赤い悪魔

「スピカ!!」

「……梓真」

 もちろん気づいている。

 梓真は頭上をキッと睨んだ。

 そこには、彼らを見下ろすウンブリエルがいた。

『ンだ、文句あっか? 裏切り者には当然の報いだろう』

「……」

『さて、ヤンチャはそろそろ終わりの時間だ。船なんざいくらでも用意できる。てめえら、観念するんだな』

「……先輩」

『あ?』

「もう、やめて。二人を解放して」

『やだね』

「先輩!」

『こいッつらを人の側に渡せねえのは知ってんだろが!』

「違う……」

『忘れたか? 千億の個の意志だ』

「違う! あなたの強い思念が、怨念が、みんなの意志をねじ曲げている」

『……怨念……怨念つったか?……』

「二人を連れ去ることだけが正解じゃない! あなたが加瀬くんに何をしようとしているのか……わたしにはわかるの」

『ああ、利用させてもらうさ。それが――』

「うそ。先輩がされたことをやり返したい。そうでしょ? あの人たちにやったみたいに!」

『……』

「それが、あなた自身も気づいていない、心の奥底の欲望……。わたしにはわかる。……わたしにしか、わからない……」

 ずん。

 激しい揺れが岸壁を伝い、土砂を落とした。ウンブリエルが、張り出した大岩の根本に鎌を突き立てたのだ。

『そうか、そうかそうか、スッキリしたぜ。なるほど、俺のモヤモヤはそれが原因か……ハッ』

「ちょっと!? どうする気よ!」

 強気に、理緒が吠える。

『おまえら、まとめて死ね』

「連れて帰るんじゃなかったの!?」

『今すぐ降参すんならな。え? どうする? 加瀬梓真くんよ?』

「……死んでも、お断りだ」

『その返事、うれしいぜ』

 ふたたび鎌が崖を突く。だが本気ではなかったようだ。土砂の雨が降り注ぐものの、岩の本体はまだ壁に張り付いている。

(くそっ、遊んでんのかよ……)

『楽しいなあ、圧倒的優位ってのは。……どうだ、アホの留年生に命を握られた気分は?』

「……」

『わかるかぁ? これが俺たちとおまえらの関係だ。人類の生殺与奪は、我ら千億の個が握っている。おまえらが背伸びしようが逆立ちしようが、ぜってえ届かねえ、はるかな高見でなあ』

 岩壁から離れても、勢いのついた落石が背中から襲い掛かるだろう。……くやしいが、彼の言うとおりなす術がなかい。

「ごめんなさい……」

 月下、玲亜の顔が陰る。

「謝られてばっかだな」

「わたしが挑発したから」

「もしアイツについてったら、俺は、何をされる予定だったんだ?」

「……とっても痛くて、苦しいこと」

 梓真は思いつくかぎりの「痛くて苦しいこと」頭に浮かべ、苦々しく言った。

「なら、しゃあねえ」

 ウンブリエルが大きく構える。

『そのアホ面、ムカつくぜ』

(いよいよ、か……)

 梓真は覚悟を決め、理緒の手を強く握った。

 理緒も見つめ返す。いつもと変わりのない、強い決意を秘めた目だ。この期に及んでも、まだ助かることを信じているような――

『じゃあな』

「!」

 赤い腕が岩に向かって振り下ろされる。

 梓真は身構えて、その瞬間を待った。

 だが――

(なんだ! 何があった!?)

 鎌が後ろへ落ちる。

『馬鹿な!』

 六角の衝撃はそのまま梓真の驚きでもあった。ウンブリエルの腕が肘からもぎ取られている。

『まだ仲間がいやがったか!?』

 周囲にそれらしき姿は見あたらない。

(狙撃か!)

