第52話 幼馴染みにヨシヨシされた件

「ほら美月。元気出せよ。ピザの出前届いたぞ」


「……うん、ありがと」


「おいおい、祝勝会ムードどこ行った?」


「……とっても焦げた」


「まぁ、予想はついてたよ」


「……和くんのいじわる」


「大丈夫だ、俺もカップ麺が精々だ」


 さっそく届いたピザを机の上に開けば、今まで沈んでいた美月の顔がぱぁっと輝いた。


 本当にジャンクフードに飢えているんだな……。


 だがまぁ、気を取り直してくれて何よりだ。


 台所のブツを隠すようにして、俺はリビングの扉を閉める。

 事件はたった30分間で起こってしまった。



 『和くんはお部屋でゆっくりしていてよ!』


 そう言って、意気揚々に俺をリビングに押し込めて台所に立ち始めた美月だったのだが――。


 「ほわわっ!?」「はぅっ!? 何で燃えちゃうの!?」「いったぁぁぁぁい!!」「これ砂糖だ……」


 程なくして聞こえてくる、ドッタンバッタンガッチャンゴッチャンとした慌ただしい物音と焦り声は、とても順調とは程遠いものだった。


 最後は音が静まったかと思えばすぅっと、申し訳なさそうにリビングの扉が開き――。


『和くん、おもてなし料理……なくなっちゃった……えへへ……』


 台所に並ぶ真っ黒焦げたナニカ・・・の数々。

 結局、おもてなしをされる予定だったが少し目を離した隙に食材が魔改造されていた。

 フライパンからはぷすぷすと黒い煙が上がり、色取り取りだった食材たちは全て黒に染まった。

 しわがれたピンク色のエプロンと、ぶらんと垂ら下がる包丁を持った右手。

 そこから漂う美月の悲壮さは目も当てられない様子だった。


 口は笑っていたが、目は今にも泣き出しそうになっていた美月。

 それでも自分の心を必死に押し殺して何とかして俺に謝ろうとするその姿は、何とも痛々しいものだった。

 

