三年生達


「失礼しますっ」

 昼休み。武田と立壁は揃って三年生の教室へとやってきた。立壁が先に立って扉を開ける。その真っ直ぐと背筋を伸ばした高身長はあまりにも堂々と見えて、二年生を表す群青色のタイが無ければ三年の先輩達にも後輩とは思われないかもしれない。運動部らしく声を張り教室のどこにいてもはっきり届く立壁の声。教室にいる先輩達が立壁へと視線を向けるので、心の中のヒヤヒヤとした汗が流れて本人には心臓に悪い。早く来てくれないかと先輩達から向けられる視線に居心地悪い立壁は待ち人よ早く来たれと願う。よく通る声はちゃんと届いていたようで柔和にゅうわな笑みを眼鏡越しの目元に咲かせ、立壁よりも頭半分ほど背高い先輩「有三ありみつ 里咲りさき」が二つたばねなみつ編みを揺らしてやってくるのが見えてほっと立壁は胸を撫で降ろす。

「アリゾウ先輩。急に来てしまって、すみません。あの、いまいいですか?」

「おぉぅ、カベちゃぁん。今日も相変わらず可愛いねぇ。もちろんいいよいいよぅ」

 あたりを和やかな空間に作り変えてしまう間延びした優しい声を奏で、肩に掛かったみつ編みを指先で後ろに流す有三ありみつ 里咲りさきは可愛い後輩である立壁の頭を動物を愛でるように優しく撫でる。されるがままの立壁はちょっと恥ずかしそうだ。

「あ、あの、有三先輩。わたしもいるんですけどっ」

 立壁の後ろからひょっこりと顔を出した武田もペコリと頭を下げた。

「よぅしよし、レナちゃんもいらっしゃいいらっしゃぁい」

 武田にも立壁と同じように有三は優しく愛でるように頭を撫でると武田は一瞬、緩み落ちそうな頬を両手で押さえた。後輩みんなに優しい有三の笑顔は武田にとって有愛の女神そのものだ。武田はその優しい笑みを見上げてしまうとほんわかと心地よい温かみが胸に溢れてしまう。

「あの、アリーー」

「ーーん、どうしたよ二年コンビが揃って」

 まるで恋する乙女のように武田が有三に再び話しかけようとしたその時、耳馴染むハスキーな声音が横から穿くように鼓膜に侵入してきた。武田が錆びたロボットのようにゆっくり首を横に向けると、切れ長な瞳の大先輩が相変わらずな早歩きで近づいてくる。

「ぁ……多来沢先輩」

 その姿をみて反射的に上擦り詰まった声を漏らす武田に多来沢たきざわ はじめは顔を近づけ、鋭く真っ直ぐに見つめてくる。多来沢はうらやましいくらいに鼻筋のくっきりとした美人顔だが、武田には同時に恐ろしい鬼の顔にも見えてしまう。

「なんだよアヤナ。そんなバケモンでも見たような顔は」

「すみませんっ、ついっ」

「つい、て正直に口にするかよ普通。何度も言ってるけど別に部活じゃないんだからそんな身構えて緊張する必要もないだろ? 部活じゃないんだからな?」

 多来沢は本能的に恐れられている事に不満げな顔だが、武田にとっての多来沢はFWフォワードの鬼コーチとしての姿が強く。つい、普段でも緊張をしてしまう。別に嫌いだとか仲が悪いとかでは無いが、これは入部してから今日まで染みついてしまった武田の防衛本能のようなものなので今更どうしようもない。

「あははぁ、タッキはレナちゃんへの日頃がねぇ、しょうがないんじゃなぁい」

「たく、日頃ってなんだよ。んでお前ら、ホントになにしに来たんだ。リサキに用事か?」

 綿毛が飛ぶような声でフワリと多来沢の日常を皮肉る有三に不満げな眼を向けてから多来沢はまた無意識に威圧な声を出すので、武田は喉が痺れたように喋らなくなってしまう。仕方がないと立壁が代表して話す。

「は、はい、そうなんですけど、アリゾウ先輩といいますか、多来沢先輩とキャプテンにもちょっとご相談が」

「相談、ウチとミツコにも、なに?」

 多来沢は相談という言葉に少しだけ首を横に傾けた。その仕種はギャップが強すぎるせいか妙に可愛らしく見える。

「まぁ、ウチもミツコに用事あるからおまえらも用あんならちょうどいいな。んでリサキ、ミツコいる?」

「いなぁーいよん」

「いなぁいよんって……また?」

「うーん、半分正解半分不正解かなぁ。今日は「おデート」みたいな」

「はぁ、おデート? あのミツコが?」

 いつもどおりの男子ウォッチングかと呆れ顔になってた多来沢も有三の返した応えに嘘だろと半信半疑な微妙な顔をする。武田と立壁にいたっては眼をまんまるとさせた驚愕顔だ。赤木キャプテンにそんな奇跡ミラクルが起きるのかと口に出そうになる。

「ふふぅ、まぁ、相手はゾッコンさん、てやつかなぁ」

 良い反応に満足げに眼鏡を光らせてフレームを指で押し上げる有三は口元をωオメガに綻ばせてまた意味深に笑った。








 赤木あかぎ 三子みつこ木漏こもが僅かに射し込む体育館裏にいた。ひとりではない、わざわざ教室まで会いに来てくれた後輩に呼び出されたのだ。

(付き合ってくれませんか)

