ACT03 鐘鳴慧が、受けた衝撃


 ――鐘鳴かねなりけいにとって、新堂しんどう源斗げんとは暑苦しくて鬱陶しい男である。


 彼と初めて会った日については忘れてしまったのだが、慧が彼を意識し始めたのは、六月末の球技大会の日だった。

 種目はバスケット。慧自身、幼少から剣道で馴らしていることから運動神経には相応の自負を抱いていたのだが、反面、球技――特に、バスケットに関しては少々の苦手意識があった。

 ただ、チームメイトに経験者が居たのと、慧も慧で苦手を持ち前の運動力でカバーしたのもあって、当時の慧のクラスである一年一組は二回戦までを順調に勝ち進んだのだが、


『おうオマエ。中間の成績ではオマエの足下にも及ばんかったけど、この試合ではギャフン言わせたるでっ』

『……なんだ貴様は』

『って、俺の顔、覚えとらんのかいっ』

『貴様のような暑苦しい男など知らん』

『てめ、このやろ……目に物見せてやるからなっ』


 三回戦。源斗の所属する一年二組と当たった。

 向こうは慧のことを知っていたようだったが、慧は彼と会った時のことをまったく覚えていなかったし、これからも記憶に留まることはないだろう。

 そう、思っていたのだが。

 ――結論から言って、慧の一年一組は、源斗の一年二組に大敗を喫してしまった。


『……馬鹿な』


 確かに、バスケに対して苦手意識はあった。

 だが、一回戦二回戦と順調に勝ち進めただけに、三回戦もやれると思っていたのだが。

 向こうのチームにいる新堂源斗の活躍が、圧倒的だった。

 見た目、馬鹿でかいのだけの筋肉ダルマかと思いきや、


『あの男の動き。見事だった』


 しなやかで、速くて、力強くて、上手い。

 大雑把のようで繊細、豪快のようで流麗。

 その動きに、慧は、魅了されてしまった。

 認めたくはないが、こればかりは認めないといけない。スポーツに於けるこの男のプレイは、人を惹きつける何かがある。

 自分が極めたと思っていた剣の道でも、あの動きに到達するまでは相当な努力をしないといけないだろう。

 ただ、


『ガッハッハ、ようやくオマエに一矢報いたったで。次はテストの成績でも上に行ったるからなっ』


 そんな繊細かつ流麗で、人を魅了する動きを持つこの男の口から出てくるのは、いたって粗雑で暑苦しい関西弁であり、しかもやたら自分に絡んでくる。

 それが、慧にとってはとても癇に障った。


『……さい』

『あ?』

『うるさい、と言ったのだ』

『なっ……!』

『この屈辱、二度と忘れん』


 あの時、吐き捨てるように言ったのは自分でも間違いだとは思っていたが、それでもあの男の暑苦しさはほぼ生理的に無理だったので、ああいう形になってしまった。

 だが、後悔はしていない。

 今すぐにでも努力を重ね、あの男の域に到達し、超えていけばいいのだから。

 ……その時は、そう思っていたのだが。


『むぅ……』


 球技大会のその後から、あの男――新堂源斗は、各運動部に助っ人を頼まれ、大活躍をしているという噂を聞いた。

 そして、校内のグラウンドで彼の練習しているところを見かける度に、その動きを目で追ってしまうあたり、自分の未熟さを思い知らされた。

 剣道も、苦手だった球技も、もちろん学業も疎かにせず努力を重ねて、学年四位の秀才かつ、剣道部期待のホープと賞賛されつつも、あの域にはまだまだ遠い。

 しかも、


『おう、やっとこの位置に来れたで。じきにオマエにも追い越したるから、覚悟せえや』

『…………』

『って、無視すんなやっ!』

『いちいち絡んでくるな、鬱陶しい』

『なっ……コノヤロ……!』


 その日から今まで、何度か彼と接する機会はあったものの、彼の暑苦しさは相変わらずで。

 慧の中で、彼への好感は日を追うごとにどんどん下がり、今や嫌悪を抱くまでになっていたのだが……どうやら、源斗とて、自分に対しての感情は同様のようであった。

 そうして、もはや犬猿の仲になったといってもいいのに、彼の域を越えようという目標だけを抱えたまま、今に至る。



「ふぅ……」


 新学年になってから数日の放課後、剣道部での練習前。

 防具を付けていない胴着姿の鐘鳴慧は、剣道場の隅で正座をしながら、少々憂鬱な溜息をこぼしていた。

 クラス替えはあったものの、既に慣れた。

 友達も徐々に増えている。

 ただ……やはり、あの男――新堂源斗と同じ空間に身を置いている事実が、慧の身体に馴染んでくれない。


「まったく、どうしたものか」


 あのような見てくれでも、彼は別に不良というわけではない。

 むしろ、義理人情に厚く、少々無茶な頼まれ事もいやな顔をせずに請け負うバイタリティは大したもので、早々にクラスの人気者の位置を確立しつつある。

 ただただ、あの男とはどうにも相性が悪い。あの暑苦しさを見ただけで、慧はすぐにイラッとする。

 ――そういう熱さをもう少し内に秘めてくれたなら、今頃は心を許せる莫逆ばくぎゃくの友になれていたのかも知れないのに。

 そう考えたこともあったが、もはや訪れない可能性であろう。

 

