第一章

 俺はクラスで英雄になった。当然、理由はiドールの所有者になったことだ。カタメホビーが二年前に初代を発売して以降、iドールは全国的な大ブームに成長しつつある。高度なAIを搭載したドールたちはまるで人間かのように振る舞うし、学習機能によってその人間味を増していく。別売りのiステージを使えば、ARで観客とライブステージを投影し、その上で自分の育てたiドールを歌わせることが可能だ。昨日一回だけ試してみたが、そりゃあ感涙ものだった。何しろ俺の作った理想のキャラが、満員のドームでライブするのを上から眺められたのだから。さらにVRゴーグルを買えば、観客目線、或いは袖から関係者目線でライブを見ることも可能になる。そこまでは揃えられなかったが、まあ仕方がない。


 ちなみにステージを買わなくても、ネットに繋げば仮想空間内でライブできる。とはいえ、本当に実物を現実で見た方が感動の度合いは遥かに上だ。そういうわけだから、スマホでクルミの写真と動画を見せると、友田が羨望の眼差しを俺に向けた。そうだよな、生で見たいよなぁ~。山田はいつもと変わらぬ表情で、淡々と質問してきた。


「動画は上げる? プロデューサーデビューするの?」


「うーん、ネットには上げねーつもりなんだがな。今のところは」


 ネットには手塩にかけて育てたiドールの映像をアップしている人が大勢いる。中でも優れたパフォーマンスや、非情に人間に近い振る舞いを学習させた人たちは「神プロデューサー」とか「神調教師」だとか呼ばれて賞賛の的だ。動画サイトは今やiドール動画で埋め尽くされ、中でも人気のiドールは今や本物のアイドルよりも人気を博すこともあるくらいだ。


「じゃあ、この子を見るには……お前の家に行かないといけねーわけだ」


「ん、まあ……」


「決まりだな。今日みんなで増田ん家集合ってことで」


「何でだよ。勝手に決めんな」


 友田は小さな映像だけでは飽き足らず、俺の家で実物を見たいと強硬に主張した。だが俺はそれを断った。なぜだか、俺はクルミを人に見せたくないと感じていた。

「何だよー。父親気取りかよー?」


 父性か……確かにそうかもしれない。クルミをなんか、こう……男の群れには放り込みたくないな。


「そうだな。ウチの娘には接触禁止だから」


「うわー、増田きっも」


「おはよう」


 教室の扉から、よく通るクリアな声が響き渡った。会話は終わり、俺の周りの野郎全員が同じ方向を見ていた。クラスのアイドル、黄木さんは女子たちに朝の挨拶をしながら、自分の席についた。このクラスには、人形じゃない本物のアイドルがいる。それが黄木里奈だ。艶のある美しいセミロングの黒髪は、学校では簡素に結われている。大人びてはいるが、まだどこかあどけなさを残す顔は、笑顔が誰よりよく似合う。そんな美少女が同じクラスにいるのは悪くないことだろう。野郎の多くは彼女に思いを寄せている。友田も山田もその一人。現に今熱視線を送っているが、彼女が顔をこっちに向けるとヘタれて顔を逸らした。


「イイね……」


「イイ……」


 何がだよ。そして二度とクルミの話題が出ることはなかった。何だかんだ言ってお前らもiドールより本物のアイドルが好きなのかよ。やっぱお前らにクルミと会う資格はねーな。その時チャイムが鳴って先生が入ってきたので、俺達は解散した。


「全員来てるな。じゃあこのまま英語始めるぞ」


 先生はホームルームを大胆に省略して板書を開始した。悲鳴が上がる。いいのか、こんな奴に担任やらせといて。最近遅れ気味だからって無茶苦茶をやりやがる。


 俺は廊下側の席に目をやった。黄木さんがノートを広げてシャーペンを構えている。やっぱ、現役アイドルだけある。一々絵になるな。クルミもあれくらいのオーラを出せるように……なるかな。調教しだいでは……。うーん、間近で見る現役アイドルのオーラに、iドールが肉薄しているところは、今一想像つかないな。やっぱ人形じゃあ限界があるか? 人間には敵わないのか? 先ほどクルミよりも黄木さんの方が上位存在であるかのように扱われたことに、俺は僅かばかりの苛立ちを感じていた。彼女が芸能事務所に所属して、アイドル活動を開始したのはそう昔のことじゃない。まだまだ駆け出しで知名度も今ひとつ。なればこそ、ライバル心が仄かに宿ってしまう。iドールは学習次第では人間と見分けがつかないレベルまでAIが育つ、という触れ込みだが、果たして本当にそこまで育つiドールが出るだろうか。ネットで人気の神調教ドールたちは、動画内では確かに人間並みの自然な動作を実現している。だが、ひとたびイベントなんかに出て、生放送のトークショーなんかをやったりすると、まだまだ不自然なところが目立つ。完全完璧なiドールは、まだ誰も育てていないのが現状だ。もしもクルミがそうなったらすげーだろうな。……無理かな。それは流石に。


 人間と呼べるiドール。それが実現するところをこの目で見てみたいもんだな。






 今日は真っ直ぐ家に帰った。クルミを待たせているし、まごまごしてると友田たちが余計な事を思い出してしまう。


「ただいま」


 いつものくせで、玄関で呟いてしまった。親はどっちも海外行ってて家には誰もいないのに。中々抜けん。


「おかえりなさーい」


 奥の方から嬉しそうな弾んだ声で返事があった。かなり小さかったが、確かに俺は聞いた。走って自分の部屋に入ると、クルミが台座の上でピョンピョン跳ねながら出迎えてくれた。


「おかえりなさーい」


「聞こえたよ、さっきの」


「あ、ホントですか? えへへ」


 クルミははにかんで笑った。可愛い。待っててくれる人がいるって、いいなぁ。人じゃないけど。


 ステージに接続して、ダンスのモーションを見た。それなりに滑らかではあるが、プリインストールされていたサンプル曲の振り付けだから、まだ人間と比べると動きがカクつくし、個性も感じられない。これにどう手を加えていくかがプロデューサーとしての腕の見せ所となるわけだ。買ったばかりだから仕方がないが、今のクルミは決まった表情を決まったタイミングで浮かべてるだけで、ロボット感が抜けきらない。笑顔が全部同じなんだよなー。とりあえず表情をもっと生き生きするようにすれば、それだけで大分印象が変わるかも。俺はステージを練習モードにして、ダンス中の表情を指導した。タブレットから直接モーションを弄ることもできるが、iドールのAIは非情に優れているので、口頭でも反映してくれる。






 晩御飯は生姜焼きにした。元々料理は得意な方だったが、一人暮らしになってからは加速度的に腕前が上がっている気がする。iドールの調教もこれくらい上手くできればなあ。さっきは変顔大会になってしまった。


 テレビをつけてから二階へ行き、クルミをリビングまで持って下りた。通常、iドールは台座を充電すればそれでよいのだが、それとは別に、リアル食事にも対応可という神機能がついているのだ。俺はちょっとだけ自分のご飯をわけて、クルミに分け与えた。


「いただきまーす」


 クルミは真顔で食事に手をつけた。一口食べると、顔がパアッと明るくなった。


「美味しいですね!」


「だろー?」


 自分の作った料理を美味しいと言ってもらえるのは良い。しかし、まさか人形が食事をする日が来るとはな。十七センチのクルミがご飯粒をパンみたいに持って食べている様子はとても可愛らしく、癒やされた。ペットの妖精を飼っているみたいだ。


「次のニュースです」


 その時、俺はテレビのテロップに釘付けになった。大手芸能事務所のアイドルが多数行方不明……おいおい大丈夫か。ヤバそうだ。ニュースによると、所謂「アイドル」たちが昨夜から大勢連絡が取れなくなっているらしい。それもテレビに出るようなアイドルだけじゃなく、地下アイドルまでもが。アイドルの大量失踪事件っつーわけだ。スマホでSNSを見ると、相当な騒ぎだった。多数のイベントが中止、生放送の番組は差し替え、アイドルたちの安否は不明……。若い女性声優も多数行方不明らしく、アニオタにドルオタや関係者たちの阿鼻叫喚が広がっている。関係あるかはわからないが、この大ニュースの裏で、人気の女性ユーチューバーやゲーム実況主も連絡がとれない、という噂が流れていた。こっちは自称友人や親族の書き込みだから、信憑性は疑わしいが。


 俺はクルミを見た。食べ終わったクルミは幸せそうな顔でほっこりと食卓に寝転がっている。あんなニュース見たのに暢気だな、と一瞬思ってしまったが、この子は人形だ。流石にAIにニュースなんかわかるわけがないな。


