問題編 第5話

 安東としては、正直なところ複雑な思いだった。仮説検証の末に成功と共に得られた結果は、二人が犯人かもしれないと糾したことと同義なのだ。ならば黙っていた方が良かったのか……それも違うと即断する。内部犯が濃厚な以上、その行為は危険だ。議論が正しい道筋を辿れなくなってしまう。

 結局、安東は信じたい思いと、犯人のいる現実との板挟みで思い悩んでいた。

 皆の視線に耐えかねたように綾乃が、

「……わ、わたしは殺してないよ。お、お姉ちゃんだってそんな人間じゃない」

「分かってるさ。二人だけでなく、ここにいるミス研メンバーは皆、殺人なんかやる人間じゃない。それは一番長くみんなと接してきた俺がよく知っている」

「それでも残念ながら、誰かが犯人なんですよ」

 安東が敢えて言わなかった言葉を、有馬が付け足す。綾乃は泣きそうに眉尻を下げた。全く、余計なことをしてくれる。

「これで、五人ともに犯行が可能ということが分かりましたね」

「分かった……だと? いやいや、何も分かってないじゃないか。結論として、容疑者を誰一人省くことが出来てないんだぞ」

 寺田の言う通りだ。今までの話し合いでいったい何を得ることが出来たのか。何も有益な手掛かりは得られず、互いの心を言葉の刃で傷つけ合うばかりだった。

 せめて誰か一人でも、確実に省ける人物はいないのだろうか。

 議論の中で、謎の密室もどきを構築するには、そこそこの時間を要することは分かっている。ならば、実質四分間という短時間の空白しか持たない有馬悠士には、犯行はやはり厳しいのではないだろうか。

 安東の思考を読んだわけではないだろうが、有馬は驚くべきことを口にする。

「議論を進めてもよければ、僕は非常に面白い仮説を思いつきましてね。……実は、これは短時間でも可能な方法でして、つまり僕も十分に容疑者となり得る推理なんですよ!」

 お前は何を、……興奮しているんだ。そう言い掛けて、安東はそれを飲み込んだ。もう、彼に一般論を求めるだけ不毛だということを、そろそろ学ばねばならない。

「いいですか。そもそも、犯行現場が違ったんです。僕たちは重大な思い違いをしていたんです!」

「いや……あのさ。彼は血溜まりの中に倒れていたんだ。部屋で刺されたとしか考えられないだろ」

「其処が盲点なんですよ! 彼は、――廊下で刺されたんです。そして刺された後、部屋まで行き、犯罪者の追撃を恐れて鍵を掛けた。そして迂闊にもナイフを引き抜いてしまった……」

「まってよ、じゃあ何で彼はナイフを抜いたの? 栓の代わりになっていることくらい分かってたはずでしょ」

「推理小説に造詣があっても、現実で体験することなんて稀です。うっかり引き抜いてしまうこともあるでしょう」

 綾乃はやや憤りを見せながら、

「それなら……空白時間が四分の有馬くんにもぜんぜん出来るね。それで、何が言いたいの? 自分がやりましたーって認めるの?」

「ちょいと待て、その説には色々と穴があるぞ」

 寺田が割り込む。

「他の説でも言及したスマホとモバイルバッテリーの話はどうなるんだ。その説じゃあ、バッテリーはおろか、スマホが盗まれた理由も説明できないだろ」

「良い所に目を付けてくれてありがとうございます、寺田さん」

 感謝されても全く嬉しくなさげに寺田は鼻白む。

「まさにその理由が、この説では最も合理的に解釈出来るんです。遠山君は何故、写真を撮る話を忘れてしまったのか。一日も一緒に過ごしていない間柄とはいえ、その点はずっと僕の心に澱のように沈んでいました。しかし! この説ならば、彼が廊下に出てラウンジに戻ろうとしていたことが説明出来るんですよ!

