10 半人半魔の少年


 雲の流れを見る限り、天候が荒れることはなさそうだ。

 洗濯物も全て干し終わり、朝から一仕事終えているルツィアの明るい表情を見ながら、ゼトアは目的地――グリアスの住む街の反対側に向けて歩いている。この街の地理はまだ把握出来ていないので、先導をルツィアに任せ、ゼトアはグロッザと少し後ろを並んで歩いている。

 隣を歩く彼の表情は、希望に燃える若人そのもの。見ているこちらまで元気を与えられそうな、そんな輝かしい笑顔だ。

「これから暴発が起こるかもしれないというのに、随分嬉しそうだな?」

 少し意地悪だったか。だが命の危険があることは確かだ。気を抜いて行くべき場所ではない。

「……だって、ゼトアが守ってくれるんだろ?」

 最後は照れてしまったのかほとんど聞き取れなかったが、小さな声で――先を歩く母親を気にしているのだろう――そう言った彼の頭を撫でてやる。

 ビクリと震えたその身体を抱き締めてやりたい衝動に駆られたが、さすがにここは街中なので堪えた。街の外周に沿ってぐるりと回り込むようにして進んでいるので、通りに出ている人影は疎らだ。おそらく自分が必要以上に目立つのを避けるためだろう。

「そのための俺だ。それにしても、似合っているな。そのローブ」

「母さんの、なんだけど」

 赤みを帯びた表情を隠すためか、俯きながらグロッザは答える。

 元々羽織るような着方をするものなので、男の彼が着ても窮屈そうには見えない。女性用特有のくびれすらも不自然に感じさせないのは、母親譲りの憂いを帯びた目元がそうさせるのか。それともうっすらと色づいた頬から漂う、情欲を誘う色香の仕業か。

「問題ない。似合っている」

「……オレ、男なのに」

 少しからかい過ぎたようで、ぷいっと顔を背けてしまったグロッザのことをじっと見詰めてやる。そうすれば彼の方から耐えかねて、こちらに視線を向けてくる。

 そう、その瞳が良い。困惑と、欲望と、憧れと、嫉妬と……それら全てが混ざりあったその碧が、自分の求めていたものだ。

 視線が絡まりあったところで、前を歩いていたルツィアが立ち止まった。振り向くまでのその数秒を、ゆっくりと味わう。

「着いたわよ。あそこの二階にグリアスくんが住んでるわ」

 周りの景色は特に変わらず、木造の民家が立ち並ぶ住宅街に入ってしばらく歩いたところだ。

 同じような見た目の民家が立ち並ぶなか、その一軒だけが、異質な気配に取り巻かれていた。肌に刺さるようなピリピリとした独特の痛みが、伝えられた民家に近づくにつれて徐々に強くなっているのがわかった。

 これは魔力に敏感なエルフや魔族にしかわからない感覚だろう。隣の息子がいよいよ心配になってくる。

「あまり穏やかな空気ではないな」

 一歩進む毎に纏わりつく空気が重くなる。これは相当……

「ほんの数日前は、ここまで強まっていなかったのに……っ!」

 ルツィアもゼトアと同じく察したらしい。ローブの前をしっかりと止め直し、外付けの二階への階段を駆け上がる。木製の足場がほとんど鳴きもしない軽やかな身のこなしが、彼女がまさしくエルフだということを示す。

「俺達も行くぞ」

「あ、あぁ!」

「ローブをしっかり着ておけ。外にまでこれだけの魔力が漏れ出している。中は危険だ」

 そう言ってグロッザの前に出て、そのまま階段を駆け上がる。先程よりもよっぽど大きな足音に、それなりに大きな足音が続く。本当にどっちに似たのかわからない。

 階段を上がりきったところで、部屋の前で立ち竦んでいるルツィアに追い付いた。彼女は部屋の扉を開けたまま、固まっていた。大きく見開いた碧の瞳が、一刻の猶予もないことを告げる。

「俺が入ろう」

 彼女の横をすり抜けるようにして部屋へ入ると、そこには重苦しいまでの魔力が満ちていた。

 空気が重い。まるで呼吸する毎に鉛を肺に吸い込むかのごとく、その部屋は外界――いや、命に対しての敵意に満ちていた。

 必要最低限の家具だけが並び、それらとは相反するカラフルな色彩を放つ玩具達が、その重苦しい空間には散りばめられていた。狂気すら感じるそのアンバランスの中心に、緑髪の少年が座っている。