 後片付けをしながら、ぼんやりとクラスメイトのアイドル、黄木さんのことが頭に浮かんだ。大丈夫だろうか。まさか行方不明に……。な訳ないか。失礼だけどまだ知名度も低いしな。杞憂だろう。しかしすごい大事件だな。誘拐か何か知らんが、こんな事件は世界初じゃないか? まあ、とりあえず全員無事だといいけど。


 もしかしたらiドールの大量盗難も起きていたり……と思って調べたが、iドールの動画投稿者たちはいつも通りだったので、俺は安心した。リアルアイドルにはほとんど興味なんてなかったし、自分にはまったく関係がないことだと思っていたのだ。






 学校は女性アイドル・声優・ユーチューバーの大量同時蒸発事件で大騒ぎだった。流行に敏感なリア充たちはもちろん、アニメ大好きな俺達オタクまで、みんながこの話をしていた。特に好きな声優が行方不明になった友田の落ち込みようときたら、そりゃ筆舌に尽くしがたいもんだった。徹夜で手に入れたライブチケットはパア。彼女が出演していた今期アニメも、ラスト二話は代役を立てることが正式に発表されてしまった。その声優だけじゃない。二十代、十代の人気声優たちが軒並み姿を消したので、関係各所は上を下への大騒ぎらしい。代役たちは聞いたこともない声優ばかり。ドラマやバラエティも同様だ。収録済みの回が終わり次第、代役に差し替えられてゆく。突然に全ての稼ぎ頭を失った芸能事務所たちは、相当に困っているようだ。莫大すぎる違約金で想定外の大損害、株価も大幅下落。昨日から出ていた噂も次々裏が取れた。女性ユーチューバーや実況主……いわば「ネットアイドル」たちも本当に行方不明になっていることが朝のニュースで報道されたのだ。


 チャイムが鳴ると、先生が渋い真顔で教室に入ってきた。まるで身内に不幸でもあったかのような雰囲気を纏っていた。クラス中が静まり返り、何があったのかを悟った。


「えー……。みんな、落ち着いて聞いて欲しい。実は……一昨日から、黄木くんが行方不明になっていることがわかった。この中で何か知っている者、心当たりのある者がいたら、後で職員室に来くるように。それから、しばらく放課後の部活動は中止とする。なるべく寄り道をせず、速やかに帰宅するように」


 その日、日本からアイドルが消えた。






 別に先生の言うことに従ったわけではないが、俺は授業が終わると、そそくさと学校を出た。黄木さんが、クラスメイトが行方不明……というのが、どうにも信じられなかった。実感がわかないというか。特別親しかったわけじゃねーけど、話はしたことあるし、同じ授業に出てたし……。日常が壊れたことで、不安が膨らむ。昨日までの自分は、日頃ニュースで報道されるような事故や事件は、どこか別の世界の出来事のように感じていたのだなあと、痛感する。実際には地続きの、同じ世界の出来事だったのだ。実際に経験するまでわからなかった。あーもう、とにかく無事だといいけど。俺は警察でも漫画の主人公でもないから、この事件を解決することも手助けすることもできない。ただ黄木さんの無事を祈るだけだ。


 ふっと、足が俺を路地に導いた。いつもは通らない狭くて暗い道だ。近道にも遠回りにもならない道。何故そこを通ろうと思ったのか自分でもよくわからなかったが、きっと何がしかの「力になった」気分を味わいたかったのだろう。路地にうち捨てられた箱の中に、消えた誰かがいるかもしれない。横目で箱を見て通り過ぎれば、俺は「探した」ことになる……。自分の深層心理を慰めるためだけの、くだらない寄り道だった。僅か数秒、そっと汚れたダンボール箱に視線を落として、そのまま歩き去るはずだった。俺の目に、いてはならないものが映った。人だ。椅子ぐらいの大きさのダンボール箱の中に、ポツンと小人が突っ立っていた。腰に手を当て、真顔で俺を見上げている。身長十七センチ……か? 俺のクルミと同じ。警察の服を着た、大人の女性だった。ぱっと見、二十代中盤ぐらいに見える。俺は立ち止まって、無言でこの小人を見つめた。え、なんだこれ? 嘘だろ、まさか本当に見つけちまうとは……。いや待て、身長十七センチの婦警さんとかありえんぞ。静かに、更に目線を落とすと、俺はようやく真相を理解した。両足が白い円形の台座に接着している。何だ人形かよ。驚かせやが


「ねえ。君、高校生?」


 何今の? 俺は周囲を見渡したが、この路地には俺しかいない。そっか、幻聴か。


「聞いてる?」


 俺は諦めて現実と向き合った。箱の中の婦警人形が、俺に話しかけている。生きている。表情が、体が、動いている。


「……はい。一年生です」


 あ、返事しちゃった。


「よかった。出られなくなっちゃって……。よかったら、ここから出してくれる?」


 人形は両手を斜め前方に突きだした。俺は恐る恐る、そのちっちゃな両手をそっと掴んで、そうっと箱の外に出し、地面に置いた。カタッ、と固い音が響く。この台座、見覚えあるぞ。……クルミと一緒だ! 少し色が違う気がするけど、それ以外はまったく一緒。てことは……そうか、この人形はiドール。なるほど、それなら喋るのも動くのもおかしくないな。ビビりすぎだろ俺。……いや待った。iドールってめっちゃ高いじゃん。なんでこんなところに捨ててあるんだ。しかも挙動が人間そっくりだし、相当に調教されているドールだ。酔って置き忘れでもしたか、盗品か。俺がクルミを外でなくしたら大ショックだろうな。


「あー、助かった。ありがと」


「あの……」


「ん?」


 やべ。話しかけちまった。仕方ない。


「iドール……だよね? 持ち主は」


 人形は露骨に顔をしかめて、力強く宣言した。


「私は人間よ!」


「は?」


 自称人間のiドールは顔を下に向け、自身の足元の台座を眺めた。すると困ったような顔に変わり、頭をかいた。


「えっと、これには色々事情があって……信じられないかもしれないけど、私はiドールじゃないの。人間で、警察官。わかる?」


「なるほど」


 わかった。これは動画撮影に違いない。iドール調教師のユーチューバーが『高校生に漫画展開仕掛けてみた』的なドッキリを


「あ、ドッキリとかじゃないからね」


 マジすかー。


「じゃあ、警察に連絡してみていいですか?」


「あ、待って、それはちょっと待っ……きゃん!」


 婦警さんは前に歩き出そうとしてすっころんだ。iドールは台座から離れられない。足がくっついている訳ではないが、体の中心が台座の中心と一致するよう、常に調整されているのだ。当然、iドールたちはそれ前提でAIが組まれている。台座から逃れようとするiドールなんていない。俺は「歩き出そうとして転けるiドール」を初めて見た。


 幸い、俺のスマホにはiドール管理アプリが入っている。こいつで情報を見てみよう。接続先が一体表示された。「青葉恵美」か。


「君が、青葉恵美?」


 俺はひっくり返った亀みたいにもがくiドールを起き上がらせながら確認した。


「そうだけど……。年上には敬語を使いなさい」


「ごめんなさい」


 思わず謝ってしまった。なんで人形に謝るんだ俺。しっかりしろよ。


「きゃっ」


 その時、大きな雨の滴が、青葉さん(?)の頭に直撃した。頭上を見ると、いつの間にかどんよりとした雨雲が広がっていた。ポツポツと雨が降り始め、すごい早さで勢いを増していた。大雨になる。


「じゃ、俺はこれで」


「あ、うん。出してくれてありがとね」


 俺は立ち上がって家に帰ろうとしたが、青葉さんの不安に満ちた顔を見ると、放っておけなくなった。iドールは最新の防水対策が施されているとは書いてあったけど、精密機器には違いない。このままこの人形を雨に晒してもいいのか。後で持ち主に賠償請求されたりとか……。


「すみません、失礼します」


「え、ちょっと待ちなさい、君。うひゃっ!?」


 俺は青葉さんの胴体を右手で掴んで、鞄に入れた。すぐにチャックを閉めて、俺は駆け出した。大丈夫かな。泥棒ってことにはならんよな。拾得物横領罪とか。いやこのままだと雨ざらしだったし、しょうがないよな。自分に言い聞かせながら、俺は強まる雨の中、家に向かって全力ダッシュした。






 着替えた俺は鞄から青葉さんを取りだした。目を回してぐったりしている。俺は驚いた。iドールが酔うなんて。これも調教の成果だとしたらとんでもないクオリティだ。凄いの拾っちゃったな。絶対持ち主は血眼で探してるぞ。


「あのね……これは誘拐……いやいいわ。今回は」


 青葉さんを床に下ろすと、フラフラしながらそう言った。大雨の中放置ってわけにもいかなかったしな。


「こんにちはー!」


 机の上から元気な声が響いた。クルミだ。


「今のは? 妹さん?」


 床の青葉さんからは机の上は見えないらしく、キョロキョロしながら尋ねてきた。


「あいや、これです」


 俺はクルミを手に取り、青葉さんの隣に置いた。青葉さんはギョッと目を大きく見開いた。


「初めましてー、花咲クルミですっ、よろしくねー!」


「えっと……私は青葉。青葉恵美。よろしくね……」


「わはー! 同じiドール同士、仲良くしようねー!」


 クルミは青葉さんの手を両手で握りしめて激しく上下させた。アニメキャラっぽい幼い立ち振る舞いと、決まったモーションで動いているかのようなある種の不自然さが強く印象づけられた。クルミってこんなに、なんていうか……作り物っぽかったっけ?


