Travelogue


 君は食事をする際、便所で飯を食うか?

 食わないだろう。誰だって食わない。僕だって食わない。

 家で食事を摂るのであれば、リビングや自室、或いは料理を作ってそのままキッチンで食べる事もあるだろう。外食であれば言わずもがなだ。

 そう、食事をするときにわざわざ便所に行って食うやつなどいない。当たり前の話だ。折角の飯が不味くなってしまうからな。

 飯を食うのであれば、それに適した場所で食うのが当たり前だ。ムード、いわゆる雰囲気とロケーションは食事に対して大きく影響を与える。

 同じものであっても、何処で誰と、どういう風に食べるかによって変わってくるものだ。

 もちろん食事に限った話ではない。どんな事であれ、ムードやロケーションは非常に大切にしなければならない。そうだろう?



 深夜1時。

 気取った表記をするのであれば、25時だ。

 今現在僕は車を走らせている。時速は70キロ、法定速度を順守している。偉いだろう?もちろん高速道路だ。

 数分前、僕は自宅から最寄りのICを経由して、高速道路に乗った。深夜なので車の往来はほとんどなく、スムーズに車を走らせることが出来た。おかげで間もなく目的地に到着する。なんならもう見えている。

 SAを示す看板に従い、車を減速させながら左へ入る。うっすらと街頭に照らされた狭い駐車場には、大型トラックが1台だけ停まっていた。

 トラックが停まっている所から一番遠い駐車場に車を停め、車内に財布を放置したまま車から降りた。

 防犯上問題があるとは思うが、今この状況においては別に問題ない。こんなクソ田舎のSAに来る人などいないだろう。深夜ならなおさらだ。トラックの運転手に関しては、さっき運転席で寝ているのが見えたので大丈夫だ。そもそも僕の財布には今255円しか入っていない。255円しか入っていない財布を盗まれたところで痛くもかゆくもない。だから問題ない。

 車の鍵を掛けた事を確認し、雑にポケットの中にキーケースを放り込む。心地よい風を感じながら、僕は僅かに光を放つそこへと足を進めた。僕の目的地はそこなのだ。そこしかない。売店なんぞに用はない。そもそもこの時間だと売店は閉まっている。深夜にわざわざ自宅から車を走らせ、金を払って高速道路に乗りSAまで来たんだ。やることなど1つしかないだろう。

 四方をアクリル板で囲まれたその空間に足を踏み入れた瞬間、僕は何とも言えない高揚感に包まれた。

 そう、これだ。僕が求めていたのはこれだ。

 安っぽい蛍光灯で周囲を照らし、周りからガン見えの透明なアクリル板に囲まれたこの空間こそ僕の求めていた場所だ。

 深夜のSAの喫煙所に一人。

 喫煙をするにおいて、これほどまでに完璧なシチュエーションが存在するだろうか。否、存在しない。異論は一切認めない。聞きもしない。

 胸ポケットからタバコを取り出し、火をつける。吐き出された煙がしばらく踊って、やがて夜空に消えた。完璧だ。普段職場の喫煙所や、自宅の換気扇の下で吸うタバコの100倍美味い。SAの敷地の端にあるこの空間は、今僕にとってどこよりも落ち着く空間となっている。

 車を走らせ、金を払う価値がここにはある。

 風通しが良く、「お前らみたいなヤニカスは惨めに吸ってろ」と言わんばかりの端っこに追いやられた立地、日に数回しか清掃していないであろう汚れたスタンド灰皿、全てがパーフェクトだ。

 ただ一つ、たった一つだけ問題を挙げるとするならば、今駐車場に1台の軽自動車が入って来たことだ。眩いヘッドライトを泳がせて、軽自動車は僕の車の近くに停車した。これは由々しき事態だ。もちろん僕が心配しているのは、財布の事ではない。この場所の事だ。

 なぜ僕がわざわざ深夜に車を走らせたか。深夜ならば人がいないと思ったからだ。そう、僕は一人でここでタバコを吸いたいのだ。案の定僕はこの喫煙所を独占することが出来た。それがどうだ?今まさに僕の平穏が脅かされようとしているではないか。これはどういう事だ?責任者を出せ。

