「うるか」と「るちあ」


、お……」

 机の前にやってきたが、特に座ろうともせずに服の裾を弄りながら小さくつぶやく鮫倉を見上げ、雪車町は肩で息を突きながら机をコツコツと叩いた。

「立ってないで、座ったら?」

 そう言われると鮫倉はオズオズと対面席側に座り唇を揉むように小さく動かす。その癖づいた動作を見つめながら雪車町は半分ほど減ったグラスのお冷に口を着けた。


「で、では、ご注文がお決まりになりましたらそちらのブザーでお呼びください。お水はセルフとなっておりますのでご自由にどうぞ」

 女子中学生二人のなんともいえない空気感に店のウェイトレスはマニュアルな接客で鮫倉に告げると営業なスマイルのまま席から離れた。鮫倉は少し俯き、長い前髪に隠れた眼が更に隠れてゆく。その様子に半分のお冷を飲みきった雪車町が片手のグラスを持ったままスポーツメガネ越しの鋭い眼を細めて鮫倉に言った。


「水、取ってくる」


 短く告げて雪車町は席を立つ。鮫倉は水滴の丸い跡が着いたテーブルをジッと見つめていると自分の目の前にグラスが置かれる。雪車町は特に何も言うでも無く自分のおひやに口をつけながら席に座ると窓の外を眺める。鮫倉は自分のために取って来てくれたグラスを両手に包むように握る。心地よい冷たさが手のひらに広がる。

 鮫倉はオズオズと目線を上げると口から空気を出すように、声を漏らした。


「ぁ……ありが――」

「――は元気?」


 振り絞ったお礼の言葉はハッキリと届く声に上書きされた。鮫倉は何度も頷きながら喉に指を当てて、今度はハッキリと届くように声を発した。


「ぅ、うん、ぱ、も元気? ぉ、


 妹の声に雪車町は顔を向けると、柔和に口端を上げて頷いた。


「相変わらずだよ。まぁ、転入してから私は寮に入ってるから最近は会ってないけど」

「そう、なんだ」


 どこかギクシャクとした姉妹の会話は、話題を途切れ途切れにしながらも続いてゆく。


「友達できたんだ」

「と、ともだち……ともだち、なのかな?」

「端から見たら友達に見えたけどね私は。あの茶髪のサイドアップとか」

「ナッツかわは……」

「なにそれ妙なニックネームつけてんね?」

「……ぅん」


 また会話が途切れる。雪車町はグイとひと息に二杯目のお冷を空にするとグラスをテーブルに置き、柔和な口元を真一文字に変え鋭く妹を射抜くように見据えて強い口調で声を発した。


「それはそれとして、うるか、私はあんたに「東昇坂」に来るように言ったつもりだっったんだけどね? なんでよりによって「弱いとこ」に行ったわけ?」

「それはッ…… ンッ


 詰め寄るような雪車町の声にマズい事をした子どものように俯いて唇を揉むように動かす鮫倉に雪車町は溜め息ひとつ吐いた。


「その癖はやめな。私もなるべく出さないようにしてるけど、わかりやすすぎる」

「ご、ごめ――」

「――すぐ謝んなくていいから」

 雪車町は内心の苛立ちをコントロールしようとメニュー表をパラパラと捲りながら無意識に唇を僅かに揉むように動かしていた。鮫倉はその自分と同じ唯一の癖が出ている姉に気づいてはいたが、何も言わずに自身も頼みもしないメニュー表を同じようにパラパラと捲った。

 そんな無言な時間が一分ほど経っただろうか。


「うるか今の志望ポジションどこ?」

 雪車町が短くひと息に言葉を口にした。


「ふ、フォワード……だと思う」

 鮫倉は言い淀みながら自信無さげに答えた。


「あんた自分の適性わかってない。それとじゃないハッキリしな」

「ご、ごめ――」

「――だから謝んなくていいからッ」


 またイライラとした声が口を突く。ずっと変わらずに優柔不断な妹の一面は小さな頃から好きじゃない部分だ。


「うるか、あんたの素早さと持久力、ボールを前にした時のハングリーな姿勢は私にも劣らないって認めてる。でもそれはフォワードじゃないって、自分でわかってんでしょ?」

「……」

「だから、東昇坂に来てたらもっと早くに指摘できたし、監督もコーチもすぐに気づいて矯正できたかも知んない。いや、それよりも「大河たいがさん」が気づくか」

「……タイガさん?」


 口が止まらず小言が突いてでる姉から初めて他人の名前が出た。鮫倉の知る姉のるちあは学年が一〜二個違う程度な同年代の選手は名前を覚える事も無い無関心な存在と見ていた筈だ。父親に注意されてもそこだけは治らなかったのに、いま口にした「タイガ」という名を紡ぐ言葉にはどこか尊敬の色が見えた気がした。そして、この名はフットサルコートでの多来沢との一触即発の事態でも発せられた名前だ。同時に、鮫倉はこの名前は部の先輩達が口にしていた名でもあると思い出す。


「東昇坂学園」のエースストライカー「大河たいが 真白ましろ


 それが、姉の口にした選手であると鮫倉は直感した。

 雪車町は自分が大河の名を口にした事をごく自然なものとして気にもしていない様子だ。



「まぁいいや、どうせそっちとは当たることも無いだろうし、今は成長期と思って目を瞑るようるか。将来的に強くなってくれればいい。私達のためにも頑張ってみせて」

「ぅ……ん」


 まるで西実館が勝つ未来ビジョンが無いかのような棘のある姉の発言に、喉からなにか言葉が出そうになったが、その後の優しげな姉の声にただ口をつぐんだ。どんな言葉が出そうになったかは鮫倉にもわからない。


「食事制限無いならチキンステーキでも食べる? うるか、好きだったよね?」

「あ、うん……好き、だよ」


 姉のなんの気無しな提案に鮫倉は短く頷きながら口元を少しだけ緩ませて、肯定した。








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