注目する一年生


「だけど、イチジョウて名前は珍しいわね……当て字すぎてホントに読めないんだけど」

 地面に書いてもらった字を見ても雨宮はイチジョウと認識するのに時間がかかった「」の字が最初に出た時点で困惑だ。

 イチジョウこと夏河は珍しいという雨宮に「そうかな?」と足で字を消しながら眼をパチクリとさせる。

「いや、普通に「あおい」とか「吉乃よしの」とか名字っぽい名前っているっしょ。当て字だって同小おなしょうにも「空」に「翔ける」で「空翔スカイ」て子も「咲いた桜の花」で「咲桜花ささら」て子もいたからなあ、別に「苺千嬢いちじょう」が珍しいとか思ったことも無いよ?」

「その名字っぽい名前は聞いたことあるけど、イチジョウはやっぱり珍しい気が。確かに、クラス名簿とか見ても何人か読めない名前の子はいるけど」

 所謂いわゆる「キラキラネーム」というものか。ここ十数年の日本の若者には差して珍しくは無く成人になりたての大人でも独創的な名前は多い。大学生や高校生のほうが更に多いのではないだろうか。雨宮自身は転校してくるまで独創的な名前の子にあったことは無いので割とカルチャーショックは強い。

「ま、珍しいとかどうでもいいかなぁ。わたしは自分の名前お気に入りだし、家を背負ってる感じもあってカッコいいでしょ」

 目の前の大きな眼を笑わせている彼女を見ていると、雨宮も珍しいとかどうでもいいと思えてくる。彼女の名前は苺千嬢イチジョウ、それ以上も以下も無い。

「と、いうわけで、わたしの事はどうぞ遠慮なく苺千嬢と呼んでください。アクセントは「イチジョウ」でも「いちじょう」でもお好みでお願いしますっ」

 確かに、夏河と言われても違和感を覚える程には雨宮の口はイチジョウに慣れてしまっている。少々癪ではあるが、遠慮なくイチジョウと呼び続ける事にしようと雨宮は決める。

「じゃぁ、あたしもお言葉に甘えようかな」

「ウチは誰でも名前で呼ぶから関係なしだわ」

「りょ〜かぁい。んぅ、でも可愛いニックネームも欲しいかなぁ」

「……」

「よろしく苺千嬢ちゃん」

 どうやら先輩方も了承したようで夏河 苺千嬢ことイチジョウは満足気に頷くと背筋を伸ばしてスクッと大地に立ち、鼻息荒げに握りこぶしを固めて、武田に眼を向ける。

「ふんっ、それよりもわたしのシュート練習の成果をお見せしましょう武田センパイししょー!」

 それに対し武田は

「いや、夏河。私は師匠になった覚えは無い」

 サラッと否定した。

「えええぇっ! そこはなし崩し的に師弟関係になる流れではっ。てか、名前で呼んでくれないんですかっ」

 イチジョウは勇んで突っ込んだ南米式ドリブルをフェイントタックルで阻止されたサッカー漫画の主人公が如くな衝撃によろめく。

「私にだって譲れないもんはあるの。私は夏河って呼ぶし、師匠になる気は無いの」

 隣で多来沢が「そんくらいよくね?」と鋭い眼を向けてきてヒヤリとするが、武田には武田の先輩としてのライン引きというものがあり、師匠呼ばわりも納得がいっていないので譲れないのだ。

