2.2節 実験系の構築経緯

 一ヶ月前の日本,11月のある雨の日のこと。テニスサークル会長の忍野八海おしの はっかいはカタカタとテンポよくキーを叩いていた手をとめ,突然呟いた。

「……金だこが食べたい」

 部室(正確にはサークル室であるが慣習として部室と呼ばれる)にいたほか数名はそれを無視した。彼らの顔には「また会長のあれが始まったよ」と書いてあるし,誰か1人はそう呟いていた。そうした後,峡の方を皆が向くのだった。彼は軽く一息つきそれに応じた。

「うるさい帰れ」

 そのあまりにもあんまりな態度に,部員たちは思わず吹き出す。

「え! ちょっと今の言ったの峡くん!? 私の額に刺さっている氷の剣突き刺しの峡くん!?」

 普段の穏やかな彼からは想定していなかった対応に,八海当人も困惑している。

「はぁ,ちょっと冗談言っただけじゃないすか。それで? 今度はどうしたんですか,会長?」

 そう言って,全く世話のかかる奴だな,と呟きながらも耳を貸した。

「う,うん。気を取り直して着想に至った経緯を語ろう。

 近年の日本は,毎年11月を過ぎたあたりから急激に気温が下がる現象が見られている。幸いなことに,気温低下は翌年3月ごろには緩和するが。仮にこの期間を寒冷期と呼ぶことにしよう」

「いやそれ冬。日本初心者ですか?」

「わざわざ指摘ありがとう。そう,その冬ってやつが問題なの。朝起きたら暗いし,夜ラボを出ても暗い,気温も低いから活性が下がる。なのに社会は動き続ける,ああなんという悲劇か!」

「演説お疲れ様でした。事情は把握しました。つまり,先輩は最近の寒さ故に南の国に想いを馳せていて,海外と言ったら国際線にある成田空港第2ターミナルを連想し,そこの大手たこ焼きチェーンのたこ焼きが食べたくなったんですね」

「うん,驚くほど正確だよ,峡くん」

「では,次のサークル旅行は南国にするってことで,旅行会社で見積もってきます。バリとかでいいですよね?」

「わぁ,峡くん仕事が早い! でもそれについては考えがある。オセアニアにしようと思うんだ。なんて言ったって」

「オセアニアじゃぁ常識,なんですよね」

「セリフをとるなぁ!」

 

 忍野がたこ焼きにありついたのは,それからおよそ 3,000,000秒後のことだった。


 xxx


「それでは,幹部ITインフラ長の昇仙が飛行機離陸の瞬間までの仕切りをさせていただきます。それから先は,イベント長の舞鶴くんにバトンタッチする流れとなりますが,離陸までで何か困ったことがあれば自分に相談してください」

 峡は,空港に集合したサークルのメンバー総勢 30名を相手に今後のスケジュールを指示する。先ほど名前を挙げられたB3(学部3年生)の舞鶴 城まいづる じょうが軽く手を振っている。

 峡たちの所属するテニスサークル “モナド“ でも,他のサークルと同様にサークルの運営に携わるメンバーとして幹部メンバーを毎年決めている。ただ,一般のサークルでは “幹部学年“ を決めているのに対し,モナドでは学年に縛られずに本人の希望か周囲の推薦(,あるいはその両方)で選ばれる。M1(修士1年生)の峡の役割である “ITインフラ長“ は,何かしらの PC 操作を伴う作業を担う役割で,サークルのWebページの更新や SNS のアカウント管理から,なぜか今回のような Web 経由での旅行手続きも含まれる(それは無理があるでしょう,とは代々の IT インフラ長の証言である)。峡の研究分野がら,ITに対して造詣が深いため会長が決定した,後者のパターンである。反対に,先ほど言及されたイベント長である B3 の舞鶴 城は自分から希望した前者のパターンであり,社交的な為人もあり周囲も反対しなかった。彼の仕事は,今回のようなサークルのイベントの仕切りである。また,それぞれの係には,数人の実働部隊が紐付いており,例えば IT インフラ部隊には,B4の月野雫や会長である忍野八海も兼任している。

 サークル旅行は立派なイベントであり,本来なら最初から最後までイベント部隊の仕事であるが,チケットの手配をしたのが峡であり,彼が律儀に「じゃ,離陸までが自分の仕事だ」と自分から言い出してこのような流れとなった。峡が非常に細かい性格であるのはメンバーの誰もが知ることであるため,誰も反対しなかった。


「キョウさん,あいっ変わらず細かいっすね! ほんとは仕切りたがりなんじゃないすか」

 一通りの指示を終えた峡のもとへ舞鶴がやってきた。爽やかにひどいことを言っている。

「それは,聞き捨てならないなぁ,城。Webで相見積もりもできない若者に任せたらどうなるかわからないだけだ」

「それは人生経験の差でしょう!!」

「2つしか違わないんだが?」

「厳密に言えば同い年っす。自分2浪なので」

「……威張るなよ」

「いやぁ,電気に強い先輩に恵まれて幸せダァ,雫さんもそう思うでしょ?」

 舞鶴は,じっとスマホをいじっていた雫にも話を振った。

「私は自分でできるよ? 城くん,これからも人生頑張ってね?」

「人生励まされた!?」

 周囲にいたメンバーが一斉に笑う。舞鶴の2浪自虐からの雫による冷たい対応までが定番のヒトネタなのであった。そして。

「さぁ,みんな。準備はいいかな? それでは飛行機に乗り込もうじゃないか」

 堂々たる口調で忍野がその場を締めた。モナドにおける幹部選出の例外。会長は代々,メンバーの中で最年長のものが行うこと。現在 M1であるが 3度留年している忍野は,最年長らしい風格とカリスマを備えた誰もが認めるモナドの会長であった。

「……口のマヨネーズ拭いてから言えよ」

「……」

 ……誰もが認める会長であるのだった。


 そうして,モナドのメンバーはオセアニアのとある島に向けて出発した。

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