『好き』

むーこ

『好き』

ヒロは『好き』という言葉の意味を初めて咀嚼した相手だった。たった十数人だけの寄宿学校の男子寮で同室になった男。ちょっとぶつかったら折れるんじゃないかというくらい細っこくて大人しい奴だけど、頭が良くて勉強でわからないことがあれば教えてくれるし、冗談を振られた時の切り返しが上手い。

だから皆ヒロが好きだったけれど、どうも俺だけは皆と違う意味でアイツのことを好きになっていたらしく、ヒロが他の奴と騒いだり女子生徒と話したりしていると胸の奥がザワザワして仕方なかった。ヒロの誕生日なんか、後輩の宇辰(ユーチェン)がヒロの頬にキスなんてしたものだから俺はその日から3日くらい宇辰に冷たく当たってしまった。




このヒロに対する特殊な『好き』は少し経ったら収まるだろうと思っていたが、半年経っても収まる気配は見られなかった。それどころかヒロを自分のものにしたいという気持ちが大きくなって、耐えられなくなった俺はある夜、ベッドの上で緑茶を飲みながら本を読むヒロに思いを打ち明けた。ヒロは大きく目を見開いて「お前ゲイだっけ?」と訊いてきた。


「いや…」


「何それ、じゃあお前には僕が女に見えるの?」


「そうじゃなくて…」


どう説明したものかと困っていたら、ヒロが呆れたような顔で「からかうにしてもタチ悪いよね」と言った。


「僕がゲイなの、ここの誰にも言ったこと無いんだけど。誰から聞いたの?」


「えっ?」


今度は俺が驚いた。ヒロがゲイであることなど知らなかったし、多分寮の誰も知らないだろう。そう伝えるとヒロは「じゃあ誰かが僕をからかってお前をけしかけたわけじゃないんだな?」と罪人を尋問するような眼差しで言った。


「誰も知らないよ…皆を疑うようなこと言うなよ」


「信じられない話だもの」


「俺が好きなのは本当だよ」


「本当ならそれは一過性だ。思春期じゃよくあることだよ」


「そんな」


もうやめよう。そう叫んでヒロは枕を持ち部屋を出ようとした。


「どこ行くんだよ」


「今日はお前の顔を見たくない。ジュード先輩かソクフンの部屋で寝かせてもらうよ」


そう言ってヒロは乱暴に扉を閉めた。間もなく隣室のセルゲイ寮長が駆けつけたが、俺は頭が真っ白になっていて何も言うことができなかった。




翌日、学校でヒロは普通に話しかけてきた。昨夜のことなど忘れたかのように無邪気な笑顔を浮かべていたが、俺が面食らっているのに気づくと途端に真顔になりこう耳打ちした。


「縁を切ったわけじゃないんだ。僕達はあくまで友達なんだよ。だから戯言を吐くのをやめて友達として付き合ってよ」


友達ではいてくれるらしい。これはヒロの優しさだと思った。本当なら突き放したいぐらいなんだろうが、ヒロは根がお人好しだからできなかったのだ。

それでヒロのそばにいられるなら。俺はヒロへの『好き』を皆と同じ程度のものに抑え、ヒロの友達でいることに決めた。




友達としてのヒロとの関係は良好だった。水泳の授業で相撲大会になり、人一倍体格の良い俺が皆をプールへと投げ落とした後、虚弱体質で授業を見学していたヒロに手を振るとヒロも手を振り返してくれた。放課後は門限ギリギリまでヒロを交えた皆と遊びに出掛けて、休日はヒロと2人で街に繰り出した。


そうしてヒロの友達として過ごし続けた後、卒業を控えた年の冬、寮の部屋でお菓子を食べていたら突然ヒロから「ごめん」と謝られた。


「何が?」


「お前の気持ちを無下にしたから」


何のことだよ、とヒロに問いたかったが口が回らなかった。心臓が高鳴って気持ち悪くなっていた。次にどんな言葉が続くのかと思って怖かった。


「ヒロ」


「からかわれてると思ったのは本当なんだ。お前の告白に僕が応えて、もしその告白が僕をからかう為の嘘だったらって。でもお前が自らそんなことする奴じゃないとわかってるから、誰かにけしかけられたんだと思って」


ヒロの目から涙が溢れ出し、声もつまり出したが、ヒロの口は止まらない。


「僕もお前が好きなんだ。好きだからこそ裏切られるのが怖かったんだ。だから感情的になって色んな言葉が出てきた。思わずゲイだって漏らして、あぁしまったと思った。もしお前が広めるようなら学校を辞めようと思った。でも広めないで、ずっと友達でいてくれて嬉しかったし申し訳なかった。戯言なんて言ってごめん。ずっと苦しかっただろうに。本当にごめん」


ヒロの口から嗚咽が漏れ出す。俺はヒロの涙を指で拭いつつ「良いんだよ。泣かないで」と言葉をかけた。苦しかったのはヒロの方だったろうし、何よりヒロが本音を打ち明けてくれたのが嬉しかった。俺の『好き』はそのままで良いんだ。


「まだ僕のこと好き?」


潤んだ瞳で尋ねるヒロに俺は「勿論」と答え、華奢な身体を抱き締めた。


「服が汚れるよ」


「汚れるもんか」


「涙だけじゃないんだよ。鼻を拭かないと」


「嫌だ。離したくない」


一層強くヒロを抱き締める。「馬鹿だな」という声の後に、また嗚咽が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る