8-6

「新見くんは優しいね」


「また、それを言うのか」

 真由理の軽くウェーブがかった艶やかな黒髪に顔を埋めながら、新見は苦笑いをした。


「君は見た目よりワイルドだ。僕よりも刑事らしい」


「ふふ、そうかもね。でもね、わたしは自由でいたいの。刑事をしていたら小説なんて書けないもの、それに新見くんのように強くない」


「僕が強いって、その言葉はそのまま君に返すとしよう」

 優しく髪を撫でながらキスをした。真由理は目を閉じると、新見の優しさを遮るかのように、情熱的にそれに応える……


 甘く官能的な時間が流れた後、真由理はそっと新見に告げた。


「パリに行くわ。芸術の都で本を書いてみたいの。新見くんも三島から居なくなっちゃうし……」


「なにを……出向異動と言っても神奈川だ。箱根を越えればすぐ会える」


「ううん、もう決めたの。向こうに大学時代の友人が居るから、彼女を頼るつもり」


「……決めたのか……」


「ごめんね、強くないのよ。わたしにとっては、たとえ箱根の山でも高いし険し過ぎる。会えなくて辛い日々を過ごすのなら、いっそ、空しさを諦められるくらい、遠い方がいい……」


「……行かないでくれ、と言ったら」


「だめよ。……新見くんはもっと上を目指さなきゃ、それが出来る人だから。今は仕事に集中しなければいけない時期よ。それにわたしにも夢がある……お互いにとって良いタイミングね」


 真由理は、絹のガウンを肩に羽織るとベッドから降り、長ソファーにゆっくりと腰を落とした。ガウンのはためきがパヒュームを巻き込みながら、ひんやりと乾いた風を新見の胸もとに送り込む。


「行かないでくれ」

 真由理の背中に声を掛ける。


「行かないで、くれ……」



 ポツポツ…………

(雨か……眠ってしまったのか……)

 車内のデジタル時計を確認すると正午を回っていた。




「すまなかった。パスワード解析の進捗はどんなだ」

 会議室に戻ると直ぐに大木に確認した。


「警部お疲れ様です。ユーザーIDよりも一桁少ないようで、もうすぐ解析が終了しそうです」


「それは良かった。ところで川村さんと原田さんは」


「今日は仕出しが休みなものですから、食事に出掛けています」


「いつもの『砂場』かな、私もこっちにいる内に食べに行きたいな。あそこの手打ちは格別だ」


「でも川村さんは胃潰瘍でしょ。蕎麦は大丈夫なのかなぁ」


「まぁ、自分で加減するだろう。それに蕎麦湯は昔から、胃腸の調整にいいようだ。なんだか食べたくなってきた」


「あぁ警部、あとでご一緒しましょうか。今日は天ざるって気分かな」


「わかった。ご馳走しよう」


「うっひょー、ありがとうございます」

 大木は大袈裟にはしゃいでみせる。


「気を遣わせた、悪かったな...」


「…………」

 ボソッと呟く新見に、大木は少し目頭が熱くなるのを感じた。

「……警部、鑑識課に確認してきます。そろそろかと」

 そう言うと大木は、足早に会議室を出て行った。


 新見はゆっくりとデスクの椅子に腰をかけ、先程の夢の続きに想いを馳せる。

(なぜあんな夢を……彼女はすでに遠い存在だ。だがしかし、確実にここに居る)

 新見は静かに目を瞑り、胸もとに右掌を当てた。

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