ACT13 その笑顔にはかなわない鐘鳴慧


「さて、始めるか」


 精力的に活動している剣道部にも、やはり休みの日は存在する。

 そんな部活休みの放課後は、図書室で勉強を行うのが鐘鳴かねなりけいの習慣である。

 もちろん、慧は普段から自宅でも勉強をしているのだが、時間があるならばもっと努力を重ねないといけないと思う。

 特に、五月となって中間テストも一ヶ月と少しに迫った今、少しずつでも範囲の予想とその対策をせねば、あのトップ3には到底及ばない。

 俺は、今度こそあの三人を――


「あっ、慧センパイっ」

「お兄様」


 と、決意を新たにしようとしていたところで。

 図書室の長机の一席に腰を落ち着けたばかりの慧に、わりと元気にかかる声があった。

 最近では、結構聞き慣れた感もある。


「由仁さん。詠も」

「こんにちは、慧センパイっ」

「お兄様も、ここでお勉強ですか?」


 最近、慧と顔見知りになった妹の友達である新堂しんどう由仁ゆにと、一つ下の妹の鐘鳴かねなりえいである。

 詠の控えめな佇まいは昔からなので慧の身に馴染んでいるが、由仁のこちらへ向けられる『パアアアアアアァァ』とハチキレんばかりの笑顔と天真爛漫な様子は、慧にはまだ慣れてくれない。

 見るだけで胸の中で打たれる感覚があるのだが、慧はそれを顔に出すことはなく、


「俺は勉強だが、『も』ということは、詠や由仁さんもここで?」

「はい。由仁ちゃん、今日の小テストが……その、少し良くない結果でして。これまでのこともあって、由仁ちゃんにお願いされまして」

「え、詠ちゃん。慧センパイには成績のことは言わんといてよっ」

「由仁さん。別に、恥じることではないと思うのだが」

「あ、アカンのです。うち、慧センパイにアホな女やと思われたくない……!」

「それもあまり気にしないのだが……詠。由仁さんは、そんなに悪いのか?」

「はい。先日の実力テストも、順位が二百三十――」

「わーたーたー!」


 詠が言おうとするも、あわててその口を塞ぎにかかる由仁。

 だが、慧としてはもう遅いようにも感じた。

 この高校の一学年の人数は約二百四十人。その中で二百三十位台となると、もちろん、由仁の学年順位は下から数えた方が早いと言うことになる。

 しかも、その下から数える値が一桁ともなれば、


「ふむ。これは相当、頑張らないといけないようだな」

「あ……あぁぁぁ……もう、お嫁にいけへん……」

「ご、ごめん、由仁ちゃん。流石に言い過ぎちゃったかも」

「ううう……」


 こちらを見かけたときのハチキレんばかりの笑顔から一転、なんとも大きな落ち込みっぷりである。なんとも激しい急降下だ。

 ギャル風の見た目なので、そこまで学業の成績を気にせず高校生活を楽しむスタイルかと思われたが、やはり根がとても真面目な娘なのだろう。

 そのギャップも慧にはまた魅力的に思える……いや、まあ、あくまで人としてだ。女の子としてではなく、人として魅力的であるのだ。

 そこを間違えてはいけない……!