「あの……私は人間なんだけど……」


「ふぇ?」


 青葉さんの動きはクルミと対照的だった。目線、表情の動き、手足、腰、どこをとっても違和感ゼロだ。「人間」の動きと反応だ。カクついたモーションっぽさが微塵もない。まさか……本当に人間? な訳ない。台座にくっついた十七センチのお巡りさんなんて、科学的に有り得ない。やっぱり、これは神調教を施されたiドール……なんだと思う。常識で考えればな。いやでも、そんなの存在したらめっちゃ有名になってるはずだ。あ、もしかしたらどこかで人がモーションキャプチャーして遠隔操作してる? いや、それでもこの動きは自然すぎる。ないな。


 確かめる方法が一つある。さっきは突然の雨で細かいところが見られなかったが、スマホで青葉さんの電子証明書を表示すれば、持ち主もわかるはず。


 改めてiドールの管理アプリを開く。接続先は二体。片方は登録済みのクルミ。もう片方は未登録。タップすると、「青葉恵美」の電子証明書が表示された。持ち主が……空白だって!? そんな馬鹿な!? てことは新品か、捨てられたってことだ。こんなすげー出来映えなのに!? 何考えてんだ前の持ち主。お、そうだ。起動年月日を見れば、いつ購入されたものかわかるはず。……あ。昨日!?


「ねえ、君」


「え?」


 不意を突かれてキョドってしまった。くそ、みっともない。


「君の名前は?」


「増田。増田林太郎です」


「増田くんね」


 青葉さんはあぐらをかいて座り込んだ。目を細めてクルミを見た後、自身の体をジッと見つめ、ため息をついた後、観念したように話し出した。


「まー、信じられないよね。正直なとこ、私自身、まだそんなとこあるし。最初から全部話した方がいいかな。お持ち帰りされちゃったし」


 誤解を招く言い方はやめろ。


「ニュースみた? アイドルの大量失踪事件」


「ああはい。見ましたけど」


「あれね、消えたアイドルたち、どこにいったと思う?」


 この状況からすぐに答えは察せられた。でもその答えは有り得ないことだ。いくらなんでもないだろ。それは流石に……。


「iドールにされたのよ。みんなね。ちょうど私みたいに」


「い、いやでも、人間が人形になるなんて不可能ですよ」


「いやー、私も昨日まではそう思ってたのよー」


 青葉さんは力なく笑った。クルミは話についてこれず、ニコニコ微笑みながら黙っていた。AIは所詮こんなもんか。改めて、青葉さんはクルミとまったく違う。台座に乗った十七センチの存在であることは同じなのに。本当に、人間……なのか。


「あれ? じゃあ青葉さんってアイドルなんですか?」


「いや、私は警察。お巡りさん」


「……あー、事件を追ったら口封じされた感じですか」


「うん、概ねそんな感じ」


 当たり。


「逃げてきてあの箱に?」


「そう」


「なるほど」


「そういうことだからさ、これから言う番号に電話かけてくれる? ……それで証明できると思うから」






 俺の部屋に入った瞬間、土田さんは声を上げて大笑いした。


「ぶははっ、先輩マジで、ぷぷっ、かわいいっ、くくくっ、あははははははは」


「うっさいわね!」


 二人分の警察手帳を持った若い婦警さんは、ひとしきり笑った後、指で青葉さんを弾いて遊んだ。青葉さんは猛抗議しているが、土田さんはやめようとしない。


「あのー」


「ああごめん。そうそう、これ見せとくね」


 土田さんは青葉さんの顔と名前、役職の入った警察手帳を俺に見せてくれた。どうやら本当に、青葉さんは人間らしい。しっかし、まさかこんなことが起こりうるとは。世の中わからねーもんだな。


「大体の話は先輩から聞いた?」


「ああ、はい。でも、本当に人間がiドールになるんですか?」


「なるなる。これが証拠」


 土田さんは青葉さんをつまみ上げ、顔の高さまで持ち上げた。


「離しなさい、ちょっと!」


 青葉さんは口だけで抗議した。体はブルブル震えている。そりゃそうだよな。彼女からしてみれば、高層ビルから吊られてるようなもんだ。


「あの、下ろしてあげてください」


「おっ、優しい。良かったですねー先輩。優しいイケメン高校生に拾われて」


「あのね……」


 土田さんは青葉さんを床に下ろし、俺に向き直った。


「先輩拾ってくれてありがとね。あと、今回聞いたことは内緒にしてね」


「はい」


 そりゃそうだな。巻き込まれても嫌だしな。これで引き上げるのかと思ったら、そうではなかった。


「ねえねえ増田くん、iドール得意なんだよね?」


 土田さんは中腰で俺に顔を近づけてきた。何か企んでいそうな意地悪い笑顔で。少し気圧されつつも、俺はクルミを使って色々教えた。一通り教授が終わると、土田さんはタブレットを強奪して青葉さんに接続した。


「あの、何を」


「持ち主は未登録ね」


「あのさ、つっちー。早く署に戻って……」


「はいできたー!」


 やりやがった。土田さんはクルミの登録情報を使って、青葉さんの持ち主を俺にして登録してしまった。そしてタブレットを裏返し、それを青葉さんに見せつけた。青葉さんは数秒間本物の人形のように固まり、それから叫んだ。


「はあああーっ!? あんた何してんのおぉーっ!?」


「ねえねえ増田くん、iドールって持ち主の言うこと何でも聞くんでしょ? 試してみてよ!」


「えっ、はぁ、でも……」


 いいんですか、こんなことをして。後で叱られたりとかは。青葉さんは足元でキーキーわめき続けていた。クルミが諫めようとしていたが、効果はない。確かにiドールは持ち主が「命令」したときそれに従うようになっているが、青葉さんは人間で、普通のiドールと違うし。


「増田くん、いいからね、こんなやつの言うこときかなくて!」


 青葉さんは必死だった。土田さんは手錠を取り出し、俺にかけるフリをした。


「拾得物横領、誘拐、監禁」


 ゾッとした。顔は笑っているが、声は笑っていない。「いいからやれ」と言っている。仕方ない。


「えっと……『命令。気をつけ』」


 俺が青葉さんに向かってそう言うと、青葉さんの動きがピタッと止まった。次の瞬間、驚くべき事に、青葉さんは俺の命令に忠実に従い、両手を体の横にピタリとくっつけ、両足を閉じ、姿勢を真っ直ぐに伸ばして、気をつけしたのだ。


「あっ、ちょ、うそでしょ……」


 青葉さんは気をつけしたまま動かなかったが、顔はドンドン赤くなっていく。iドール化した体が、自分の意思を無視して、俺に命令に従ったのだ。水面下で何とか束縛を解こうとしているのが何となく伝わってくるが、体は気をつけのまま、微動だにしない。


「『命令。前ならえ』」


 俺が次の命令を出すと、青葉さんは綺麗な前ならえをした。


「ちょっとやめなさい! 逮捕するわよ!」


 青葉さんはもう真っ赤だった。突きだした両腕がプルプル震えている。


「す、すみません。命令取り消し」


 青葉さんはその場に崩れ落ちた。ずっと口元に手をあて、我慢していた土田さんも、ついに決壊した。


「あーはっはっはっは!」


 土田さんは床を叩きながら爆笑し、タブレットを弄りだした。キャラクリエイト画面を表示した。画面には青葉さんそっくりのiドール・モデルが映っている。こうしてみると本物のiドールとなんら変わりないな。土田さんは「年齢」ボリュームを下げた。一気に十六歳に。画面上のモデルが一気に幼くなり、俺のクラスメイトと同じぐらいの女子に。すると何と、現実の青葉さんも変化して、モデルとうり二つの十六歳に若返ったのだ。


