左腕を吊ったまま矢倉に立つ宗任が親指を立て、階下の業近に下令する。

「よしきた、出羽の奴らを吹き飛ばしてやれ!」

 予め沿道各所に目印に立てておいた小旗を目掛け城壁から次々と火矢が放たれる。


 一拍後、凄まじき爆音と共に清原勢が沿道ごと粉々に吹き飛ばされ、連動するように他の地点に仕掛けていた爆薬も次々と火を噴き、火矢着火用に手にしていた松明が握りしめる清原兵の千切れた腕ごと叢に転がり、最後の一つに引火してとどめの爆発を起こした。

 柵の内側から見ていた安倍の将兵らも皆爆音と衝撃でひっくり返り、耳を抑え咳き込みながら貞任が身を起こす。

「……凄いな。あれ程の威力があるならもう少し唐土もろこしから買い付けてくるのであった」

「……今ので打ち止めでございまするか?」

 したたかに腰を打ち付けた宗任が目を回しながら問う。

「なにしろべらぼうに高くてな。地雷火というらしいが、あれ一貫買うのに都への一年分の貢物が半分、今のように吹き飛んでしまう」

「……良かった。……二度と使わないでくだされ!」



「なんじゃ今のは、雷か!」

 血相を変えて武則が武貞を呼びつける。

 沿道の清原勢は騒然としていた。

「恐らく。死人は十数人程度とはいえ負傷者多数、何より兵馬の動揺が著しうござる!」

 爆発の衝撃で多数の兵が錯乱に陥り、一部では攻撃網に穴が開いてしまっている。そこに狙いを付け関側からの攻撃が俄かに勢いづいてきていた。

「父上、一旦引いて態勢を立て直しましょう。もうじき日も落ちまする故」

 息子の進言を武則は鼻で笑う。

「予期せぬ自軍の混乱とて、見方を変えれば敵勢への撹乱の好機となる。久清達を呼んでまいれ!」



 暫しして経清が帰陣した。

「並木屋敷とその周辺は逃がし終えた。だが川西付近の避難は俺一人では手が回らぬ。誰か助力を頼めぬか?」

「それなら私が」

 名乗り出る一加に宗任も続いた。

「この腕では戦えぬが、民の誘導くらいなら務まろう」

「助かる。では日の射すうちに済ませよう」

 

 敵の火攻めは小康状態となっていたが、未だに火矢が堰の内側まで飛び込んでくる。

 城壁の切れ目を覗いてみると、連日の長雨により普段の穏やかな川の流れが様相を変え、滝の如き濁流が渦を巻いている。もし川に落ちてしまえば到底助かるまい。

「……おい、あれは何じゃ?」

 経清が、城壁の下を指さす。

 丁度柵を構成する杭の部分に、此岸から対岸までを渡すように縄が張られている。こんなものは昨日までなかったはず。

「一体どうやって渡したのだ?」

 呆れたように呟く経清の横で見下ろしていた宗任の顔がみるみる青ざめていく。

(成程。小松柵落城の理由……符合したぞ!)

「どうやら川を越えて来た奴らがいる。急ぎ本陣に知らせるぞ!」

 振り向いた宗任の頬を投剣が掠めた。

「何者かっ!」

 叫び、見回した時には、既に黒装束の兵士ら五人に囲まれていた。

「こいつらが小松柵を……っ!」

 自分を逃がすために敵陣に斬り込み死んでいった者達の顔が過った。

 憎々し気に宗任が兵士らを睨みつける。

「宗任殿は急ぎ本陣に知らせてくれ! 一加殿は手遅れにならぬうちに川西の避難を頼む。こ奴らは俺が相手をしてくれる!」

 薙刀を振りかぶった経清がぎりりと敵兵らに構えを向けた。

「経清様!」

「これでも武将の端くれぞ! 心配はいらぬ、それよりも手遅れにならぬうちに民らを頼む!」

 一斉に斬りかかる兵士を相手に立ち回る経清の剣戟の音を背に、一加は川西市街に向けて馬を飛ばした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る