「……それでね、ポポちゃんに聞いたの。この風、何か利用できないの? って。で、ポポちゃんから輝くんに話が行って……」

「ほお……」

「ね、凄い速さだったでしょ? ばびゅーんって」

「……おまえ、嬉しそうだな」

「うん、嬉しいよー。だって、わたしが役に立つことってあんまりないから……」

(十分、役に立ってくれてるんだがな)

 学生が想像する以上に教師はいそがしい。

 授業とその準備、試験の作成・採点のほか、個別の生徒指導、職員会議に研修、保護者や地域への対応等々。

 それに部活動が加わる。音楽教師の真琴は赴任一年目に合唱部顧問を任され、SCCは兼任だ。それでも創部の際、二つ返事で引き受けてくれた。感謝してもしきれない。

 負担軽減の余地はいくらでもある。にもかかわらず、一向に改善されないところに問題の根の深さがあった。悪しき風習、伝統と言っていい。

 学校が教師の役割と思い込んでいるものの中には、明らかな無駄もある。たとえば朝の会議や学年会議など、メール一つで大抵は済む。

 進展があったとすれば、オルターの導入が認可されたことぐらいだろうか。

 大手予備校や学習塾においてAIの個別指導が成績の向上に多大な成果を上げるなか、文部省は、機械に人を育てさせるのか――と、小中高等学校へのオルター導入に反対を続けていた。

 教壇に立たせない、教室内に立ち入らせない――いう条件で、ようやく実現に漕ぎ着けることとなったのはわずか二年前のことだ。

 それにより昨年にクレイが、今年の春からはヴェルが東稜高で働き始めるという、真琴にとってはラッキーな、梓真にしてみればアンラッキーな次第となった。

 クレイは校務全般を手伝い、ヴェルは事務と購買部を兼務している。

「……にしても、俺にひとことあったってよかったろ」

「いやあ、なんだか二人で盛り上がっちゃってたし、邪魔しちゃ悪いかなあ、と。……あ、パラシュートを思いついたのは僕ね。偉いでしょ」

「運ンダノハワタシ。エライ?」

「おまえら……。ああ、偉い偉い」

 この試合にパラシュートを持ってきたのは、風向きによっては橋上や高台からの降下があるかも、と考えていたからだ。奮発して購入したにもかかわらず、これまでの試合では使いどころがなく、部室の置物と化していた。

