31話 なぜ僕は、そのときに限って寝てしまったのか


リラに毛布を掛けてひとまずの睡眠の状態を整え、シルヴィーに差し出されるままにいくつかの書類などに目を通したジュリー。


ほうっと息を吐きながら、先ほどまでリラが眠りながら座っていた…… ジュリーにとっては少々以上に小さすぎるイスから立ち上がり、その辺の書物を退屈そうに眺めていたシルヴィーに向き直った。


「……あら、早いわね。 読んでって言ったの、全部読んでくれた?」

「ええ」


「そ。 ……それで、大丈夫かしら。 今、続きを話しても」

「はい。 私の準備ができるまで待っていてくださってありがとう、シルヴィー。 ……あら、その香りは」


「ええ、どうぞ。 これでひと息入れなさいな」


何もしていないと思っていたのはジュリーが集中し過ぎていたために音にも匂いにも気がつかなかっただけで、シルヴィーは部屋の外の者に湯を持ってこさせており……そうして彼女手ずから煎れて少々の時間が経った液体を、ソーサーに載せて差し出す。


「ただのハーブティーよ。 それも、この子の部屋にあったものだし……まあ、掃除自体はこの子じゃなくって別の人がやっているみたいだから、この茶葉も良いものだとは思うけれど。 私、ふだんお茶なんか淹れないから、美味しくなかったらごめんなさい? なんだか、たまには煎れてみたくなって」


「ううん、………………………………、嘘ばっかり。 この味は、慣れていないと出せないわ」

「そ? なら、よかったわ」


あいかわらずにどこかつかみ所のない様子のままに、シルヴィーは悪びれもせずに答える。


そして書物を置くだけになっていたイスを引き寄せ、 いい香りのするその液体を飲みながら……ふたりは目を合わせることもなく、されども特段に悪い雰囲気というものではなく、自然と、次の会話を待つだけの……ただただ静かなひとときが流れる。


そうして、しばしの時間が経ち。


落ち着いた表情をしたジュリーが、その口を開く。


「まずは、ご馳走様。 美味しかったわ、シルヴィー」

「どういたしまして……って、これ、あなたの家のものなのだけれどねぇ。 ……ま、いいわ。 それで、私が何を言いたかったのか。 なんでこんなことをしたのか。 あなたならもう分かったでしょう?」

「ええ。 ですけれど、ほんとうに色々とありすぎて。 まだ、頭の中が一杯です」


「あ――……まあ、そうねぇ。 ジュリーは今知ったばっかだものねぇ」

「ええ、……ここに来るまでは、まったく想像もしていなかった情報ばかりだったから……それをまとめて叩き込まれたようなものだから、まだうまく消化はできていないのだけれど。 まるで夢の中から引きずり出されたみたい――と、ほとんどそのままですね。 そのせいか、これがまだ……いまいち、その。 現実のことだと感じられないのですけれども」


かた、とカップをソーサーに乗せ、とっくに飲み干していたシルヴィーにならって近場のテーブルに置き……実に10分ほどぶりに少女たちは目を合わせた。


「でも……あれはすべて、ほんとうのことなのですよね。 リラが、……私のお手伝いをしたいと言い出したあの頃からずっと。 お父さまの、私の家のために……、いえ。 目を逸らしてはいけないのですよね。 ええ、分かっています。 あの子は私のために……私だけのために。 あの子自身のすべてを捧げるようなことをしていたというのは」


「そうね」

「……、…………………………」


意を決して口にしたというのに軽いひと言しか返さなかった銀髪の少女に対し、金髪の少女は少しだけむすっとしたようなひ表情をする。


が、それもまた素っ気ないそぶりを……自分のために敢えてしているだけなのだと理解した金髪の彼女は、続ける。


「……それで、シルヴィー。 昨日来たときの……いえ、おとといに来るのが遅くなったり、なんだかもったいつけたような話し方や態度をしていたり。 あるいはリラに、いつも以上に話しかけていたりしたのは。 ふだんでしたら膝の上に乗りたがる彼女を抱きしめながら私と話す時間が長いのに、今回はリラとのおはなしの方が多いくらいでしたから……少しだけ疑問に思っていたのですけれども。 ですので……今日、今、このようなことをしているというのは」


「そう。 私は、知っていたの。 おとといにお邪魔して、私の持って来た……あなたが読みたいというのなら後で見せてあげるけれども……資料をあなたのお父さま方にお見せして、こうする許可を得るよりも前から。 ずっと前から、リラっていう小さい子……だけれども、ちょっとでも偏見が入ってしまうと、絶対に裏があるとしか思えないようなことをしている人物が、存在が、何をしてきたのかってことを、ね」


そう言いながら軽く、すやすやと寝息を立てるリラに目を注ぐシルヴィーにつられて、ジュリーも……まったく起きる気配のない栗毛の少女の寝顔に目を移す。


「………………………………いつから。 と、聞いてもいいでしょうか」

「はじめっから」


「…………、え、ええと、はじめから、……と、言いますと」

「ええ。 はじめっから……あなたのことを、年に何回か顔を合わせるだけの、同じ立場で同い年という共通点はあっても、今までその場限りの関係でしかなかったあなたを、私の友だちを通して改めて紹介されて。 今までにない動きだからって、私のお父さまがそれとなく探って、知って、それを私に伝えてきてどうするかって尋ねて来られたときから。 そんな一連のことを、紹介されるはずの公爵令嬢の家に来て、大して時間も経っていないのに、そのすべてを差配していた、義理の妹のリラって子の存在を知ったときから、よ」


