第五章

 カタメホビー本社ビル。高さは周りに並ぶ高層ビルには敵わないが、横の広さは他の追随を許していない。いくつもの箱が連結したかのような歪な構造は、子供がその場のノリで作り上げた積み木やダンボール工作のようだ。


「ビルってより、工場いや研究所っぽいですね」


 タクシーから降りた俺は、鞄の中の青葉さんに話しかけた。鞄のチャックは開けてあり、クルミ、青葉さん、里奈の三人全員がいつでも逃げられるようにしている。なんならウッカリ目撃者がでてもいいように。


「何回も増改築を繰り返して、ああなったらしいわ」


 青葉さんは鞄から身を乗り出さずにそう言った。


「青葉さん、見えてないですよね?」


「カタメホビーは捜査始まってすぐに調べたからね。第一候補だから、総出で探ってたの。中々尻尾を掴ませなかったけど、ようやくね」


 そりゃそうか。今まで気がつかなかった自分が馬鹿みたいだ。iドールはカタメホビーの製品。それに人間が封じ込められるってことは、関係しているのは明白だ。


「何で教えてくれなかったんですか」


「気を悪くした? ごめんね。でも、捜査状況を外部の一般人に必要もないのに教えるわけにいかないでしょ」


 正論。


「ごめんね。危険なことに巻き込んじゃって。私を拾ったせいだよね」


「そんなこと言わないでくださいよ。俺が青葉さんを拾ったから、里奈も助けられたし、犯人も……」


「あの、ホントに大丈夫でしょうか……」


 里奈が鞄の中で震えている。クルミが脳天気に励ましていたが、あまり効果はないようだった。


「大丈夫。警察に任せて」


 そう。俺達には発信器と盗聴器が仕掛けられていて、警察の人たちが常に耳をそばだてている。カタメホビー周囲には私服警官も張り込み、いつでも突入できるよう待機中だ。とはいえ、俺がこれから一人で敵地に潜り込まなければならないことには変わりない。胸中には気鋭と恐怖が同居している。里奈や青葉さんを始め、被害者たちを何としても助けてやりたいとはやる気持ち。ドール化されたアイドルたちの運命が俺の双肩にかかっているという重圧。自分が酷い目に遭うことへの恐れ。足は震え、息は荒れ、心臓は一際早く鳴る。


「ほら。しっかり歩く」


「は、はい」


 俺は頼りない足取りで敷地内に入った。とりあえず正面入り口に向かう。一歩近づくごとに、足が鉛のように重くなってくる。倉庫でヤクザ二人と相対した時とは違う。あの時馬鹿みたいに胆力が出せたのは、青葉さんを土田さんにパスすることで、俺自身は無関係に……責任から降りられたからだろう。今になってわかった。だが今回は逃げられない。俺は大勢の命を懸けて戦わなくてはならない。


「私が守るから。しっかり」


 青葉さんの声が、少し勇気を与えてくれた。十七センチで台座から離れられない青葉さんには戦闘力は皆無なのに。それでも警察官としての矜持を忘れていない。俺も負けてはいられないはずだぞ。シャンとしろ俺。


 自分で自分を励ましながら、俺は正面入り口に近づいた。時刻は二十時過ぎ。既に社員の大半は退社している。しかし警備の人にどう説明したらいいのか。話通してるのか?


 正面玄関に足を踏み入れた時、タブレットに「蓬莱人」からのメッセージが届いた。


「右に回って下さい」


 あー、裏口ね。






 裏口からカタメホビー本社に入ると、薄暗い倉庫だった。わけわからんビルだな。無計画に増改築しすぎだろ。子供の玩具かよ。まあ子供の玩具作ってる会社だけどさ。


「いらっしゃい」


 閑散とした狭い倉庫内に、よく通る声が響き渡った。埃を被った段ボール箱の上にチョコンと置かれた四角い台座。質感と重量感のあるリョーコが仁王立ちしている。今度こそARではなく、まぎれもない本体なのだろう。


「ここから私が案内するわ」


 俺は左手にリョーコの台座を持ち、指示に従い廊下へ出た。一つ飛ばしに点いた照明がチカチカと点滅し、不気味な重いムードを醸成していた。人気はなく、静まり返っている。残業してる奴はいないらしい。会社ぐるみの陰謀なのか、それともホワイト企業なだけか……。


「右に進んで。それから正面の階段を上り左へ曲がって右に行き、二番目の部屋を通り抜け」


「すみません、一度に言わないで、都度お願いします」


 俺はリョーコの誘導に従い、無人の社内を進んだ。カタメホビー本社は俺が知る限り最も奇妙な構造の建物だった。廊下の途中から明らかに別の建物っぽくなったり、おかしなところにドアや半端な階段が設置されていたりして、まるで迷路……というより、空間が歪んでいるかのように感じる。カードキーが必要な場所とそうでない場所も中途半端に入り交じり、地図があっても容易には踏破できそうにない。ここの社員は毎日こんなところで働いているのか。能率悪そうだな……。


 自分がどんなルートを辿ってきたのか、振り向いてもわからない。リョーコの指示は警察の人たちも聴いているはずだが、後から突入してきた警官たちが迷わず目的地に辿り着けるかは怪しい。






 最終的に「第四技術開発室」なるプレートが掲げられたドアにたどり着いた。


「ここ?」


「ええ。どうぞ」


 さて、どうする。普通に入っていいものか。ヤクザに羽交い締めされて里奈を奪われたりなんてことは。


 鞄に顔を向けると、青葉さんが真面目な顔で頷いた。行けって事か。まあ何かあればすぐに、張り込んでる警察の人たちが助けに来てくれるさ。里奈は俺とは比べものにならない恐怖に打ち震えているし、サッサと終わらせてやろうじゃないか。矢でも鉄砲でも持ってこい。