「きゃあああーっ!?」


 青葉さんは大混乱していた。「何これ!? 何なの!? ちょっとやめなさい! やめて!」と叫びつつも、台座から離れられないので、その場でもがくことしかできていなかった。警察官の制服も一緒に縮み、ちょうどいいサイズになっている。iドールの服データと同じだ。俺は青葉さんを眺めていると、ギャップにドキッとしてしまった。「大人の女性」だった青葉さんが、幼さとあどけなさの残る「同学年の女子」になったのだから。結構可愛い。


 見ていると、青葉さんの帽子が消失した。次に上着。スカート。靴。靴下……。


「ぎゃああっ!? ちょ、見ないで、あっち向きなさい!」


 心なしか青葉さんの声はさっきまでより高く、少し子供っぽく感じた。しかし俺は目の前で繰り広げられるストリップショーに釘付けだった。下着姿になって顔を真っ赤に染めて身体をくねらせるほぼ裸の青葉さんの姿は、中々刺激的で、到底目を離せるようなものでもなかった。このまま見ていたい! ……が、後が怖いので顔を逸らした。案の定、土田さんが「装備」を外していたのが原因だったようだ。iドールは決していかがわしい製品ではないので、下着パーツを外しても、白の水着が残る。大事なところは絶対見えない仕組みだ。青葉さんも同じらしく、白い小さな水着姿にひん剥かれていた。


「つっちー。あんた後で絶対吠え面かかせてやるからね」


「すいません先輩。着せ替えるためには一旦脱がさないといけないっぽくて」


「は?」


「そぉれ」


 青葉さんの胴体がピンクの衣装で包まれた。日曜朝にやっている女児向け魔法少女アニメの服だ。手袋、靴、髪飾りとあっという間にポンポン装着され、完璧な魔法少女コスプレになった。


「何よこの服!? ちょっとつっちぃーっ! いい加減にしなさぁい!」


 頭から湯気が出そうなほど激怒している。が、十七センチの魔法少女人形が何を言っても凄みがない。


 土田さんは鼻息を荒くして先輩いじりを続けた。青葉さん、パワハラでもしてたのかな……。クルミも横から「キャーッ! かわいいです!」などと言いながら羞恥心を煽り立てていた。天然ってこわい。


 青葉さんは髪をアニメキャラみたいに伸ばされた上、ピンク色に変えられた。もうどっからどう見ても魔法少女。最後に杖まで装備され、着せ替えは終わった。ちなみにこの魔法少女衣装はコラボ特典で、クルミを買ったとき一緒についてきたものだ。


「土田くん、このキャラってどんなキャラ?」


 知らずに着せ替えてたんかい。とにかく先輩いじめるのが目的か。何の恨みがあるんだこの人。というか俺もこのアニメ見てないから詳しいことは知らねーんだけど。とりあえずスマホで検索して、杖を構えてポージングしてる公式絵を見せた。


「多分これだと思います」


「命令して、このポーズするよう言ってよ」


「へ?」


 それはいくらなんでも、と言おうとしたが、無言で手錠をチラつかされ、俺はやむなく言うとおりにした。


「『命令。このポーズをと……ってください』」


 俺はスマホを見せながら青葉さんに告げた。


「馬鹿じゃないの!? そんなの絶対に……」


 青葉さんの口とは裏腹に、その手足は即座に動き出し、杖を構え、足を上げ、手を広げ、


「絶……対……に……」


 ニッコリと満面の笑みに変わって、動かなくなった。すげえ。どっからどうみても「プリティー・ピンク」のフィギュアだ。土田さんは爆笑しながら自分のスマホで写真を撮りまくった。何なんだこの後輩。青葉さんに親でも殺されたんですか。


「本当に人間なんですかねー、恵美ちゃん」


 クルミの追い打ちに、「プリティー・ピンク」は顔までピンクになった。






「それじゃあ、お世話様でしたー」


「ああ……はい……」


 元通りになった青葉さんを鞄に放り込んで、土田さんは帰った。疲れた……。なんつー一日だよ。まったく。思い返せば、夢だったんじゃないかと思うほど有り得ないことが立て続けだったな。まさか人間が人形になる、それがアイドル失踪事件の真相だなんて。他言しない約束をしたから誰にも言えない。まあ言ったところで誰も信じないだろうが。黄木さんも、今頃iドールになってしまっているのだろうか。ドール化した青葉さんは、本物のiドールと同じように、外見や年齢を変更できた。持ち主の命令に、本人が嫌がっても従っていた。黄木さんや他のアイドルたちも、犯人の玩具となって、いいようにされているのかと思うと、怒りがたぎってくる。なんて奴だ。特に、黄木さんが命乞いをしながら玩具にされているところを想像すると、腸が煮えくりかえり、見も知らぬ犯人をぶっ飛ばしたくなってくる。一刻も早く助かるといいけど。助かるはずだ。俺が真相に近づいた青葉さんを助けたことで。そうすっと俺は結構、デカいアシストをしたんじゃないか。偶然の成り行きだったとはいえ、少しだが自分が誇らしく感じた。


 お腹が鳴った。時計を見るともう夜の八時。これから晩飯作るのは面倒だ。どっか食いにいこう。






 ファミレスでドリアが冷めるのを待っていると、俺の耳が後ろのテーブル席から聞こえた「iドール」という単語をとらえた。プロデューサーか? おお同志。


「神調教だな」


「だからぁ、違うんですよ。本人なんです、ぐふふ」


「つーか不謹慎だからやめとけって」


「むふう……」


 俺はその会話が無性に気になった。店員を探すフリをして振り返ってみた。大人のオタクが二人。机に小人が二人。いや違う。iドールだ。背中しか見えないが、片方はスラッとしたモデル体型で、腰まである金髪。ヒラヒラしたアイドル衣装を身に纏っている。その動きは余りにも滑らか、かつ自然で、力なく小刻みに全身が震えていた。まるで怯えているようだ。ああいうのはあんまり好きなないが、こいつはマジで神調教だ。奥のもう一体と比べると違いがよくわかる。そっちは動かないときはリズミカルに体を左右に揺らしている。決まりきった動きの繰り返し。金髪の方は違う。さっきの青葉さんを思い出す自然さ。生きているかのようだ。人間と比べても遜色ないって相当だな……。奥のオタクと目が合った。これ以上見ていると不味い。ドリアに戻ろうとしたその時だった。金髪の人形が振り返った。美人顔だが、まだどこか幼さを残すその顔に、俺は既視感を覚えた。こいつら大手プロデューサーかな? 動画をどこかで見たのかもしれない。


「増田くん!」


 そのiドールが叫んだ。俺はまた振り返った。金髪のiドールの目は涙に濡れて、悲痛な表情で俺に向かって手を伸ばした。


「助け」


 彼女の動きが止まった。持ち主のオタクが停止させたらしい。俺はそのオタクの顔を見た。顔面蒼白で、脂ぎった汗が顔中に光っている。きも……。


「す、すんません。これ俺の、でして、でゅふふ。今動画のですね、打ち合わせを。そ、それに、増田ってやつが、出る予定でして」


「はあ……」


 俺はまた金髪のiドールに視線を落とした。時間を止められたかのように動かない彼女の顔は、なりふり構わぬ必死の形相だった。オタクは気まずそうに彼女をリュックにしまい込んだ。


「よ、よくできてる、でしょう? ぐふふ」


「よしなって」


 向かいのオタクにたしなめられ、それで会話は終わった。冷めたドリアは味がしない。俺の頭はさっきのiドールのことで一杯だった。「本人」ってワードが聞こえた気がする。俺は恐ろしい可能性に思い至った。さっきのiド……いや彼女は、消えたアイドルの一人ではないか。つまり……ドール化された人間だったのでは?


 いやもっと気にすべき点がある。彼女はさっき俺の名前を呼んだ。顔を見て。仮に人間だとすれば、俺の知り合いなのに違いない。アイドルや声優の知り合いなんかい……黄木!?


