第21話

 部屋の入口に立っていたのは白衣を着た男。

 シミの多い肌、白髪混じりの無精髭。容姿から推定するに四〜五十代の中年男性。

 いや、そんな事より。と京太郎は口元を覆う。

「熊谷先生、研究がひと段落したんですか?」

「ああ、冬薙くんが能力検査を実施したというから見に来たんだが……相変わらず凄まじいな、彼女は」

 熊谷は自らの髭をいくつか摘みながら顎を撫でる。

 ガラスの向こうを一瞥した千孫は愉快そうに「ああ、いえ」と否定する。

「これをやったのは彼、都くんですよ」

「都、とすると君が噂の……」

 京太郎の事を知っていた様子の熊谷から視線を受けて、京太郎が軽く会釈をする。

「これで魔力不使用だと言うから驚きですよ」

「闘気、というヤツかな?」

「ええ、僕には全く未知の領域です」

「だろうな、知識があるのなら保健医なんてやってないで私の研究を手伝わせている」

「クシナちゃんの病気に関係があるんですか?」

 何気ない千孫の疑問に一瞬言葉を詰まらせた熊谷だったが、前髪を中指で払って深いため息をつく。

「いや、そうじゃない。難病の研究とはいえ罹患者は稀有なもの、つまりは治療法を見つけたところで旨味が少ない。そんな研究にはどこも出資をしてくれなくてな、資金を調達するために他の研究を提出しなければならないんだ。だから研究者はいくら居ても足りないのだよ」

「……苦労されているようで」

「まったくだ。それはそうとサプリメントを貰ってもいいかな、ここ最近は不摂生だったものでね」

「それなら医務室に、行くよクシナ」

 名を呼ばれたクシナがびくりと体を震わせたかと思うと、京太郎を盾に背後へ隠れてしまう。

「はは、どうやら君に懐いているようだね。それならこの施設にいる間、面倒を見てもらっても構わないかな?」

「……ええ、喜んで」

 脚を掴んでいたクシナの手を取り握り返して京太郎は答える。肩に乗るツイナが低く喉を鳴らしているのを宥めていると大人たちは部屋を後にした。

「大変そうだな、研究職ってのも……どうした?」

 肩で息をして中腰の姿勢になった京太郎を不思議に思った椎葉が問いかける。

「いえ……」

「アンタにしては随分とおとなしかったみたいだけれど?」

 観念した京太郎が佇立して、部屋の出入口を見やる。

「普通は見えないんですもんね、アレ」

「アレ?」

「……憑き物、怨霊とでも言えば伝わりますか?」

「なんで言わないのよっ」

 半信半疑の椎葉と違って、霊的存在に疑問を持たないのは鴨脚が京都の名家出身であるからだろうか。

 事態を知らせようと駆け出す鴨脚を、京太郎は腕を掴んで引き留める。

「……本人に伝えなかったのは、その方がいいと思ったからです」

「あんたなに言って……!」

 その時に鴨脚は気づく。京太郎の額に脂汗が浮かんでいる事に。

 戦いの最中ですら疲労を感じさせない京太郎が憔悴を露わにするほどの事態。事はそう単純でないのだと直感する。

 鴨脚は扉に背を向けて京太郎に向き直り、しっかりとその目を見据える。

「話しなさい。私たちにわかるように、ちゃんと」

「…………僕は以前にも言った通り、神主と住職の二足草鞋をしてました。だから霊的存在が見えるんです」

 ツイナを始めて家に迎えた際、祖父がその存在を正しく認識できていた事から霊視は血筋による能力なのだと気づいた。

 母方の祖父であることから亡き母も霊視できたと推測されるが、今となってはわからないこと。

「幽霊というのは基本的に死の直前の格好をしているんです。人であれ動物であれ共通です。だから僕は幽霊と人間の区別がつかない時があるんですが……あの人、熊谷に憑いていた霊はどれも、黒い靄のような形をしていました」

「待ちなさい、どれもって事は一体や二体じゃないのね?」

 鴨脚の指摘に、京太郎は首肯して思い出したくもないと唸りながら答える。

「百や二百では利かない数が憑いていて、そのどれもが呪っているんです。彼を」

「それは……学会の発表とかであちこち行ってるだろうから、そん時に拾ってきちゃってんじゃないか?」

「いいえ、怨霊とは怨嗟を嘆く者がほとんどで個人を呪う事は怨みながら死にでもしないかぎりないわ。あくまで、彼らは肉体を喪った霊魂であるから肉体を持つ生きた人間に吸い寄せられるだけであって、憑いた人間を呪う事はない。そうでしょう?」

