第19話

「つ、燕氏なんでここに?」

「それはこちらの、」

 不意に冬薙が言葉を中断したかと思えば自身の右脚に視線を下ろした。

 京太郎がそれに倣って視線を下ろすと、冬薙の右脚に小さな幼女が引っ付いていた。

 年齢は二桁に満たないくらい。煤けた色の長い白髪に褐の肌。病人が着るような服に身を包んだ華奢な体躯。

 冬薙との関係が見えてこない。

 京太郎が間の抜けた顔を晒しながら幼女と冬薙の関係性を探っていると、当の幼女が冬薙を見上げて口を開いた。

「おかーさん!」

「オロロロロロロロロ」

「ご主人がショックで吐いた!」

 白濁とした液体に混ざって出てくる麺。焼豚。麺。麺。麺。葱。麺。

 京太郎が順調に陣地を広げていると奥から白衣を着た痩せぎすな男が駆けてきた。

「こらクシナ走るな、って大丈夫かい!?」

「ガボッ、ガボッ、ガボロッ」

「ご主人が十二指腸吐いたぁ!」

「吐くわけないでしょそんなもの、ってあんたコレ何吐いたのよっ!?」

 赤黒い物体を吐き終えた京太郎が沈黙したかと思えば、ふと部屋の気温が上昇する。

 すると京太郎の吐き出した一切合切がえた匂いと共に蒸発した。

「あっ、いけませんご主人っ!」

 京太郎の異常を感じ取ったツイナが人型へと転じて護符を取り出した。

「狐っ子が人型になったんだが!?」

「いいからご主人を抑えてくださいまし、そこの優男が死にますよ!」

「僕かい!?」

 椎葉がのしかかっているのもお構い無しに白衣の男へと飛びかかろうとした京太郎の突進はツイナの護符から放たれる青白い防壁によって阻まれる。

「何をしているんだ貴様らは」

「貴女がご主人を放ったらかしにして何処ぞの馬の骨と童児どうじなんてこさえてたから、こうしてご主人が荒ぶっているんでしょう!」

「私が、か?」

 冬薙が足元のクシナと呼ばれた幼女を一瞥すると呆れたように嘆息し、わざわざ言わせるなとかぶりを振る。

「私の子供なわけがないだろう」

 その言葉に、仁王めいた表情のまま京太郎は動きを止める。

「……ホントに?」

「嘘をつく理由が無い」

「ホントのホントに?」

「くどいぞ」

 暫しの沈黙があって、両手で顔を覆った京太郎が赤子をあやす風に手を開帳するといつも通りの表情に戻っていた。

「んも〜やっだぁ燕氏ったらぁ〜、拙僧にヤキモチ妬かせる為とはいえオイタが過ぎるぞっぷんぷん!」

 ぎぴっ、と水っぽい音を発して不可視の鉄鎚に潰れた京太郎の代わりに椎葉が疑問を投げかける。

「それで冬薙センセはなんでこんな所に?」

「能力測定のために呼び出されただけだ。もう帰る」

 幾億通りも存在する固有魔術に於いても冬薙の固有魔術【六合照臨・天涯ゾーン・オブ・コントロール】、重力を操るという単純にして難解、そして優に人智を超えた強力な力は稀有なもの。