「お兄様、どうかされましたか?」

「否、なんでもない。ともあれ、詠、由仁さんを教えるのは、出来そうか?」

「えっと……まだ少し、自信はないですけど、やってみます」

「そうか。なら、とことんやってみろ」

「は、はいっ」


 詠が、先日の実力テストは学年のトップ3だったのを、慧は聴いている。

 自信がないと言いつつも、そこそこ教える能力はあると思うし、何より誰かに頼られるというこの状況こそが、詠自身のためだと慧は思っている。

 それこそ、あの時までは……否、これ以上は何も考えるまい。

 本当は由仁の成績改善のために一肌脱ぎたいところだが、詠がやってみるというのなら、慧は口出しするべきではない。

 ただ、


「必要なら、いつでも俺を呼べ。必ず助ける」

「はい。そうします」


 妹にその一声をかけざるを得ないのは、どうしようもないのだろうか。

 昔からどうしても妹のことを放っておけずにいられない辺りは、自分自身の未熟に繋がっているのかも知れない。

 そして、


「由仁さん」

「うぅ……あ、はい。なんです、慧センパイ?」


 今も落ち込んでいるこの子のことを放っておけないのも、また。

 気づいたら、慧は由仁に声をかけていた。


「月並みな言葉だが、由仁さんはやれば出来る子だと思っている」

「え……」

「あの男――キミのお兄さんも最初はダメだったようだが、今や学年のトップ50圏内だ。あの男に出来てキミに出来ないはずがない。何より、俺が尊敬するキミならば」

「――――」

「だから、由仁さんも自分を信じて頑張ってほしい。応援している」

「…………………………」


 その言葉を聞いて、由仁はほんのわずかだけポカンとしていたようだが。


「は……はいっ。うち、頑張ります、慧センパイっ!」


 さっきまで落ち込んで青ざめていた表情にはどんどん赤みが差してきて。

 なおかつ――あの『パアアアアアァァ』と明るく笑顔になっていく様を、慧はもう一度目撃することになった。


「ありがとうございました、慧センパイっ! 詠ちゃん、ビシバシ頼むでっ」

「う、うん、やる気がすごいのはいいことだね。では、お兄様、失礼いたします。また後で」

「うむ。頑張るといい」


 と、またも翻弄されながらどうにか平静を保ちつつも、少女二人が離れの席に行くのを見送ってから、


「……ふぅ」


 慧は、一息つく。

 勉強の前から、少しだけ疲れてしまった気がする。いろんな意味で。

 でも、その疲れの反面、慧の中ではやけに高揚感がある。それは何故か……と考えたところで。

 その理由が思い浮かぶとしたら、やはり一つだけ。


 ――新堂由仁の、あの笑顔にはかなわない。


 あれを見る度に、慧は何ともいえない気持ちになるのだが、それこそが彼女を……いやいやいや、そうではない。

 あくまで妹の友達への単なる激励であって、あの笑顔をもっと見たいとか、そういう特別な感情ではない……!

 そんな言い訳を重ねつつ、慧は参考書とノートを広げて、シャープペンを握る。


『慧センパイっ』

「集中。集中……!」


 勉強中、時々彼女の笑顔が脳裏にチラつきながらも、どうにか跳ねのける集中力を保って臨んだ結果、その日の勉強はとても捗って。

 ――翌日、クラスの授業にて、抜き打ちであった小テストで。

 慧は、満点の成績を修めた。


「ぐぎぎぎ……また、負けた……くそう……!」

「フン、俺と張り合おうなど十年早い」


 小テストの成績で慧に敗北を喫して悔しがる新堂しんどう源斗げんとを横目にしつつ、慧が思ったのは。

 彼女の笑顔を思い浮かべる度に、自分に得られる高揚感を、認めるべき段階まできたということだろうか。

 だからこそ。

 この高揚があれば、次の中間こそは、いけるかもしれない――


「なんやねん、ニヤニヤしおって。率直にキモいぞ、オマエ」

「………………………………」


 と、思った矢先に。

 この不躾な男が、彼女の兄であるという事実を思い出して、慧は反射的に彼女の笑顔を思い浮かべるのを自重してしまう。高揚感も今はない。

 まったくもって、慧、台無しな心地になったためか、


「おい、貴様」

「なんや」

「――今すぐ死ね」

「あぁ!? やんのか、コラ!?」

「おおっと、鐘鳴×新堂の第47ラウンドが勃発ですね~。ささ、みなさん、賭け食券の準備をしてくださ~い」


 とまあ。

 ここぞとばかりに出てしまう慧の直情的な言葉を発端とする、二年五組ではわりと恒例となったぶつかり合いと、クラスメート達の賭け事を経つつも。

 鐘鳴慧の、己を高めるための答えの行方は、今も霧の中である。

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