 俺は深呼吸してからドアを押し、中に足を踏み入れた。


 白い壁と天井に囲まれた広い空間だった。均等に配置された大きな照明が全て点いて、昼間のように明るい。iステージらしき形をした基板、コードがあちこちから伸びている実験用っぽいiステージ、商品一覧にはなかった、かなり大きなiステージが部屋の右側に置かれている。左側には基板やらコードやら、人形の手足が詰まったダンボール箱がいくつも無造作に放置されている。その間の中央は道路のように何もない。その先にある部屋の中心には、大きな机が鎮座し、その上にはモニターがいくつもある大掛かりなパソコンが設置されている。


 俺はその机に近づいた。そこから更に奥に見える壁際。三列に渡って、ガラス棚が隙間無く敷き詰められている。中にあるのは無数のiドールたち。まるでフィギュアのコレクションのようだ。全員が何かしらのポージングをした状態で固まり、ピクリとも動かないでいる。停止状態だ。


「ねえ、あれって……」


 青葉さんが鞄から身を乗り出して言った。


「攫われたアイドルだよね……」


 その声は僅かに震えていた。ああ、間違いない。テレビやネットで見知った顔がある。里奈とクルミも身を乗り出し、おぞましいガラス棚を目に焼き付けた。


「ああ、高橋先輩……」


 里奈が悲痛な呟きを口にした時、リョーコが最後の指示を飛ばした。


「私を机に」


 言われるがままに、彼女を中央の机上に置いた。この部屋に人の気配はない。コイツのマスター、森田健一は一体どこだ? 


「ふふ、マスターならすぐ」


「ねーねー、リョーコちゃん台座おかしくないですか?」


「あのなクルミ、今は……」


 俺はクルミの頭を押しつけ、鞄に引っ込めさせた。台座がなんだよ、こだわってる奴はペイントとかするんだよ……。いや待て。本当におかしいぞ。俺はリョーコの台座が円形ではなく、正方形であることに今更気がついた。あれじゃiステージを始め、各種デバイスにセットできないじゃないか。不良品……いや違う。マスターがiドールの開発者だってことは、つまり、


「君は……試作品?」


「ええ。まあ、そんな感じね」


 リョーコはあっさりと肯定した。iドール発売からまだ一年。やけに情緒が発達しているのは、発売以前から存在していたからだったのか。


「それ、何だかわかる?」


 彼女は入り口付近にある大きなiステージの残骸を指さした。あちこちの外装が壊れ、基盤がむき出しだ。


「あれも、開発段階の……」


「あれは完成品よ。十年前のね。古家良子が人生最後のライブをしたステージ」


「えっ、どういうこと!?」


 青葉さんが大きな声で聞き返した。俺も仰天した。十年前にiドールがあったのか!? それに古家良子って、昔死んだんじゃ……?


「ふふっ、ちなみにiドールに使われている根幹技術、知ってる?」


「電霊技術!」


 答えたのはクルミだった。iドールが自身のヘルプを網羅しているのは当然だが、クルミがこういうことに答えると違和感がヤバいな……。


「正解。iドールは実体を持ったフィギュアだけど、同時にデジタルデータでもあるの。この二つの状態を併せ持つ物体を電霊体と呼ぶのよ」


「その技術を確立したのが今から十年ちょっと前だ」


「うおぅっ!?」


 いつの間にか、俺の後ろに男性が一人立っていた。俺は慌てて距離を取ろうとして机に背中をぶつけた。カッコ悪……。


 男はやや細身の長身で、青白い肌を持つ、壮年の中年男性だった。ツカツカとこっちに近づいてくる。やべやべやべやばい。飛び蹴りとかする? 喧嘩したら多分俺が勝て……いやあの人スポーツとか武道とかやってたりするかもしれんしナイフとか持ってたりして……。


「落ち着いて」


 青葉さんの言葉で俺は少し平静さを取り戻せた。ひい。


「リンタPくん、だね」


「あ、はい。あなたが森田健一……さん、ですか」


「ああ、そうだよ。ここで技術部長をしている。よろしく」


「はあ……増田です、どうも……」


 鞄の中から青葉さんが身を乗り出した。


「そこのiドールたちは?」


 森田は静かにこの質問を無視した。警察が耳を澄ましていることに気づいているのかいないのか……。青葉さんはアイドルフォームをさらにアレンジした姿だから、森田にはパッと見警察だとはわからないはず。


「黄木里奈くんは?」


「ここ……ですけど」


 俺は鞄を傾けて中を見せた。


「本当に本人かい?」


「ほん、本物です、黄木里奈です……」


 里奈は縮み上がりながらも、森田の問いに答えた。


「確かに。増田くん、君に礼を言うよ。彼女を保護してくれてありがとう」


 ふっざけんなよお前。でも俺は口をつぐんでいた。言質をとるのが優先だ。ここは警察に……青葉さんに任せなくては。


「黄木さんたちを人形にしたのはあなたですか?」


 ちょ、そんな直球……。


「ああ、そうだ。私が指示して君たちを襲わせた。他の子もそうだ」


 森田は顎でガラス棚を指した。やっぱり、あれは本物のアイドルたちか。青葉さんは小さくガッツポーズをした。これで警察が乗り込んでくるはず。


「元に戻せるんですよね?」


 俺は精一杯平静を装ったつもりだったが、声は震えてしまった。修羅場慣れしていないのが丸わかりだなこりゃ……。


「勿論。だがその前に、黄木里奈のマスター権限を私に譲渡してくれないか」


 ああ、やっぱりそれか。


「それは出来ないわ」


 青葉さんが口を挟んだ。腹から出た声だ。頼もしすぎる。流石警察官。


「今は人間同士で話をしているんだ。少し黙っていてくれないかな」


「マスター、その子は巻き込んだ警官ですよ」


 あちゃ。流石にバトルした仲だけあり、中のAIならぬ中の人が青葉さんだと、リョーコには見抜かれていたらしい。


「ああ。それはすまなかったね」


 森田は淡々とした口調で、興味なさげに話した。青葉さんは現場のすったもんだで偶発的にドール化されただけだし、アイドルじゃないもんな。回収しようとしたのも、ただ警察の手に渡ると面倒だというだけだったのだろう。