 その理屈が解明できれば宇宙工学は多大な飛躍を遂げるとして、本来はどの団体にも所属しない冬薙が特別に研究に手を貸している。

「それはそれはお疲れさんです、んじゃそっちの子は?」

「クシナ!」

「あ、そう、元気ねお嬢ちゃん。別に今のは名前訊いたわけじゃねェんだけど」

「特に関係は無い。測定の度に足を運んでいたら懐かれただけだ」

「じゃあそっちの冴えない彼女寝取られそうなモヤシ……ゴホンゴホン、冴えない豆苗は誰ですかな?」

 まるで今しがたのやり取りなど無かったかのようにケロリとした京太郎が挙手をして大袈裟に冬薙へ問いかける。

 表情こそいつも通りの薄ら笑いではあるが、その瞳に楽観的な感情は宿っていない。

「そっちは科学のセンセ、生物学取ってないと会わねえだろうけど」

 本人の代わりに答えた椎葉が何かあってもいいようにと、さり気なく京太郎の前に出て遮る。

「ハハ、本当は保健医なんだけどね。本来は熊谷先生が生物の担当なんだけど、そっちの分野では名のある人だから忙しくて僕が代理で教鞭を執る事が多いんだ」

「へーん」

「興味無さそうだね、っと名乗りが遅れたね。僕は千子せんじ宗彦むねひこ、さっきも言ったように保健医だから何か困ったことがあったら医務室に来てね」

 よろしく、と差し出された握手の手に京太郎はそっぽを向く。

 あからさまな拒絶の意に、千子は困り笑いを浮かべて待ち惚けを食らった手で首元を抑える。

「心配しなくても僕と冬薙先生にそれほどの交流は無いよ。同じ教職員として最低限、それも戦闘教科の先生方と比べれば皆無に等しい」

「べつに心配なんてしてないんだが? 燕氏の好みはもっと劇画調なたくましい漢で、ファミレスでシーザーサラダ注文してそうな貧弱生物なんてアウトオブ眼中ですしおすし」

「貴様は私の何を知っていると言うんだ」

「本人も知らないホクロの位置とか」

 言い終えるや否や五メートルほど先の天井へはりつけになった京太郎を見て、二人の関係については触れないでおこうと誓った椎葉が話を戻す。

「で、その宗さんはなんで幼女追い回してたんだ?」

「もう少しオブラートに包んだ言い方して欲しいな。クシナは熊谷先生のお子さんでね、特殊な病気を患っているからこの施設で療養してるんだ。それで僕は保健医らしく面倒を見てるってわけさ」

「なるほど、冬薙センセを母親呼ばわりしてたのは?」

「それは……熊谷先生も奥さんも、寝る間も惜しんでクシナの病気について研究しているから滅多に会うことが無いんだ。研究員にも女性は少ないし、頻繁に会う女性である冬薙先生に母性を求めているのかもしれないね」

 ちらりと面々の注目を浴びた冬薙はその意に応える事はせずに視線を受け流した。

「拙僧の事はお父さんと呼ぶように」

「おとーさん?」

「イエス、またはパパ、マイファザーでも可」

「何を吹き込んでんのよあんたは」

 いつのまにか天井から降りてクシナに刷り込みをしていた京太郎の後頭部に鴨脚のヒールが突き刺さる。

「……要件は済んだか?」

「ええ、ばちこり」

「そうか、ではな」

「おかーさんまたね!」

 手を振るクシナを一瞥して、施設を出て行く冬薙。

「相変わらずクールだね、冬薙センセ」

「こと今回に限っては対応に困ってるだけでっせ。ほら、燕氏って母親どころか女性としての立ち振る舞いを求められる事すら稀ですから、いきなり子供に甘えられてもどうすりゃいいかわからんとですよ」

「オマエが居たのにか?」

「……調べたんです?」

「味方に招こうってんだからそのくらいはな、触れない方がよかったか?」

「いえ、別段隠す事でも無しに。拙僧は燕氏に母性を求めた事はござらんので、母親は一人きりで十分ですよ」

 訳知り顔で話す二人に、本人の前では聞けずにいた鴨脚がここぞとばかりに疑問を提示する。

「あんたと、冬薙燕の関係ってなんなのよ?」

「……恩人、ですかね。咫尺天涯しせきてんがいではありますが、拙僧の全てを捧げるに足りる相手ですよ」

 曖昧な表現を嫌う鴨脚が、その抽象的な説明に異を唱えなかったのは、肩に飛び乗った狐姿のツイナを撫でる京太郎の表情が普段の言動とは似つかわしくないほどに、優しげで悟ったような顔をしていたからだろう。

