第4章

「今日はありがとうございました。ビーフシチュー美味しかったです」


「こちらこそ、いきなり誘ったのに来てくれてありがとね」



美由紀さんと話をしている間にかなり時間がたっていたようで、腕時計に目をやると時刻は22時を回っていた。


4月とはいえこの時間ともなると、流石に肌寒さを感じた。



「ねえ武政君」



美由紀さんが声を掛けてきた。


僕は彼女のほうへ目をやった。



「今日武政君が話してくれた夢のこととか、武政君がストーカーの男と出会ったこととか、梨花に話してもいいかな?」


「ええ、もちろんです。偶然この部屋に引っ越してきた僕がこういった体験をしたというのも何かの縁だと思うので、梨花さんがよろしければ是非協力させてください」



僕が夢や真浩の話をした後、美由紀さんは僕の夢に出てきた女の子についての話をいろいろとしてくれた。


僕の夢に出てきていた女の子は梨花という名前で、美由紀さんの大学の友人だ。


その子は先月まで僕が現在住んでいる部屋に住んでいて、僕が引っ越してきた日から毎晩見ているあの夢と全く同じ夢を先月まで見ていたらしい。


そしてその夢の出来事を16歳の時に実際に経験したようだ。


梨花さんはその出来事の後から真浩を避けるようになり、彼女が20歳になるまで全く関りをもたなかったそうなのだが、彼から手紙が届いたことにより彼女と彼との関係は幸か不幸か進展し始めたらしい。


彼女は彼をずっと避けていたにも関わらず、彼から届いた手紙をしっかりと呼んだ上で返事の手紙を書き、彼に対して連絡先まで渡してしまったというのだ。


更に驚くべきことは、彼とLINEでやり取りをして実際に会う約束をしたということだ。しかも彼女のほうから。


彼女の目的はいったい何だったんだろうか。


夢で見ているだけの僕ですら理解に苦しみ、不気味さに怯えてしまうような彼のあの言葉を、彼女はどう飲み込み、そのうえでどうして突然会おうと思ったのだろう。


僕は彼女らが会った後どうなったのかを美由紀さんから聞こうとしたが、私の口から勝手に話していいような内容ではない、という理由で断られてしまった。


たしかに梨花さんが安全のために実家に帰ったことを考えると、彼女にとってよほど恐ろしいことが起こったのだろう。彼女に会ったことすらない僕が聞く資格はないかもしれない。



「ねえ武政君、よかったら梨花と会ってみてくれない?あの子実家に帰ってからも怯えてるみたいだし、あの男が大学にいるってわかったらより不安になると思うの。私も同席するから、君が見てる夢のこととか、学校でのあの男の様子とか、いろいろ教えてあげてほしいの」


「はい、僕でよろしければ。ちょうど彼にまた声を掛けてみようと思っていたので、その時に様子をうかがってみます」


「ありがとう!君多分だけどすごく良い子だし、梨花も信用してくれると思うわ」


「また日時が決まったら教えてください。僕まだアルバイトも初めてないので、今月中ならいつでも大丈夫ですよ」


「了解!梨花にこの後連絡してみるから、また決まったらLINEするね!じゃあまた、おやすみ」



美由紀さんは手をひらひらと振りながら部屋に入っていった。


僕も自分の部屋に入り、カーディガンをハンガーにかけた。


身体が少し冷えたし湯船につかろうと思い、僕は浴槽を掃除することにした。

大学に入学してまだ間もない僕だが、まさか始まりがこんなことになるとは予想していなかった。


世の中何が起こるか分からないものだなあとぼんやり考えつつ、小さなブラシで浴槽を磨いた。




・・・・・・・・・・




いよいよ約束の日がやってきた。


朝起きると彼女からLINEが来ており、今日行くお店のサイトのURLが送られてきていた。


僕はそのサイトを眺めながら、彼女のことを考えていた。


突然ことが進展したことに戸惑っているというか、むしろ不信感すら覚えているというのが今の正直な感想だった。


高校時代の3年間一度も目すら合わせてくれなかっただけでなく卒業後も1年以上会っていなかったのに、たった一度手紙を出しただけであっさりと会うまでに距離が縮まってしまった。


手紙を受け取った瞬間は心躍った僕であったが、時間が経って冷静になってみるとだんだん不安に駆られていった。


もしかしたらあの手紙は誰かがなりすましで書いたものなのではないか?

ついさっき店のURLを送ってきたこのLINEアカウントも偽物なのではないか?