 と。うん、と赤木は二つ返事で求めに応じ、いま、体育館裏でーー


「よっと、はいパス」


 ーーサッカーボールを蹴っていた。


「うん、やっぱりキャプテンのパスは気持ちいいくらい足元にハマりますね」

 相手の後輩はもちろん一年生MF雨宮あめみや リアだ。サッカーボールの使用許可をもらったのでよかったらボール遊びに「付き合ってくれませんか」とわざわざ教室まで足を運んで誘いに来てくれた。最近懐いてくれるようになった後輩からの可愛いお誘いに、キュンと胸が鷲掴まれた赤木は「うん」と二つ返事でOKをする。未開拓男子の探索という用事ノルマがないわけでは無かったが、今日はそんなものは二の次だ。


 雨宮との遊びのサッカーは楽しいものだった。残念な事は、グラウンドは他の生徒達が入り乱れて使用しているため、落ち着いてサッカーボールを蹴れそうになかったことだ。二人は仕方なく、人の少なそうな体育館裏の自転車置き場周りでボール遊びをする事にした。思い切りボールを蹴りたい所だが、ボールが自転車に当たったり校舎の外に出てしまうことは避けたい。とりあえず、パス回しやリフティング、1対1のボールの奪いあいという小規模な遊びをしている。

「リアこそ、相手にやる気ださせるのうまいと思う」

 雨宮は赤木のひとつひとつのプレイを褒めてくれるので、気持ちのよい正確なパスを自然と送りたくなる。

「そうですか? ほんとの事を言ってるだけなんですけどねっ、とっ」

 雨宮はなんでもない事だと澄ました顔をしながらも赤木に褒められる事は満更でもなかったのか送られてきたパスを胸でトラップして、両膝のリフティングを二回おこない、頭のリフティングに切り替え、流れるようにボールを背中に滑らせて浮かしたボールを足を折り畳んだふくらはぎと太ももの合わせにピタリと静止させるというちょっとしたパフォーマンステクを赤木の前で披露してみせた。

 おお、と赤木が拍手をするとボールを再び浮かせて踵で蹴り上げるヒールキックで頭上に飛ばしヘディングで赤木にボールを返した。

(やっぱ凄いなリア)

 もらったボールを胸トラップから足先へと滑らせて、つま先リフティングでボールコントロールをしながら、改めて中一とは思えない早熟なサッカーテクニックに赤木は感心すると同時にワクワクとする気持ちが押さえられない。いまの雨宮がサラリとやってのけたパフォーマンスの中で、キレイな膝リフティングに赤木のサッカー脳が注目する。


 リフティングは主に膝下ひざしたからの足の甲を使って連続で蹴り続けるトラップ等の個人技術を磨くのに最適で最も有名な練習方法のひとつだ。よく何回連続でこなせるかと回数を競う事が多いが、実は重要なのは回数ではない、いかにボールを意識してトラップコントロールできるかだ。上がってきたボールをトラップし、いち早く自身の支配下コントロールに置くことができれば次の行動へと移行しやすくなる。

 成長途中の選手の中には雨宮のおこなった膝上リフティングを重要視しないものも少なからずいる。膝は足の部位の中でも固く、当たってしまえばボールコントロールを失い思わぬ方向にボールが飛んでいきがちであるのが理由だろう。だが、膝関節は足を自由に折り曲げ動かす重要な役割を担っている。膝の重要性を意識すれば足を折り畳んだ太ももトラップや踵を使ったヒールキック等のテクニカルなカバーリングスキルを身につける事ができる。

 しかし、中学一年生で、そこまでの意識を持つことは難しい。雨宮の凄い所はその意識をすでに持ち合わせている事だ。地頭じあたまの柔らかさもあるだろうが、コーチ時代の宮崎監督の教えもあるだろう。それ故に、赤木は少し譜に落ちないことがある。

「リアは監督に直接指導お願いしなくてもいいの?」

 二、三年生との合同練習が解禁されてから、雨宮は赤木の練習に重点的に着いてくるようになっていた。てっきり、他県から追いかけてきた宮崎監督の直接指導を求めると赤木を始めとした部員達は思っていたから意外だったのだ。

「宮崎コ――監督の指導はいつでも受けられますから、それよりも、ワタシ」

 雨宮は乱れた髪を片手でクシャクシャと雑にほぐしながら赤木を見つめる青い瞳を楽しげに輝かせる。

「リスペクトしたいテクニックを張り付いてでも覚えたいんですよ」

「リスペクトしたいテクニック?」

 赤木は、なんの気無しに雨宮の言葉をオウム返しながら、つま先リフティングから浮かしたボールを交差クロスさせた足の側面インサイドで受け止めてから、雨宮にパスを送ろうとした時。


「あれれ、ボール蹴ってるなと思ったら赤木キャプテンさんにリアじゃん」


 開いていた体育館の裏の扉から突然に元気な声が走り込んできた。不意打ちな来訪者に赤木は驚き、足の側面へボールを受け止めきれずに失敗してしまった。赤木は慌てて靴裏で転がってゆこうとするボールを捕まえ、足元に引き戻すと、声のした方を振り向く。

「あれ、あなたは」

「イチジョウさん」

「はいっ、イチジョウですっ」

 そこには長袖カッターシャツを腕まくりにして、敬礼ポーズを取る。サイドアップヘアと元気な笑顔がよく似合うもうひとりの女子サッカー部の後輩一年生、イチジョウがいた。










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