検問

 再討議から戻った山野目は、ようやく梓真たちに現状を伝えた。

 交信不能と判明したのは、理緒がフラッグを手にする数時間前。正確な時刻はわかっていない。

 それを随行審判もただ指をくわえていたわけではなかった。大昔の通信兵よろしく、数名の連絡員を陸路、大会本部へと派遣したのだ。

 それが、戻ってこない。

 最終的には各チーム、オルターを回収し、その後順次試合場を立ち去ることが決まった。

 だが山野目を待つ間に、状況はさらなる悪化を辿る。理緒との交信も途絶えてしまったのだ。

 準備もあわただしく、梓真たちは出発した。

 あれから三十分――

 荒れるに任せた舗装路とも呼べない道が車体を激しく揺さぶる。しかし助手席の梓真の目は暗闇のただ一点、城の方角を見据えていた。

 そんな彼の心境を察してか、山野目はゆったりと口を開く。

「しかし危なかったな」

「……何が?」

「勝負のついた時間だよ。もう二十分遅れてたら、試合中断、翌日持ち越しだったぜ」

「ああ……」

 梓真は辺りを見渡した。

 彼らは放棄された村落の中央にいる――はず。それはあくまで地図上のこと。明かりのない人家は宵闇にとっぷりとうずもれ、ヘッドライトは直線のアスファルトを照らすのみ。

 梓真は思い出したように懐中電灯を点け、膝に当てた。

「紙の地図なんて初めて見たぜ」

「備えあれば憂いなし、ってやつだ」

 彼の言うとおりだった。GPSが使えない今、もしこれがなければ、梓真たちは配置されたあの場所で救援を待つよりほかなかっただろう。

 そんな救世主たるアナログ製品が、突如として梓真に襲いかかった。

「……」

「どうした?」

「……クルマ、止めてくれ……」

「って、急いでんじゃ……ああ、そういうことか」

 車体に急制動がかかる。梓真は完全に停止するのを待たず車外に飛び出した。片手は口を押さえたままだ。

「出たか?」

「……いや、とりあえず……」

 道端でしゃがみ込み、吐き気をこらえながら答える。

「ナビ、代わってもらったらどうだ?」

「……そうだな……」

 目的地は間近だが、山野目は一帯の地理に自信が持てないという。それも仕方ない。先ほどから同じような景色の連続で、同じ場所をぐるぐると回り続けているような錯覚にとらわれていた。