「それで、黒木くんはわかるけどそっちの二人はどうしたのかな?」

 その場に居辛い雰囲気に肩を狭めていた千子が、会話の切れ間を見つけて疑問を提示する。

「ウチの隊に入るんで能力測定させようと思いまして、歩兵と機兵の測定部屋空いてますかね?」

「うーん。機兵の方は空いてるだろうけど、歩兵の方は冬薙先生が測定で使ったままだろうね」

「……ならちょうどいいかもな。見てけよ、我らが冬薙センセの爪痕を」

 椎葉に連れられるがままに着いた部屋では至る所に計器が並び、大きなモニターには内容の読み取れない棒グラフが変動し続けていた。

 部屋は扉を介して奥へ続いていて、ガラスの壁を挟んで奥の部屋の有り様を伺えた。

 部屋は四方形で天井は廊下より少し高く八メートルほど。四隅には測定するためのカメラが赤い光を灯していた。

 部屋の中央部には床と天井から固定された鉄板が繋がれている。

「現存する物質の中で最も硬いとされるダイヤモンド・ナノロッド凝集体と耐熱性に優れるモリブデン合金を錬金術という禁じ手で合成した超ハイブリッド合金、アンオブタニウムの板がこれだ。厚さ一メートルもありゃ核ミサイルが直撃しようと荷電粒子砲が直撃しようと壊れねぇ。バカ高ぇしバカ重いから滅多に兵器運用されねえが間違いなく現状においては世界、いや宇宙最強の金属」

 ガラスに張り付いて部屋の向こうで鎮座する黒桐々とした金属を見上げる京太郎と鴨脚に薀蓄を披露する椎葉。

 だが、そのいずれも二人の耳には届いていない。

 二人の意識がその人類が誇る金属に向けられていたのは確かだが、それはあくまで間接的に。

 呆気に取られていたのはその金属のいかめしさではなく、頼もしさでもなく、高貴さでもなく。

「それをこう・・できる人間なんだよ、あの人は」

「人の身でありながら、つくづく恐ろしいですねぇ」

 椎葉とツイナが讃える。金属に刻まれた、穴の数々を。

 ひとつは点でも穿たれたように切り口は滑らかに。ひとつは引き千切った風に周りを歪ませながら。ひとつは知育玩具宛らに正三角形。

 そのいずれもが向こうの景色が見える。貫通している。

 椎葉の話がなまじ聞こえているからこそ、驚嘆は止まらない。

 冬薙燕が成した事は、それ程までに見た人間に衝撃を与える。

 彼女が調停者を名乗ってからというもの、戦争は鳴りを潜めた。とはいえ戦闘が無かったわけではない。映像記録が無いわけではない。

 冬薙燕が調停者としてチカラを振るった姿を、映像を見て、人は漏れる事なく全員がツイナと同じ事を口にする。

「これが人の身であっていいのか」と。口にして、畏れ敬う。それ程までのチカラを手にしていながらもよく悪意を持たなかったと、その存り様に、高潔に感謝する。まるで人ならざる者にするかのような対応をする。

 それを思い出し、京太郎はギリリと音を立てて歯を食いしばる。

「こういう事できるのが居るから、歩兵がお役御免にならねェわけだ」

「これ、拙僧もやっていいですか?」

 震える声で要求する京太郎に、目を見開いた椎葉だったがすぐに悪童めいた笑いに変わる。

「そうだよな、あんだけ派手な口上垂れたヤツが挑戦したがらないわきゃねェよな。宗さん、手伝ってくれ」

「ほ、本当にいいのかい。高いんだろう?」

「構わねェよ、どうせ出資してるのウチだし。そもそも並みのヤツじゃ傷の一つも付けられんよ」

 千孫に顎で席に座るよう促した椎葉が操作盤を叩くと、残骸となったアンオブタニウムの板が天井へと飲み込まれていく。

 重低音が響くと真新しいアンオブタニウムの板が床からせり出て来る。

 それは先ほどの物とは違い、その金属が持つ本来の重厚感を遺憾なく発揮している。

 本当に冬薙燕はこれにあの大穴を穿ったのか、そんな思いが去来してしまうくらいにおごそかで冷ややかな物体。

 京太郎が扉の向こうへ出て、その体躯の何百何十倍もの大きさと質量を持つそれに指先を触れる。黙ったまま二分ほど、痺れを切らした椎葉がスピーカー越しに急かす。

「何してんだよさっきから」

「いえね、よしんばコレを貫けたとすればそのまま直線上に施設ごと穴を開けることになりそうだなぁと思ったんでコレだけを対象にできるよう調整をば」

「何言ってるのか全然わかんないわよ」

「まあ条理を無視した埒外科学の総称だからな、魔術ってのは。俺ら科学分野の人間に理解できない事言ってんのなんて平常運転だろ」

 否定され続けていた魔術魔法超能力エトセトラ。十把一絡げにオカルトと呼ばれるもの。それらの存在が認められたのは百二十年ほど前と近年。

 相変わらず科学による分析は為されているが未だに物理学を無視した理は解明されていない。

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