 だが、一点だけ気になったらしい。


「『それ』は君の趣味かい? 」


 フリフリなアイドルフォームへの突っ込みに、


「「いいえ」」


 俺と青葉さんが同時に答えた。土田さんの趣味だ。


「話が逸れたな。黄木里奈くんは私にくれないのかね? そうしたら人間に戻してやれるのだがね」


 あのガラス棚のコレクション見ちゃうと大分その、説得力に欠けるな……。


「元に戻す気があるのなら、自主なさっては?」


 青葉さんの皮肉めいた口調の提案を、森田は無視した。


「では、君たちは永遠にここから出られないことになるねえ」


 何言ってやがる。監禁するってことか? その前に警察の人たちが乗り込んできて、お前はお縄だっての。……でも、いつになったら来てくれるんだ? 音も気配もしないぞ。そういえばこの部屋に来るまで、ややこしいルートを辿った気がする。ここは隠し部屋なのか? でもルートは盗聴していたからなぞれるはず。妙だな。何かがおかしい。


「警察は来ないよ」


 森田が腹から迫力のある声を出した。その底知れぬ微笑みに恐怖を感じ、俺は鳥肌が立った。


「ここは電霊空間だ」


 数秒の静寂の後、青葉さんが口を開いた。


「え? 何それ、どういう……きゃあっ」


 俺は走った。部屋の出入り口に向かって。全身から嫌な汗が滴り落ちる。頼む、俺の妄想であってくれ……!


 勢いよくドアを開けると、そこには無限の暗黒空間が広がっていた。カタメホビー本社の廊下はどこにもない。ほかの部屋もない。足元に視線を落とせば、見えるのは底なしの闇だけだ。真っ黒な世界の中に、この部屋だけが浮かんでいる。まるでゲームのマップのように。


 嘘だ。こんなことあり得るのか。一体いつから……。リョーコの誘導に従っているうちに迷い込んでしまったのか。森田が、そしてカタメホビーが警察に尻尾を掴ませなかった理由はコレか。


 青葉さんと里奈も、鞄から顔を出してこの事実を知った。一言も発さず、茫然としている。


 振り返ると、リョーコがペロリと舌を出した。「ゴメンね」とでも言いたげに。そして森田が歩き出した。近づいてくる……。先手必勝なんじゃないか、こういうの? どうする、殴りかかるかこっちから。でもここはあいつのホームだ。何某かの対策があるに違いない……。


「ああそうだ、言い忘れていたが、暴力はいかんね。どうなるかわかるだろ?」


 森田は部屋の最奥、アイドルたちが収まったガラス棚に顔を向けた。そうだ、あいつは数十人の人質もとっている。どうにもならない。まったく情けないことに、俺は悠々と近づいてくる森田に対し、成す術がなかった。


 奴は俺の鞄に手を突っ込み、里奈を捕らえた。里奈が絶叫する。青葉さんが巨大な手にかじりついたが、ちょっと手首をひねるだけではね飛ばされてしまった。


「やめろ!」


 思わずカッとなり、俺は森田につかみかかったが、リョーコが冷酷に告げた。


「アイドルたちを初期化しますよ」


「……っ!」


「そういうことだ、手を離してくれ。それからフレンド登録を。譲渡の仕方はわかっているね」


 俺は唇を噛みしめながら、森田から手を離した。やつは里奈を鞄から取り出し、勝ち誇ったような表情を浮かべた。すまん里奈。俺には何も……。オオハタに惨めな敗走をした時と同じく、絶望と無力感が俺を支配した。


「ライブバトルです!」


「!?」


 その場にいた全員が虚を突かれ戸惑った。クルミの元気百パーセントの声が技術開発室に鳴り響く。


「アンティルールでライブバトルしましょう! マスターは里奈ちゃんを、森田さんはあれ全部で!」


 森田が大笑いした。空気読めよクルミ。


「なるほど。その子はiドールだね?」


「はい! 私はiドールなのです!」


 俺より先にクルミが自分で答えた。


「ちょっと数が釣り合わないなあ」


 森田はコレクションを眺めながら言った。今度は里奈が大声を張り上げた。


「高橋先輩! トライムの高橋絵里香を!」


「んん?」


「一人同士なら釣り合うでしょ!? 私、自分をかけてライブバトル、やります!」


 森田はしばらく逡巡していた。え、悩むのかそこ!? このまま脅迫で俺からマスター権限を譲渡させりゃいいのに。意外と生真面目、いやノリがいいな。


「わかった。その勝負受けよう。私も君のライブが見たい」


 あ、そうか。アイドルを人形にしてコレクションするくらいだから、こいつドルオタなんだよな……。






 壁際に設置された一際大きなiステージの端に、俺は里奈をセットした。単純に大きいだけでなく、iドールをセットするくぼみが七個連なっている。普通は三個しかない。


「里奈……」


「大丈夫。任せて」


 里奈はニコッと笑い、台座を離れて大きなステージに上がった。あらゆる意味で文字通り、一世一代の大舞台だ。森田は人気アイドルグループ「トライム」のメンバー、高橋絵里香を反対側にセットした。続けてもう一人。さらに一人……。あれ? 賭けるのも踊るのも高橋だよな?