 梓真はまともに歩けるまで回復すると、後席に上がり込んだ。

 たちまち別世界の明るさに包まれる。

 だが、どこかおかしい。

 照明とは正反対の、静寂と重苦しさが漂っていた。

「あのね……」

「うん?」

 真琴がまっ先に近づく。

 釣られて梓真の声もくぐもる。

「輝くんの具合が悪いみたいなの」

「……」

 目を向ける梓真。

 輝矢は自分の席に顔を伏せていた。

「なんだ、おまえもクルマ酔いか」

「……まあ、そんなとこ」

「めまいがするんだって」

 真琴の耳打ちに軽くうなずいて、梓真はもう一度輝矢に声をかける。

「ちょっとだけ待ってろ。すぐ帰れる」

 輝矢は微笑だけを返し、ふたたび両腕に顔を埋めた。

「なんだ、またおまえか。復活したのならかまわんが……」

 助手席に戻った梓真を、山野目が気遣う。

 しかし梓真は重傷だった。

「この辺で一番近くの病院は――」

「はあ!?」

「いや、なんでもねえ……」

 ここは無人の演習場。そんなもの、あるわけがない。

 だがもし存在したとして、それが寄り道といえないような離れた場所だったら、クルマを向かわせるよう頼んだだろうか。

 理緒と輝矢を天秤に掛ける自分を、梓真は不快に思った。

 ほどなくして輸送車は城に到着する。

 池の周囲に散らばる蛍火は、他のチームのクルマのものだ。その一つに山野目は横付けする。収容作業は佳境のようで、後部ハッチが煌々と草木を照らしていた。

 それを横目に、梓真は足早に橋から城を目指す。腕を釣っていなければ全力疾走していただろう。

 対照的に、すれ違う足音は大荷物にもかかわらず小さい。それは当たり前で、運んでいるのがオルターだからだ。もちろん、運ばれているのもオルターだった。

 逸る梓真はかまわずに橋桁を鳴らし、ゆったりとしたオルターの背中を追い抜く。

「おい、危ねえぞ!」

「……」

 背中に山野目の注意がふりかかる。理解はできるし、そのとおりでもあった。手すりがあるとはいえ、夜の水辺は危険が伴う。込み合い、外部との連絡が途絶えていればなおのこと。やむなく梓真は歩調をセーブした。