 だが焦るのはまだ早い。

 二本目のタバコに火をつけ、僕は考える。あの軽自動車の運転者が、何故こんな深夜にこんな田舎のSAに来たのかを考える。

 可能性として一番高いのは、恐らくトイレだ。

 あの運転者はどこかに向かう途中に催し、排泄するためこのSAに来た可能性がある。売店での買い物ってのは考えにくい。

 二つ目の可能性は、自動販売機だ。

 このSAには、喫煙所の近くに自動販売機がある。そこで飲み物を買うためにここに来た可能性がある。が、その可能性は割と低い。

 なぜなら、僕が車を停めている場所、即ちあの軽自動車が車を停めたところは、トイレに近い場所なのだ。

 自動販売機で買い物をする気があるのであれば、自動販売機の近くに車を停めるはずだ。だが、運転者はトイレの近くに停めた。これはもうトイレに行く以外ありえない。もしくは単に運転で疲れた体を休めるために来たのかもしれない。

 が、いずれにせよ僕の心配は杞憂で終わりそうだ。

 そもそもわざわざSAにタバコを吸いに来る人間なんて、僕以外いないだろうし、仮にいたとしてもごく僅かだろう。そうだ。この喫煙所に軽自動車の運転者が来ることはない。来るはずがないんだ。この喫煙所は今僕の物だ。心配なんてする必要がない。そうだろう?故に僕はこのまま三本目のタバコに火をつけても全く問題がないわけだ。


 運転席から人が出てきた。辺りが暗いのでよく見えないが、体格からして恐らく女性だろう。鍵を掛けた際、ライトの点滅で少しだけシルエットを捉えることが出来た。さぁさっさとそのままトイレに行って用を足して目的地に向かうと良い。深夜の運転は疲れるだろう。こんな時間にどこに行くのかは知らないが、安全運転で無事たどり着くことを祈っているよ。だからさっさとトイレに行け。こっちに来るな。なぜこっちへ向かってくる?トイレは逆方向だぞ。場所が分らないのか?案内表示がないとはいえ、こっちにトイレがない事くらい分かりそうなものだが。あぁ、自動販売機か?先に飲み物を買うつもりなのか?きっとそうだ。恐らく遠い所へ向かっているのだろう。このSAを通り過ぎたら、しばらくPAもSAもない。飲み物を補充しておくのは賢明な判断だ。おい、なぜポケットに手を入れる。その薄いパーカーのポケットには何が入っているんだ。手を入れなければいけないほど寒くはないぞ。気温は15℃くらいあるだろう。頼むから取り出さないでくれ。こっちに向かって来ないでくれ。ポケットから取り出したタバコを咥えながらこっちに来るのは辞めてくれ……

 

 終わりだ。

 終わってしまった。

 あろうことかこいつは僕の聖域を荒らしに来たらしい。女性は喫煙所の出入り口から一番遠い場所、僕が喫煙をしている反対側へ入り込み、タバコに火をつけた。

 まぁ公共の施設ではあるので、僕の物ではないのだが、それにしても腹が立つ。三本目のタバコに火をつけてから時間が浅い。必然僕もこいつと一緒に喫煙をしなければならない事になる。仕方ない、物足りないがさっさと残りのタバコを吸って今日は帰るとするか。運が悪かったのだと諦めるしかあるまい。