「……いかんな。雑念を捨てて、稽古に集中せねば」


 これ以上はやめておこう。練習試合も近い。もっと身を入れて、稽古に励まねば……と思い、慧は剣道の防具を装着しようとしたところで、


「慧」


 馴染みのある声が、すぐ近くの剣道場入り口から聞こえてきた。


「壮士か」


 見ると、中肉中背で真鍮眼鏡をかけた詰め襟姿の少年――慧の一つ年下の幼なじみであり、この春からは慧の後輩となった拝島はいじま壮士そうしが、上履きを脱いだ靴下でこちらに歩み寄ってくる。

 今はまだ部活の仮入部期間であり、壮士も壮士で達人レベルの剣道の経験者であるものの、様々な部活を見て回りたいと、本人の口から聞いていたのだが……。


「どうした、壮士。ついに剣道部に入る決心を固めたか?」

「それはまだ考え中ですが。僕から、慧の耳に入れておきたいことが」

「なんだ? 言ってみろ」

「はい。ここに来る途中、詠が、知らない男子生徒に負んぶで運ばれているのを見かけまして。友達らしき女生徒も共に居ましたから、物騒なことではないと思いますが、慧には連絡を」

「詠が?」


 一つ下の妹、鐘鳴かねなりえいのことだ。

 兄の慧と違って少々身体が弱く、よく貧血を起こしたりもする。

 妹は、入学からすぐに友達が出来たと言っていたので、安心してはいたが……運ばれたと聴いては、流石に心中穏やかではなくなってしまう。


「壮士、頼みたいことがある」

「ええ、行ってあげてください。トキ先生には僕から伝えておきます。運ばれていたのが保健室の方向ではなかったから、おそらく中庭のベンチで休ませているかと」

「何から何まで助かる。ありがとう」


 頼りになる一つ下の幼なじみに一言感謝を残し、慧は胴着と袴姿と裸足のままで剣道場を出て靴を履き、出来る限りの早歩きで中庭に向かう。


「詠……」


 壮士が物騒な様子ではないと言ったからには、そうなのだろう。だが、どうしても慧としては確認せずにいられない。

 剣道の試合の時のように冷静を保ちたいが、家族のこととなるとどうしても胸騒ぎが止まらない。

 悪い癖だと思いつつも、それはそれと切り替えて、出来るだけ早足で校舎の中庭に踏み入ったところ、



「はぁ……」

「気分はどうや?」

「……まだ、少し落ち着かないです」



 少々顔色を悪くしながらベンチに座って俯いている妹の詠と――その傍らで立って、妹を見下ろしているあの男、新堂源斗の姿があった。

 ただ、それを見ただけで。

 血がどんどん頭に上っていくのがわかりつつも、慧は自分を抑えられなかった。


「そこで何をしている」

「え……うおっ、な、なんやねん、いきなり」


 ズンズンズンと歩み寄って、慧は彼の詰め襟の胸ぐらを掴む。

 そのまま顔面に拳を突き出したいところだったが、そこはどうにか堪えた。


「お……お、お兄様?」

「詠、大丈夫か」

「あ、はい。その、私は全然……で、でも、その人は」

「わかっている、皆まで言うな。この男に言い寄られて怖かっただろう」

「はぁ? ちょ、ちょい待ち。なんでそうなんねん」

「お、お兄様、それは誤解で……」

「貴様は少し見込みのある男だと思っていたが、どうやら俺の見当違いだったようだ。まさか女子を上から威圧して誑かすような、性根の腐った下衆な男だったとはな」

「っ……!」


 慧に言われて、源斗も流石に頭に来たらしい。

 その三白眼に獰猛な炎が宿り、見た目通りのものすごい力で、胸ぐらを掴んでいた慧の手を振り払った。

 慧、少々バランスを崩しかけたが、そこは柔軟な足捌きでリカバーし、源斗への牽制を継続する。


「そこまで言われると、俺も黙ってへんぞ。この場でやんのか?」

「相変わらず喧嘩早いところに、貴様の程度の浅さが見えるな。そうやって暴力で詠を屈服させようとしたのだろう? 貴様はこれからそうやって誰かを傷つける人生を送るのだろうが――」



 バチィンッ!



 と、思いつく限りの源斗への言葉を遮るかのように。

 ――突然、慧の頬に衝撃が来た。


「な……っ!?」


 不意打ちだったとはいえあまりの衝撃に、慧の意識は一瞬だけ飛んだ。何気に初めての感覚だった。

 平手で打たれた、とはわかったが……源斗からではない。横からだ。

 揺れる脳に目眩を覚えつつも、自身に活を入れてどうにか復帰し、慧は衝撃のやってきた方に視線を向けると、


「ゆーちゃん?」

「由仁、さん」


 そこには、長髪をハーフアップにして、化粧をしっかりと決めた美人ともいえる長身の少女が、目に涙をいっぱいに溜めていたのに、慧は二度目の衝撃を受けて、しかも、



「ゲンさんを、悪く言うなっ!」



 彼女の口からハッキリと発せられた、一喝と言う名の三度目の衝撃に。

 鐘鳴慧は、自分の全身が震撼する心地を得た。

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