 狭い間取りだ。扉から直進すればすぐに到達するリビング。閉めきったカーテンのせいで、俯いている少年の表情はこちらからは見えない。

 とにかく少年の確保が先決だ。動きが見えないので、こちらから動くしかない。

 リビングへと一歩踏み出そうとした瞬間、空間に歪な音が響く。ピシリと何かが裂けるような音が鳴り、本能的にまずいと直感し、それ以上歩を進めることを諦めた。

「い、今の何?」

 グロッザが扉の外から弱々しい声を上げた。あまりの魔力の濃度に動けないでいるようだ。

「ルツィア。どうやら俺だと魔力の反発が起こるようだ。お前がいけるか?」

「激しい反発ね。魔族同士だけど……まさか貴方と反発出来る程の魔力だなんて」

「今はおそらく動きがないところを見るに、眠っているのと同じ状態だろう。話しかけながら安心させてやれ」

「わかったわ。グロッザをお願い」

 ルツィアに前を譲りながら、息子の方を見やる。

 押さえ付けられるような魔力に、それでもその視線は懸命に少年に注がれていた。大丈夫だと肩に手をやると、その瞳が微かに揺れ、固くなっていた口元に少し笑みが差した。

「グリアスくん、そんなに魔力を放出したら身体に毒よ。たまには外へ出て美味しいご飯でもどう?」

 優しい母親の声が呼び起こしたのか。グリアスの頭が持ち上がった。無機質な表情だ。続いて小さく声が響く。

「……力が、ずっと出たままなの……止め方、わかんない」

 まだ幼さの残る少年の高い声が、身体と同じようにして震えた。小さく、本当に小さく、怯えたように。

「私も一緒に考えてあげるから、ね。安心して」

 ルツィアはそう言いながらグリアスを抱き締めてやる。偉大なる母の母性を感じ、少年に少し表情が戻る。

「グロッザ、カーテンを開けてやれ」

「あ、あぁ」

 もう危険はないと判断したが、魔力が垂れ流されている以上、自分はこの部屋に入れない。

 見たところ少年は夢うつつの状態から解放されつつある。これなら精神に刺激を与えない限り、いきなり暴発するようなことはない。

 部屋にズカズカと入っていったグロッザの背中を見ながら、ゼトアはルツィアの光の力を実感していた。肌は闇に染まりしも、彼女の光の才は本物だった。

「……お兄ちゃん、誰?」

 カーテンを開けたところで声を掛けられたグロッザが、少年に振り向きながら笑顔で挨拶する。

「オレはグロッザ。グロッザ・ライザグル。エルフだけど仲良くしような」

「……ふーん?」

 微妙な返事をした少年の気持ちはわかる。

 あれ程高い魔力を有しているのだ。グロッザが純粋なるエルフでないことぐらい、あの年でもわかる。そして、あの年にしてそれを指摘しないところを見るに、精神構造では息子の方が幼いのだろう。

 少年がこちらをちらりと見た。視線が一瞬で絡まり合い、少年の口元に悪い笑みが広がる。紫の闇を湛えるその瞳には、計り知れない妖気が潜んでいるようだ。

 醜く歪んだその顔は、こちらからしか見えていない。未だ抱き締めているルツィアの袖を少年が引っ張る。ルツィアがそれに気付き抱擁を解くと、少年はわりとしっかりとした足取りで立ち上がった。

 その顔からはもうすでに先程の禍々しさは消えており、代わりに悲しみが貼り付けてある。少年が動く度に、空間が揺れるような錯覚を覚える。

「ボク、頑張るから……」

 そう言いながらグリアスはグロッザに抱きついた。

 まだまだ10歳程の少年だ。胸まで届かない少年に飛び付かれた程度でぐらつくグロッザではなかったが、その表情は驚きと困惑に支配されていた。

「頑張るから……一緒にいて」

 少年が胸に顔を埋めて発した、小さな小さな懇願は、まるで鎖のように絡み付く。

「もう一人にしないで」

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