「あの、その二人は」


「トライムのメンバーだよ」


 森田はさも当然のように答えた。俺が訊いているのはなぜセットしたか、だ!


「トライムは三人グループなのだから、当然だろう。嫌だというのなら、この勝負はナシだ」


 嘘だろおい! こいつ、三対一でライブバトルを強行するつもりか!


「……それは卑怯なんじゃないですか」


「それはこっちのセリフだよ、君。ピンのアイドルである黄木くんと違って、この子たちの曲は三人であることが前提なんだから」


 そ、それはそうかも、しれないが……。理屈はわかるが、感情が納得しない。


 見た感じ、里奈はあまり気にしていないようだけど、俺に何かできることはないだろうか。


「マスターマスター。私も見たいですー」


 わかった。わかったから騒ぐな。クルミを鞄から取り出した時、閃いた。向こうが三人なら、こっちも三人だ。クルミと青葉さんを観客席において、全員で応援するんだ。それしかない。俺は二人をランウェイ近くに配置した。少しでも里奈の心の支えになればいい。頑張れ里奈。頼む。


 里奈はステージ中央に立ち、袖で固まっている先輩たちを悲痛な眼差しで見つめている。この期に及んでも森田は停止状態を解こうとしない。青葉さんによると意識があるんだよな。いつから固まったままなんだろう。さぞ苦しいだろうに。


 俺と森田はタブレットを取り出し、ライブバトルの設定を行った。相手のアンティ設定を確認すると、何と森田はトライム三人全員をアンティ対象にしていた。意外とフェアな奴。いや生真面目なのか。


 いよいよiステージのAR映像が投影された。俺の家のとはまるで違う、大迫力。この部屋の半分を覆い尽くすんじゃないかと思うほどに広がった。超満員の大会場へ早変わりだ。


 里奈はマイクを握りしめ、大きく深呼吸。それから、遂に開始した。


「みんなー、今日は私のライブに来てくれてありがとう! デビューシングル『マイキャッスル』、いきまーす!」


 イントロが流れ始めた。既に最初の挨拶で観客たちが大歓声を上げ、波のように興奮が伝搬していく。すごい。大型iステージ、すごいぞ。でも里奈はもっとすごいはずだ!


「朝日が照らした白い壁 私のお城 マイキャッスル」


 完璧な歌い出し。オタクの時より断然高い完成度。やっぱり自分の意思で歌うと違うんだな。


「静まり返った石の中 今日も一人でお散歩ね」


 振り付けが少し変わっていることに気づいた。以前よりもいい。感情が伝わる。伝わってくる。


「悩んだことなどなかったわ ここには全てがあったから そうよ穴が開くまでは」


 AR観客たちの感情表現も、商品化されているiステージより豊富だ。本物のファンのように見える。


「あなたに出会えて気づいたの ここは鳥籠 マイゲージ」


 クルミと青葉さんがサイリウムを振る仕草をしながら声援を送った。持ってないのに、実際に振っているように見える。


「私をここから連れ出して お外の世界へ連れ出して」


「いいぞー! 頑張れー!」


 始めて俺はiドールのライブ中に声を出した。出さずにはいられなかった。それほど里奈の歌と踊りは極まっていたからだ。


 里奈は俺達に可愛らしい仕草で返事した。胸が熱くなってくる。なんだこれ。……ああ、そうか。これがアイドルのライブなんだ。


「緑の平原 青い空 ここが私のニューキャッスル」


 ……本物の。


「私は自由な空の鳥 あなたと一緒に飛び立つの」


「あなた」という言葉は、まるで俺に向けて言っているかのように聞こえた。きっと観客全員がそう思ったに違いない。すごい。すげえよ里奈!


 里奈は最後に大きく腕を広げながらジャンプした。ちょうど頂点に達した瞬間に、曲は終わった。大歓声が湧いた。俺と青葉さん、クルミの声もそこに混じった。


 点数は九一一三点。やり遂げた!


 俺は全力で拍手した。万雷の拍手の中、里奈は袖へ姿を消した。俺はすぐ横に回り、膝を曲げて中腰になった。


「よかった! っとによかった! すごかった! ホントに!」


 俺は台座に戻った里奈に心からの賞賛と祝福を送った。里奈は胸に手を当てて、ヘナヘナと崩れ落ちた。


「えへへ……ありがとう。途中で応援してくれたよね。嬉しかったよ、すっごく。勇気出ちゃった」


「いや、俺は何にも……全部、里奈が」


 大歓声が沸いた。舞台の上に三人の女性が立っている。三人組のアイドルグループ「トライム」のメンバーたちだ。センターの高橋絵里香を中心に、威風堂々としている。しかし本人たちが自らの意志で森田のためにライブすることは考えられない。やはり逆らえないよう、「命令」されたのだろう。「本気でやれ」みたいなことを言われたのか、さっきまでカチコチに固められて監禁されていたとは思えない、満面の笑みで観客席に手を振っていた。


「今日のトライムのライブに来てくれてありがとう! まず一曲目は『ザ☆トライム』です!」


 三人が格好良くポーズを決めると、イントロが流れ出した。やはり、新人の里奈よりも舞台慣れしている風だ。


「トライム トライム トライム 私のポップン☆ミュージック♪」


 背景で派手に紙吹雪が噴出された。な、なんだ!? ステージ演出!? 今ので点数が入っている。こんな機能しらねーぞ、俺の知っているiステージにはなかった。森田と目があうと、俺を見下すような得意げな笑みを浮かべた。やられた。この大型iステージ限定の機能なのか。技術開発室……まだ製品化されていないiステージ。


「こ、この野郎! 卑怯だぞ!」


「シッ、ライブ中は静かにしたまえ」


 こいつ……!