 巨体が浜辺に飛んだ。

 彼の判断は正しい。梓真でもそうしていただろう。ただしそれは、狙撃手が陸側にいた場合だ。

『ぐうっ!』

 ウンブリエルの胸部に火花が散った。

 素早い回避で三発目は外れ、岩壁に深い穴を開ける。

 ウンブリエルはランダムに動きながら安全地帯を求め遠ざかっていく。

 九死に一生を得て、理緒は、

「あの援護は誰なの? カストル? ポルックス?」

「いいえ、二人とも回収してない。まだ、水の底……」

「じゃあ、いったい……」

『助かったとか思ってんじゃねえぞ!』

 六角のそれは、ただの捨てゼリフではなかった。

 フェイカーの目にふたたび魔性の火が灯り、亡者の行進を再開する。

 梓真は肉迫してくる一体に発砲、だが盛大に外す。

「へたくそ」

「しょうがねえだろ」

 やはり、さっきは生涯一度の奇跡に違いない。

「貸して」

 玲亜が見かねて奪い取る。見事、顔面に命中させた。

 さらに謎の狙撃も加わる。一発で三体を串刺しにする神業だったが、その威力も尋常ではない。

 それにより、その居場所の見当もついた。西南西には海が広がり、そこにあるものといえば――

(あの灯台か!)

 ウンブリエルは狙撃を恐れて姿を消したが、多勢に無勢は変わらない。なぎ倒されたフェイカーの隙間は瞬く間に埋まる。

 跳び道具を使われていないことが幸いしていた。手持ちが尽きたのか、あるいは捕縛をあきらめていないのか。

「梓真! 手伝って!」

「……マジかよ」

 理緒はなんと、ミランダの得物に手を掛けていた。

「何もしないよりましでしょ!」

 引きずりながら戦槌の柄を持ち上げる。梓真は両腕で先端を抱えた。

「えーと……」

「いいから、放り投げて!」

 振り下ろす――というより自由落下に近い。しかしともかくフェイカーの一体を押し潰すことに成功する。

 しかし同時に隙も生じた。

 間一髪であの狙撃が阻み、光を失ったフェイカーが梓真の目前で倒れ込んだ。

「予備弾倉、探して」

 玲亜も岩陰へと舞い戻る。握った銃はホールドオープン状態だ。

 梓真は倒したオルターのあちこちをまさぐるが――

「ねえ!」

「よく探して!」

 と、そこへ、

「玲亜さん!」

 どこから見つけたのか、理緒がマガジンを投げてよこし、別の銃を手に自らも攻撃に加わる。

 梓真だけが手持ちぶさただ。

「キリがねえぞ! やつら、止めらんねえのか!?」

「……もし……」

 装填を終えて、玲亜はつぶやくように言った。

「なんだよ!?」

「彼らは衛星から、緊急事態信号を受け取っているの。……もちろん、千億の個が発している偽の信号」

 玲亜は身を乗り出し、射撃を再開する。

「それが倫理機構を無効化してんのか?」

 正確には、法秩序から逸脱しているわけではない。非常事における暴動鎮圧を目的としたものだ。

「だが、無線妨害は続いてんだろ!?」

「ええ。だから、レーザー通信を複数のドローン

が中継してるの」

 光源が激減する夜間に、レーザー通信は安定する。それでも大気による減衰や光束の分散は避けられず、通信距離は二キロメートルが限界だ。

「付近の上空にいるはず」

「わかった。そいつを落としゃあいいんだな」

「でも、わたしには正確な座標がわからないの」

 すると梓真は大きく息を吸い込み、そして――

「ディアナ!!」

「え?」

「梓真?」

「ドローンだ!! そいつがオルターの制御を緩めてる!! 撃ち落とせ!!」

 絶叫は一帯に響いた。肩で息する梓真に理緒が尋ねる。

「まさか、あの狙撃はディアナなの?」

「あの灯台にいる。間違いねえ」

「だって、どうして……」

「俺たちのあとを追わせたんだよ、輝矢が」

「……」

 玲亜は攻撃を再開する。その合間、

「でも、位置が……」

「わかるさ」

「それに、ここから伝わるわけ――」

 頭上の破砕音が玲亜の言葉を遮った。フェイカー群のただ中に何かが落下する。

「どうして……」

 ぽかんとする玲亜。狙撃音は止むことなく、さらにもう一機が落ちる。

 しかし、フェイカーたちに変化はない。それどころか、消えた援護の分だけ、勢いを増している。

「おい、止まんねえぞ!」

「予備も……ある……から……」

 玲亜からは口を利く余裕すら消えていた。上空への狙撃も、二機目以降、命中した様子はない。

 そんななか、不気味な地響きが鳴る。

(ウンブリエル!)