「ここ、良いよね」

 不意に声をかけられ、僕はうっかり手に持っていたタバコとライターを落としてしまった。

「そんなにビビらなくてもいいじゃん」

「……別にビビった訳じゃない。びっくりしただけだ」

 落としたタバコを拾いながら僕は返した。

「どう違うの、それ」

「唐突に声をかけられたが故に、反射的に体が防衛反応を起こしてその結果タバコが落ちただけに過ぎない。だから僕は君にビビったわけじゃない」

「世間ではそれをビビると言うのでは?」

「うるさい。僕に何の用だ?」

「別に用はないよ。ただこんな時間にここにいる人が珍しいから、声をかけただけ。強いて用を挙げるとするなら……世間話かな」

 ケタケタと笑いながら女性は言う。

「私ね、最近ちょくちょくここに来るんだ。ここの喫煙所の雰囲気がなんか好きなんだよねー。特に真夜中は。お兄さんは結構来るの?それとも今日たまたま来たの?」

 驚いた。この女性も僕と同じ理由でここに来ていたとは。そう言われると少し親近感が湧かないでもない。さっき心の中で来るなと念じ続けていた事を、心の中で謝罪した。

「君と同じ理由だよ。僕もここの喫煙所が好きなんだ。まぁ厳密には深夜のSAの喫煙所という空間が好きなんだけどな。喫煙するにおいて、これほどまでタバコの魅力を引き出せるシチュエーションはないと僕は思っている」

「中々ロマンチックだね。って事はお兄さんもちょくちょくここに来てるんだ?その割には初めて会うよね」

「君の言うちょくちょくってのがどれくらいの頻度を指しているのかは分からないが、月に数回程度だ」

「あぁ、そりゃあ会わないわけだ。私も月に数回だもん」

「そうか、君は大体どの日に来るんだ?曜日とかは決まっているのか?」

 吸い終えたタバコを灰皿に捨てる。それと同時に女性が二本目のタバコに火をつけた。

「なんでそんな事聞くの?私に会いたいの?」

「もちろん君と会わないようにするためだ。今日みたいに君が週末来ているのであれば、僕は週末は来ないことにする」

「酷い事言うね」

「別に酷くない。さっき言ったろ?深夜のSAの喫煙所というシチュエーションで吸うタバコは最高なんだ。だがそれは大前提として一人でってのがある。僕は誰かとおしゃべりする為にここに来ている訳じゃない。一人でゆっくり楽しみたいからここに来ているんだ。勿論誰かと話をしながら吸うタバコも嫌いじゃない。現に今こうして君と話をしているからな。でも僕は一人でここを楽しみたいんだ。君に来るなとは言わない。ここは公共の場所で、君だって僕と同じくこのシチュエーションでの喫煙を楽しみにしているのだろう?なら君は君で、僕は僕で楽しめばいい。干渉し合う必要はない」

「めんどくさい人だね」

「よく言われるよ」

「でも残念。私は別に決まった日に来てるわけじゃないよ。完全に気まぐれさ。もしかしたら明日も来るかもね」

「なら明日は来ないことにする」

 僕とこいつの違うところは、こいつは人がいてもいいという所だ。

 僕は人に居てほしくない。一人でこのシチュエーションでの喫煙を楽しみたい。しかし、こいつは違う。人がいても気にしないし、なんなら人がいた方がいいとさえ思っている。だからこそ僕に話しかけてきたのだろう。が、それに付き合ってやるつもりはない。

「帰るの?」

 ポケットから車の鍵を取り出し、喫煙所を出た僕に声がかかる。

「ああ、帰る」

「私が来たから?」

「そうだ」

「……もし次会えたら今度はゆっくり話してくれる?」

「さぁな」

 ぶっきらぼうに返事をして、速足で車の元へ歩く。

 車に近づき、リモコンでロックの解除ボタンを押すと、ヘッドライトが2回点滅して僕を迎えてくれた。

 運転席に乗り込み、エンジンをかける。カーナビの時刻は1時30分を示していた。

 車を走らせる前に、念のため財布の中身を確認した。きっちり255円入っていた。増えてもいないし、減ってもいない。

 ライトをつけて、ゆっくり車をSAの出口へ走らせる。やがて合流口が見え、誰も走っていない高速道路に合流した。

 自身の車が奏でるエンジン音を聞きながら、僕は帰路に着いた。そしてそこでライターを拾い忘れていることに気が付いた。コンビニで買った、安物の100円程度のライターだ。別に新しいのを買えば何の問題もない。しかし、僕は恐らく明日もあの喫煙所に向かうのだろう。今日と同じ時間に、今日と同じ場所に車を停めて。そしてこれも恐らくだが、さっき拾い忘れたライターも戻ってくる。

 そんな気がする。


 

 

 

 

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