「アレがしたいな トライ! コレもしたいの トライ!」


 トライム三人のパフォーマンスもさることながら、霧が吹いたり、完璧に追尾するスポットライトがあったり、至れり尽くせりのステージ演出がライブを大いに盛り上げた。


「ムームームームームー どれをしようかな ムムム!」


 人気グループだけあり、実力は相当だった。ファンサービスもしっかりこなしながら、力強くも柔らかい歌声でポップなヒットソングを完璧に歌い上げている。


「トライムムム! トライムムムム! 全部やりたいの♪」


 三人、息の合った動きに俺は圧倒された。里奈の顔が曇っていく。青葉さんも、俺も。そんな中、クルミは黄色い声援を飛ばしていた。空気読め。いや会場の空気は読んでるけど。


「……勇気出して 全部やっちゃおう」


 終盤になると、俺は点数が気になってトライムの演技を直視できなくなった。点数は八千点後半……逃げ切れるか……いや……これは……。


「レッツ・トライ!」


 歌い終えたと同時に曲が終わり、ドーンという音と共に、盛大にテープや紙吹雪が舞った。点数は九三五六点。負け……た!? ちくしょう! ステージ演出の差だ! それがなければ里奈が勝っていたぞ、この点数なら!


 急いでタブレットを確認した。登録されたiドールの一覧に、リリーナこと黄木里奈の項目はない。里奈は森田のものになってしまった……。


「命令だ。こっちへ。君たちも台座に戻れ」


「はい」


 里奈は見るのも辛い、絶望的な表情を浮かべながら森田の元へ去った。そんな……。くそっ。


「ごめんね里奈ちゃん、ごめんね……」


 トライム三人は涙を流して、里奈に謝りながら台座へ戻った。次の瞬間、笑顔でポージングして動かなくなった。また停止させられたのだ。


「はぁー、トライムのショー、よかったですね~。私感動しちゃいました」


 クルミも停止させるべきかな……。


「マスターは感動しなかったんですか?」


「しねーよ……」


 トライムのライブが良かったのは認める。でもこの状況下で感動なんてできっこないだろ。AIに言っても仕方がないから言わねーけどさあ。


「えー、じゃあ里奈ちゃんのライブにも感動しなかったんですか?」


「いや、そっちはしたよ」


 俺はぶっきらぼうに答えた。当の里奈は凍り付いたままだ。しかし森田がタブレットを弄り始めると、彼女の手足が動き出した。ポージングをつけている。だが本人には抵抗することはおろか、嫌がっているという意志を示すことすらできないのだ。何というおぞましい光景だろう。人間をフィギュア扱いしやがって……!


「ふぇ? 点数低かった方だけ感動したんですか?」


 前にも言っただろ、人間とiドールは評価基準が違うんだっての。それより、里奈やアイドルたちを森田から取り戻す方法を考えないと……。でも青葉さんやクルミでは勝負にならないことは明白だし、警察も来ない。クソっ、ダメだ。ない頭を必死に動かしても、妙案は思いつかない。青葉さんも顔を真っ青にして打ちひしがれている。


 森田が里奈をステージから外した瞬間、耐えきれなくなって叫んだ。


「いい加減にしろよ!」


「何をだね?」


 俺の馬鹿。まだ方策もまとまってないのに突っ込みやがって。しかし引き下がれる気はしない。我慢できない。俺は人差し指を突き付け、声を張り上げた。


「そのっ……それだよ! 人を人形扱いしてコレクションなんかしやがって、何が楽しいんだ!」


「コレクトなぞせん。私はただ、彼女たちに永遠の命を与えたのだ」


「はぁ!?」


 そういえば青葉さんの年齢下げられたっけ。そりゃデータ化すれば年を取らないだろうよ。


「本人の意思と自由を奪う必要がどこにあるんだ!? 同意を得た人だけでやれ! そうでない人を巻き込むな! それに誰にも見せずにここに飾っとくんなら、結局お前のコレクションじゃないのかよ!」


 俺は感情が命じるままにまくし立てた。高ぶる怒りと、敗戦の屈辱、自分が何もできない無念さ。これらが渾然一体となって俺を駆り立てる。無意味な口論だとわかっていても、とにかくこいつから一本取りたかった。


「本人に阿れば電霊化を拒否する危険性がある。当然そうしたアイドルはいつか死ぬ。そうなればもう取り返しがつかん!」


 これまでずっと平静を保っていた森田が声を荒げたので、俺は少し驚いた。何かが気に障ったようだ。ひょっとして、過去に電霊化を拒んで死んだアイドルでもいたってのか?


「古家良子……のこと?」


 青葉さんが呟くように問いかけると、森田は両目をカッと見開き、口を結んだ。当たりだ。そういえば、リョーコが何か言いかけていたような……!


 部屋の出入り口脇にある、壊れたiステージ。古家良子が人生最後のライブをしたステージ。確かそう言っていた。そうか……。段々わかってきたぞ。俺は改めて森田に向き直った。


「十年前よ。ガンに侵された古家良子が、電霊技術の臨床試験に選ばれたの。実験は成功したわ。彼女は健康な、全盛期の姿に戻ってね。たった一人のお客の前で、最後のライブを行ったのよ」


 リョーコが口を開いた。推論は的中だ。しかし何で態々説明を。


「でも、彼女は死んだんですよね?」


「ええ。その」


「命令だ。黙れ」


 リョーコは「やれやれ」とでも言わんばかりに、肩をすくめて沈黙した。点同士が繋がった。古家良子はきっと、電霊として永遠に生きることを拒否して、人間に戻り、そして亡くなったのだろう。


「うん。あの人なら、そうするよね」


 彼女のファンである青葉さんがそういうのだ。間違いないだろう。ともあれこれで、森田さんの動機は理解できた。そして逆転の糸口……というには頼りない細い糸だが、光明も見えた。森田さんは間違っている。彼が愛したアイドルの願いを踏みにじっている。それを教えなければ。