 百点の解答を出した鴨脚に頷いて返す。

「貌を持たず、呪いを撒き散らすモノ。該当するモノがあります、強力すぎて時として災害級の呪物の素材にもされるモノ」

 ごくりと喉を隆起させて椎葉が唾を嚥下する。

 もしかしたら漫画か何かの知識で思い当たっていたのかもしれない。

「……赤子、正しくは胎児です。命を与えられ生まれる権利を剥奪されたもの。それらの念がすべからく熊谷を呪っているんです」

「そっ……それでもよ、生物学の研究者だからなんつーかそういう、命として存在してるけど普通の人間には認識できない状態で、それで意図せず殺しちまう事になってたりさ……」

 必死にそれらしい理由を見つけようとする椎葉。

 特別、熊谷と親交があったようにも見えなかったが違うのだろうか。それとも見知った人間が語るもおぞましい事を犯していたと思いたくないからだろうか。

 どれにしたって、熊谷は尋常では済まない量の命を奪っているのは事実。そればかりは曲がらない。

「きっとこの子も僕と同じものが見えてるから、こんなにも怯えているんじゃないですかね……」

 クシナは熊谷が現れてからというもの、ずっと京太郎の陰に隠れていた。それは彼の去った今現在でも変わらない。

「んなわけ……単に会うのが久々で恥ずかしがってるだけだろ?」

 恥ずかしがっているだけ、たしかにその可能性もあっただろう。クシナは押し付けるように京太郎の脚部に顔を埋めていて表情を見る事はできない。

 だが、羞恥を隠すだけなら人に頼る事はない。あって間もないなら尚のこと。

 震える手で誰かに縋る起因が羞恥だとは、到底思えないのだ。

「それにあの人って昔からこの学園で教師やってんだぞ、冬薙燕の担任で恩師だったらしいし。そうだよ、知ってんだろオマエも、熊谷センセが巨悪だってんなら冬薙燕が見過ごすわけはねェ。そうだろ?」

「……ええ、その通りです。どれだけ秘匿したところで冬薙燕の目を掻い潜る事は難しい。でも、当の冬薙燕は人間です。正義の執行機関ではない。だから時として間違いもするし、情に眼が曇る時もある。それを忘れてはいけないんですよ」

 反駁しようと開口した椎葉だったが、言葉を飲み込み大きく深呼吸をすると両手で額を拭う。

「そう、そうだなその通りだ。冬薙センセは神サマじゃねえもんな、悪ぃ。自分でも驚いてんだけど認めたくねえもんなんだな、知ってる人間がそういう極悪で収まらない事やってるなんて……」

 沈黙が場に押し寄せる。口外するべきではなかったかと京太郎は少しの後悔を抱く。

 その陰鬱とした空気を鴨脚の柏手が破った。

「大の男が戦々恐々とするなどみっともない。疑念を抱くのなら調べなさい。この施設には貴方の手駒となる人間が多数関わっているのでしょう。なら使いなさい、それが上に立つ者の特権です役目です。杞憂に怯えるのはお辞めなさい、事実にだけ恐怖しなさい。反論はありますか黒木椎葉!」

 喝破されるとは思っていなかったのか呆けていた椎葉だったが、やがて意識を取り戻して悪戯な笑みを浮かべる。

「まさか年下のお嬢さんにンな事言われるとはな。ったく俺らしくねえ。紫芳院の言う通りだ、ここで良くねえ研究してるってんなら早いとこ手を引かねえと明るみになった時に責任がウチまで波及する。探りを入れるのは上に立つ人間としてやるべき事だな。ったく随分とイイ女侍らせてんじゃねえか都!」

「はべっ、違うわよバカっ!」

「あんだけ息の合った漫才しといて特に仲良くありませんは通らねえ嘘だぞ」

「違っ、仲良くなんてない! あんたも否定しなさいよ!」

 椎葉に掴みかかった鴨脚が京太郎へ関係性を正しく説明するよう要求する。

「紫芳院さんが良い人っていうのは本当だし、僕は仲良くしたいと思ってるよ」

「なんですか、敵ですか?」

「さっきまで黙り決め込んでたのに余計な時だけ口出すんじゃないわよ!」

 京太郎の肩から身を翻した白狐が煙を纏ったかと思うと人間の姿へと変異する。

「仕方ないでしょう、人間のいざこざに関わり過ぎると上から小言が降ってくるんですからぁ!」

「イチャついてないで機兵の測定室行くぞオマエら」

「イチャついてないっ!」

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