 先ほど寺田さんは、スマホとバッテリーが説明付かないと言いましたよね。違うんです。逆なんです。彼はそれらを持って、ラウンジに行こうとしていたんですよ!」

 有馬は侃侃諤諤と語り続ける。

「よく聞いて下さいよ。道中、突如として犯人に刺された遠山君はスマホを落とし、それは犯人の手に渡ります。ラウンジで開けようと手に持っていた未開封のモバイルバッテリーを片手に、もう片手でナイフを支えながら彼は自室に逃げ込む。すぐにつまみを捻って施錠し、未開封のバッテリーはベッドに転がす。そしてほっと一息つくあまり、愚かにも彼はナイフを抜いてしまうのでした! 若干の脚色はあるかもですが、どうです? ――それにこの説ならば、遠山君の部屋が交換されたことを僕たち二人が本当に知らなかったとしても、犯行は可能になるんです!」

 二人にカウントされている寺田がすかさず言う。

「やや妄想が過ぎるようだが……まだ、突くべき矛盾はあるぞ。二階ならまだしも、どうせ逃げ込むならなぜラウンジに来なかったんだ? 何故俺たちに助けを求めなかったんだ?」

「それは、刺した犯人がラウンジ側にいたからと説明が付きます。廊下は隙を見てすり抜けられるほど幅はないですからね」

「もう一つある。遠山君は刺されたとき、なぜ大声を上げなかったんだ? 部長の従兄弟には悪いが、広いペンションでもない。壁も扉も薄くはないが、防音が施されているわけでもない。そうでしょう、部長?」

 安東は頷いてみせる。正確には防音リフォームはされているのだが、廊下からの音や声は聞こえるのだから、訂正する必要もないだろう。

 寺田は自信を漲らせた眼で続ける。

「部屋に逃げ込んで鍵を掛ける力が残っていたなら、なぜ俺達を呼ばなかったんだ? まさか、犯人を庇ったっていうのか? それなら鍵を掛けて密室にした理由にもなるが、彼は偶々遭難し、偶々俺たちのいるペンションにたどり着き、偶々庇うほどの理由がある犯人に刺されたってことになるが、そんな偶然が重なった状況が起こったなんて俺は信じないね」

 先ほど別の議論で、「動機なんて分からない」と寺田は言っていたはずだが……やはり疲労で思考力も低下しているのだろうか。

「ふむ、困りましたね。寺田さん自らが仰った知り合い説に加えて、遠山君が恐怖や苦しみのあまり声を発せなかった状態だった、あるいは僕達が全員共犯だと思い込んでしまった……など、彼が心に抱いていた何れかを示せればいいんですが――」

 有馬は心底不満そうな表情で思索に耽った。

「……あの」

 タイミングを待っていたかのように、雪乃が粛々と発言した。

「いずれにしても、後頭部の殴られた痕跡に、理由が付けられないのではないでしょうか……? 下手をすれば致命傷になっていたはずの傷だと、悠士君も言っていましたでしょう? それならば、廊下で倒れてしまい、部屋のつまみを捻って施錠をするどころか、部屋にたどり着く力さえも無かったはずです……」

 雪乃が言い終わる前に、有馬は失態を犯したような顔つきに変化していた。

「……僕としたことが、全く! そのことをすっかり忘れていましたよ。すみません。なら僕は、やはり容疑者から外れそうですね。

 ――おっと、待って下さいよ! 生体反応から打撲痕が先だと決めつけたのは、他でもない僕です。致命傷に近い傷跡だと言ったのも、僕です。そうだ、彼は部屋に逃げ込んだ後、息絶える寸前にテレビ台やベッドサイドなどで頭を打ち付けたパターンも考えられますね」

 有馬は悪びれた様子もなく、苦笑してみせる。

 あべこべだ。犯人ではないと証拠を突き付ける雪乃と、自らが犯人の可能性を掘り起こしていく有馬。いい加減頭痛がしてくる。

「もういい、もうたくさんよ……。誰よ、誰が犯人なの? ねぇ……人殺しだよ? 浮気をしていたとか、何かを盗んだとか、そんなレベルの話じゃない。人の命を奪ってるんだよ! もし少しでも良心が痛むんだったら、名乗り出てよ! じゃないと、わたしは……、わたしは……っ!」

 再び綾乃の情緒が乱れている。危ない兆候だ。

 安東は今に至っても内部犯説を信じ切ったわけではない。だが、もしもだ。もし仮に、メンバーの中に、何らかの理由があって遠山を殺してしまった人間がいるのなら、すぐに名乗り出て欲しかった。自分のことを部長と称して信頼してくれているならば、ラウンジから呼び出して二人っきりでもいい、遠山をナイフで刺してしまったと、すぐに告白して欲しかった。最良の結末を求めるなら、彼を殺さなければならない動機を事前に相談して欲しかった。殺す相手を取り違えてしまった場合も同じだ。憎しみを抱くほどの訳を、少しでも話してくれていれば。

