12『夜が終わるまで有効ですよ』


 焼きそばパンを一緒に食べた。

 手を繋ぎ、知らない街を歩いた。

 不器用な笑顔で笑い合った。

 変な路地に迷い込み、二人して走った。

 ただ無心で、時間を忘れて遊んだ。そして、


 気付けば僕は——


 互いの鼓動が、聞こえるはずもない鼓動の高鳴りが、僕の脳を、本能を、獣性を掻き立てる。細い手首を掴む力が強くなる。僕は今、何をしているんだろうか。彼女が震えているのか、僕が震えているのか、それすらもわからない。


「……諦めないって、約束してください……」

「っ……」


 ハル君、と震える唇で彼女は続けた。


「ハル君。約束してください。稀沙ちゃんを諦めないと、約束してください……約束、してくれるなら……」


 ——今回だけは


 九都波芦の波打つ瞳に、甘い声に、誘惑に、柔らかな感触に、優しさに、思春期真っ只中である僕が、抗えるわけがない。

 未熟で、大人にも子供にも属さない僕達が、間違えるのなんて至極当然のことなのだろうけれど、


 あの日、あの夜、——二人で焼きそばパンを分け合った夜、僕達は間違えた。

 彼女の唇は、焼きそばパンの香りがした。




 時は遡り、数時間前。

 見知らぬ街の夜も更ける頃、僕達は閉店間際のゲームセンターにいた。街を歩くより、どこか明るい場所にいる方が落ち着けた。

 僕はお札を両替し、クレーンゲームに挑んでいる。奮闘する僕の右斜め後ろには九都がいる。


「あぁっ、おっしいーー!」


 取れそうでしたよ!? と、瞳を丸くした九都が上半身を乗り出す。当然、上半身で一際存在感を主張するアレも大袈裟に揺れ、そのままボタンを操作する僕の右手の甲に着地した。いや、墜落、もとい、隕石の落下にも近い。ともあれ、僕の右手が九都の胸に埋もれて消えた。それだけのことだ。

 それだけのこと? とんでもない。女子のおっぱいが手に乗ってるんだぞ!?


「ちょ!? 九都お前っ!? お、おお、お!」

「お?」

「……の、乗ってますから……」

「うわわっ、なんてことするんですかぁ!?」


 それはこっちの台詞だぁ!

 九都は生意気にも胸に手を当て赤面する。騒ぐ僕達は周りの客にどう見られているのだろう。クスクスと笑い声が聞こえてくるのを無視して、僕は再びクレーンの操作をはじめた。

 更に五百円を追加し、特に欲しかったわけでもないフィギュアをゲットしてしまった。なんのアニメのキャラだっけ。とはいえ、置いて行くわけにもいかない。店員さんに袋をもらい、ひとまず連れて帰ることにした。別に連れ帰って、どうこうするわけではない。責任を持って連れて帰るだけである。


「そのキャラ、獲物フレンズのキャラですね。懐かしいです〜」


 獲物フレンズ、そうか、エモフレか。

 確か、僕達が小学生の頃に流行っていたアニメだ。ゲームにもなっていて、あの頃はよくやったっけ。映画の特典を巡ってのちょっとしたトラブルも起きてたな。でも、誰とやってたんだっけ?


「好きならやろうか?」

「ほ、ほんとですかっ!? あ、でもでも、それはハル君が持っていてください。それをハロだと思って、大切に保管しておいてくださいっ」

「なんじゃそりゃ。ま、いらないなら持って帰るけど……」

「それより、今夜はどうしますか? 隙を見て宿に帰りますか? いくらボッチで影の薄いハル君でも、朝までいないのは色々と問題かと」

「あぁ、それがいいだろうな……って、誰がボッチで影の薄い彼女いない歴イコール年齢のシスコン童貞ボーイだ!」

「いや、そこまで言ってないです。ふむ、それとも、朝帰り、しちゃいましょうか? ダーティーボーイ君?」

「童貞ボーイッ……って、ンガガガ!!」

「だってほら、もう十時です。しかしながら、まだ十時、この時間、先生達の警備はまだまだ厚いと思いますよ? 見つかると大変です。帰るなら、皆んなが寝静まった頃が良いかと」


 それに、と、九都は続ける。


「それに、ハル君だって本当はまだ帰りたくないですよね? 九都波芦のレンタル期限は、夜が終わるまで有効ですよ?」


 そう言った九都の瞳が僅かに波打つ。唇は震え、視線は泳ぐ。——数十秒程度の沈黙が、実際はそこまで長くはないのかも知れないが、妙にリアルで長い沈黙が僕と九都の間にあったことは確かだ。

 その沈黙を切るように、九都が口を開いた。


「ご、ごめんなさい……ハロったら何言ってんでしょうね……こんなこと言——」

「なぁ九都。ネットカフェでも、探すか」

「ふぇ? ネットリカフェ、ですか?」

「早朝まで粘って、こっそり宿に帰ろう」

「……あ、は、はいっ。わかりました! お、おお、お付き合い、しましょう! 読みたい漫画もありましたし、ちょ、ちょうどいいですっ!」


 九都は陳腐な電子音とクレーンゲームを背景に胸を張った。その絵は相当にシュールだった。



 その夜、僕達は間違った——


 こうして、僕達の修学旅行は終わったのだ。

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