(5)

 〈マモ~レ〉。


 何という力強い響き。俺たち地元民にとって、この四文字は特別な意味を持つ。頼れる存在。市民の憩いの場。雨の日も風の日も灼熱の夏も吹雪の冬も。いかなる時もカスタマーを拒否することなく、温かく迎え入れてくれるのだ。年中無休だからな。


「遠くから見てもすごいだろ! モダニズム建築って感じで!」

「ただの箱じゃない」

「三階建てだぞ! 三階は駐車場だけど。中もすげえ広いんだよ! 他県も含めてこの地域で最大級の敷地面積だぞ! 店も170とか入ってるんだぜ!」

「別にいいんだけど、このネーミング何とかならない? 田舎の建物によくある感じの、変なダジャレセンス」

「分かってないなお前も。この名前には深~い意味が込められているんだ! 地域密着型モールなんだ。東京とかそこらのどこにでもあるキンタロ飴みたいな出店でみせとはわけが違う。日本全国唯一無二の存在だ。地域社会の温かい伝統を守り抜くという、固い決意が込められているのだよっ」

「そう? どこにでもあるモールにしか見えないけど。あんまり値引きしないで会社の利益を守り抜くって意味じゃないわよね?」

「・・・」


     *


 俺は昨日のように思い出す。〈マモ~レ〉が俺の人生に降臨した、あの日のことを。


 それまで店といえば、繁華街の古い商店街と老舗のデパートぐらいしか、この街にはなかった。デパートは一階が化粧品売り場で、どどんと銀色のエスカレーターが真ん中に鎮座するという昭和な造りで、悪くはないけど、正直、おばちゃんが喜び若者が気落ちするという雰囲気。そこへ〈マモ~レ〉が、ど~んと殴り込みをかけた。郊外型・超弩級・巨大ショッピングセンター!


 小学生の俺は、田んぼのど真ん中に着々と積みあがってゆく三次元骨格を、感嘆と羨望の眼差しで毎日見上げたものだった。開店予定日をカレンダーに書き込み、その日を指折り数えて待った。前日は一睡もできなかった。当日は、開店2時間前に、家族総出で車に乗り込んだ。父も母も興奮のあまり目が血走っていた。姉は折込チラシを固く握りしめていた。普段は車通りの少ない県道が、地平線の彼方まで埋め尽くされていて、駐車場の入口にたどり着くまでに5時間かかった。中に入るまでにさらに4時間待った。


 トイレはどうしたんだっけ? そうだ。姉が先に、渋滞中の車から飛び降り、走って〈マモ~レ〉の中へと消えていったんだ。しばらくして帰ってきた姉に向かって、父と母が同時に叫んだ。


「どうだった!?」


 姉は上気した顔で眼をらんらんと輝かせ、


「すごかった。・・・広かった! トイレもきれい!」


 俺たち三人は同時に叫んだ。


「うわあああああっ」


 やっとのことで、ガラス張りの自動ドアから中に入ったとき、俺の目に天国が見えた。輝く床。輝く天井。遠く消失点まで続くモール。迷路のようにどこまでも延び、次々に繰り出されるテナントへとカスタマーをいざなう、おとぎの森のような通路・・・。


 俺は泣いていた。父も母も姉も泣いていた。モールを埋め尽くす、全ての客が泣いていた。掃除のおばちゃんも泣いていた。警備のおじちゃんも泣いていた。みんなで肩を組んで、声を揃えて歌った。


 楽しいマモ~レ! おいしいマモ~レ!

 ボクもワタシもにっこにこ!

 パパもママもにっこにこ!

 おじいちゃんもおばあちゃんも!

 太郎くんも花子さんも!

 みんなで楽しくお買い物!

 みんなぽかぽか! 笑顔がぽかぽか!

 とっても楽しい ぽかぽか広場!

 とっても嬉しい みんなのマモ~レ!


