ACT06 そうして気付きを得る二人 SIDE:兄


「うううううううむ……」


 一夜あけて。

 朝の通学路を歩きながら、新堂しんどう源斗げんとは悶々としていた。

 考えることは、昨日の放課後に初めて会った妹の由仁ゆにの友達である女の子、鐘鳴かねなりえいのことである。

 出会った当初こそは、由仁の背中に隠れてこちらを窺っていたのだが……放課後に帰り道を共にする頃には、彼女の雰囲気は親しみが籠もっていたようにも思う。

 源斗自身、妹以外の女の子と仲良くすることに特に抵抗はない。同じクラスにも女子の友達はいるし、これまでの小中学、そして去年の一年生の時もそうだった。

 ただ、詠の視線はというと、


「やっぱ、どうにも親しみの種類が違っていたような……」


 ついつい、呟いてしまう。

 他にも、こちらの背後を狙う頻度が多かった気がして、その意味については今もよくわかっていないのだが、それはともかく。

 友達とはまた別の意味の親しみとなると、つまり……そういうことなのだろうか?


「いやいやいやいやいやっ、アカンアカンっ。勘違いはアカンで……!」


 源斗、そこまでは厚かましくないつもりである。

 それに、だ。

 もしそれを本人に訊いてみて『え、何言ってるの、この人……』と彼女にドン引きされてしまったら、いくら大雑把な源斗でも凹んでしまう。

 危ない危ない。ついつい『彼女イナイ歴生まれた年齢』特有の変な妄想をするところだった。

 ただ、


『仲良くしてくださいね、源斗お兄さん』


 やはり、ああいう風に、『お兄さん』呼びされてしまうと、意識せざるを得ない。

 昨日に言ったとおり、妹の由仁にもそのように呼ばれたことがないことからくる新鮮な気持ちと、得体の知れない何かが、ぐるぐると体中を駆けめぐる。

 ちっこくて、お淑やかで、か弱くて、守ってあげたくなって、声が可愛くて、なおかつ『お兄さん』呼び。

 全部が全部、魅力的に思えてならない。


「……俺、もしかしてあの娘のこと、好きなんか?」


 ついには、そこまで考えるようになって。

 それを自分自身で認めるか認めないかという段階になりつつ、源斗は自分の教室に入ろうとした、ところで。



「あ」

「あ」



 アイツと、ばったりと、出くわした。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


 ――少々、時間を遡る。


「むぅ……」


 悶着から一夜明け、剣道部での朝練を終えた後、鐘鳴かねなりけいは教室に向かいながら微妙な唸りを漏らしていた。

 考えることは、昨日の放課後に初めて会った、妹の詠の友達である女の子、新堂由仁のことである。


「……あの一撃は、やはり効いた」


 会っていきなり平手打ちと、わりと印象の良くない出会いなのかもしれないが。

 そもそも、彼女が家族を守るために行ったことであるし、なおかつ完全に非はこちらにあったので、慧としてはそれを当然と受け止めている。

 ただ、慧が自分の行いを謝罪した後の彼女の態度は、まさに一転していたと言っていい。

 ハンカチでこちらの顔を拭うときなんかは、彼女の顔がとても近くて、その距離感に慧は少し……否、かなり当惑してしまった。


「綺麗だったな……」


 所謂ギャルスタイルでお化粧や装飾をバッチリ決めている彼女ではあるが、慧としては、そこまで悪い印象を抱いていない。

 綺麗になりたい、着飾って魅力的になりたいという努力は、己を高めたいという自分の剣の道にも共通している。

 そして彼女は、相当な努力を今までも、そして今も積んできているのだと感じ取れる。

 昨日彼女に言ったように、家族を想う気持ちもそうなのだが、彼女のそういう努力をする点についても、慧は由仁のことを純粋に尊敬できた。

 そして、何より、


『慧センパイとも、仲良くしたいと思いますんで!』


 アレは、どういう意味で言ったのだろう?

 確かに、彼女が詠とこれから友達付き合いをするにあたっては、慧と接する機会も度々あるかもしれない。

 それにしては、彼女は結構こちらに踏み込んできていた気がするような?