 今や、たらればの話だ。

 自分はそれほど信頼されていなかったのかと、自責の念に駆られる。思い返せば、部屋の交換でさえ自分は頼られていなかったなと自嘲する。

 議論が過熱の一途を辿った今、彼あるいは彼女が名乗り出たとしても、その人物と真に和解することは、どこまで出来るのだろうか。

 そして今後、ミス研はどうなってしまうのだろうか。

 今年ようやく部に昇格し、安東が卒業してОBとなっても、徐々に部員を増やして成長していく姿を夢に見ていた我がミス研は……いったい。

 苦労がありながらも楽しかった今日までが、走馬灯のように脳裏をよぎった。

 ――その時だ。安東は天啓を得たかのように、ある会話を思い出していた。

 そこから数珠繋ぎのように、自身の行動やメンバーの言動、犯行心理が、論理的に結びついていく。焦らず冷静に、それを説明出来る形に落とし込む。

 よし、大丈夫だ。……これならいける。

「一旦落ち着こう」

 安東はとりわけ大きな声を意識して言った。このまま議論が過熱するのは、現状も今後の為にも宜しくない。

 それに――、と安東は思う。先ほどの熟考の結果、自分達にはどう考えても時間的な余裕がなかった。それを話す足掛かりとして、質問を飛ばす。

「もしもの話だ。この中に遠山君を殺した犯人がいるとして、その人物はいつ、雑木林まで続く足跡を偽装したんだろうか?」

「いつって、そりゃあ……議論しませんでしたっけ? 犯行前の方が断然余裕があるって話だったんで、つまり、飲み会が始まる直前までに決まってるじゃないですか」

 寺田の言葉を、安東は推理の一助としながら、

「綾乃は部屋を交換する際に、『まっさらな白銀の景色が、駐車場側に変わってしまうのは寂しいけどね』……そう言っていたはずだ。恥ずかしながら俺が盗み聞きしていた場面、雪乃が遠山君に部屋の交換を頼んだときだ。覚えていないか?」

 神経を使いすぎたのか、ぐったりと椅子にもたれ掛かっている綾乃に問い掛けた。

「ぇっと……うん、確か言ったと思う……」そこから一瞬体を硬直させたかと思うと、急速に眼の輝きを取り戻していく。「あっ、もしかして!」

「気付いたなら、綾乃視点の話を俺達に説明してくれないだろうか」

 途端に元気を取り戻した彼女が言うには、

「うん。あのね……、合宿に来たらやっぱり窓からの眺めって重要でしょ? だから部屋が一階のツインベッドの部屋だって聞いたとき全然期待してなかったんだけど、実際に窓のカーテンを開けてみるとすっごい綺麗だったの。一面銀世界。遠くに木々が生い茂ってるところまで含めて、まるでファンタジーの世界みたいだったのよ。夕方になると部長がライトアップしてくれたみたいで、夜は夜で神秘的な雪景色なのよね」

「奇麗なのは俺だって知ってるさ。同じ東側の窓なんだから。要点だけ言ってくれよ」

 寺田がイラついたように言う。普段なら綾乃の話も最後まで聞くタイプの人間のはずだが、心持ちが相当逼迫しているのだろう。

「……わかった。だからね、お姉ちゃんがどうしても部屋を交換するって決めたときは悲しくて、少し涙も出ちゃって、最後の最後までわたしは窓から外を眺めていたの」

「――つまりだ」

 安東が話の穂を継ぐ。

「姉妹二人が部屋を出る瞬間までは、あの足跡は存在しなかった。何時何分か覚えていたら助かるんだが」

 ここが正念場だと安東は悟り、そして願う。

 雪乃がやんわりと手を挙げた。

「遠山君と……部屋と鍵を交換した後、お互い木札を取り外し終わると、ほとんど間を置かずに部屋を施錠しました。そして私達は三人一緒にラウンジに行きました。そこには積雪量を測っていた悠士君がいて、どうやら夕食後からラウンジに入り浸って飲んでいたようで……。ふと腕時計を見ると午後八時一分でした。なので、綾乃が窓から離れたのは午後八時ぴったりと言ってもいいと思います……」

 安東は雪乃の証言に喜びを抑えられない思いだった。それでもまだ慎重を期して、

「有馬、雪乃が証言した時間は合っているか分かるか?」

「僕が時刻を把握していないと思いますか? あれは丁度十回目の缶の交換後でしたね。彼女達――正確に言えば、雪乃さん、綾乃さん、遠山君の三人がラウンジに来たのは、午後八時一分です」