     *


「ちょっと! やだぁ。また泣いてるの? 私、そんなひどいこと言った?」

「・・・いやそうじゃなく。ちょっと思い出しちゃって」

「・・・辛い人生だったのね・・・」


 ミカは同情のこもった眼差しで俺を見ると、正面の自動ドアを指して、


「ここから入るの?」

「いや、自転車屋は新館の方だな。西口。右の方」

「詳しいのね」

「当然です。目をつぶっても行けます」


 ぐるっと建物をまわって西口から入ると、スポーツ屋はすぐだった。はあ~。やっと、お役御免。ほっとしてチャリを下ろすと、売り場のおじさんは、美少女と高級チャリの組み合わせとあって、めっぽう親切だ。


「いや~これはまた。かな~りやっちゃったね~。怪我はなかった? 良かった。大丈夫! ちゃんと直しときますよ。う~ん、部品交換は、・・・まあ要らないかな。たぶん。料金は・・・そうねえ・・・いいよサービスで今回は。できたら連絡しますね。お名前と電話番号、ここに」


 俺は、ミカが修理伝票に書き込んでいるのを横目で見ながら、将来は自転車屋になろうかなと考えていた。だって、喉から手が出るほど欲しい個人情報が、こんな簡単にゲットできちゃうんだから。おじさんは、プロの目で詳しくチャリのダメージを検討しつつ、ミカとのお喋りも楽しくてしょうがないって感じで、ハイテンションが続く。


「・・・うん! これだったら、明日の夕方にはできてるかな。たぶんね。ここ夜8時までだけど、大丈夫? 遅くなるんなら、裏の勝手口開けとくから、勝手に持ってっていいよ。いやあ、部活の生徒さんとか、勤め人とか、よくいるんだよ。閉店までに来らんないけど、どうしても今日じゅうに取りに来たいって人が」


 お礼を言って店を出たとき、俺は、地域社会の温かみを感じて胸がいっぱいになっていた。尊いぞ相互信頼社会。性善説バンザイ。東京じゃ、こうはいかんだろ。あっちは泥棒メインだからな。


 ミカは、ぼそっと言った。


「不用心ね。田舎は」


     *


 自動ドアを出ると、日がもうだいぶ傾いていた。ママチャリを前に、俺ははたと迷った。俺たちふたり。チャリ一台。ミカにまたチャリを貸すとして、俺、帰りはどうしようか? またしても歩きってのは、さすがにしんどい。だが、バスは繁華街を通るのでかえって遠回り。近くにJRの駅もあるが、1時間に1本だ。う~む。・・・今思えば超大胆だが、疲れ果てていた俺は考えるのも面倒になって、何のためらいもなしに言った。


「晩ご飯、食べてく? まだちょっと早いけど。ここレストランいっぱいあるよ。・・・フードコートとか。・・・マックでもいいけど」


 分かります? お嬢さまの顔色をそっとうかがいつつ、遠慮してどんどんグレードを下げていく謙虚な姿勢。我ながら泣けますね。しかし「おごってあげる」の一言を、一瞬でも期待した俺がアホだった。ミカはさらりと、


「いい。うちで食べるから」

「あ。そう(深~いため息)。・・・じゃ、帰りどうする? また俺のチャリで行く? 暗くなるとあれだから、先に行っていいよ。俺は、ゆっくり帰るから。時間が合えばJRもあるし。・・・あ。でも、ひとりで道、分かる? 来た道覚えてる?」

「・・・えっと。あんまり自信ないかなあ・・・でも、マップ見て行けば、なんとか・・・」


 うん。確かに、あちこち曲がりますからね。迷子になっても人は歩いてないし。でもまあ、今どきスマホあれば無問題でしょ。「迷子」ってのもそろそろ死語かな。と、ミカは急に思いついたらしく、


「私が後ろに乗ればいいじゃない! ほら。こんな風に」


 言うが早いか、両脚を揃えて、さっと荷台に乗ってみせた。この姿がまた、ほれぼれするほど絵になっている。可愛らしい膝――そしてちらっと覗く包帯――も、極めて良いです。いや変な意味じゃなく。