「………………………………、う、そ………………………………」


「ほんとうのことよ。 だって家って……いえ、領地のこと、知っているでしょう? あっちこっちに飛び地があるもんだから、それはもう、政治的にめんどくさいのよ。 そりゃあ安定はしているけれど……でも、貴族というのは、いえ、権力とか財産とか古くさい因縁を持つ人間なんてそんなもの。 だから、表面上の付き合いは良好だけれど、フタを開けると……ってのは多くって。 それだからこそ無難な付き合いが長かったあなたの家から、今までになかったお誘いでしょう? いくら領地を接していて、同い年だからって、ご近所だからって、パーティーとかではいつも一緒にさせられはするけれど、ただそれだけだったはずの家からの急なお誘い。 ……私自身はあなたのこと、顔見知りというよりは友だちとして思っていたけれども、お互いに家に招いたことは……もう、十数年。 10年以上よ? なのに、1回もない。 顔を会わせたら友人として付き合っても、顔を会わせようとは……お互いにしてこなかった、ちょっと距離のある子……だったもの。 だから調べるのは当然のことでしょう? 何かの動きがあったのではないか、って」

「………………………………………………………………」


「……あ。 え、ええ、もちろんこれはどの家に対してだってそうよ? 新しい動きがあれば、たとえあなた以外の……幼いころからの友だちへだって、そうする。 できる限りの情報を集めて……私の家へ対する害意がないかどうか確かめてから、それでやっとお誘いに乗る。 それが当たり前なの。 家は、特にそういうものに敏感なの。 だから今いろいろと言ったけれど、こういう調査は……密偵を放っての調査っていうのは、ジュリーやリラに対してだけじゃなくって、誰に対してだってそうするものだから……気にしないでちょうだいね?」

「………………………………、ええ………………………………」


「ま、今すぐ私の言うことを信じてもらおうなんて思っていないし、これは別にたいしたことじゃないから気にしなくてもいいわ。 むしろどうでもいいことなのだし。 たとえ私が嫌われてもしょうがないことだものね、そんなことをわざわざ言うだなんて。 だけど、ひとつだけ。 ……少なくとも私は、家の利益とか打算とかであなたと友だちになったんじゃない……そして親友になったんじゃないってことだけは、知っておいてほしい……かな」


矢継ぎ早に話してしまったのに気がついたシルヴィーは、ほとんど返事を返さなくなったジュリーに向け……初めて聞かせるような、不安そうな声を弱々しく発する。


「……分かっていますから、そう思い詰めないでください、シルヴィー。 あなたが笑顔で嘘をつけるような人でないというのは知っていますし、そもそもとして嘘をつくのが下手ですし……くすっ」

「………………………………え? ちょっと待ってちょうだい。 私、嘘をつくのなんて……ああ、驚いてもらおうってわざとしていたこともあって……あ。 かなり見破られていたわね……。 ………………………………。 私、……そんなにヘタ? え?」


「何よりも、この場でそのようなことを……私に嫌われるようなことを言う理由も意味もありませんもの。 シルヴィーは悪いことを、できる、ような方ではありませんものねっ」

「あの、ジュリー? その、私って」


「でもそれで、リラがどうしたと言うのですか? たしかにあの子は、少々働きすぎではあると思いますけれども……でも、先ほどの手紙や書類、お父さまの手伝いのためだと思われる資料などのまとめや。 あるいはその、……リラが好きにするようにって、また病気が再発しないように、すとれすというものを溜めないようにって、どのような場でも我慢をしないようにと。 それで、私の発言で不快に思われた方々がいらっしゃって、それに対してのお詫びのものだったり。 ああ、リラが起きたら謝らないと。 まさかあのようなことになっていて、それであの子があそこまで奔走してくれていただなんて、私、知らなかったものですから」


「……私の嘘のことは置いておいて……いえ、今度しっかり聞かないといけないのだけれども……とにかくジュリー? 違うのよ。 いえ、今見てもらったものだけだとそう思えるでしょうけれど、だけど違うの」

「何がちがう、のですか?」


「あの子はね? とんでもないのよ。 あの子があなたの家に引き取られてからの、ほんの短期間の間に人を集めて」

「ああ、それは多分私のすとれすという病気のための」


「ええ、知っているわ。 どんな医師も治せなかった……王都からわざわざに、あなたを心配したアルベール王子から派遣されてきたその人たちでさえ。 病気の名前すら、いえ、精神と体を酷使したことから来る病気だと理解してもいなかったそれを、あっという間に理解して、正しい方法で治したときから。 ……その噂を聞きつけて、実は、あちらこちらのお家から内々に呼ばれるほどになる程度には有名になったそれを治してから、ずっと、ね?」

「待ってくださいシルヴィー、私の病気のことは人にはあまり知られていないはず」


「噂はあっという間に広まるものよ。 だからこそ、それで、あの子は。 ………………………………。 ……ねえ、知っているかしら? あなたのお父さまに任せられて、信頼されて。 ただの平民だった、こんなにちんまい子が、よ? その能力を認められて、あなたの家の財政の一部まで任せられて。 それに加えてあなたの世話を取り仕切るようになって。 つまりはあなたの今と未来のすべてを、たったのひとりで、誰の力も借りずにやっているのよ。 分かるかしら? その、とんでもなさが」


目線を、途中からはまったくに起きる気配のない「ちんまい」少女に注ぎながら……銀髪の少女は、本題を切り出した。

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