「青葉さ……」「増田くん、わた……」


 声が重なった。同じことを考えていたらしい。


「ライブバトルよ! 私が相手するわ!」


 青葉さんが森田に向かって、大きな声で宣言した。






 森田はトライム三人に加え、里奈までセットした。iドールとして勝負するのであれば、青葉さんに勝ち目はない。でも俺たちはiドールとしてではなく、人間としての勝利を目指すのだ。アイドルの、歌というものの原点……聴いた人の心を動かすというところに立ち返って。


「増田くん。衣装変えて。一番下」


 えーと一番下は……。


「え? 魔法少女プリティー・ピンク?」


「もっと下! 登録してるセットがあるの!」


 登録してるのって、デフォルトとアイドルフォームだけのはずだけど。見てみると、やはり設定済みのは上から二つしかない。


「一番下。百番目」

 スワイプしていくと、一番下に俺の知らない登録セットがあった。iドール一体につき、登録できるセット数は最大百個だが……わざわざ俺に見つからないよう、ひっそり登録してたってことか!? いつの間に、何のために!?


「日中ね、君がいないときに遊びで、その……やってたの」


 セット名は「古家」か。なるほど。タップして着替えさせた。青葉さんは十六歳の体はそのままに、髪型はカールボブに、服は白い二段スカートのキャミワンピースに変わった。どこか古めかしい印象を与えるその姿は、今のアイドルとは雰囲気が異なる。森田はそんな青葉さんの姿を見て動揺を見せた。古家良子のステージ衣装……なんだろうな。青葉さんはほんのりと頬を染めて恥ずかしがりながらも、指示を続けた。


「……高校生の時から練習してた曲があるの。いい?」


「えー、俺もそのつもりでしたよ」


 当然、彼女の曲だ。


「こっちの先攻でいいですね?」


「ん? あ、ああ……」


 森田はまるで怯えているようだ。お? ひょっとするとひょっとするかも……。


 勝負成立。ライブバトルが始まる。


「わーっ、メグミちゃんの本気ライブですー。パチパチ」


 お前はホントぶれないな。


 青葉さんがゆっくりとステージ中央に歩み出る。両手でマイクを持ち、観客席を一望した後、たじろいだ。今までのとは規模が違う、巨大なiステージは観客数が多い上、投影像のクオリティも高い。きっと想像以上のプレッシャーを感じたのだろう。改めて里奈の胆力に感心する。


 青葉さんがこれから行うのは人間のライブだ。だから俺は「命令」はしない。しかしだからといって、何も声をかけないというわけにはいかないよな。俺はステージ正面に回ってから身を乗り出した。AR観客たちは俺の体で投影が遮られ、結像しない。所詮はただの映像だと改めて理解させれば、プレッシャーが軽減されるだろう。そして俺は人差し指で青葉さんの頭を撫でた。


「大丈夫。すっごい可愛いですよ」


「……もう。引っ込んでなさい」


 青葉さんが微笑んだ。緊張ほぐれたかな? だったらいいけど。俺はステージ側面に戻った。AR観客たちが復活したが、もう恐れるに足らないはずだ。


「……古家良子、『青いバラ』」


 開演だ。ゆったりとした曲調の、どこか物寂しげなメロディが俺の胸を打った。俺は古い動画で一度聴いたきりだが、記憶に印象深く残っている。


「あの日あなたがくれた約束 今も覚えているわ」


 派手な振り付けはなく、同じ場所に立ったまま歌っている。アイドルのライブというよりも、歌手のコンサートって感じだ……。


「プラットホームの汽車の窓から あなたは言ってくれたわね……」


 AR観客達は派手な声援を送らず、歌に合わせて静かにサイリウムを振っていた。点数伸びそうにないな。でも、青葉さんの歌はとても心に響いてきた。


「青いバラの花束を いつか私に贈るって」


 サイリウムの色が一斉に青に変わった。会場が青く染まっていく。その光景は幻想的で美しかった。


「我が侭言ってごめんなさいね ホントは私知ってたの それは世界のどこにもないって」


 青葉さんの動きは、動画で見た古家良子のものとは異なっている。でもそれでいい。


「無い物ねだりの青いバラ 無い物ねだりの青いバラ 今日もあなたは続けてる 空しい探求の旅を」


 机の上で、リョーコが体を揺らしてリズムをとっている。あいつでは、AIによるコピーでは成し得なかったこと。


「もしも あなたが この歌を 聞いているのなら……」


 それに青葉さんは挑んでいるのだから。


「もういいのよ 帰ってきて 私がホントに欲しかったのは……」


 森田さんは顔を歪め、小刻みに震えながら青葉さんのライブ、いやコンサートを凝視していた。


「あなたと過ごす 時間なの……」


 やや長めのアウトロを流し、曲が終わった。いい歌でした青葉さん。点数は七九三九点。里奈やトライムには遠く及ばない。森田さんの表情には悲壮感があった。少なからず心を動かせたらしい。ともあれ拍手をしようとした瞬間。青葉さんが観客に背を向け、森田さんに真っ直ぐ向き直った。


「あの日あなたくれた花束 今も覚えているわ」


 二番が始まった。俺も、森田も、里奈にトライム、クルミまで、全員が呆気にとられた。


「どこにもなかったはずの青いバラ あなたは持ってきてくれた」


 電霊マイクは既に消滅し、曲もかかっていない。本来ならトライムのターン。しかし青葉さんは一人で森田さんに向かって歌い続けた。観客もシーンと静まり返って一切反応しない。