「……否、俺の考えすぎだろう」


 慧、そこまで厚かましくない。

 この世に生まれてもうすぐ十七年、男女の付き合いの経験が皆無とは言え、それだけはわかる。

 彼女にとって自分は、友達の兄であり、少々無口な先輩であると、それくらいの立ち位置が精々だろう。あの距離感も、彼女特有の明るさからきているものなのだ。

 ……そうだとしても。

 家族を思って真剣に怒ったとき、友達の前で屈託なく笑ったとき、そして普段から心がけているであろう綺麗になろうとする気持ちなどなど、そんな彼女のことを改めて考えると。

 これは、尊敬するという気持ち以上に――


「もしや。俺は……あの娘に懸想している、とでも言うのか?」


 究極、その結論にたどり着き、それが正しいかどうかを考えつつ、慧は自分の教室に入ろうとしたところで、



「あ」

「あ」



 あの男と、ばったりと、出くわした。


  ☆  ★  ☆  ★  ☆  ★


「おう」

「うむ」

「昨日は、妹がスマンかったな」

「気にするな。昨日も言ったとおり、非はこちらにある。気が済まないなら、お互い様ということでいい」

「そっか」

「そういうことだ」

「…………」

「…………」

「……言っておくけどな」

「……なんだ」

「昨日のことがあったから言うて、俺はオマエとこれから仲良くしようなんて思わんからな」

「当然だ。元より、俺も貴様となれ合うつもりはない」

「でも、ゆーちゃん――妹の由仁に会った時は、あんま悪うせんといてや。オマエと違って、めっちゃええ子やから」

「……わかっている。そちらこそ、詠と会った時は、俺にやってるような態度を取るなよ。貴様と違って、あの子はとても繊細な子だ」

「……お、おう」

「ああ」

「…………」

「…………」

「つーか、なんやオマエ、ゆーちゃんのこと言ったら、ちょっと声色が変わらんかったか?」

「貴様は何を言っているんだ。そういうおまえこそ、詠のことを話すと神妙な雰囲気だったぞ」

「何言うとんねん。そんな、オマエの妹なんて――」

「そうだとも。貴様の妹など――」


 そこまで言って。



『――……………………』



 二人は、言葉に詰まってしまう。

 これ以上の気持ちの否定を、己の本能で表に出すことはできない。

 だが、それと同時に。

 自分の気持ちの肯定も、己の本能で表に出すことはできない。


「……チッ」

「……フン」


 お互い何も言えなくなって、精一杯の虚勢で悪態を付いて、自席に戻りつつも。


 二人は、己の胸中で一つの気付きを得ていた。


 同時に。

 この、タイミングで。

 そして、その、気付きの内容は。


 ――あの娘を好きになると、アイツ(あの男)を兄と呼ばなければならない……!?



 言わば、己の中で噴出した、最大の葛藤である。

 源斗も、そして慧も、それは絶対に避けたいことであったのだが。


『源斗お兄さん』

「うぬぅ……!」


『慧センパイ!』

「……むぅ」


 頭にちらつくのは、彼女の眩しい笑顔。

 自分に足りない青春の象徴を、埋めてくれるかも知れない存在。

 だが、彼女の兄という存在が、その青春を邪魔してくる。

 いったい、どうすれば……!


「――――!」


 そんな葛藤を抱えたまま、源斗と慧は、同時に離れた席の相手を睨みつける。

 お互いに、奥歯に物の挟まったような微妙な顔をしながら、


「やっぱり、俺はオマエが大嫌いや……!」

「貴様さえ、貴様さえ居なければ……!」


 同時に憎まれ口が漏れて、その後。


『…………むぅ』


 またも、想う彼女の笑顔が脳内にちらついて、二人の少年は頭を抱えてしまうのであった。



 ……お互いに心を開いて歩み寄る、という方法さえ取れば、問題は早く解決しようものなのだが。

 残念ながら、この二人の少年の頭の中に、その選択肢は欠片も浮かんでいない。

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