 それでも――

「理緒! いるか!」

 門を潜って早々に、梓真は叫んだ。ライトの付いたヘルメットがいくつか振り向いたが、彼の目当てではない。

 梓真は奥へと歩き出した。

 まばらに照明が焚かれ、足下がわかる程度に広間は明るい。しかし、最後の戦いの舞台がどのあたりなのか、梓真には見当もつかなかった。

 そこへ、かすかに声がする。

 梓真は絶叫で答えた。

「理緒!!」

「梓真……」

 声をたよりに進むと、壁にもたれる生身の彼女を見つける。傍らには両手・両膝を突いた脱着姿勢の装甲服と、横たわるディアナの姿もあった。

 駆け寄る梓真を理緒はしばらく見つめていたが、ふと、その目は宙を泳ぐ。

 梓真もいざ再会となって、掛けるべき言葉を見失っていた。

「……理緒、やったな」

 結局、気の利いた言葉は浮かばず。……抱擁もなし。

「……」

「あー、えっとだな……」

「……あ、あら、案外早かったわね」

 理緒のどこかぼけた返答にも、梓真は無反応。ただ胸をなでおろした。

「気分はどうだ?」

「とにかく疲れたわ。早く休みたい」

「……」

「なんで黙るのよ?」

「言いにくいんだが……」

 今度は理緒が口を閉じる。ようやく合わせた目には不信の色が灯った。

「ディアナを輸送車まで運んでくれねえか?」

「はあ……。そんなことだろうと思ったわ」

 呆れたように吐き捨てると、装甲服に向かう。

「俺が三人いても持ち上がらねえが、こいつなら楽勝だろ? な?」

「ハイハイわかりました。それでクルマはどこ?」

「橋の向こうだ。東の……」

「なんで持ってきてくれないのよ!?」

「話し合いで決まったんだよ。みんなで乗り付けたら渋滞すんだろうが」

 理緒は目を向けず、離れた場所を指し示した。

「そこに堂々と乗り付けてる人もいるけど」

 ひときわ目立つ輸送車のライトと、さらには言い争う男女の声。気づかないわけがない。

 山野目が口を挟んだ。

「まあ勘弁してやれ。連絡が取れてない連中もいたからな。西側に配置された誰かだろ」

「にしても、ちっと考えりゃわかりそうなもんだがな。いったい、どこのど……ゲッ!」

「そうよ、あいつらよ」

「……今すぐ潜れというんですか?」

「軍隊なら掃海装備ぐれえ用意しとけや」

「そもそも連絡が付かないのは理解されてますよね?」

 女性につかみかかるようにしていたのは六角、かたわらに広敷もいた。梓真の顔を合わせたくないリストの上位二名だ。

「しゃーない。ちょっと行ってくるわ」

「……ご愁傷さま」

 ため息混じりの山野目を、梓真が見送る。

 今度は、理緒がグチっぽく言った。

「わたしも始めるわ」

「お、おう、頼む」

 理緒はすでに装甲服の装着を終えていた。腰を落とし、ディアナの体に手を差し入れる。

 手伝おうとした梓真に、理緒の声は厳しかった。

「危ないから離れてて!」

「そ、そうか」

 剣幕に押され、後込みする。あとを追うことも許されない雰囲気だ。

 所在をなくし、梓真は広敷たちへ足を向けた。騒動に巻き込まれるのはイヤだったが、ともあれ他の地域の情報は耳に入れておきたい。

 明るすぎるライトが四人の輪郭を縁取っていた。見慣れた三人に、初めて見る女性が一人。野戦服を見る限り軍人であることは間違いなく、審判だろうと想像できる。

 山野目を交えても、どうやら話し合いは平行線のまま。理で諭そうとする審判二人に対し、六角は感情でがなりたて、広敷はねちっとした視線を投げるだけだ。決着はつきそうもない。

 だが梓真が視界に入ると、広敷の顔がかすかに引きつる。それを梓真は見逃さなかった。

「そもそも地下を水没させたのは、誰だったっけなあ」

「……ともかく、わたしたちはここを離れない。了解したかね?」

 梓真の参戦で広敷は撤退を決め、そそくさとその場をあとにする。六角も続いたが、捨てぜりふのかわりに尊大な笑みを梓真に向けた。

 梓真は物足りない。二度と顔を合わせることもないだろうから、ため込んだ文句を全部ぶちまけてやりたかった。

 憮然とする彼に、迷彩服の若い女性が一礼する。

「お見苦しいところをお見せしました」

「こちらは諏平チーム担当の芙蓉ふよう少尉だ」

芙蓉阿紀ふようあきです」

 女性士官はぴし、と姿勢良く敬礼した。化粧気は薄いが顔は十分以上に美しく、隣に並んだ無精ひげとは月とすっぽんだ。梓真としては大会運営委員の不公平を呪うしかなかった。