「私は世界で一番の 幸せ者だとわかったわ」


 青葉さんの歌声だけが木霊する。森田さんは目を滲ませ、後ずさりした。口を真一文字に結び、里奈たちにライブするよう指示すらしない。


「だけどでもねごめんなさいね ホントは私知ってたの それは貴方が造ったものだって」


 小さな悲鳴が聞こえた。里奈だ。頭が濡れている。森田さんが嗚咽している。


「無い物ねだりの青いバラ 無い物ねだりの青いバラ それは私一人じゃないわ いつも誰かがねだっているわ」


 青葉さんの歌は、単純な技量ではプロに劣る。でも深く心に染み入る何かがあった。


「だから 私だけ 受け取る ことはできないの……」


 システムアナウンスが鳴り響く。「一分以内にライブを始めなかった場合、試合放棄と見なし、不戦敗とします」……カウントダウンが始まった。それでも森田は袖で涙を拭うのに必死だ。命令しない。


「いつか散るから 美しいのよ だからお願い 最後の一つ」


 青葉さんは森田さんだけを見つめている。心を揺さぶる「何か」の正体は……メッセージ。つまり、


「あなた聴いてね 私の歌……」


 ……人の意志だ。森田さんがいくらリョーコを調教しても得られなかったに違いないもの。森田さんのために自らの意志で歌う人……それが必要だったんだろう。


 曲は流れていないのに、俺の耳にはアウトロが聞こえるような気がした。森田さんはもう取り繕うこともできず、声を上げ、大粒の涙を流して泣いていた。


 脳内で『青いバラ』のアウトロが終わった時だった。ステージ上に現れていたタイマーがゼロになった。


「ライブバトル終了。勝者、青葉メグミ!」


 スマホを確認すると、里奈のマスター権限が俺に戻っていた。ついでに、トライム三人も俺のものになっている。勝った……らしい。小さな拍手が聞こえた。リョーコだ。朗らかに微笑んでいる。


 里奈とトライム三人が、頭上でむせび泣く森田さんをチラチラ見つつ、ステージに出てきた。青葉さんにお礼や称賛の言葉をかけつつ、一同ホッと胸をなでおろしている。俺は森田さんの手前、静かにサムズアップするだけで済ませた。それでも青葉さんはニッコリ笑って、小さく手を振ってくれた。いい歌でしたよ。


「えーと、それで……どうなったの?」


 トライムの一人がそう言った時、森田さんがよろよろと歩き出した。リョーコが座る机の椅子に座り込み、ボソッと何か呟いた。リョーコが「フフッ」と笑ったので、先の「黙れ」という命令を取り消したらしい。彼は俺たちを一顧だにせず、パソコンで何か作業を始めた。何してんだろう。それより残ったアイドルたちはどうすれば……。


 俺のタブレットがピロン、と鳴った。蓬莱人からのメッセージが届いている。中身は空だが、アイテムが添付されていた。「解放コード 034」「解放コード 035」「解放コード 036」「解放コード 122」って、なんだこりゃ!?


「数字の若い順から、高橋、佐藤、渡部、黄木くんだ。適用してくれ」


 え……? 今なんて?


「それで四人を人間に戻せる」


 マジで!? やった。って待て待て待て。なんで急に……。青葉さんの歌が効いたのか。しかしアッサリすぎる。このコード、本当に信用していいのか? 何かの罠だったりはしないか? 所有権譲渡とか。


「えっと……どうする?」


 俺は本人たちに確認をとった。里奈もトライムも、眉をしかめて、不安そうな表情を浮かべている。そこにリョーコが


「大丈夫よ。本物だから」


 と請け負った。


「ど……どうしますか先輩。試します?」


「ど、どうだろう……ねえ」


 高橋さんは青葉さんに視線を送って助けを求めた。青葉さんは「やれやれ」とでも言いたげに頭を掻いて、名乗り出た。


「私がやるから。君、適用してみて」


「解放コードは専用だから、他のiドールには使えないよ」


 俺が試すより先に、森田さんが言った。面倒だな……。


「本物だよ。騙すつもりはない。……信じてくれ」


 森田さんは一言一言を懸命に喉の奥から絞り出しているかのようだった。まだ嗚咽している。重い空気が蔓延し、踏ん切りがつかない中、クルミが能天気な口調で言った。


「あ、もしかしてみんな元に戻れるんですか? やったー!」


 あのなあ……安易にコード使うのは危険が……って、言ってもしょうがないか。目下、コイツだけ純AIだからな。クルミはステージによじ登り、台座ごとピョンピョン跳ねながら里奈に近づいた。


「おめでとー、里奈ちゃん!」


 里奈は目を見開き、ポカンとしていた。ったく、クルミのやつ……。止める間もなく、クルミは心底幸せそうな、満面の笑顔を浮かべて里奈の両手を握った。ふと、俺はその表情に青葉さんと里奈の面影を感じた。


「ちょっとさびしーけど……人間に戻っても、また一緒に遊んでね!」


 最初は呆れたような表情を浮かべていた里奈も、その余りに嬉しそうな笑顔に絆されたのか、クスクスと笑った。


「……ふふっ、ありがとう、クルミちゃん」


 そう言うが早いか、ギュッとクルミを抱きしめた。クルミも抱き返し、ステージ上でiドール同士の熱い抱擁が繰り広げられた。俺の出る幕がない……。


 抱擁が終わると、里奈が元気よく手を挙げて、宣言した。


「私! 私やる! 適用して!」


「ちょっと、里奈……」


 トライムたちは心配したが、里奈の決意は固そうだ。……ま、確かにこのまま足踏みしてても仕様がないな。俺は森田さんを見た。涙で目を腫らした顔を見ていると、警戒心が段々と薄れていく。青葉さんも「しょうがないわね……」と渋々認めた。よし。やるか。