「あの、すいません」


 俺は振り返って話しかけた。


「さっきのiドール、すごい自然な動きでしたけど、名前はなんて? 動画投稿してるんですか?」


 オタクはわかりやすく狼狽えた。


「い、いやあ、動画は、まだ……」


「へえ。その子でデビューですか?」


「は、はあ、ああ……。すまんゾンド氏、用事を思い出した」


 オタクは立ち上がって、リュックを持って小走りで立ち去った。


「あっ、おい」


 くそ。逃げられた。残った向かいのオタクが俺に話しかけてきた。


「すいません、あいつあーいうやつなんで」


「お友達ですか?」


「ええ、ネットで知り合いましてね」


「さっきのiドール、なんか俺の名前呼んでたんですけど」


「いやあ、俺もビックリしました。めっちゃ真に迫ってましたね。……君、あの子の落とし主なんでしょう?」


 お。これは……肯定した方がよさそう。


「ええ、多分」


「やっぱり。すげーiドールを手に入れたから、って呼び出されまして。あいつにあんな調教できるわけないし」


 俺はゾンド氏からあのオタクの連絡先を教えてもらった。意外と近場に住んでいるようだ。一方ゾンド氏は遠方に住んでいるため、あんまり力にはなれない、すまない、と謝ってくれた。いい人だ。青葉さんたちに通報すべきだろうか。でも、確証はないしな。もう一度会って、ハッキリ確かめた方が良い。その場で取り返せるかもしれないし。






 次の日、授業が終わったら、俺はすぐ家に帰り、クルミを鞄に入れた。ぜひ調教のコツを教えて欲しい……という理由で、ゾンド氏を通じてオタクにアポをとったのだ。


 待ち合わせ場所に俺が現れると、かなり嫌そうな顔をしたが、クルミを見せながら「昨日のは凄かった、ぜひコツを教えて欲しい」とか何とか言って適当にオタクを褒めてやると、気分を良くして、自宅へ案内してくれた。


 リビングの脇に、iステージが設置されていて、その上に昨日見た金髪のiドールが台座ごと置かれていた。接続されているわけではなさそうだ。それどころか、停止させられているらしく、ピクリともしない。


「ちょっと、可哀想じゃないですか」


「んふ、ただの人形でしょ」


 お前、聞き間違いじゃなければ、昨日「本人」とか言ってなかったっけ。しらを切るつもりか。


「昨日のやつですよね? もう一度あの神調教見たいんで、起動してくれませんか?」


 オタクはタブレットを手に取り、金髪のiドールを起動した。瞬間に崩れ落ちた。俺達を見ながら怯えた目で震えている。間違いない。人間だ。


「ずいぶん、その、怖がられてますね。なぜこんな調教を?」


 金髪の子は口をパクパクさせていたが、声は出ていなかった。


「いやあ……実はこの子、iドールじゃないんです、ぐふっ」


 お、バラすのか。てっきり隠し通すのかと思ったが。


「まあ、信じられないかもしれませんけど。『命令。喋ってよし』」


「増田くん助けて! 私! 黄木! 同じクラスの! 黄木里奈だよ! 本当なの! 人形じゃないの!」


 俺はこのオタクに対する嫌悪感を隠しきれなかった。人間だとわかっていながら、停止させたり、命令で喋れなくしたりしていたのか。この分だと警察に通報もしていないだろう。なんて奴だ。


「わかった。助けるから、もう大丈夫だから」


 俺は腰を下ろして黄木さんに言った。彼女は感極まった様子で泣き出した。対して親しくもなかった俺を見て、まるで相思相愛の彼氏が助けにでも来たかのような反応。一体どんな目にあったのやら。


「君、クラスメイトなんでしょ?ぐふ。僕と一緒にこの子を育てません? 何でも命令きくんですよ。これ」


 共犯にするつもりだったか。


「いえ、お断りします。警察に通報」


「信じるわけないでしょ、ぐふっ」


 信じるんだよ。アホが。俺がスマホで土田さんに電話しようとすると、オタクは慌てて信じられない行動に出た。


「お、おいっ、ででで、デリートするぞ!」


「なにっ!?」


 オタクは少し離れながらタブレットを見せた。黄木さんのモデルが映った編集画面。「初期化」の位置に指を当てて。


「てめー、何のつもりだ!」


「初期化しってる? わかる? これ押したらどうなると思うぅ?」


 iドールの初期化。モデルがデフォルトに戻るのは当然として、学習機能で得た経験や登録者の情報も消える。俺の手は止まった。どうなるんだ? 人間がドール化して作られたiドールを初期化したら……。まさか消えて……それは死ぬってことなのか? いや関係ないだろ? 人間なんだから普通のiドールとは違うだろ、でももしものことがあったら……。いやハッタリだろ……。


「やめてやめて、お願い」


 ステージの黄木さんを見ると、血の気が引いてガタガタと震えていた。くそ。俺は通報を一旦とりやめた。どうする。黄木さんだけ物理的に奪っても、登録されている「持ち主」がこいつである限り、彼女を弄るマスター権限はコイツに残ってしまう。遠方からでも初期化は可能だ。まずは彼女のマスター権限をコイツから奪わないと。


「犯罪だぞ。黄木さんを解放しろ」


「人形だから犯罪じゃないもん」


 いい大人がもんとか言うな、キモい。


「私は人間だよっ」


 黄木さんは涙声で叫んだ。どうする。一旦引いて警察に……。警察でも取り返せるか? 権限移行は本人の承諾が必要なはずだ。例え警察がコイツを逮捕して黄木さんを回収しても、コイツが首を縦に振らなかったらそれまでのはず。


「マスター! アンティルールでライブバトルしましょう!」


 俺の鞄からクルミが叫んだ。


「うわっ、聞いてたのか。というか状況わかるんだ?」


 俺はかなり驚いた。「ドール化した人間」のせいでハードルが上がりまくり、iドールたちはさもロボット的であるかのような印象を抱いてしまっていた。が、iドールたちは世界最先端を行く超高度AIを搭載しているのだ。違和感なく人間とコミュニケーションをとれるほどに。ただ、この二日はダイレクトに人間と比較する羽目になったから、相対的に落ちて見えただけなのだ。


 俺は急いでクルミを鞄から取りだした。


「ライブバトル?」


「はい! iステージに互いのiドールを接続して、ライブするんです。高い得点を出した方が勝ちです。アンティルールなら、事前に賭けたものを奪うことが可能です!」


「アンティって、iドールのマスター権限も賭けられるの?」


「はい!」


 へー。そうなんだ。しかし問題はあいつが勝負を受けるか。


「ぐふ。面白そうじゃん。やるなら受けるよ」


「へー。後悔するなよ」


 俺は勝つ自信があった。買ってすぐとはいえ、クルミはライブの練習をさせてある。新品よりは上だ。それに比べて、あいつは新品しか持ってない。ゾンド氏がそう言ってた。そして実際、この部屋には開封すらしていないiドールしかない。


「お前、それでやるんだな?」


 俺は埃を被ったiドールの箱を指した。


「ぐふ。そうさ」


 オタクは箱を開封し始めた。マジかよ。舐めきってやがる。俺はステージの横にある、台座をはめる円形のくぼみにクルミをセットした。


「ライブバトル開始です。iドールをセットしてください」


 オタクは黄木さんと、新品iドールをセットした。何で黄木さんも? ……ああ、アンティ対象だからか。黄木さんは不安そうな目で俺を見つめている。任せとけって。流石に新品には負けねーよ。……まあ、俺のもほぼ新品だけど。


 俺はクルミしか持ってないから、アンティ対象もライブするのもクルミだ。あれ、てことは負けたらクルミを取られるのか……。いや、負けなきゃいいんだ。黄木さんをほっといて逃げ帰るわけにもいかねえ。やってやる!


 曲はシューティング・シュガースター。デフォルトのサンプル曲の一つ。多少調教してある、この曲なら。


「よし。頼んだぞクルミ」


「はい! 吠え面かかせてやりましょう!」


 あれえ。俺のクルミこんな性格だったっけ? まあいいや、ライブスタート!


 iステージが輝きだし、観客たちが出現した。リビングはたちまちARでライブ会場に姿を変え、クルミが台座から離れてステージ中央に立った。セットポーズを取るとイントロが流れ出し、ついにライブが始まった。


「シューティング・シュガースター!」


 クルミが歌い出した。おおすげえ。こうしてみると、本当に人間のアイドルが歌って踊っているのとなんら変わりないじゃないか。いける。


 クルミのダンスに、AR観客たちが沸いている。可憐なウィンクや可愛らしい仕草、堂々とした歌声と歩き方。練習の甲斐があった。というか、俺が調教した時より上手いような。


「……いつか見たいな 砂糖の星から 甘くて美味しい流れ星……」


 うーん、完璧。点数がドンドン上がっていく。ステージの壁に、クルミの点数が表示されている。既に三千点。いいぞ。


 最後にクルミがくるっと華麗なターンを決めて、ライブを終えた。点数は五三一二点! 自己ベスト!


