第2話 エルフの母

 母が来訪したとたん、いつもの我が家が大阪の実家になったかのように思えた。


 私たち家族を前に、一人で喋り続ける母。その姿は私の一番古い記憶にあるものと全く変わらない。

 この人が普通でないと気付いたのは、高校の入学式の時だっただろうか。保護者参加のため、正装して学校に現れた母が新入留学生と間違われ、制服はどうしたと、生徒指導の教師に詰め寄られる出来事があったのだ。


 すぐに誤解は解けたものの、私の典型的な日本人男性の容貌に、間違いなく血の繋がった実の母であるにもかかわらず、父がめとった若い外国人の後妻という別の誤解が生まれ、複雑な家庭の生徒と言うことで、教師たちから妙な気遣いを受けたものだ。


貴子たかこさん、急に来るゆうてホンマ堪忍な。こんな時やないと東京なんかえへんからなぁ。ようウエコさんうてくれはったわ東京行かへんかて。ウエコさんと白浜やら有馬やら温泉によお行くねんけど、熱海も死ぬまでに一遍行きたいうたはってなあ。ほなら、皆で行こかうて。わて熱海はええからウチの子んとこ寄りたいうたら、帰りにウエコさんたちだけで熱海寄るうてくれはって、今頃温泉入ったはるんちゃうか? ミエさん寅さんの銅像に手ぇ合わせて拝んだはんねん、おじいはん元気になりますようにって。おじいはん死なはったんちゃうんうたら、あの世でも病気のまんまやろうからてわはんねん。寅さんに頼んでもしゃああらへんやんうたら、ビリケンさんも寅さんも一緒やて、ホンマあの人おもろいわぁ。せやせや、東京の環状線、大阪のんより駅の数多いねんな、知らんかったわ。まーちゃん、おせんべ食べ、おせんべ。これ、ホンマおいしいで」


 脈絡のない話を延々と、大きな大阪弁で喋りながら、土産に持ってきた炭酸煎餅をお茶請けとして囓るその姿は、一般的には妙に見えることだろう。しかし、ハリウッドのファンタジー映画に登場する、母によく似たキャラクターが妖艶に振る舞う姿の方が、私には違和感があるのだ。


「まーちゃんも大きゅうなってからに。去年の夏休みん時よりおっぱい大きゅうなったんちゃうかー」

「もー、やめてよ、おばあちゃんたら」

「段々わてによう似てきたなあ、今日一緒に風呂入ろか。おばあちゃん身体あろたるわ」


 普段なら私の前では見せないような表情で、母と無邪気にじゃれ合う周。端から見れば、仲の良い女子高生同士にしか見えない。


「お気になさらないでくださいよ。お義母さんがいらっしゃると聞いて喜んでいるのは周だけではないんですから」

「ありがとうねえ、貴子さん。あんたは高校生ん時からええ子やねえ。あんたがウチの子の事どんだけ好きか、あん時にようわかったけど、仕事中毒のこのスカタンに、未だに愛想あいそつかさんでくれとるしなぁ」

「やめてくださいよ、お義母さん。あの時のことは言わないでくださいな」

「なになに、何があったの昔? ねえ、教えてよ。ねえ」


 年甲斐もなく頬を赤らめる妻を問い詰める娘。


 高校二年生の時、他校に通う妻の貴子と街でデートをしていた際に、偶然、買い物帰りの母に出くわした。ばつの悪い表情の私に親しげに話しかける母を見た妻は、私が二股を掛けていると思い込み、そんなに金髪が好きかと私を罵倒したのである。


「あんたのお母ちゃん、すっごい怖い顔してわてに言うんよ。『アンタはこの人のこと、ホンマに好きなんか』て。二人が付きおおとるなんて知らへんから、『そら、この子のこと好きやけど』って答えたら貴子さん、掴みかかって来はってん」

「ほんと、やめてくださいよぉ、お義母さん」

「一緒に住んでる言うたら、そらもう貴子さんえらい――」

「やめてー! もうやめてー!!」


 耳を塞いでダイニングから逃げ出してゆく妻と、ニヤニヤ含み笑いの娘。


「ねえ、おばあちゃん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なんやあらたまて。何でもおばあちゃんに聞いてみぃ」

「おばあちゃん、全然歳をとらないじゃない? あたしもおばあちゃんそっくりだし、もう少ししたら成長止まるのかなあ?」


 娘の口から、私が怖くてなかなか確かめられずにいた疑問が呈された。


 周の生まれた姿を見た時、もしも私たちが通常の日本人夫婦だったならば、たいそう混乱したことだろう。柔らかいブロンドの髪に淡いピンクの柔肌。ようやく開いた瞼の奥には、つぶらな薄青色の瞳。およそ日本人とはかけ離れた特徴を有する我が児を抱き上げた時、母の遺伝子の濃さを垣間見たのだ。耳こそ尖ってはいないものの、娘は成長するに伴い次第に母に似てくる。高校に入学する頃には、母と瓜二つになっていた。


「誰も口にしないけど、おばあちゃんってエルフだよね、永遠に生きるっていう。いろいろ調べると、普通の耳のエルフも、ヨーロッパの伝承に残っているらしいんだ。もしかしたら、あたしもエルフなのかなあ」


 エルフ。その言葉を始めて聞いたのは大学生の頃だったか。当時、友人が読んでいた文庫本の表紙に、母によく似た容姿のキャラクターが描かれているのを目にした。聞くとエルフと呼ばれる、精霊の魔法を使い、永遠ともいわれる長命を誇るとされる架空の生物で、ファンタジー小説などに登場するらしい。魔法云々以外は母の特徴に符合するその話に、妙に納得した覚えがある。いまでは映画やゲーム、アニメなどの影響で、かなり一般的な存在になりつつあるようで、娘もそれで知ったのだろう。


 妻の面影を僅かに受け継ぎつつも、母の特徴を顕著に示す娘。自分の特徴が引き継がれていないことに、私は内心複雑だった。しかし、いつまでも若々しく長生きをしてくれるのではないかと、喜び期待したのも事実だ。だが、確証があるわけではなかった。


「それは、わてには判らんわぁ。でもな、人間は適当な頃合いに、あの世へ行くんが一番ええんとちゃうかいな。あんまり長生きしてもうて、いろんな人とサイナラするんも辛いもんやでぇ。まあ、こ見えても、わてももうすぐ八十やさかい、いつぽっくり逝くかもしれんよって、そん時は頼むでぇ」


 私の顔を見ながら、そう話す母の表情は、少しばかり寂しげに見えた。

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