 こういう場面での有馬は心強い。

「寺田がラウンジに来た時刻はどうだ?」

「さすがに分刻みというわけにはいきませんが、八時四分、五分くらいでしょうか」

 堀川姉妹も互いに視線を交わした後、こくこくと頷く。

 安東はいい流れだと判断した。

「最後に、俺は何分だったか覚えているか? 申し訳ないが、自分では正確に覚えていないんだ」

 勿論、安東は自分が犯人ではないことを知っているが、他のメンバーにとっては重要な確認となるだろう。

「そうですね。部長は八時十分。僕が空き缶を置き直した時刻です」

 他のメンバーも同意の頷きはするものの、否定する者はいなかった。

「あー、そうか……俺にも理解できたぞ。明らかに時間が足りないんだ」

 指折り数えながら気持ちを高ぶらせる寺田を見つつ、安東は続ける。

「長く伸びた足跡だ。早くても十分ほどは偽装に必要という概算は話し合ったと思う。仮に俺はマスターキーで入れたとしても、他のメンバーはまず遠山君の窓辺に降りるための時間と労力がいる。改めて言うぞ、綾乃が窓から離れたのは午後八時。アリバイをもう一度整理するまでもない。――あの足跡を作れる人物は、そもそもこの中には存在しないんだよ」

 暗澹としていた表情から一転、メンバーは希望を宿した眼で安東の話に耳を傾けている。

「さらに言わせてもらうと、奇麗な景色は誰もが見る。俺だって午後五時に自分で点灯させてから、夜間のライトアップも折角だからと何度かカーテンを開けた覚えがある。

 つまりだ。――いつ目にされるかも分からない衆人環視のような状況下で、犯人は何故そこまでして件の足跡の偽装を残さなければならなかったのだろうか。外部犯に見せかけるなら、もっと賢い方法はあったはずなんだからな」

 後輩達は皆静かに聞き入ってくれていた。これなら大丈夫だ。安東は意気揚々と最後まで弁舌をふるう。

「密室もどきの謎、時間的なアリバイ、偽装の心理的な矛盾。――どれか一つなら、思わぬ発想で解明することが出来るかもしれないが、三つともなればその可能性は極端に低くなる。そうだろう?

 だから、俺達の中に犯人がいるなんて考えるな。ここはミステリの世界なんかではない、吹雪の山荘なんていう陸の孤島と化してなどいないんだよ。だから、まずは警察の到着を待とう。今日中に来れると言っていたんだ。もうすぐさ。

 それから万一、外部犯が近辺に潜んでるかもしれないことを考えて、用心のために手洗いや部屋に行きたいときは出来る限り二人以上で行動してくれ。これは元部長として、最年長の言葉として、受け取って欲しい」

 話し終えても、反論する者や疑問の表情を見せる者は一人もいなかった。

 安東は努めて皆を安心させる笑みを浮かべた。心の裡で、安堵の息を付きながら。

 良かった。何とかメンバーを落ち着かせることに成功した。

 これでしばらくは――。

 しばらくは……誤魔化せるだろうか?

 安東は思考を深める。

 この推理の欠点は、振出しに戻ってしまうことだ。

 安東が提示した足跡のアリバイは堅牢であると自負さえしている。

 だが、果たしてどれほど外部犯の可能性はあるのだろうか。

 人を名指す議論に発展したのは、綾乃と雪乃が、外部犯である可能性を論理的に納得のいく形で排除したからだ。外部犯が窓を開けたことに遠山が気付かないわけがない、と。

 その推理は非常に理路整然としていて、安東には今に至っても、それを否定する材料を持ち合わせていない。

 だから、もし再び誰かがその話を蒸し返すようであれば、たちまち場の空気は緊迫感を取り戻し、内部犯を前提とした犯人や犯行方法を列挙し合う、安東が望まない状況に変貌してしまうだろう。

