第9話

 背中の向こうの薄っぺらい背中がびくりと大きく震えるのが分かった。トラヤさんが勢いよく振り返り、体勢を崩して(ちらりと見ると、トラヤさんは後ろ手に縛られていた。俺が縛られてないのは撃てばいいからだろう)大声を上げた。


「貴様、そんなこと許さないぞっ! 彼を巻き込むなど……!」

「だったら、お前のするべき行動、分かるよな?」


 なんとも疑問形が好きな野郎だ、と俺が呑気に思っている背後で、トラヤさんは死んだように沈黙した。

 きっと床に額が付くのではと思うほど深々と俯いて、全力で考えているのだろう。考えて考えて考えて、たぶんトラヤさんは己を犠牲にする。たった半日にも満たない短い付き合いだが、なんとなく分かった。

 妻子を捨てたことを後悔して、それでも夢を捨てきれず、クリスマスを守るために奔走するトラヤさん。彼はたぶん二度と誰も見捨てられない。と同時に、妻子を捨ててまで守り始めたのだ、それを無駄なことにしないために、クリスマスも捨てられない。


 そこまで分かっているのだったら、俺のするべき行動など、もはや疑問にするまでもないだろう?


 俺は意を決して口を開いた。


「撃つんだったら撃てよ。俺は単なるバイトだし、他の良きサンタに撃ってもらえれば元に戻れる。優先順位なんて、考えるまでもないだろうが」

「へぇ、大した自己犠牲の精神じゃ――」

「その前にさ、俺の夢を聞いてくれよ。大昔にサンタさんにお願いしたんだけど、ついぞ叶っていない大きな夢があるんだ」


 俺は俺に、何を言っているのだお前は、と突っ込んだ。何の計画性も意図もなく、とにかく何か言わねばならぬと焦った脳味噌が無茶苦茶な命を下した結果、ただ口をついて出てきた与太話であった。

 俺に台詞を遮られて鼻白んでいたユキシロが、気丈にも言い返してくる。


「どうせ、悪サンタに食われたんだろ」

「あぁ、そうかもな。でも、たぶん普通の良きサンタに言っていたとしても、叶えてはもらえなかっただろう。

 俺は昔、一番星になりたかったんだ」

「一番星?」

「そう、一番星。なんでだったか忘れたけど、俺は一番星になりたくてなりたくて仕方がなかったんだ。確か、絵本であったんだよな。一番星は、一番最初に夜空に上って、世界の夜空を誰より早く明るくする、小さいけれど大きな勇気を持つ星なんだ、って。それが小さい頃にはあまりにも格好良く見えてさ、それ以来一番星になりたいって言って聞かなかったんだ。で、サンタさんにお願いしたんだよ。

 けど……あぁ、そう、思い出した。その時サンタさんは言ったんだ。自分にはそれを叶えることは出来ない、って。だからやっぱりあの時のサンタは、あんたら悪サンタじゃなかったんだ。よく覚えてるし、出来るなら今でも一番星になりたいって思えるから、俺の夢はまだあるんだ。ま、別にもう、叶えてもらおうとは思っていないし、叶うとも思ってないけどな。

 だけど、俺は、こんな夢を抱いていた自分が嫌いじゃない。

 だから、夢を奪っていくあんたらのことは大嫌いだ」

「ふぅん……」


 ユキシロは一片の興味も抱いていない適当な相槌を打って、俺の言葉を理解するのを諦めたように、「辞世の句はそれで終了か?」と締めに入った。

 俺はユキシロを睨んだ。この話をして何か伝えたいことがあったわけではないし、理解してもらおうとも思っていない。とはいえ、さすがに完璧な無関心には少々苛立ちが現れた。せめて馬鹿にされた方がまだ気分が良かったことであろう。これだから、対立というものは簡単には崩れ得ないのである。


「あぁ、終わりだよ。でも、これは辞世の句じゃない」

「その通りだ、辞世の句にはならない」


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