 間を置いて、大地をえぐる足音が遠ざかっていく。狙撃を避ける大ジャンプを繰り返しているのだろう。

 その狙いを梓真は悟った。

「ディアナぁ! いったん離れろ!! 敵が……く……」

 ついに侵入を果たしたフェイカーが、梓真へと掴みかかる。抵抗も虚しく、地面に押しつけられてしまう。

 その目に、拘束される二人が飛び込む。

「玲亜……理緒っ!」

 一発、二発、三発……

 喧噪は静まり、海からの銃撃だけが虚空を切り裂いていた。

 四発、五発……六発目!

 ドサッ、と目の前に黒い落下物があった。途端、背中の圧迫が消える。

 立ち上がる梓真。

 地に膝を付けるフェイカーたち。人を統べる“千億の個”が、人の手に戻った瞬間だった。

 玲亜は手首をもみながら、

「倫理機構が平常に戻ったことで、彼らはもう人を害する行動が取れない。彼らにとっての呪縛」

「なんで跪いてんだ?」

「異常行動を検知した倫理機構が、AIの更新を掛けているの。しばらくはあのまま動けない」

「……ともかくひと安心ってことか」

「梓真……」

「ああ、大丈夫か?」

「……ディアナは灯台にいるのよね?」

「と、思うが……」

 理緒は憑かれたように視線を海へと注いでいた。それに梓真も倣う。

(灯が……ない……!?)

 目を凝らし、西南西の星空を見つめる。しかしどれほど待とうとも、そこに新たな光が灯らない。

 それは一つの結果を暗示していた。

「ディアナ……」

「まだ、やられたと決まったわけじゃねえ。行くぞ」

 悲しみを湛えた瞳が、今度は梓真を見据える。

「……どこへ?」

「装甲服を取り返す。……アイツが、戻ってくる前に」


「……待……て……、ハッ、ハッ、ハ……」

「何してんの、だらしない」

 理緒があきれ顔で振り返る。

 目的地を目の前にして、梓真の足は止まってしまった。

「ほら、急ぐんでしょ」

 理緒は梓真を置いて走り出す。それどころか、

「体力、ないの?」

 と、玲亜にまで抜かされる始末だ。

「……く……そっ」

 ようやくたどり着く頃、理緒は焼けた残骸に入り込んでいた。

 玲亜はなぜか立ち尽くしている。

「あんたまで来ること、ねえだろう」

「……そう、かも」

「何、見てんだ?」

 車体の陰には、地面に横たわる広敷と彼を手当する二体のオルターがいた。

「生きてんな、運のいい」

「あの人にとっては、どう、かな」

「……」

「梓真、来て!」

 その言葉に、梓真も荷台に踏み込む。

 荒れ果てた内部に二型が装着態勢で待っていた。周りの残骸もきれいに取り除かれている。

「ほら、感謝しなさい」

 恩着せがましい声から察するに、一型を纏った理緒が二型の準備を整えたらしい。

(ちっ、時間ねえしな……)