 だが美の鑑賞はそこまで。俺の中の常識人がただちに浮上してきた。


「いやそれ無理だから! そもそも二人乗りって違反だし。それにその体勢、手でつかまるとこないだろそれ。危ないよ」

「大丈夫よ。ちょっと乗って漕いでみて」


 もうめんどくさい。俺は言われたとおりに乗って、用心しながら、ちょっと試しにゆっくり漕ぎ出した。後ろでミカは、荷台の端とかサドルの端とかを危なっかしく掴んでいるご様子。だめだこりゃ。言わんこっちゃない。こんなのできるのは、ラノベかアニメの中だけだよ。


 案の定、手が滑ったらしく「ひゃあっ」と叫んで、いきなり俺の腰にしがみついてきた。仰天した俺がブレーキをかけると、物理法則どおりに、彼女の柔らかな体が俺の背中に押し付けられた。


 物理法則どおり、俺の鼻血が27メートルほど上空へ噴き上げた。と思う。ぶはっ! もうこのまま、地獄の果てまで漕いで行けるぜっ! ・・・だが、俺はあくまでも常識人であり法令を遵守する小市民――これもう言いましたっけ?


「だだだめだよこれ! あああ危ないからっ。違反だからっ。お巡りさんに怒られっからっ」


 俺はしどろもどろに法律の大切さを説いた。ミカはひょいと飛び降りて、


「大丈夫だって言うのに。お巡りさんどころか、人っ子一人いないんだから」


 ミカさん、なんか顔赤くないですか? 気のせいかな。


「絶対大丈夫だ、ってときに限って出てくんのが、お巡りさんの定義なんだよ」


 それでもミカは、なおもしぶとく違法行為を教唆し続けていた。が、とうとう折れて、


「分かったわよ。もう。融通がきかないわねあなたも。・・・また自転車お借りするのはありがたいけど、鍵を返さなくちゃいけないでしょ。おうちの郵便受けにでも入れればいい?」


 いや、別に、鍵挿したまま俺んちの前に放置してくれれば、それでいいんだけど。そういう発想は東京人にはないのかな。泥棒メイン(以下略)。・・・ん? だが待て。ミカだって、チャリがなければ明日困るんじゃないか?


「俺のチャリはそのまま使ってていいよ。修理戻ってくるまで。せっかくサドルの高さも合わせたんだし」

「え? でもそれじゃ、あなたが困るじゃない。明日とか。学校行くのに」

「バスで行くから」

「でも、さすがにそれは悪いから――」

「いいよ別に。雨なら普通にバスだし。それに今回は、俺があそこでぼけっと突っ立ってたのが悪いんだから。だろ? ね!」


 痛烈な皮肉です。いや皮肉のつもりでしたが、受け手にはそのメッセージが一切伝わらなかったのが無念です。


「そうよね! やっぱりあなたも、そう思うでしょう? 分かればいいのよ。じゃあお言葉に甘えて。自転車、お借りしちゃうねっ」


 だがここで、ミカは驚愕の行動に出た。


「今日はいろいろありがと! ほんと助かっちゃった。これ私のライン。山本くんのも教えてくれる?」


 差し出されたスマホのQRコード。俺はあっけにとられた。いいのかミカ! こんな簡単に個人情報を! チャリの件が片付いてほっとしてるのは分かるけど、もし万一、俺が変態レイプ魔だったらどうするんだ! ・・・それよりどうして俺の名を? もしかして、俺ってけっこう有名なの? 南高女子の間で?


 驚いた俺の顔を見て、ミカは、いたずらっぽい瞳をきらりと輝かせた。


「さっき、表札見た」


 ・・・ですよね。


     *


 ママチャリで、颯爽と走り去ってゆくミカの後ろ姿を見送りながら、俺はすっかり良い気分に浸っていた。


 俺って、なんていい人なんだ。それに、人に親切にすれば、自分にもきっと良いことが返ってきますね。その証拠に、なんとあのミカちゅわんが、振り向いて手を振ってくれたよ!


 だがこのとき、俺はまだ知らなかったのだ。この日を境に、平凡だが順風満帆だった俺の人生が、鋭利なヘアピンカーブを描いて、とんでもないデコボコ道へとまっしぐらに転落していくのだということを。


**********


 書いてる時の作業BGMは ClariS 「I'm in love」(名曲! 甘くて切ない)。脳内妄想アニメのEDですね(泣)。


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