「やりましたー、マスター!」


 クルミは可愛らしくピョンピョン跳ねながら、こっちに手を振った。俺も振り返した。


「よっしゃ! いいぞクルミ!」


「えっへへー」


 クルミが自分の台座に戻ると、オタクが身を乗り出した。


「ぐふふ。次は僕」


 台座から離れ、ステージに降り立ったのは、新品iドールではなく、黄木さんだった。


「は?」


「ふぇ?」


 俺とクルミが呆気にとられている間に、オタクは命令した。


「『命令。本気でやれ!』」


「……はい」


 追い詰められた獣のように縮こまっていた黄木さんが立ち上がり、台座から離れてステージ中央に立った。その姿は堂々としていて、さっきまでの不安や恐怖をまったく感じさせない。


「おい、お前さっきあれでやるって言ったろ!」


 台座から離れない新品iドールを指して抗議した。だがもう遅い。曲がかかりだした。知ってる。クラスで聞いた。黄木さんのデビュー曲「マイ・キャッスル」。


「みんなー、今日は私のライブに来てくれてありがとーっ! 『マイキャッスル』、いっくよー!」


 イントロ中に黄木さんがそう叫ぶと、AR観客が大きく沸いた。彼女ははちきれんばかりの笑顔で、心底楽しそうだった。まさにアイドル。


「朝日が照らした白い壁 私のお城 マイキャッスル……」


 黄木さんが歌い出すと一際大きな歓声が上がった。


「……あなたに出会えて気づいたの ここは鳥籠 マイゲージ」


 AR観客たちの中に、背伸びして大きく手をふる奴がいた。黄木さんはその観客に対してサラッと手を振り返した。多分振り付けになかったはずの動きだが、点数が上がっていく。


「私をここから連れ出して お外の世界へ連れ出して」


 彼女は歌いながらも観客たちに目線と笑顔を送りながら、ランウェイを闊歩した。クルミと全然ちがう。当然、AIじゃなくて人間、それも現役のリアルアイドルなのだから、動きが滑らかで自然なのは当然だ。しかしそれだけじゃない。


「緑の平原 青い空 ここが私のニューキャッスル」


 ああわかった。黄木さんは観客に向けて歌っているんだ。俺は俺から見てクルミが上手く踊れているか、それしか気にしてなかった。


「私は自由な空の鳥 あなたと一緒に飛び立つの」


 黄木さんは徹底して、AR観客たちを本物であるかのように扱っていた。人間の、人間による、人間のためのライブ。本物のライブだ。ただAIを上手く踊らせるだけだった俺とクルミのライブとは比べものにならない熱狂を生み出していた。点数は五〇〇〇点を超えた。まだ伸びていく。


 黄木さんが歌い終えると、大歓声が沸いた。点数は七五二三点。クルミの負けだ。ダメだ……完敗だ。


「あ……」


 クルミが悲痛なうめき声を漏らした。クルミは……あいつの物になる。


「ライブバトル終了。勝者、黄木里奈!」


 iステージのアナウンス音声が無慈悲な結果をつきつけた。


「クルミ……」


「増田さん……」


 俺はスマホの管理アプリを起動した。もう俺の操作を受け付けなくなっている。マスター権限が移ったのだ……。


「ぐふふふっ、僕の勝ちだね」


 俺は怒りと屈辱で頭がどうにかなりそうだった。


「卑怯だぞお前! そっちの奴使うって言ってたじゃねーか! 大体、相手が人間、本物のアイドルじゃ勝てるわけ」


「ごめんなさいごめんなさい!」


 台座に戻された黄木さんが泣き崩れた。俺はそれ以上何も言えなくなってしまった。ログを確認すると、最初からアンティ対象が新品の方になっていた。俺がライブバトルに疎かったせいで、セット場所がアベコベなことに気がつかなかったのだ。……俺の方は一体だけだったから、滞りなく処理されたのだろう。クソっ!


「えーとクルミちゃん、だっけ? 君の今日から僕のiドールだね」


「……はい、マスター」


 クルミはオタクをマスターと呼び、問いに答えた。その声は不服そうだったが、どうしようもない。


 黄木さんは床に両手をついて、絶望的な眼差しで俺を見つめていた。ごめん……。助けてやれなかった。黄木さんとは勿論、クルミとも顔を合わせられない。悔しさの余り椅子を蹴っ飛ばし、俺はオタクの城を飛び出した。






「あははは! それで泣きながら逃げ帰ったんだ!」


 土田さんは大笑いしながら、俺の肩をバンバン叩いた。


「まーまー、気にすることないって! そういうこともあるよ!」


「ちょっと、つっちー。この子本当に落ち込んでるんだから」


 十七センチの青葉さんがテーブル上から俺に弔いの言葉をかけてくれた。はあ、情けね……。


「で、君はどうするつもり?」と青葉さん。俺はその言葉にイラッときた。


「警察は? 何するんですか?」


「これ高校生。質問に質問で返すな」


 土田さんを無視して、青葉さんが答えた。


「捜査本部立ち上がったところだから、そのうち何とかするけど。残念だけど時間がかかると思うわ。何しろ人間が人形にされて誘拐された、なんて話、偉い人ほど中々信じられないからねー」


「はあ、失踪したアイドルが見つかったってのに。ていうか証拠がいらっしゃるじゃないですか」


 俺は責めたような刺々しい口調で青葉さんに言った。そして直後に後悔した。負けた俺が悪いのに、誰かに責任をなすりつけようとしている。


「んー、多分、そのオオハタってオタクは、犯人じゃあないよ。断言はできないけどね」


「え? 何でです?」


「んーとね、そもそも一体何故、事件発覚から一日で、アイドルたちがドール化して連れ去られたっていう信じがたい事実にたどり着けたか、って話なんだけどね」


 ああ。言われてみればおかしいな。流石に早すぎる。


「ホントにたまたま偶然、見回り中の私たちが誘拐現場を目撃した、てのが理由なの」


「え、あー、だからアイドルでもないのに、巻き添えで人形に」


「ちょうどその時、私の目の前でドール化されていたのが、黄木里奈……そのオタクが持ってた子ね。私はてっきりそのまま回収されたのかと思っていたんだけど……。逃げていたのね」


 青葉さんと犯人グループの格闘の最中に、黄木さんは地面を這って逃げたのではないか、そしてそれを拾ったのがそのオタク。それが青葉さんたちの推察だった。


「何で青葉さん負けちゃったんですか」


「いやいや、人形にされるなんて反則技、対応できるわけないでしょ! むしろそこから逃げ切ったことを褒めてもらいたいわ」


 いやホントよく逃げ切ったな。青葉さんがいなかったら、アイドル大量失踪事件の全貌が明らかになるまで、一体どれだけの歳月が必要になったかわからないな。


「この惨めで哀れな先輩の姿を見ても、信じ切れない人が多いからねー、警察内では」


「つっちー、そんなに私のこと嫌いだったの?」


「で、今すぐに黄木さんを助けるのは無理なんですか? 未成年誘拐ですよ?」


「でも、今は物理的には人形だから、ややこしいのよね。人間だって証明するの難しいのよ。『自分は人間だ』って主張するようプログラムされたAIじゃない証拠は? 何しろ前例がないから。勿論出来る限り早く何とかするけど」


 まあ、そうだろうなあ。しかし……俺は待っていられない。今こうしている間にも、黄木さんやクルミが、好き勝手に玩具のように改造され、とんでもないことを強要されているのかと思うと、憤怒の念が抑えきれない。いてもたってもいられなくなる。決めた。警察になんか頼ってられるか。リベンジだ。もう一度ライブバトルをやって、黄木さんとクルミを取り戻す。


「俺は我慢できません。勝手にやりますよ」


「ん、iドールでリベンジするってこと?」


「そうです」


「君、あのピンクの子以外に持ってるの?」


「うっ」


 最大の問題はそこだ。両親が十六歳の息子をほっといて海外出張にいくバーターとして、何とかクルミを買ってもらったのだ。何しろiドールは高い。両親に「取られちゃったから、もう一台買って」とは言えない。バイトしても間に合わない。その間に黄木さんは……。というか今更だが、首尾良く新品を手に入れられたとしても、黄木さんに勝てるまでに調教しないといけねーじゃねーか。人間に勝てるiドールなんてあるのか? 大手プロデューサーから借りてもキツいんじゃないか。どうすればいいんだ?


「まーまー、ここは警察に任せて。ね?」


 青葉さんの言うことはもっともだが、納得できない。どこかに黄木さんと戦えて、安く手に入るiドールはいないのか……。いるわけないな。


「そうだねえ。『警察』に任せなさい」


 土田さんは意味深に警察というワードを強調し、青葉さんを掴み上げた。


「先輩! 出番ですよ!」


「は?」


「え?」


「え、先輩さっき言いましたよね? 『警察に任せて』って。先輩がこの子のiドールになってライブするんですよね?」


「そういう意味じゃないから! そんなことするわけないでしょ!」


「でも、先輩の所有者はこの子だし……」


「私は人間だから! 誰の持ち物でもないわ!」


 俺はスマホの管理アプリを見た。登録解除するの忘れてた。てことは青葉さんは……俺のiドール?


