ヴァリアブル・デブ

さかさかな。

ファントム・デブラッド

デブ、体重計に立つ

第1話

 砂の空、砂の海。口の中がザラつく。

 遠くで何かが燃えている。いったい何が燃えている?

 知っているような、知っていたような。

 まあ、いいや。そんなことよりも────アツイ。

 暑い? 熱い? 厚い? 篤い?

 ────わからない。

 どこがアツイ。

 頭? 手? 脚? それとも胴体?

 ────わからない。

 くまなくカラダを焼く熱砂。

 何故そんなところで寝ている?

 何故そんなところにいる?

 何故そんなところで泣いている?

 ────わからない。

 わからない。わからないわからない、わからない。わからないのだ。

「独りか?」

 誰かの声がする。誰だろうか。記憶にない声だ。

 でもそうなのだろう、きっとそうなのだろう。

 この場所には自分只一人が寝ていたのだろう。

「……ぁ…………ぅ……」

 声を出そうとした。しかし喉に火を流し込まれたように、痛みが這い回る。

 どうにも言葉を発するのは至難のようだと、仕方なしに誰かの言葉に首肯しゅこうで答える。ざり、硬い砂が頬を掻いた。

「そう、か。おまえ一人、だけか」

 複雑な感情の絡まった声だった。

 歓喜かんきのような、驚愕きょうがくのような、安堵あんどのような。

 憐憫れんびんのような、悲壮ひそうのような、悔恨かいこんのような。

 そんな、懺悔ざんげするような声音だった。

「それなら、来るか。私と一緒に」

 その声を聞いていると、焼ける痛みが和らぐような気がした。

 だから、手を伸ばした。土色の空に。

 腕が痛くて痛くて堪らなかった。それでもと手を伸ばした。

 心地よさが、手を包んだ。

 嗚呼、これは、きっと────



 ◇◇◇



 日和南風ひよりまじが額を撫で、華の車輪が空を舞う。

 揺蕩たゆたう桜を肩で退けて進むと、日差しが爛々らんらんと黒髪を照らす。

 最近窮屈になってきたスーツを正しながら白鎧はくがい学舎まなびやを後にする。

 気紛れに振り返り校舎を眺めるが、その輝きは十年前から変わりない。

 近代技術の結晶が、或いはいにしえよりの呪が集い交わるこの島で、もう何年過ごしたことだろう。

「────?」

 人の気配を感じて振り向いたが誰もいない。

 しかし、そういうこともあるだろう。そんな日もあるだろう。

 久々の再会に少なからず気忙しくなっているのかもしれないとかぶりを振る。

「八年振り、か……」

 赤と青のグラデーションを描く空を見上げてポツリ、独り呟く。

 感傷に浸るのはらしくないと気持ちを切り替えて建物へと入る。

 中では春風の代わりに空調が息吹き、道行く生徒が着崩した制服を揺らす。

 一階は広く、ドーナツ型の第一学生寮は高層マンションのように天高く続いている。

 辺りは各々好きな格好をした生徒で溢れ、食堂へ行く者や部屋に戻る者と様々だった。

 この学園──国の防人さきもりたる衛士たちの学舎、日本衛士学園から制服は支給されているものの、私服も認可されているために生徒の殆どが私服である。

 しかし制服も有名なデザイナーが仕立てているとかで制服を好んで着る者も多い。

 中には独自に手アレンジを施した改造制服を着用している生徒も存在する。

 今、私服が目立つのは単に此処が生徒たちの団欒だんらんの場、第二の家であるから部屋着でいるだけなのだろうが。

「あ、つーちゃん!」

 何処と無く疎外感を覚えていると、そんな憂いを払う溌剌な声が名を呼んだ。

 忙しなく右往左往していた赤い髪が積み重ねた段ボールを両手に足を止める。

 タンクトップにホットパンツと季節を一つ間違えた身なりだが、それ以前に女性が人前に出てくる身なりとして問題のある格好である。

 同年代と比べても発育のいい体つきで軽装というのはあまりにも大胆もとい無防備で、思春期真っ盛りの男子生徒に悪影響を及ぼさないかと心配になる。

「その呼び方をするなと言っている」

「ええー、いいじゃん幼馴染なんだし」

「いつぞやの決着をここでつけるか秋水しゅうすい?」

 ごめんごめんと思ってもいない謝辞を述べながら朗らかに笑う秋水。

「それより、きょーくんに会いに来たんでしょー?」

「…………ああ」

 長い沈黙を得た白状に、知っていたと言わんばかりの対応をされて羞恥さえ感じる。

