第五章 重なる想い、重ならない想い3

 満天の夜空が広がる中、カメリアはひとりで野原の中心に立っていた。

 あたりを見回してみるものの、そこにはカメリアの姿しかない。


(どうしてこんなところにいるんだ?)


 不思議に思うカメリアだったが、少し離れた場所に人影を見付けた。

 何かに魅かれるように、カメリアはその人影へと近付いていく。

 距離が縮まっていくにつれ、影ははっきりとした形に変化していく。


 ――髪に結ばれた青いリボンに、青いドレス。

 それはあの日カメリアが出逢った少女の姿だった。


「待ってくれ!」

 気付けば、少女に向かってカメリアは叫んでいた。

 少女はカメリアの存在に気付くと、その場から駆け出した。


 カメリアは少女を追いかけるが、まったく距離が縮まらない。

 広がる距離にカメリアは必死になって足を動かすが、そこであることに気付いた。

 カメリアが着ている服は、カメリアが普段着ている服ではなくなっていた。


 胸元には大きなリボンが揺れ、裾はレースで彩られている。

 純白のウェディングドレスにカメリアは身を包んでいた。


「何だ、これは……」

 カメリアにとってそれは憧れではなく、むしろ恐怖に近いものだった。


 カメリアは胸元で結ばれたリボンに白い手袋に包まれた手を伸ばすが、どういうわけかどれだけ力を入れてもリボンは解けない。

 白い手袋を脱ごうとしても、脱ぐことはできなかった。


「……どうしてだ!?」

 カメリアはたまらず叫んだ。


「私はこんなもの望んでいない! 今までもこれからも望むつもりもない!」


 ――騎士になる。

 その夢が叶うのであれば、カメリアは何でも捨てる覚悟があった。


 結い上げられる長い髪も、女性が憧れる真っ白なドレスも、夢のためならば、捨てることなど恐くなかった。そこに迷いも未練もなかった。

 そうして自分はここまで歩んできたのだ。


「それなのに、どうして……どうして私の望みは叶わない!?」


 こんな姿など望んでいない。

 騎士になるために捨てたものだった。

 それなのに、何故自分はこんな姿でここにいるのか。


「私はこれ以上、一体何を捨てればいい? 何を捨てろと言うんだ!?」


 何を捨てれば夢を捨てずに、騎士のままでいられるのか。

 カメリアにはもうこれ以上、何を捨てればいいのかわからなかった。


(これだけ捨てても、私にはまだ足りないのか……)


 絶望すら覚えるカメリアの目の前には、いつの間にか少女が立っていた。

 その少女は不思議そうな顔でカメリアにたずねた。


「どうして捨ててしまうの?」

「……捨てなければ、叶わないことがあるからだ」


 何かを捨ててでも叶えたいこと、騎士になるという夢。

 それがカメリアにはあった。

 誰かに理解してもらおうとは思わない。

 ただそこまでしても諦めたくないものがカメリアにはあった。


「だから私は捨てたんだ……自分の夢を叶えるために」


 カメリアの言葉を聞いていた少女はゆっくりと口を開いた。


「捨てることなんてできないのに……」

「え?」

「だって、自分は自分だから。どんな格好をしていても、やっぱり自分は自分……」


 少女は自分の着ているドレスをぎゅっと握り締めた。


「だから捨てることは出来ない」

「なら、どうすればいいんだ!?」


 カメリアは思わず叫んだ。


「何も捨てることも出来ない私は、夢を諦めることしかできないのか!?」


 やっと手にした剣を、夢を捨てることなどカメリアにはできるはずがなかった。


「嫌だ……そんなこと、絶対に嫌だ」

「捨てなくてもいいんだよ」

「何も捨てなくていいなんて、そんなことあるはずがない」

「早く気付いて……」

 少女はどこか寂しそうに笑うと、カメリアに背を向けた。


「待て! 気付くって……私は一体、何に気付けばいいんだ!?」


 とっさにカメリアが伸ばした手は少女の手を掴んだ。

 その瞬間、少女がカメリアの方へと振り返る。

 そんな少女の姿と重なったのはカメリアが知る人物だった。


(うそだ、どうしてお前が……)

 

*****


「うなされていたが、大丈夫か?」

「セロイス……」


 見慣れた天井を遮るようにカメリアをのぞき込んでいるのはセロイスだ。

 

(何故、あの少女とセロイスが重なったんだ。まったく似てないのに)

 そんなことを思いながら自分をのぞき込んでいるセロイスを見ていたカメリアだったが、ふとそこであることに気付いた。


(あたたかい?)