 土田さんがまた逮捕をチラつかせながら耳打ちしてきたので、俺は言う通りにした。


「すいません命令です。やりますって言ってください」


「やります! ……ってちょっと君!? また登録したの!? しちゃったの!?」


「すいません、ずっと登録したままでした」


「ちょっとー! 逮捕するわよー!」


 青葉さんには誠に申し訳ないが、土田さんのこの悪ふざけはいい提案であるように思えた。人間同士なら五分だ。勝ち目があるんじゃないか。その上タダだし。いやでもやっぱり気は引けるな……。


「やだ先輩……。昨日の演説は嘘だったんですか? 『我々はどんなことをしてでもさらわれた子たちを探しだし、人の尊厳を踏みにじったこの卑劣な犯罪を止めなくてはいけません!』って捜査本部で言ったのは、全部嘘だったんですか? 私感動したのに……残念です……」


「いや、嘘じゃないけど! 言ったけど! そういうんじゃなくて」


「ていうか先輩、もうこっちの本部いてもできることないですし。その体じゃ」


「あ、うん、まあ、そうかもしんないけど。でも無理だって!」


「なんで無理なんですかぁ?」


「いや、ほら、私アイドルとかって柄じゃないし、ダンスとか経験ないし……」


「え? 学校でやりますよね?」


「その話はやめて」


「そうですよねえ。確かに先輩がアイドル衣装なんて着たら、もう痛々しくって見てらんないですよね」


「そ、そこまで言うこと……ああいや、そう。うん、そういうことだから」


 確かにな。青葉さんは美人な方だと思うけど、原色バリバリでフリル満載の衣装なんか着たら、ちょっと年齢的にキツそうだな。甘ったるいアイドルソングとかも。


「まあ、黄木さんは十六歳の現役アイドルだし……青葉さんではとてもとても」


 俺がそう言うと、青葉さんは顔をしかめた。


「いやね、私だって十六の頃は……」


「十六歳だったら引き受けました?」


 土田さんはニヤニヤしながら青葉さんに尋ねた。何か企んでいる顔だ。


「ま、まあね。私が高校生のころは、そりゃあモテたもんよ。やろうと思えばアイドルだってでき」


「言質頂きましたー。ねえ君。タブレットどこ?」


 青葉さんは露骨に「しまった!」という顔をした。逃げようとしたが、台座に接着された十七センチの体では、テーブルから下りることすらできなかった。その間に、土田さんは二階の俺の部屋からタブレットを持ってきて、青葉さんの「年齢」設定を下げ始めた。


 昨日と同じだ。青葉さんはドンドン若返り、あっという間に十六歳の体となった。一緒に縮んだ警察の制服が、コスプレ感を醸し出している。こうしてみると、確かに青葉さんは可愛い感じだった。青春時代にモテたというのは、嘘ではないのだろう。


「や、やらないからね!」


 よく通る声。そこそこでも歌えれば結構良い感じなんじゃないか。強がる青葉さんをよそに、土田さんは衣装の一覧を楽しげに眺めていた。クルミが着ていた服と身につけていたアクセサリー類は一緒に取られたが、それ以外は俺のアカウントに残っている。


 土田さんは青と白で構成されたドレス風味の衣装をチョイスし、「装備」した。制服は自動的に外れて、俺のアカウントの衣装ボックスに。本来実装もされていない警察の制服を手に入れてしまった。本物を。


「ちょっと!? だからこういうの年じゃな……似合わないってば!」


 青葉さんには青いリボンのついた靴、白のオーバーニーソックス、縁にフリルのついた水色の手袋、現実ではまずみない、大きなリボンカチューシャが装備された。


「こ、こら君! 見ないの! あっち向いて!」


 青葉さんは両手でドレスを抑えながら、顔を真っ赤に染めていた。青いドレスとの対比で、一層真っ赤っかに見える。黒髪ショートだった髪は水色に染まり、腰まで伸び、左右に大きく広がる大ボリュームの長ロングになった。まるでアニメキャラのような出で立ちになった青葉さんは、両手で顔を覆い、その場に突っ伏した。


「お、いいんじゃないですか先輩?」


「元に戻ったら絶対ぶっ飛ばすからね!」


 両耳から湯気を吹きながら、青葉さんは憤っていた。だが流石にこの姿では迫力がない。まるで幼い少女が強がっているかのようで、むしろ微笑ましくさえ感じた。


 土田さんは俺を階段まで引っ張り、小声で囁いた。


「よし、仕上げは君よ」


「え?」


「とにかく褒めなさい。かわいいかわいいって」


「えー、でもちょっと可哀想じゃないですか」


「君、友達と人形とられたままでいいの?」


「それは……」


「相手はAIじゃない、本物の現役アイドルなんだから。対抗するにはこっちも人間じゃなきゃ」


 土田さんはとても愉快そうだ。


「青葉さんに何されたんですか」


「毎日私の弁当のおかず盗るのよ。『あー何それ美味しそう。いただきー』って」


「なるほど」


 食べ物の恨みは恐ろしいな……。俺も気をつけよう。


「彼氏いない歴イコール年齢の二十六歳がイケメン高校生の『かわいいですね』に抗えるか? いや抗えない」


 わざわざ反語で強調しなくても。


「よし、いけ」


 土田さんに背中を押され、俺はリビングに戻った。青葉さんは正座して、困り顔でスカートの裾をつまんでいる。


「えっと、その」


 後ろを見ると土田さんがサムズアップしていた。楽しそうだなホントに。


「かわいいですよ、似合ってます」


「え、いや、でも……私こんなの着る年じゃ……警察官だし……」


 青葉さんはアタフタしながら、目線を逸らした。お、効いてる?


「そんなことないですよ。見た目十六歳ですし、全然違和感ないですよ! いけますって!」


「そ、そう? ありがとね。でも」


 頬を紅潮させつつ、ぎこちない笑顔を浮かべた。もう一押しか? 後ろを見ると、土田さんが「スキンシップ」とタブレットに表示していた。


「かわいいですよ、ホントに」


 俺は右手の人差し指で、優しく水色の髪を撫でた。


「あ、もう、こら、大人をからかうんじゃ……」


 青葉さんは両手を前に突きだして上下させた。その瞬間、手の先に熊のぬいぐるみが出現し、青葉さんは両腕でそれをガバッと抱きかかえた。土田さんが装備させたらしい。青葉さんはぬいぐるみを離そうと努力しているらしかったが、装備されたアクセサリーは、iドールの意思では外せない。青葉さんは大きな熊のぬいぐるみを胸の前で抱きかかえたまま、黙ってしまった。アイドル衣装に身を包み、真っ赤になってぬいぐるみを抱きしめる青葉さんは、お世辞じゃなく可愛かった。


「……かわいい」


 思わず口をついて出た。本音の褒め言葉だった。青葉さんは茹でタコのように赤くなり、顔をぬいぐるみに埋めた。到底二十六歳のキャリアウーマンには見えない。まあ、脱げないしぬいぐるみも取れないから仕方ないだろうけど。


「それじゃー、同意もとれたことだし、私はこれで」


「へっ? どど同意なんか」


「そんな格好しといて何言ってるんですか。……あ、これセット登録しといたから」


 土田さんはタブレットを俺に返した。青を基調にした今の格好を登録してある。これでワンタップすればこの姿にできるわけか。ぬいぐるみは登録装備から抜いてあるようだ。まあこのままだと踊れないしな。


「俺より使いこなしてますね」


「好きこそものの上手なれ、ってね」


 先輩をいじることが好きなんですね、わかります。


「あなたが勝手にこうしたんでしょ! 元に戻して!」


 青葉さんは熊のぬいぐるみを大事そうに抱きかかえたまま、ピョンピョン跳ねた。大きく広がる水色の髪が揺れる。


「では、我々はこれにて。また何かあったら連絡してね」


「はい、どうも……」


 土田さんは荷物を持って玄関に向かって歩き出した。青葉さんを残して。マジで置いてく気かこの人。


「ちょっとつっちー! 冗談なんでしょー!?」


 俺は玄関まで送った。最後に確認したが、本気で置いていく気のようだ。俺も流れで乗っちゃったけど、本気で本気かよ。


「まあ、いずれにせよ、先輩人形のままじゃん?」


「はあ」


「事件解決まで捜査本部の置物になってるのも、可哀想だなと思って。みんなが奔走している中、ただジッとそれを見てるだけってのも辛いでしょ」


 ああそっか。青葉さんは動けないから、どうしてもそうなっちゃうな。電話番すら無理だろう。


「自宅にいてもさ、一人で身動きもとれない中で放置されることになっちゃうでしょ?」


 俺は暗いリビングの床に、一人ポツーンと立ちすくむ青葉さんの姿を想像した。割と拷問だな。


「だから、よかったら相手してあげてよ。ね」


 土田さんのウィンクに、俺は反射的に返事してしまった。


「あ、はい」


「じゃ、よろしくー」


「え」


 ドアが閉まった。土田さんは本当に同僚を高校生の家に置き去りにして帰ってしまった。いいんですかお巡りさん。まあiドールはエッチなことには使えない仕様だけどさ。


 リビングに戻ると、青葉さんが涙目で焦りながら尋ねた。


「君きみ! つっちーは?」


「帰りました」


「ほんぎゃー!?」






「うっそー……。本当に、私、置いてったのあいつ」


 とりあえずぬいぐるみだけ外してあげた青葉さんは、自由になった両手でスカートの裾をつまんで自分の姿を確認しようとしていた。背中の腰についた無意味で大きなリボンに気づくと、また顔を赤くした。鏡置いてあげるべきかな。ついでに、二度と土田さんに好き勝手されないよう、俺はタブレットのセキュリティレベルを上げた。これで俺以外はコアな操作ができない。