 見とれる梓真を後目に、すっぽんが話を進める。

「それで、彼らはどうすると?」

「仲間を待って、稼働するアリエル、ミランダとともに地下に潜ると、そう……」

「……意見具申、よろしいですか」

「もちろん」

「たしか、そちらにはもう一人配属されていましたね?」

「はい、竹井伍長が。今は用事で出ています」

「ある程度の時間制限……そうですな、明日の正午には、ここを出発されるほうがいいでしょう」

「……もし彼らが拒否したら?」

「その時は、審判の権限を最大限に行使なさるべきでしょう」

「……わかりました」


「驚いたよ」

「何が?」

「おっさんも、ちゃんと軍人なんだな」

 すると山野目は照れながら、軽く口角を上げる。

「まっ、かわいい後輩だしな。少しはカッコつけねえと」

 梓真は愛想笑いで答えた。

 本当は「最大限の審判の権限」とやらに興味があったが、尋ねても、はぐらかされるだけだろう。

 ……それに、ある程度の想像もつく。

 梓真が考え込む間に、山野目はシリアス調で尋ねる。

「さて、おまえたちはどうする?」

「ディアナの収容を終えたらすぐ出発してえ。できれば、他のチームと一緒に」

「賛成だ。そのへんは俺が話を付けよう。おまえさんは先に戻って、り……オリオンちゃんの面倒みとけよ。がっはっは……」

 下卑た笑いのせいで、芽生えかけた尊敬が夜露となって消えてしまった。

 とにかく、今は脱出を優先すべきだろう。

 輝矢の具合は気がかりだが、ここに医療スタッフはいなかった。いたとしても、助けになるとは思えない。彼に必要なのは専門的な治療だ。

 不良中年は自分の役割を果たし、前言どおり梓真に二人のチームリーダーを引き合わせた。十分後、三台の輸送車は城を脱出、南西へと進路を向ける。

「中田さんは、ここいらの生まれなんだと」

「へえ……」

 中田氏……。工場主と名乗った人好きのする中年男性だ。

 山野目は先導を任せ、のんびりとハンドルを握っている。

 しかし、梓真にはその中田氏のノロノロ運転が不満だった。

「夜道だろ。安全第一だぜ」

「まあ……」

 気のない返事で辺りを見渡すと、ライトを照り返す白い建物に、弾痕と機械の破片が残されていた。

 ここで戦ったオルターは移動したのか、それとも敗れ回収されたのだろうか。

「中田さんがな、病院を知ってるとよ」

「え?」

「町に着いたら案内してくれるそうだ」

「……」

 その言葉に重圧が少しだけ和らいだ。

 一般の病院で輝矢の診断ができるかはわからない。だが小野先生と連絡が取れれば、治療の手立ては見つかるかもしれない。

 やがて――

 車列は土手に行き着き、左に曲がった。地図によれば、川向こうで国道と交差する。

 その先に試合場の設定線があり、それを越えればすぐ町だ。

 ぽつぽつと、揺れる車窓に明かりが灯る。梓真にとっては希望の灯――。

 しかし橋に近づくにつれ、それは警告の色へと変わる。

「なんだ?」

 前を走る二台のクルマがつぎつぎに停まる。

 橋の手前には誘導灯と縞模様のパイロン、さらに車線の片側を大型車両が塞いでいた。

 そして居並ぶ制服の男たち。

 その一人が先頭車の運転席に駆け寄る。

「おい、葉山! なんの検問だ?」

『お仲間ですよ、曹長。乗員の氏名と装備品の確認だそうです』

「……そうか」

 山野目はむっつりとして通信機のマイクを置いた。何か納得がいっていないようだ。

 向こうの言い分はそれほどおかしなものではない。そもそも、民間人にオルター用銃器を貸し出していることに無理があるのだ。

 とはいえ、例年では試合終了後の積み荷のチェックは大会本部で行われてきた。こんな大がかりな検問は聞いたことがない。通信不良による臨時の措置なのだろうが……

 すでに先頭車では臨検が始まっていた。乗員は車外へ追い出され、解放されたドアとハッチから兵士が入り込んでいる。

 こちらにも、四人の兵士たちが近づいてきた。

 ――その姿に、梓真からすっと血の気が引く。

 そこからは本能に従った。素早くシフトレバーを握ると、「R」の位置に押し出す。

「おい、いったい何を――」

 山野目に押しのけアクセルを踏みつけると、クルマはお尻から急発進、検問所を一気に遠ざけた。

 それでも梓真の足はアクセルから離れない。

 しかしそんな無茶、いつまでも見逃されるわけもなく――

「この……いいかげんにしろ!」

 山野目は梓真を押しのけ、ブレーキを踏む。

 反動で背もたれにめり込む梓真に、山野目は大口を開ける。小言か説教か、とにかく何か言いたかったのだろう。だが声にする寸前、それはそのまま驚愕の顔に変わった。

 たたた――と耳を叩いたのは、すっかり馴染んだライフルの銃声だ。

 検問のライトを無数の人影が遮り、そこに銃火が閃く。一瞬でサイドミラーは弾け、フロントガラスに蜘蛛の巣を作った。

 輸送車はさらに後進をかける。今度は山野目の操作だ。残された左側のミラーを睨みながら、軽くハンドルを動かす。

 だが突如――

「冗談じゃねえぞ!」

 橋に陣取る装輪車両の砲口がこっちを向いた。

 咆哮の瞬間、山野目は急ハンドルを切る。一〇五ミリ砲弾は目前の土手に大穴を開け、フロントガラスに土砂を振りまいた。

 エンジンがさらなるうなりを上げる。

 山野目は後部を土手に突っ込ませてクルマの前後を入れ替えると、本格的な逃走を開始した。

「後ろに、被害は!?」

「さあなあ!」

 梓真は左のミラーを覗き込んだ。少なくとも外観に損傷はなかった。

 追っ手の姿もどうやらない。

 山野目の震える手がワイパーを作動させた。

「……へっ、テロリストにでも間違われたか?」

「あれは、あんたの仲間じゃねえ……」

「……おまえ、なんつった?」

 山野目がそう聞き返すまで、たっぷりと時間が掛かった。

 梓真は言葉を絞り出す。

「……オルターだ」

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