 ちょっと待ってね、と言った秋水が段ボールを片足上げた膝の上に乗せて尻のポケットを探る。

 端末を取り出し、難しい顔をして弄りはじめた。

「お、ありがとつーちゃん!」

 操作しづらそうなのを見かねて段ボールを取り上げる。

 不意の重量によろけるように踏鞴たたらを踏んだ。

 到底抱えて奔走できる重さではない。

「きょーくんの部屋番号送っといたよー!」

 その間延びした呼び方に、伸ばさずキョウと呼んでくれないとアイツが泣きついてきたのも懐かしい。

 秋水が端末をしまうと同時にポケットからの振動バイブレーションに端末を取り出す。

 学園で使われている電子生徒証、その教員用──つまりは教員証である。

 日本衛士学園の生徒証とは名ばかりの、この第九区人工島メガ・フロート──世間ではもっぱら衛士島という名で親しまれている──の中だけで使える携帯電話、いや、性能面スペックでいうのならパソコンに匹敵する高性能機。

 通話から島内専用の電子通貨、検索エンジンとしても使える万能機器。

「アタシも早く会いたいなー」

 腰に手を当てて朗らかに、にへらと爛漫らんまんな笑顔をする秋水。

 燃えるような緋色の髪が陽を弾き輝いて見えた。

「今日は忙しいのか?」

「そうなんだよー! 昼からやってた備品の廃棄が終わらなくてねぇ、おかげでゆっくりおしゃけも飲めないんだよ……」

 髪をボサボサと掻きむしって項垂れる秋水。

 給水代わりに酒を飲む呑兵衛の秋水が一口も飲めていないというのなら、誇張無しに忙しいのだろう。

「……手伝うか?」

 面倒臭がり屋の秋水ならば目の色を変えて食いついてくるだろうと見越して、上着を脱ごうとしていると秋水は項垂れたままかぶりを振った。

「んーん……つーちゃん、きょーくんに会うの楽しみにしてたでしょ? 邪魔しちゃ悪いもん」

「────」

「あっ、言わない方がよかったんだっけ?」

 口を滑らせた様子の秋水は段ボールをひったくり、止める間もなく元気よく駆け出していってしまった。

「ぐ、あいつは……!」

 抜けているようで人情の機微には驚くほど敏感というのが憎らしい。

 まったく、と嘆息しながらも案内板に従ってエレベーターへと向かう。

「……十六階、か」

 奇しくも同じ階層、それどころか自室のすぐ隣。

 僥倖、と言えばいいのだろうか。

 この学生寮には教師陣も暮らしている。

 何か起きた際にはすぐ対処できるようにと二十階層の全てに最低二つは教員の部屋がある。

 エレベーターに乗り込むとすぐさま十六階のボタンを押すが到着まで、いやに長く感じられた。

「…………」

 不意に、一抹の不安が胸を撫でた。

 最後に会ったのは八年前、京太郎が小学生の時。

 紛争や内戦に介入して以降、国際テロ組織に狙われる事が増え、万が一にも魔の手が及ばぬようにと距離を取っていたが、それはこちらの都合。

 向こうからすれば急にパタリと音沙汰無くなったのと変わらない。

 見捨てられたと思っているかもしれない。

 恨まれ、嫌われていても仕方ない。

 罪滅ぼしが嫌になって投げ出したわけではない。

 心の底から、健やかに育ってくれる事を願ったからこそ会わなかった。

 それをわかってほしいと言うほど自己中心ではないが、嫌われていたとしたらそれは────

(堪えるな……)

 チン、とベルがなってエレベーターの扉が開く。

 早々にコーヒーの自動販売機に歩み寄る。

 缶媒体ではなく専用のカップに注ぐもので、味はいい。

(アイツが幼い頃、よく私の真似をして飲めもしないコーヒーを背伸びして飲んでいたな……)

 その愛らしさは今でも目に浮かぶ。

 カードリーダーに教員証をかざすと小銭を弾くような音が鳴り、自動的に電子通貨で料金が支払われる。

 自動販売機の中ではカップが用意されてじっくりとコーヒーが注がれていた。

「……一応持っていくか」

 注がれたコーヒーを片手にもう一つ購入。

 京太郎がブラックコーヒーを飲めるようになったか不明なので念のためにと無料のコーヒーフレッシュを数個ポケットに入れる。

 学園へ転入できた事へけいする言葉を考えていると、エイトビットの電子音が短い曲を奏でてもう一つも注ぎ終わったのを告げる。

 これで、後は部屋に向かうだけだ。

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