 不思議に思って右手を見てみれば、右手はセロイスの手に包まれていた。


「あぁ、すまない」

 カメリアの視線に気が付くとセロイスは手を離した。


「ひどくうなされながら手を伸ばしてきてな。手を離すのを忘れていた」

 そう言って真っ直ぐにカメリアを見るセロイスの瞳はあの日の夜を思い出させる。


(だから、あんな夢を見たのか)

 カメリアはどこか納得しながらも身体を起こした。

 窓へ目をやれば外はもう日が暮れ、夜になろうとしていた。


「私は、そんなに長い時間眠っていたのか?」

「色々張り詰めていたものが切れたんだろう。気にすることはない」


 セロイスはカメリアの頭に手を置くと、くしゃりとカメリアの髪をなでた。

 カメリアの髪がセロイスの指の間を通っていく。

 その感覚は今まで感じたことのないようなものだった。


「……お前の髪は、ルベールと同じ色をしているんだな」

「中身はひどく対照的に育ったがな……」


 幼い頃のルベールとカメリアは、まるで双子のようだった。

 しかし外を駆け回ることが好きなカメリアとは逆に、病弱だったルベールは部屋で本を読むことが好きだった。


 そんなふたりに周囲が「これが逆だったら」とぼやいていたことをカメリアは知っている。ルベールの病は完治したものの、ルベールが剣を取ることは叶わなかった。


 そのことを知ったカメリアは髪を切り落とした。

 剣を振るカメリアにとって、長い髪は邪魔なものでしかなかった。

 それでも髪を伸ばしていたのは、ルベールと同じ髪を誇らしく思っていたからだ。


「髪は伸ばさないのか?」

「あぁ……」


 ルベールは髪を伸ばしているが、幼い頃に髪を切って以来、カメリアの髪は短いままだ。

 それはカメリアの心のどこかにルベールへの罪悪感にも似た思いがあるからなのかもしれない。


 カメリアが兄から剣や美しい髪を奪ったのではないか。

 似たような言葉をかけられ、そんなことを考えたことも一度や二度ではない。


 しかしルベールはそんなカメリアを可愛がり、カメリアの夢を応援してくれた。

 だからこそ、カメリアは諦めるわけにはいかないのだ。


「……もったいないな」

カメリアの髪を何気なく一房手に取ると、セロイスはつぶやいた。


「せっかく綺麗な色をしているのに」


 そう言ったセロイスの目はカメリアを映してはいないことをカメリアは気づいていた。セロイスのその瞳に映るのは、同じ色の髪をしたルベールの姿だ。


「……出て行ってくれ」

「急にどうしたんだ? 体調が悪いなら薬か何かを」

「いいから出て行ってくれ!」


 カメリアの叫びにセロイスは黙って部屋を後にした。

 扉の閉まる音を聞きながら、カメリアは呆然としていた。


「嘘だ」

 カメリアは胸に抱えている想いに気付いてしまった。


「まさか、私が」

 誰かに恋をするなんて。

 相手はカメリアと同じ騎士で、それに。


(兄上のことが、好きで)

 そう思った途端、カメリアの胸は強く締め付けられる。

 ドロシアが言っていた通りだと思った。

 

 ただひとつだけ違うところは、カメリアの恋はそれが恋だと知った瞬間に終わってしまったところだ。

 カメリアは自分自身に言い聞かせるようにつぶやいた。


「これでいいんだ、私は……」


*****


 そんなつぶやきを、セロイスは扉の向こうで聞いていた。

 セロイスは静かに扉から離れると、ある場所へ向かっていた。


 端から見れば普段と何も変わらないが、廊下を歩くセロイスの足取りはどこか荒いものになっている。


 しかし、そんなことにすら気付かないほどにセロイスは焦っていた。

 セロイスの脳裏をカメリアの悲しげな表情がよぎっていくとともに、セロイスの記憶の中にある一場面を呼び起こす。


「違う、こんなことは……」

 自分の胸のうちに湧き上がってくる想いを、セロイスは否定した。


 ――セロイスが想ってきた相手は、ただひとり。

 たとえ不毛であろうが、叶わないものであろうが。

 ただ、ずっとそのひとりのことを想い続けてきた。


 しかし、今、セロイスの胸を占めるのはその人ではない。

 決して叶うことのない想いに疲れてしまったのだろうか。

 だからこそ、このようなことになっているのか。

 セロイスは困惑していた。


(これでは、まるで……)


 浮んだ考えを否定するように首を横に振ると、セロイスはいつの間にか止まっていた足を進めた。

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