 時計を見ると、六時過ぎだった。時間あるし、自炊の日にしよう。待たせても悪いし、パパっと簡単なものを。


「できましたー」


 俺はテーブルに晩御飯を並べた。今日のおかずはキャベツとソーセージの炒め物。それぞれ少ーしだけちぎって、青葉さんの分を用意した。ご飯粒も一緒に並べる。


「へー、君料理できるんだ」


「青葉さんは料理やります?」


「うーん、私はちょっと……」


 青葉さんはちょっと顔を背けながら言った。それから、手袋を外すよう言った。おっといけない。俺はタブレットを操作して、手袋だけ装備から外した。


「いただきまーす」


 パンみたいにご飯粒を持って食べる青葉さんを見て、クルミのことを思い出した。黄木さんもそうだが、クルミも取り返したい。二日だけとはいえ、始めての自分のiドールだった。愛着がある。それに買ってもらった親にも悪い。


「美味しい。君、料理上手いね」


 キャベツとソーセージを炒めた切れ端は気に入ってもらえたらしい。よかった。食べ物で思い出したが、後輩のおかずを盗っていたのは本当だろうか。


「青葉さん、土田さんの弁当のおかず盗ってたって本当ですか?」


「ん? あー、つっちーのお弁当、美味しくてねー、よく一口食べさせてもらってるんだー」


 大分認識に行き違いがあるな。まあこれ以上は聞かないことにしようか。不毛だ。






「ねえ、君。できればそろそろ元に戻して欲しいんだけど」


 洗い物を終えると、青葉さんがやや引き攣った笑みを浮かべてそう言った。まあ、いいか。俺は登録セット一覧から、デフォルトを選んでタップした。一瞬で青葉さんは二十六歳の警察官に戻った。


「はー、よかった」


 青葉さんは両手をグッパしながら体の感覚を確かめた。小さいのと制服を着ていたことで中々気づかなかったが、大人の青葉さんはスタイルがいい。美人顔だし、背も高く、胸も結構出てる。タブレットによるとD寄りのCカップのようだ。というかこれ体の色んな情報丸わかりだな。見せたら怒りそうだ。ずっと土田さんが弄っていたから、青葉さんの設定画面をちゃんと見るのは始めてかもしれない。クルミ……通常のiドールとは異なる部分がいくつかある。まず性格。普通、iドールの性格はいつでも好きに変えられるのだが、青葉さんは「ツンデレ(弱)」に設定されたまま文字が薄くなり、変更不可になっている。やっぱり人間だからか。性格以外にも、好み等精神に関する部分は固定で変更を加えられない仕様になっていた。それから年齢。iドールの年齢は下限十五歳、上限三十歳だが、青葉さんは上限二十六歳になっている。元の年齢か。しかし肉体、即ちモデルはiドール同様、いくらでも自由に変更できるみたいだ。青葉さんの裸体が余すところなくタブレットに表示されている。胸先と股間は小さな白の水着で覆われてはいるが。黒子の位置まで全部載ってる。本人には見せないようにしよう。






 お風呂から上がると、リビングのテレビが点いていた。リモコン、テーブルに置きっ放しだったっけ。青葉さんがつけたのか。iドールは基本的にお風呂に入る必要は無い。洗浄はたまにした方がいいらしいけど。でも今の青葉さんは一人ではお風呂に入れないし、俺が洗うのも悪いので、リビングで待ってもらっていたのだ。せめて台座から離れて歩くことが可能なら、洗面器に湯を張ればイケたと思うけど。


 テレビはニュースをやっている。アイドル大量失踪事件。ずっとこればっかりだ。消えたアイドルたちの家族や友人たちの嘆きが延々と紹介されていた。「早く娘を見つけてほしい」「まだ学生だったのに。頼むから生きていてほしい」「実はあの子はもうすぐアイドルを辞めるはずだった、もっと早くしていれば。後悔してもし足りない」等々。青葉さんは座ったまま一言も喋らず、悲しげにその映像を眺めていた。


「ねえ」


「はい?」


「黄木さんって、君と仲良かったの?」


「あーいや、特にそういうわけでもなかったんですけど……。そりゃ話したことはありますけど。同じクラスだし」


「好きだったり?」


「うーん、それも違いますけど。でも、クラスメイトが見知らぬ男に誘拐、監禁されて、それを知ってるのに黙って見てるなんて、できるわけないじゃないですか」


 黄木さんの悲痛な顔と叫びが脳裏に蘇った。俺に助けを求めてた。彼女と親しいか親しくないかとか関係ない。答えないと男じゃない。


「すごく辛そうでした。それこそ大して親しくもなかった俺に、必死に助けを求めてきたんです。今日、助けたかったですよ」


「そう。そうだよね」


 青葉さんは徐に立ち上がった。


「わかった。やっぱりやるよ。ライブバトル」


「え? いいんですか? 負けたらその……青葉さんのあのオタクの人形になるんですよ」


「うっ……それは死ぬほど嫌だけど、でも私も君と同じだよ。助けられるなら助けてあげたい。私も被害者の一人だし、ただボーッと解決を待ってるだけなんて悔しいからね。何より、警察官だからね」


「……ありがとうございます」


 俺は頭を下げた。本当にありがたい。青葉さんからすれば、相当怖いし、恥ずかしいだろうに。俺も出来る限りのことをやらないと。


「いいからいいから。頭上げて」






 寝る前に、青葉さん用の布団を作った。古いハンカチや服を材料に。


「はー、君器用だね」


「ええ、まあ。……できました」


 俺は青葉さんを布団の上に仰向けにして置いた。その上から掛け布団をかけようとすると、静止された。


「できれば、もう少し寝やすい服にしてもらえると助かるんだけど」


「あー、そうですね」


 警察の制服じゃ寝づらいよな、そりゃ。


「昨日はどうやって寝たんですか?」


「ティッシュを重ねて敷いて、このままごろ寝」


「大変でしたね」


 タブレットで装備を探ったが、デフォルトでついてきた標準のアイドル服と、コラボ服しかない。どれも装飾ゴテゴテのステージ衣装で、寝るには適さない。iドール買って二日だもんなあ。思い切って課金して新しいの買うか。割と大変な役目を押しつけるわけだし……。あれ? そういえばさっきのドレス一式、あんなの俺持ってたっけ?


 土田さんが着せた装備は、やはりデフォルトのものじゃない。課金して購入する追加装備だ。一体なぜ。さらに調べると、いつの間にか土田さんのクレカ情報が俺のアカウントに登録されていることに気づいた。おお。何だかんだ言って、先輩のこと大切に思っているんじゃないか。ありがたく使わせてもらいます。


 とはいえ湯水のごとく、って訳にもいくまい、常識的な範囲で、まずパジャマ、それから普段着になりそうな、比較的地味な服を少し。地味といっても人形用だから、普通の服よりは派手だけど。


 青葉さんの装備パジャマに変更。水玉模様。ちょうどセールだった。


「わー、ありがと。ホント助かるよー」


 青葉さんは机の上にこしらえた、小さな布団に潜り込んだ。足の台座がつっかえているが、まあこればっかりは仕方ない。


「お休みなさい」


「お休みー」


 部屋の明かりを落として、俺は目を閉じた。激動の一日だったな。オタクに負けて黄木さんを助けられず、クルミまでとられて。そしたら今度は何と青葉さんが俺のiドールになってくれて、リベンジに協力してくれるって……。今度は本当に負けられない勝負になるぞ。俺も調教、いや人間の青葉さんに調教ってワードを使うのは失礼が過ぎる。特訓を頑張ろう。


 その時、俺のスマホが鳴った。せっかくウトウトしかけたとこなのに。


「もしもし? あ、私私。土田でーす。実はさっき先輩の服買うときにね、君のアカウントに私のクレカ情報登録したんだけど、消し忘れてたからさ、代わりに消しといてくれる? ……あれ? 聞こえてる? おーい、もしもーし」

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