考えれば考える程嫌な考えが頭をよぎる。


僕は家を出発する時間まで何にも手が付かず、立ったり座ったりしながら部屋の中をうろうろして過ごした。




集合時間より20分も早くついてしまった。


僕はそわそわと辺りを見渡し、スマホを見て、またキョロキョロする、というのを繰り返した。


本当に彼女は来てくれるのか。


仮に彼女が来てくれたとしたら、彼女は僕にどんな態度を見せるのか。


そうだ、第一声は何と言えばいいんだろう。


今朝から疑心暗鬼気味だったこともあり、実際に彼女と対面することを考えると嬉しい以上の緊張と不安で脳内が埋め尽くされた。



「あの、宮本君ですか?」



後方から聞き覚えのある声がする。


多くの人が行き交う駅前で、懐かしい香りが春風に乗って流れてきた。


僕はビクッと体を震わせた後、顔を声のするほうへ向けた。



「やっぱりそうだ。えっと、佐々木梨花です。久しぶりだね、宮本君。全然変わってないからすぐ分かったよ」


「あ…えっと、あの、お久しぶりです。みやも…宮本真浩です」



何とか返事をしたものの、反射的に言葉を発したせいで呂律が回っていない。


そこにはたしかに、佐々木梨花が立っていた。


16歳の頃に思いを寄せた少女は、4年の時を経て立派な女性になっていた。


ストレートな黒髪のロングヘアーは巻かれてふわっとしており、当時は見られなかった化粧が彼女の顔の美しさを引き立てていた。


しかし彼女の髪の香りは当時と変わらず、笑顔からあふれ出る優しい雰囲気もあの時以上に感じられた。



「宮本君?お店予約してるからそろそろ行かない?」



僕はハッと我に返った。


昨年彼女の大学に時折足を運んで彼女を眺めていたので成長した彼女の姿は見たことがないわけではなかったが、自分のほうを向いている彼女はあまりにも新鮮で、見とれてしまっていたようだ。



「あ、ごめん。えっと、行こうか」


「うん、私が前に行ったことある店だから案内するね」



彼女の様子は至って普通だった。


ずっと関りがなかった雰囲気は微塵も感じられず、最後に会話した16歳のあの日の次の日のような、そんな気がしてしまうほど彼女は自然だった。



「ほら、ここだよ。宮本君ももう成人したんだよね?せっかくだしお酒飲もうよ」



彼女に案内されるままに僕は店に入ると、すぐにテーブル席に通された。


彼女はスムーズにいくつかの揚げ物やサラダ、そしてシャンディーガフを注文した。


僕は正直お酒は飲みなれていなかったが、せっかくお酒を飲もうと言ってくれたのでとりあえずピーチサワーを注文した。


すぐにサラダとお酒が運ばれてきた。


僕と彼女は乾杯をして、互いにお酒を口に含んだ。



「宮本君、今は大学生だっけ?どこの大学?」



僕がひと言目に何を言おうかと思考を巡らせていると、先に彼女が口を開いた。



「うん、大阪の大学だよ。まあ、私立だし…そんなに賢いとこじゃないけど。あの、佐々木さんは阪大なんだっけ?僕の大学たしか近くだよ」


「えー、私の大学知ってたの?」


「あ、えっと、高3の時教室で話してるのが聞こえて…受かったって言ってた気がしたから…」


「あ、なるほどね!よく覚えてたねえ。ていうか私の大学の近くなら地元から遠いし下宿だよね?家も近かったりするのかな?」


「ああ、うん、かもね」



大学に進学してから彼女をこっそり追っていたので僕は彼女の家の場所は把握していたし、自分の家とそれなりに近いことも知っていた。


しかしそれを悟られてはならないと思ったので、僕はうっかり口を滑らせないよう緊張感を持って彼女の言葉に耳を傾けた。


彼女はサラダを取り分けながら他愛もない話を続けた。



「ああ、あそこのおっきな大学かあ。あそこ広いしほんとに人多いよね」


「うん、2年目なのにまだ慣れないよ」


「広い大学って魅力的だけど大変だね。そういえば宮本君ってたしか陸上部だったよね。今も続けてるの?」


「いや、もうやめたんだ。今はバイトしかしてないよ」


「やめちゃったんだ。まあ練習キツそうだったもんね」



なんだろう。本当に自然だ。


ずっと避けられていたはずなのに、それが全く感じられない。


彼女の久しぶりの会話は本当に幸せだが、あまりにも普通過ぎて呆気に取られてしまった。


そういえば、まだあの日の出来事の話や僕から送った手紙の話は一切していない。


僕は今日彼女と会う目的をついつい忘れかけていた。


僕はあの日のことを彼女に直接詫びたいと思っていたのだ。


そして彼女も僕に謝りたいと手紙に書いていた。


そうだ、その話をしなければ。よし、僕から切り出そう。



「あの、佐々木さん」



彼女がシャンディーガフを口に含んだタイミングで僕は話を切り出した。



「ん?どうしたの?」


「あの、手紙の返事をくれてありがとう。僕、まさか返事をもらえると思ってなくて、本当に嬉しかったんだ」



彼女は少し真剣な顔つきになった。


ついに彼女とちゃんと話ができる機会に巡り合えたのだ。


僕は破裂しそうな心臓の鼓動を身体全体で感じつつ、話を続けた。

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