 解放コードを適用すると、里奈の体が白く輝きだした。青白い粒子がその周辺を飛び回り、里奈の姿は光に飲まれて見えなくなった。次の瞬間、人型の青白いシルエットが浮かび上がり、急速に膨れあがった。大きくなる。ドンドン大きくなって……俺と同じくらいになると止まった。やがて光が収束すると、人間に戻った里奈がポカンとした表情で突っ立っていた。足元の小さな人形用の台座は灰色に染まっている。里奈は怖々と両手を握りしめ、開き、何度もその動きと感覚を確かめた。体中を触り、最後に「ア、ア、ア」と声を出した後、号泣して叫んだ。


「も……元に戻ったよーっ!」


「うわっ!?」


 そのまま俺に抱きつき、俺ごとグルグルと回転した。おい、やめ、近いって……。人間になった里奈の存在感は圧倒的だった。いい匂いがするし、息もふきかかってくる。生きてる。人形じゃない。同じスケールの人間だ。


「こら、鼻の下伸ばしすぎ」


 床の方から声がした。青葉さんだ。それからトライムの人たちがニヤニヤしながら、抱き合った俺と里奈を下から眺めていた。急に恥ずかしさがこみ上げ、俺は真っ赤になって里奈を引きはがした。


「離れろって、ほら、後がつかえてるから」


「ありがとう……ホントにありがとうね、リンくん」


「わかった、わかったから離れろ!」






 トライム三人も無事人間に戻った後、青葉さんが森田さんに尋ねた。


「自首、なさいます?」


「ああ。……そうだね」


 彼は深く息を吐いた後、iステージ上の青葉さんに視線を定めた。


「よかったよ、君の『青いバラ』。古家良子のファンなのか」


「ええ」


「そっか。いやビックリしたよ。若い人にも彼女のファンがいるとは思わなかったから」


 深くため息をついてから、森田さんは昔話を語った。


「ああ。私の青春だったんだよ。古家良子は。大学生の頃がピークだった。色々買いまくって、コンサートにも行き詰めて、全てを彼女に捧げてたんだ。それでまあ……最終的には結婚もした」


「!?」


 その場にいた全員が息を呑んだ。森田さんは照れくさそうに頭を掻き、「まあ、離婚したんだがね」と呟くように言った。それから遠い目をして話を続けた。恐山の研究所で電霊技術を開発したこと。古家良子の死んだ後、電霊化した人間の意志を制御化に置く研究を始めたが周囲の反発に遭い、研究所を去ったこと。そこでAIドールの開発を装い、カタメホビーに企画を持ち込んだこと……。


 そして、彼女の最期についても改めて詳細を語ってくれた。


「そこに古いステージ、あるだろ? 古家良子が人生最後のコンサートをしたステージなんだ。若返った状態でね。観客は私一人。終わった後、笑ってね、言ったんだ。『最後に素敵な思い出をありがとう』って……。次の日、元の五十代ガン患者に戻って、二週間もしないうちに、彼女は逝った。その気になれば、五十年、百年生きることも不可能じゃなかったのに。私だけは不公平だからって、人はいつかみんな死なないといけない、そういう定めなんだって、わかったようなことを並べて……」


 森田さんの声は震えていた。目が滲んでいる。


「自分は間違っていた。葬儀から帰ったとき、そう思ったんだ。自分は愛する人の意思を尊重できる、出来た大人だと私は自分に言い聞かせて、彼女を人間に戻した。でも、そうしなければよかった。例え嫌がっても、ずっと手元に置いて管理していればよかったって。そうすれば彼女は死なずに済んだ。いつでも好きなときに歌を聞けたのに」


 その時、リョーコが会話に参加した。


「私達iドールは、その時に得られたデータを元に作られました。だから私たちはみんな、ある種、古家良子の分身だと言えますね」


「ほえー」


 クルミは感嘆の声を上げた。話についてこれているのかは定かじゃないが。要するに、森田さんは妻を亡くした時、自分の判断ミスで彼女を死なせてしまったのだと自分を責めて、その「ミス」を埋め合わせようと今回の凶行に走ったということみたいだ。青葉さんにiドールとしての勝負を捨てさせたのは賭けだったが、それで良かったんだな。誰かが「それは古家良子自身の選んだ選択であり、貴方は悪くなかった」と諭してやれれば、それで。森田さんが彼女の死を受け入れられるかどうかの話なのだから。


「なんだあ、ド級変態サイコパスの起こした空前の猟奇事件だと思ったのに。やけにロマンチックでガッカリしちゃう……」


「うわっ!? 土田さん!?」


 いつの間にか警察がワラワラと中に入ってきていた。気づかない内に部屋の電霊化が解かれていたらしい。倉庫で会った強面の刑事が森田さんの肩を叩いた。


「同行願えますね」


「……はい。あ、でもその前に……」






 解放されたアイドルたちは警官に付き添われ、順に部屋から出ていった。


「これで全員だな」


 鬼瓦刑事が部下に確認をとると、部下がリストと照らし合わせ、肯定した。行方不明になったアイドルたちは無事全員、元に戻れたのだ。


「行くぞ」


 森田さんが連行されようとした時、青葉さんが叫んだ。


「ちょ、ちょっと待って! 私は!?」


 森田さんの目が泳いだ。露骨に動揺している。


「ごめん、君の解放コードはないんだ……ごめんね」


「え? 何で? あの子達は解放できたでしょ?」


「電霊体になった人を元に戻す時、一律で同じコードは使えないんだ。それぞれの肉体情報に合わせてチューニングしないといけなくて……。君は予定になかったし、私の手元にもいなかったから……その……ごめん」


 同僚達の気の毒そうな視線を一身に受けながら、青葉さんが悲嘆に満ちた叫びを上げた。


「ほんぎゃーーーっ!?」

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