 遠山を殺した人物は、確実に存在する。

 それはもしかしたら、思わぬトリックを弄して犯行に及んだこの中の誰かが、心の中でほくそ笑んでいるかもれいない。

 安東が思考した内容など、他のメンバーだって考えているはずだ。

 言葉にしてしまったが最後、再び見えない殺人犯を相手に思考し続けなければならないことを、皆分かっているのだ。

 内部に潜んでいる者がいないかペンションを見回ったとき、戸締りをするついでに簡単な武器になりそうな物も、ラウンジに持ってきている。

 結局は、内部犯だろうと、外部犯だろうと、議論をせずに全員で集まっていることが大切だ。そうしたなら犯人が何れにせよ、手出しはし難いはずなのだから。

 このままでいい。警察が来るまで、じっと待つんだ。

 無言がラウンジを覆ってから、置時計の針の音のみが空間に漂い、時間が流れていく。

 じっと座りながら一点を見つめる者、スマホを取り出して弄る者、残った酒に手を出す者、行動は様々だ。

 あれほど熱を込めて推理を語っていた有馬は、隅に寄せられたソファに座りながら俯き、手で顔を覆っていた。

 議論では奇怪なことを述べていたが、心の中では、遺体を発見する前に軽い気持ちで密室殺人と言っていた後悔などが、今頃になって押し寄せて来たのかもしれない。

 あの飄々とした答弁が、自己嫌悪を誤魔化すための有馬なりの処世術なのだとしたら……、場を乱したことも最年少ゆえの過ちと大目に見てもいいだろう。多かれ少なかれ、誰もが先ほどの議論では過敏になり、おかしくなっていた。お互い様だ。殺人現場に遭遇するなんて、一生に一度あるかどうかの出来事なのだから。

 さすがにここは気にかけておいた方が良いと判断して、安東は彼の隣に移り、優しい口調を努める。

「有馬。そう落ち込むな。こんな山奥のペンションで殺人が起きるなんて、普通誰も思わない。それに俺達は、ミステリ愛好家とは言っても所詮は素人の集まりだ。警察が到着すれば鑑識がより細かな証拠を掬い取って、刑事らが立ちどころに解決してくれるさ」

 手の隙間から、彼の眼が見える。

 その眼は煌々としていた。

 口元を見るまでもなく、頬の筋肉が吊り上がっている。彼は笑んでいるのだ。そして、

「やってくれましたね、部長さん」

「…………何の話だ?」

「いやはや、議論が進めばいつかは誰かが思いつくかと危惧していましたけれど、さすがミス研を立ち上げた胆力と多くのミステリに触れてきただけのことはありますね」

 安東は、微かな畏怖の念さえ抱いた。

「お前……まさか、あえて黙って……」

「だって、面白くないでしょう? 解答の見えているミステリなんて。殺人事件が起き、あまつさえ鍵の掛かった部屋というオマケ付き。警察は未だに来ない。そしてこれだけのミステリマニアが揃っているんです。部長さん……! ここで議論百出の推理ゲームを行わずして、どうすると言うんですか」

 憑りつかれたように、火照った顔に笑みを浮かべている有馬。

 僅かでも芽生えていた親心が胸の内で瓦解する音がした。

 人は真に理解の出来ないモノに遭遇したとき、恐怖よりも困惑が勝るらしい。安東は、開いた口が塞がらないまま彼を見つめていた。

「安心してください。身の安全は保証しますし、犯人なら最初から予想がついてますよ」

 何でもないかのように、有馬が告白する。

「……何だって?」

「結論なら、僕の中では最初から出ていると言っているんですよ。それに全員で議論した結果、有益な情報が沢山得られましたからね。別解を潰すにはとても有意義な話し合いでした」

 彼はそこで言葉を溜め、皆の視線が集まっているのを確認するように、視線をスライドさせた。

「たいした手掛かりではないんですが、実を言うと……遠山君の荒らされたザックには、山に入るための山行計画書と保険証のコピーの用紙が、見当たらなかったんです……。あと、こんな物もラウンジにありましたよ。誰の私物でもないですよね?」

 問いかけるが、断定的な口調だ。それはスライド式の古いガラケーに見えた。

「おい有馬、調子に乗るのもいい加減にしろよ……。それに本当に犯人が分かったってんなら、さっさと答えろ!」

 寺田の怒号に近い声音に対しても、どこ吹く風だ。「おお怖い」と大して怖くもなさそうに相好を崩した。

 何故彼は、こんな状況においても、笑みを浮かべられるのだろうか。

「脅さなくても、ちゃんと答えますよ。これは真相に辿り着いた者の特権ですからね。さて、みなさんが知りたいであろう犯人ですが――ほら、僕たちなら耳にタコが出来るくらいに聞いた有名な台詞があるじゃないですか。『全ての不可能を消去して、最後に残ったものが如何に奇妙なことであっても、それが真実となる』

 ――つまりこの事件の真相は、外部犯がわざわざ積雪寒冷の度が甚だしい中やってきて遠山君を殺害した後、雑木林に舞い戻っていったんですよ」



          問題編(了)

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