「うふ。……でも、一番がんばったのは理緒ちゃんじゃない? 初めての試合で」

「……」

「理緒ちゃん? おーい、どうかした?」

「……いえ、別に……」

 後部座席の声は沈んで元気がない。その理由もどんな顔をしているのかも梓真には察しがついた。

「ほっといてやれよ。自己嫌悪に陥ってんだから」

「じこけんお? 大活躍だったのに?」

「……あ、頭に、血が上って……。悪いのはあの男なのに……あの子たちは悪くないのに……」

「理緒ちゃん……?」

「どれもAIは無事だろうし、そんなに気にすることないよ」

「あん時ゃ仕方なかったろうが」

 梓真は後ろを振り返る。

 少女は呆然として宙を見つめ、体を座席の隅に預けていた。ポボスと輝矢は心配そうだ。

 できるなら、そっとしておきたい。

 けれど――

「惚けるのも、ほどほどにな。……そろそろだぞ」

「あ、見えてきた。みんなぁ、準備して」

「……」

 そう。降車と、心の準備を――

 墨を散らした雨雲の空に、森が暗く沈んでいた。その向こうからゆっくりと、あの陸橋が姿を表す。

 因縁の場所を目の当たりにして、理緒に生気が蘇る。

 試合終了から一時間――

 撤収作業のためにメルクリウスは呼び戻していたが、マルスとディアナ、それにヴェルが、まだ向こう側にいる。広敷たちとの接触を避けたためだ。

 雨水あふれるアスファルトを、クルマはそろそろと進む。

 陸橋にはカッパ姿の人影があり、どうやらパーツを回収しているようだ。

「あれ、諏平チームの人たちだよね? わたしたちも手伝ったほうが……」

「いいんじゃね? 向こうは大所帯なんだしよ」

「今割り込むのは得策じゃないよね。だって……」

 作業の合間にちらちらと、冷めた視線が突き刺さる。

「睨んでるぅ」

「気のせいだって」

「きゃっ……と!」

 突然の急停車。誰かがヘッドライトに飛び込んだのだ。

「危ねえな。何やってんだよ……」

 人影は片手を上げて静止させると、ボンネットの陰に隠れてしまう。

 苛立ち、助手席を降りる梓真。

 するとその人物は、拾った何かを梓真に見せる。

「あんたか。そうか、そいつを……」

「……危ないところ」

 風にはためくフードの下から玲亜が微笑む。その塗れた手は白く大きな破片を掴んでいた。

 軍用オルターを扱う者なら、すぐセラミックとわかる。

 対弾装甲は主にチタンとセラミックから構成されているが、セラミックは案外割れやすい。その硬さと鋭さは、タイヤを容易たやすくパンクさせてしまう。

「この先で教授が待ってる。……大きいのはこれで全部だと思うけど、気をつけて」

「ああ……」

 梓真が戻り、クルマが走り出す。

 見送る彼女の姿に、梓真は礼を言いそびれたことを後悔した。

「梓真……」

「ん?」

「さっきの試合だけど、ミランダの様子、少しおかしくなかった?」

「そりゃ、俺たちをハメるブラフなんだから――」

「わざと壊れたフリをした?」

「だろ?」

「でも、メルクリウスとの戦いでは両腕を使ってない」

「本当に壊れてたんじゃね?」

「……中途半端なんだよ」

「……何が言いたい? あの人が手を抜いて、わざと負けたってのか?」

「というか、作戦に仕方なく従っていた、みたいな……」

「……んな、こたぁ……」

「だって。理緒ちゃんどう思う?」

「えっ……わたし、ですか……」

「そいつに聞いても無駄だろ。アタマ真っ白だったみてえだから」

「何よ、あんただって似たようなもんでしょ」

「……うーん、これは、直接本人に聞いてみるしかないかな」

「えっ、えっ、クルマ戻すの? Uターン?」

「やめようぜ。チームメイトがいるんだし」

「つまり梓真は、日を改めて二人っきりで目堂さんに会いたい、と」

「あーっ」

「んなこた言ってねえだろっ!」

 和気藹々あいあいとした雰囲気のなか、進むクルマの前方に、やがて二つの影が現れる。

「輝矢とまこは残ってていいぞ。理緒は――」

 止めても無駄だろう。顔にそう書いてある。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「わたしは行くわよ。これでも保護者なんですから」

 広くもない橋の袂の待避スペースには、彼らのものと思われる胴長のトラックが居座っていた。真琴はぶつからないようクルマを進め、エンジンを切る。

「傘、どうしよ?」

「やめとけ。壊れちまうぞ」

「うーん……」

 幸い、風は強いが雨粒は小さかった。

 雨具のない三人を、対照的な二人が出迎える。

 黒い合羽の六角は不愉快さを隠そうともしない。

 広敷は白いコートを羽織っただけ。裾もフードも風に任せ、平然として風雨に晒されている。

 ふいに拍手が始まった。

「おめでとう、見事な戦いだった。皮肉ではない、正直な感想だよ」

「……けど、俺たちが勝つとは思ってなかったんだろ?」

「いや、わたしはね、君たちが勝利を優先して、南に脱出すると予想していたのさ」

「当てが外れたってわけか」

「そのとおり。……さて、まずはこれを返そうか」

 六角はぶら下げていた大きな袋を差し出した。

「なんだよ、これ」

「我々が回収した君たちのパーツだよ。使えそうな物もそうでない物も、とりあえず集めておいた」

「そりゃどうも、ご親切に」

 手にしたそれは、ずっしりと重かった。

 白髪の下に冷笑が浮かぶ。

(コイツ、まさかオルターじゃねえだろうな……)

「……でだね、交換、というわけではないが、まあ、彼女を返してほしいのだが」

 もちろんヴェルのことだろう。

 理緒が初めて口を開いた。

「アンタ、自分が何言ってるかわかってんの!」

「……勘違いしているだろうとは思っていたよ。彼女はずっと前からわたしが世話を……いや、世話されているのはわたしの方か。……ともかく、君たちの知っているオルターではない。確認してみるといい。そろそろ電話も繋がるだろう」

「……」

「あ、わたしが……」

 真琴が端末を取り出す。

 同時に、広敷は声を張り上げる。

「近くにいるんだろう! 出てきなさい!」

 その直後、道を挟んだ茂みから、ブランケットに身を包んだ少女が現れる。後ろにはマルスとディアナの姿もあった。

(あの位置なら、広敷たちが強引に奪いにきても、阻止できる)