「ま、シュートくらいなら見るけど」

 だが、理由はどうあれ、後輩に慕われるのは別に悪い気はしないとむず痒い頬を掻く。

「わかりました武田センパイししょー! 認められるようなシュートをお見せしますっ」

「あのね夏河。その呼び方は長いと思うんだけど」

「ぇ、長いですか武田センパイししょー?」

 対してわかってなさそうなイチジョウに武田は自然とため息が漏れた。


「よし、シュート見せんならサッカーゴール開けてもらおうや。ウチも興味あるからヒトハダ脱いでやるよ」

「そんならキーパーはまかせてよぅ。ゴール前にいるといないとじゃ段違いでしょぅ」

「ようしっ、それじゃあたしもボール出しやろっかな」

 なにやら、三年生達はノリノリである。なんだか期待されてるようでイチジョウはむず痒く口がウズウズと動く。

「よ、よし、頑張っていきますよっ!」

 気合を入れてガッツポーズを取りイチジョウは再び真っ直ぐスクッと大地に立つ。

「あのう、盛り上がってるところすみません」

 だが、それに待ったを掛けるオズオズとした控えめな声。全員が顔を向ける先にいたのは立壁 香住だ。立壁は言う。

「もう、休み時間……無いんじゃないかなって」


 言われて、全員その場で固まった。時は未来に進むものだ、当然あれこれと過ごしていれば休み時間は終わる。イチジョウのシュート確認は部活までのお預けとなった。




「まぁ、イチジョウの件は大丈夫としてーー」

「イチジョウちゃんの件? そういえばタッキあたしに用事あったんだけ」

 それぞれ教室へと引き上げる前に、多来沢がポツリとそんな事を言うので赤木はホケッとした顔を向ける。

「あぁ、イチジョウについては主にアヤナとカスミが相談したかったみたい。ウチもちょっとは気にはしてんだけど、そこはもう、今のやり取りからしていいとしてな。ウチがミツコ達と相談したかったのは「鮫倉サメクラ」の事なんだわ」

「鮫倉さん? あの紅白戦で目立ってた子だよね」

 言われてすぐに思い浮かぶのは、ボールを持った途端に突っ込んだプレイをする三白眼な新一年生の「鮫倉 うるか」だ。

「私達も、鮫倉の事も気になっているんです」

 鮫倉の話題になり、武田も話の輪に入り、その後ろからイチジョウが挙手をする。

「鮫倉さんって「うるかっちょ」の事ですよね?」

「話の流れからしたらそうでしょうけど……て、ウルカッチョ? あなた友達なの?」

 同じ一年生でもあまり鮫倉と接点が無い雨宮は、随分と親しげなニックネームで呼ぶイチジョウに顔を向けると、イチジョウは素直に頷いた。

「ううん、まだまだ友達ってわけじゃないけど、うるかっちょとは武田センパイししょーとのシュート練習の時に一緒でさ。ちょっとおとなしくてわかんなかったんだけど、実は同じクラスだったんだよねわたしら。これも縁だよねって、わたしクラスでも話しかけたの。最初はちょっとつれなかったんだけどさ、何回か話したら「もう好きにしていいよ」て言ったからいま好きにして、いっぱい話しかけてるっ」

 話の流れ的にイチジョウがしつこすぎて「好きにしていいよ」と投げやりに言っただけで向こうは別に好きなだけ話しかけて良いという意味で言ってはいないのではと思うのだが。なんだか、雨宮は鮫倉に同情の念が湧いてくる気分だ。それよりも「おとなしくて」というのに雨宮はピンと来なかった。たいして話をしたわけでは無いが、紅白戦での荒々しいワンマンともいえるプレイを見ている限り、鮫倉におとなしいというイメージはまったくと言っていいほど、当てはまらないからだ。だが、考えてみれば同じクラスではないといえ、あの多来沢に負けず劣らずな鋭い三白眼からくる威圧的な存在を今まで部活以外で認知した事は無かった。おとなしいという言葉には直接話をした武田と武田から話を聞いた立壁以外の三年生陣は首を傾げている。やはり、おとなしいというイメージを鮫倉に持っていないようだ。

「というか、キャプテンさんはたぶん部活以外でうるかっちょと会ってますよ?」

「ぇ、そうなの?」

 赤木は脳細胞をくるりと回してみるが鮫倉らしき女子に心当たりは無い。あれだけ特徴的な女の子なら、会えば記憶に残るはずだがと記憶力には自信のある赤木は腕組みをして、うーんと唸ると、横から立壁の遠慮がちな声が

「あの、休み時間……」

 と、時間が無いことを告げ、全員「あっ」と気づいて足を早めるのだった。

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