第11話

 すべてが終わり建物から出てくると、そこは駅の目の前だった。時は九時を過ぎていたが、まだ人通りは絶える素振りすら見せない。

 振り仰げば、見慣れた大きな高級ホテルが夜空へと吸い込まれるようにそびえたっていた。そういえば、ここの最上階には結婚式場があって、披露宴用のホールには市内を一望できる窓があると大声で謳われていたなぁと今になって思い出す。地上からでは割れた窓ガラスは確認できないが、大丈夫なのだろうか、主に法律上の面で。


「……その、今日は本当にありがとう」


 トラヤさんが遠慮がちに言ってきた。俺は視線を地上に戻す。


「危険な目に遭わせてしまったことは、心からお詫び申し上げる。しかし、君のおかげで、被害を最小限に食い止めることが出来た。危険手当とボーナスはきちんと給料につけておく」


 俺が何も言わずにいると、トラヤさんは緑の瞳を仄暗く光らせて、


「……予定より早いが、これで仕事は終了だ。本当に助かったよ、ありがとう。今宵はゆっくりと休んでくれたまえ。では――」

「あの」

「なんだい?」

「俺の勝手な憶測ですけど……奥さんと子どもさん、きっとトラヤさんのこと、許していると思いますよ。俺だったら、やっぱり、大切な人ほど、夢を叶えてほしいって思いますから」


 実を言うと俺はこの時、嘘を言ったのだった。本当は、許しているはずだ、などとは欠片も思っておらず、夢を追って蒸発した男のことなどすっぱり忘れるのが普通だろうと思っていた。

 と同時に、忘れてしまう前に、せめて形だけでも許していてあげてほしい、とも願っていた。

 黙ってしまったトラヤさんを前に、俺はやはり言わなければ良かったと後悔する。


「や、あのー、えっと、その、ちょっと、そんな風に、思っただけで、その…――」

「……ありがとう」


 骸骨が微笑んだ、ように見えた。


「そうだと良いな、と、私も思っているよ。

 けれど、知っているかい。己を裁く法は己のみ。自分に本当の意味で罪を背負わせ、罰することが出来るのは、神でも仏でもなく、自分自身しかいないのだよ。つまり、自分を許せるのも、自分のみということだ。だから、私はこのまま生きていくのだよ――たとえ彼女らが、私のことなどとうの昔に、忘れてしまっていたとしても、ね」


 俺は反射的に顔を俯けていた。


「それにね、私は案外、この状態を気に入っているのだよ。捨て駒だなんだと言われたが、正確に言うとそれは違う。私は、言うなれば、無敵の英雄なのだよ。何て言ったって、死ぬことも寝返ることも無いのだからね。だから簡単に囮になれて、向こうもそれを警戒しているから、バイトと言う無関係な第三者の存在が必要だったのだよ」


 そうでなければ、こんな簡単に接触してなどくれないからな、とトラヤさんは背中越しに言った。それからふと振り返る。


「今年は本当に良いバイトに恵まれた。君はもう良い一番星だよ、タカナシ君」


 Merry Christmas!


 トラヤさんは滑らかにそう言って片手を上げると、雑踏の向こうに消えていった。



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