 カスタムされた顔かたち、そして何より髪型が梓真のよく知るヴェルそのもの。

 にもかかわらず、すでに彼女を「ヴェル」と呼べなくなっていた。

 そこへ、真琴が端末を向ける。

『……もしもし、万久里先生? こちらは購買です。……聞こえますか? ヴェルです。もしもし……』

「……」

「納得してもらえたかな。……では、こちらへ来なさい。彼らに、自己紹介を」

「……初めまして、皆さん。リンです」

 少女は軽く一礼した。

 ブランケットを握るその首元に、広敷はケーブルを差し込んでタブレットを眺める。

「ふむ……」

「……何、してんスかねえ?」

「思考ログを見ている。……ほほう、これは興味深い。感情エミュレーターの数値が跳ね上がっている。……梓真くん。やはり君は、一度彼女を見捨てたようだね」

「……」

「失礼。わたしの調査対象ははあくまでオルターだ。君の判断を批判してはいない。だが、感情を害したというなら謝罪しよう」

「て――」

「いや、少し待ってくれ。君の口から直接聞きたい。その時、どう思ったかを」

 すでに広敷は梓真を見ていない。問いかけはリンに対してだった。

「別に、何も……」

「ふ、本当かね?」

「…………ただ、残念、と……」

「残念とは?」

「……わたしという存在が、この世界からいなくなる、この世界にとって無価値なものとなる。それが残念だと……」

「……」

「それだけです」

「……おもしろいな」

 男の、初めて見せる人間的な笑みだった。

 それは逆に梓真の心を凍り付かせる。が、理緒にとっては違ったらしい。

「何がおもしろいのよ!」

 すると男はおもむろに、タブレットを指で弾いて理緒へと向ける。すでに笑顔は消えていた。

「これがわかるかね?」

「……」

「どうなんだ?」

「何かの、プログラムでしょ」

「彼女のOSの一部だ。更新したての、ね。つまり、先ほどの試合で書き換えられたことになる。どう変わったか、わかるかね?」

「わからないわよ!」

「……じつは、わたしにもわからない」

「!?」

「この文字列の意味一つ一つはもちろん理解できる。しかし、彼女に組まれたソースコードの海に、この更新がどんな影響を与えるのか、それにわたしは興味があるのだ」

 うっすらとした笑みが戻る。

 水滴の流れるその画面を梓真ものぞいた。

「オルターのOSは倫理機構にがっちりガードされてるって聞いたがな」

「その認識は正しい。だがそれは外部からの干渉を許さないという意味だ。彼らの内側は、日々改良されているのだよ。自らの手でね。……梓真くん、君なら知っているだろう。現在の、AI製造の実体を」

「……」

 梓真は理緒と真琴のために口を開いた。

「人が関わっていない……。膨大なプログラムがどう構築されているのか、把握している人間は……たぶん世界のどこを探しても……」

「……どういう意味よ?」

「全部AIがやってるんだ。バグ潰しから、ディレクションに新規挿入……。プログラムが巨大過ぎて、人の手には負えねえんだよ」

「そう、そのとおりだ。そして倫理機構が改変を許さず、街を、人の世界を守るのもオルター。すでに人は自らが生み出した人工物に牛耳られているのだ。この現状を憂れえて当然だろう?」

 押し黙る一同。

 にやにやほくそ笑む六角を横目に、梓真は反論した。

「……あんたはたしか、脳機能の回復が研究テーマだったよな。今の話から、大きく外れてるんじゃねえのか?」

「そう思うのも無理はない。ところが両者には、大きな関連がある」

「人々を幸福に導く、とも言ってた」

「ははっ、言ったとも。二つの研究の融合は、人を新たな次元へと誘うだろう。融合! そう、まさに融合だ!」

「……何を……」

「わからないかね? 膨大な文字列の大海を、人が理解する手段はただ一つ――」

「……」

「人がAIと一体化することだ」

「!!」

「自らが改良を重ねるAIは、いずれ神の領域へと至る。彼らとの融合! それこそ唯一、人が進化の袋小路から脱するすべなのだよ! わからないかね、この発見が!」

 一言もない。

 男が感情の高ぶりを見せつけるほど、梓真の心は冷えていった。

 激しい風雨のなか、リンは薄闇に裸身を晒し、手のブランケットを男の白髪に掛ける。

 六角も体を寄せた。

「無駄ですよ、こいつらには」

「いや、……彼はどうかな?」

 広敷は思わせぶりな顔を向けた。

「そいつの言うとおりッスよ。俺にはさっぱりだ」

「ふむ、では一つヒントをあげよう。……君は不審に思わなかったかね? なぜリンが見捨てられたと知っているのか」

 確かにあの時、マイクは切られていた。梓真たちのやりとりを、彼女が知っているはずはない。

「……」

「君のオルターだよ。彼女に、事の成り行きを伝えていたのだ」

 梓真は驚き、マルスに目をる。

「恐ろしい、実に恐ろしい。彼らは互いに交信し、命令外の行いをする。さらに、我々が彼らを観察するように、彼らも我々を探っているのだ。……それを使ってね」

 と、梓真のゴーグルを指さす。

「用心したまえ。特に軍用には。なにしろ倫理のタガが一つ外れているのだから」

 軍用オルターの役割とは、言うまでもなく戦闘行為にある。言い換えるなら。とある条件下においては殺人すら行うということだ。

 満足したのか、男はケーブルを外してタブレットをしまい、掛けてもらったブランケットを梓真に投げて寄越した。

「本戦で会えることを楽しみにしているよ」

 そう言い残し、男は足をクルマへ向ける。その背中を六角も追い、リンも続こうとした。

 その腕を理緒が握る。

「あ……」

「……なんですか?」

「また、ひどい目に合うわ」

「でも、わたしは……」

 梓真たちは、いつの間にか衆目のただなかだ。待避所には、撤収準備を終えた諏平大のメンバーたちが戻り始めていた。

 リンが広敷の所有物である以上、たとえどんな理由があっても理緒の行為が認められることはない。

「理緒……」

 やめさせなくては――そう思い伸ばした手を、なぜか梓真は止めてしまう。

 リンは、そんな二人を交互に見つめた。

 そこへ――

「行きましょう」

 そう促したのは玲亜だった。

 理緒の力は失せ、だらりと腕を落とす。

 裸身の少女は玲亜に抱かれ、主の下へと戻っていった。

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