 むっとしながら、受け入れる梓真。

 だが装着を終えると、今度は――

『ところで、なんだけど……』

「なんだよ?」

『……』

 彼女が示したのは、荷台の奥の残骸の中、眠るように静止しているオルターキラーだった。

『……どうする?』

 躊躇する理緒。対照的に、梓真の行動は早かった。

 オルターキラーの投げ出された左腕を持ち上げ、脇の下に銃弾を撃ち込む。さらに裏返し、今度は腰部。白煙が上り、やがて炎が全身を包んだ。

『……』

「また襲われちゃ、たまんねえからな」

 梓真は滷獲したパイルバンカーを左腕にはめる。

 直後、アイツが嫌味とともに舞い戻った。

『楽しいだろ? 無抵抗のヤツをいたぶるのは?』

 見かけとは裏腹の、悠然とした身のこなし。

 梓真は間髪入れずトリガーを引く。巨人はそれをたやすく避け、

『当たるかよ』

 と肩を竦める。――破壊された右腕を見せびらかすかのように。

『当たっても、今のテメーらにゃコイツは歯が立たねえよ。あの狙撃にはヒヤっとしたが』

「ディアナはどうした!?」

『バラして、魚のおウチにしてやったが?』

「てめえ……」

『せっかくオメーを慕って追っかけてきたってのに、カーイソーになあ』

 思わず、引き金に力が籠もる。

『梓真! 挑発にのっちゃ駄目!』

「わかってる」

 理緒からの通信に、梓真もスピーカーを切って答える。

「作戦どおりやるぞ」

『ええ』

 梓真と理緒はウンブリエルを挟む形で前に出る。

 だが敵は微動だにしない。

(ちっとやべえか……?)

 梓真は後ろの玲亜を気にした。裏切った彼女を六角は許さないだろう。

『スピカにミランダ、で、ディアナか。周りに不幸を振りまく存在なんだよぉ、オメーは』

「やったのはおまえだろ!」

 それに、玲亜も加えるつもりなのか?

 赤い目が妖しく光る。

「くっ!」

 梓真が発砲。同時に理緒が玲亜を庇った。

 ウンブリエルは跳躍すると見せかけ、地面をジグザグに走って梓真へと接近する。

 ――撃てない。

 射界に玲亜たちがいた。

「くおっ」

 梓真は鎌の根本を押さえた。一歩でも下がれば、腕を両断されていただろう。

 まだ窮地は脱していない。鎌の先端が頭部に食い込む。ウンブリエルのマスクにはサディスティックな笑みが浮かんでいた。

『伏せて!』

 頭上に理緒が援護を放つ。六角にはかわされたが、その間に梓真は体勢を立て直すことができた。

「二人とも、わたしのことは気にしないで」

 うつむき気味の玲亜の瞳は、梓真たちを見ているようで見ていない。

「いや――」

『それじゃ……』

「この人はわたしを殺したりしない。……そうでしょ、先輩?」

 かすかな舌打ちが鳴った。悪魔の顔が後ずさる三人を追ったが、攻撃の気配はない。

(……なら、手はずどおりだ)

 梓真は海側へと駆け、銃撃を放つ。その誘いにウンブリエルは乗ってきた。理緒の攻撃を巧みにかわし、追ってくる。

『もう! ちょこまかと!』

 とうとう追いつかれ、大鎌の一閃を受ける。

 間一髪避けるが、それはフェイントだった。前足の一振りが脇をかすめる。

「あっぶねえ!」

 流れ出る冷や汗。しかし梓真は恐怖とは異質の、奇妙な高揚も芽生え始めていた。

(そうだ、これはマルスの――)

 またも、ウンブリエルの鎌。梓真はそれを懐に飛び込んでかわした。研ぎ澄まされた思考は蹴りの予測回避も成功させる。

(俺がマルスでさんざんやった――)

『くそぅ、ちょこまかとぉ!』

 どこかで聞いたセリフに笑ってしまう。理緒は顔から火を噴いているに違いない。

 ウンブリエルの荒い攻撃を、梓真は接近して避ける。――練習試合で幾度となくやった、敵が大型であるほど有効な戦法。

 しかし梓真に懐かしむ余裕はない。ゴーグル越しの操作と、自ら動き回ることには大きな開きがある。何より、失敗が死に直結する。その恐怖を捨て去ることはできない。

 次第に別の感情も芽生える。

 怒りだ。

(……こんなヤツ、マルスがいりゃ楽勝だったんじゃねえか!)