 ――だが、俺は既にこうなることをある程度は把握していた。


 美月が台所で作業をし始めていたその時にはもう出前を頼んでいたのだ。

 アイドル一筋で生きてきて、身の回りの全てを周りにやってもらうしかなかった美月だ。

 掃除能力が壊滅的だったことから、それなりには予想出来たことだ。


『安心してくれ美月。俺は既に出前のピザを頼んでる。今日は美月もたくさん頑張ってくれたんだから、俺だけじゃなくて二人の祝勝会だろう?』


『……ふぇ? ピザ? ホント?』


『あぁ、ホントだ。この前はハンバーガーだったからな。それまではチーズ春巻きと鶏皮チップス食べようぜ。美月何食べる?』


『ナッツ! ナッツ食べる!』


『急に元気だなお前』




 そんなわけで俺と美月の祝勝会は、"美月手作り料理会"から"いつも恒例ファストフードの打ち上げ宅飲み会"になったってことだ。

 俺はいつもの角ハイボールを、そして美月に缶チューハイを手渡した。


「それじゃ、気を取り直して。美月の帝都音大ステージお疲れさまを兼ねて」


「……っ! 和くんの祝勝会を兼ねて!」


「「かんぱい!」」


 カランと缶を付け合わせたと同時に、美月は両手に持った缶を思いきりよく音を立てながらコク、コク、コクと煽り始めた。

 美月と飲むのはこれで2回目だが、相変わらず最初は飲みっぷりが良い。


 ……いや、飲みっぷりが良すぎるから前回は早々に酔って離脱していたのかもしれないな。


 酒は空腹状態で煽ると一気に酔いが回る。

 特に美月のような、そこまで酒に強くない人は特にだ。


「ほら、ちゃんとお酒以外のものも食べる」


「はーい」


 日中の疲れと気の緩みもあるのか、美月の目はもうとろんと溶けかけている。


 ナッツを手に取りカリッと囓ると、なぜか美月が物欲しそうにこちらを見つめる。


「……ったく、仕方ないな」


「はむ」


 まるでご飯を待つ雛鳥のような美月の口の中に、カシューナッツを放り込む。

 コロコロと頬で転がしながら、美月は満面の笑みを向ける。


「おいひい!」


「……んじゃこれも。くるみかな?」


「はむっ」


「今度はピスタチオ」


「はむっ、はむっ」


 ぽとりとナッツを口の中に落とす度に美月のポニーテールがふわりと揺れる。

 コロコロと口の中で転がしているからか、白い頬が一部分だけぷっくりする時がある。

 試しに頬をつついてみればひゅぽっと指ごと吸い込まれる弾力がある。



 困った。

 あまりに可愛い。

 癖になりそうだ。

 一生続けたい仕事No1だ。


 ふと、酔ってもいないのに理性を吹き飛ばしそうになった俺はテレビのリモコンを手に取った。


「お、美月だ」


 地元テレビ局では、こちらでもまたトゥルミラ特集が行われていた。

 キリッとした目つきながらも、ピアノの音に合わせて可憐に清廉なオーラを纏う姿は、まさしく正統派アイドルだ。

 どこか帝都音大にも似た雰囲気のあるステージに集まった観客の盛り上がりも相当なもので、熱狂的とも言える程だ。


「やっぱ美月、凄いんだな。こんなに人集めて……」


 角ハイボールをぐびりと喉に通しながら、俺は自然と呟いていた。

 

「もー、何言ってるの和くんってば!」


 美月が指さしたステージの隅っこには、忙しなくピアノを弾いている人物がいた。


「和くんだよ? こんなに多くの人たちを集めたの」


 ――そのピアニストは、俺だった。

 

「……は?」


「和くんのピアノが、私と――こんなにも大勢の人たちの熱を付けたんだよ」


 目と耳を凝らせば、テレビの中で自分の音楽が流れている。

 まさしくそれは、第4会場での俺と美月のライブ映像だった。

 地鳴りのような歓声や、息ぴったりの合いの手。

 流れるように続いていくピアノの音色と、美月の歌声、そして観客の盛り上がりは見事なまでの調和を取っていた。


 今日のライブは、確かに俺にとって成功だった。

 ピアノステージから見ていた景色は、見渡す限りの人だったしそこで踊る美月は過去一番に光り輝いていた。


 だが、そんなものは序章に過ぎなかったのかもしれない。

 テレビクルーの空撮によって得られたこのライブ映像は、俺が思い描いていたそれの比を遙かに超えていた。


 テレビの中の映像にあまりに呆気に取られていた俺の頭を、美月はポンポンと優しく撫でてきた。


「これだけの人の心を動かしたんだから、やっぱり今日は和くんの祝勝会だよ」


 ライブ映像は終わらない。

 ステージの上に華々しく立つ美月と、がむしゃらにピアノを弾く俺の姿を遠くから映し続けている。


「今日はわたしの夢の一歩が叶った日になったの」


 そう言う美月の腕に引っ張られて、俺の顔はぽすりと彼女の胸の中に落ちていった。

 ぎゅっと温かい感覚が身体を包み込む。


「和くんが全力で弾いたピアノに、私が全力で応えて。そんな私たちが楽しい姿を見て、色んな人が元気になってくれたらなって、ずっと思ってたから。今日、すっごく楽しかったもん」


「……そうだな」


「だからね、わたし今幸せなんだ」


 美月は俺の頭をヨシヨシと優しく撫でながら、感謝の言葉を口にした。


「和くん。私をこんなに幸せにしてくれて、ありがとう」


 あまりにも温かくて、あまりにも優しいその言葉に思わず鼻の先がツンとする。


 身体の力がふっと抜けていく。

 完全に身体を委ねきった俺を、美月はさらに強く抱きしめてきた。

 ふわりと美月から香る女の子特有の甘い香りに、俺は既に抗う余力など残っていなかった。


「……礼を言わなきゃいけないのはこっちの方だってのに」


「うん」


「……ピアノ弾いて、満足したことなんかなかったのにな」


「うん」


「……そっか俺。ピアノ弾いてて、良かったんだな」


 美月の表情は見えなかった。

 だけども、彼女は小さく「えへへ」と純粋な声で笑っていた。


「うん。今日はお疲れさま。そして、おめでとう。和くん」


 美月の温かな声と手の平のなかで、時間は穏やかに過ぎていったのだった。

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