 マルスを破壊した自分への怒り、そしてそうし向けた広敷一派への怒り。

「マルスがいりゃ、今ごろはもう、とっくに……」

 思わず声に出していた。それに気づき、赤面する。だが理緒の応答はなかった。

 地表の全方位、どこにも姿は見えない。

(作戦は順調……ってか。なら、よし!)

 傷だらけの体に生気が溢れる。いつも以上に頭が冴えた。

 ウンブリエルは攻撃を繰り返しながら、こちらの思惑どおりに誘導されつつある。

(まだか……)

『梓真! いいわ!』

 目印は、深く切り込んだ入り江だ。今は真後ろにある。

 ウンブリエルが水平に払った鎌を、梓真はバク転でかわす。普段の彼なら絶対にできない芸当――それはマルスの動きを梓真がトレースした、主従の逆転現象だった。

 そして入り江の手前二十メートルの位置に、一型の手を見つける。

 体勢が崩れたところに六角は連続攻撃を仕掛けた。横転で逃げるが、岩に阻まれ動きが止まる。

『死にやがれ!』

 声の勢いそのままに、ウンブリエルが大鎌を高く振り上げる。

 だがその足下が大きく割れ、大地に飲まれ沈んでゆく。自慢の四つ足も、崩れた足場から逃れることはできなかった。

『加瀬……梓真ぁー!!』

 支えとなり得るのは梓真と背後の岩だけだ。視界に迫る大鎌を、梓真はパイルではねのけた。

 赤い悪魔が地の底へと還る。

『梓真……』

「まだだ! とどめを……!」

 梓真は二型を大きくえぐれた穴へと飛ばした。

 視界が一瞬にして暗転する。

 夜より暗い黒の世界――。音と緩衝器が海水に浸る岩場だと伝えた。

 波に浚われて形成された洞窟を海蝕洞という。梓真は、地理に明るい玲亜からその存在を聞き、この計略を思いついた。

 だが、勝敗は決していない。

 自動で暗視装置が作動すると、水と土砂の間にウンブリエルの姿があった。立ち上がろうともがいている。

 梓真は近づき、首、背部、関節――と、弱点と思われる装甲の隙間へ、執拗に、徹底的に銃弾を放った。 理緒もそれに倣う。銃声は輪唱となって洞窟を駆けめぐった。

 やがてライフルの反動が消える。

「弾切れだ」

『こっちも』

 理緒の銃火も止む。

 ウンブリエルの巨体は地下世界に沈黙した。

 ――終わったのだろうか?

(いや、まだだ!)

 あの男を引きずり出すまで油断はできない。

 前へ出る梓真。

 だがそれより半瞬早く、影が動いた。

「理緒!」

 彼女も気を緩めてはいない。手にはミランダから拝借した戦槌を構えていた。しかしウンブリエルは時を与えず間を詰めると、理緒の一型を押し倒し、そのまま体に足を掛ける。

『クク……』

 静寂しじまに奇声がこだました。

『……テメーら、いろいろ考えてんのな。感心したわ』

「てめ、そこを――」

『動くな! 動けば押しつぶす』

「理緒! 無事か!」

『それが……動かなくて……』

「くそ……」

 伝達回路も破損したのだろうか。一型の腹部は破損し、対弾用の二次装甲が露出している。そこにウンブリエルの足がねじ込まれてた。

 あれほどの銃撃にもかかわらず、損傷した様子は見あたらない。傷は、ディアナの狙撃による片腕と胸の痕だけだ。

『とりあえず、テメーから片づけるか』

 理緒を押さえ込んだまま、ウンブリエルが振りかぶった。

 梓真の動揺が外装に伝わる。

 六角は念を押した。

『動くなよ。じっとしてれば急所は外してやる。……そうだな、足の一本でもぶった切ってやるか。ひひっ』

「てめえ……」

『殺せばいいじゃない!』

『俺ぁなあ、テメーのこと結構気に入ってんのよ。その気のえートコとかな』

『わたしは大っ嫌いよ!』

 会話の隙に、梓真はウンブリエルの足下に走る。ところが、

『動くなッつったろ!!』

『……っ』

 理緒のかすかな呻き。ウンブリエルの足がぐいぐいと押し込まれている。梓真は止まるしかなかった。

『あーあー、カーイソーに。テメーのせいだ……ぞっ!』

「ぐっ!」

 後ろ蹴りをモロに食らい、岩壁に叩きつけられる。痛みより、脳の揺れにダメージを負う。

『待ってろ。テメーの始末は一瞬で済ましてやる。どの道、テメーみてえなフラフラしてる奴ぁ、ろくな人生歩けやしねえ』

 理緒は完全に六角の手の内にあった。

(クソッ!)

 打つ手がない。

 梓真は力なく、ただ顔を上げる。すると、

「……?」

 地上への穴に動く気配があった。六角は気づいていない。……いや、梓真だけに向けたサインだ。

「うおおおおお!!」

 梓真は二度目の突進を試みる。

『馬鹿か!』

 一瞬、注意をそらせば良かった。

 地下の世界に新たな影が降り立つ。

『んだぁ?!』

 背後の気配にウンブリエルが振り向く。しかしその時には、影が巨体に体当たりをかけていた。

 だが動かない。

 梓真が巨人の足を持ち上げ、ようやくバランスを崩す。

 その隙に理緒を黒い影が引きずり出す。

 梓真はすかさずパイルを打ち込んだ――のだが。

「な……」

 奇妙な感触だった。

 巨人の腰部関節を狙った杭の先端が、ツツ、とずれてそのまま空を切ったのだ。

 戸惑ううち、ウンブリエルの反撃の足蹴りが放たれる。梓真は後退してかわした。

 そのまま二撃目を警戒するが、ウンブリエルは仁王立ちで動かない。六角もこちらを伺っている様子だ。

 そこに理緒の声が届く。

『梓真、ディアナが……』

「ああ、ディアナだ。よく無事で――!?」

 無事ではない。理緒を不自由そうに引きずる姿には、左の肩から先が消えていた。

 ぎり。

 梓真の奥歯が軋んだ。

 オルターにとって部位パーツの欠損はただの故障ではない。重要度と量に比例した危険信号をAIに送る。

(それは、人の痛みのような……)

 ――梓真がオルターの損傷をそんなふうに意識したのは初めてだった。理由は、おそらく彼の左腕の怪我だ。

 思わず自分の左肩を押さえた。

いてえ……)

 視覚が伝えるディアナの痛みが、梓真とシンクロする。そして、そんな怪我を押して主人を救出に戻った彼女が愛おしく思えた。

『……チ、このくたばりぞこない……』

 集音器が六角の悪態を拾う。

 聞き流す梓真の耳に、今度は理緒の通信が飛び込む。

『梓真、さっきの攻撃が防がれたのって……』

「ああ。玲亜が言ってた“高周波振動装甲ハーモニック・アーマー”ってやつだろうな」


「振動装甲? なんだそりゃ」

「高周波振動装甲。実証中の損傷軽減装置。外部装甲を高速で震わせることで、弾丸の運動方向を変更する……受け流す、のほうが近いかも」

「運動方向の変更? んなこと、できんのかよ」

「被弾面積を広げる効果もあるの」

「……? 広げてどうする?」

「面積が広がった分、弾丸の推進エネルギーも分散するの」

「それをウンブリエルが装備してるってのか?」

「試作段階だから、まだ振動の幅や周期の最適解

を出せていないけれど……」

「……そんな夢みたいな――」

「千億の個は人の五十年先を歩んでいる。科学技術もそう」

「……」

「とにかく気を付けて」

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