第3話 小悪魔先輩はちっちゃくない。

「とーちゃーっく。さいかくんこっちこっち~」


 先輩に連れられてやって来たの場所は屋上だった。一度教室に戻ってコートを取って来させられたから何かと思えば……いや、なんでやねん。12月の屋上とか自殺志願者しかこんやろ。


「まぁ、人はいないけどさぁ……」


 校舎内で先輩と一緒にいるというのは非常に目立つ。特に男子の視線が痛くて仕方がない。だからなるべくなら、校内で先輩と話したくはないのだ。


 それが分かっているのか、いないのか。校内での話すことは少ないような気もする。それもあってのこのチョイスだろうか。


「てか、屋上って立ち入り禁止では? 鍵かかってませんでした?」


「それはねえ、ほら♪」


 先輩は得意そうにちりんと鍵を掲げて見せる。


「さいかくんが入学する前かなぁ。悪い先輩がいてね? ののかはそれを受け継いでいるのですよ♪」


「……じゃあ先輩も悪い先輩っすね」


「何言ってるの、さいかくん」


 怒るかと思ったのだが、先輩は小悪魔な笑みを浮かべる。


「ののか先輩は元から悪い子だよ♪」


 その様子を見て、思わずため息が漏れた。


 ああ、そうだな。一人暮らしの後輩の部屋に入り浸るような先輩が良い先輩なわけがない。そしてそれを許してしまっている俺も、大概だ。


 それから先輩は準備よくレジャーシートを敷いて暖かそうなひざ掛けまで用意していた。ちょこんと座り込むと、空いているスペースをポンポンと叩く。それに従って俺も座った。


「ほら、これあったかいんだよぉ?」


 先輩がひざ掛けを広げる。


 素直にありがたい――――それが二枚あれば、だが。


「先輩が使ってください。脚、寒いでしょう?」


「ありがとぉ。もちろんののかも使うよぉ? でも、こうすればいいでしょ?」


 二人の脚にひざ掛けがかけられる。温かい。しかしそれと同時に、少し恥ずかしさを覚える。こうして欲しくなかったから先輩に使って欲しかったのだが……。


 これではまるで、同じ布団に包まっているのと同義ではないか。いや、それはさすがに童貞的発想がすぎるか? いやいやしかし、このひざ掛けによって密閉された空間には俺と先輩の脚だけが存在するわけで。うら若い男女の脚、この寒い日に二脚きりで何も起きないはずがなく……。ってバカか。そもそもいつも狭い部屋で二人きりだろうが。


 しかしひざ掛けを二人で使うということは必然、もう少しで膝と膝がくっつくくらいには近づかなければならない。先輩の体温まで感じて、顔が熱くなる。


(って。それも今更か……) 


 何せこの先輩は異常なまでにスキンシップが多いのだ。先日のようなことも一度や二度では済まされない。


 いい加減慣れるべきだ。


 しかしそれで意識をしないで済むならこんなことを考えているはずもない。


 ああもう、なんかいい匂いまでするし。この童貞キラーは。どうせ他のやつにも同じことをしているんだろう? そうなんだろう?


 ふと隣へ視線をやると、先輩はお菓子の箱を出して小さく手を合わせていた。コートプラスひざ掛けのおかげで視覚からの刺激はだいぶ優しい。


「先輩お昼それだけっすか?」


「そだよぉ。ぽっきー」


 ぽっきーを一歩取り出して見せてくれる。それから幸せそうにポリポリと食べ始めた。リスみたいで可愛い。


「足りなくないですか、それ」


「大丈夫だよぉ。朝はしっかし食べてるし」


「でもいつも夜だってあまり食べてないじゃないですか」


「ええ~食べてるよぉ」


 家に入り浸っている都合上、夕飯を一緒することも多いのだが。というか作ってくれるので大変ありがたいのだが。いつも俺ばかりがたくさん食べている気がして少し申し訳なくなるのだ。先輩のお茶碗には握りこぶしよりも小さいほどしかご飯が盛られていない。


「そんなんじゃいつか身体壊しますって。背も大きくなりませんよ」


「……さいかくん」


「え゛」


 いつも甘々な先輩の声が急に暗いものを帯びる。それから闇落ち寸前みたいな笑顔まで張り付けられた。瞳のハイライトがない。


「背のことは、言っちゃダメなんだよ?」


「あ、はい。えと、その……申し訳ございませんでした」


 思いきり頭を下げると、先輩からふわっと邪気が消える。


 どうやら地雷を踏んだらしい。


(背が小さいの、気にしてんだな……)


 先輩は背が低い。それだけなら後輩、いや中学生と言われても納得してしまうかもしれないくらいだ。


 しかし彼女が浮かべる表情は決して中学生のそれではないだろう。あんな小悪魔な表情を中学生が浮かべていたら、俺はもう何も信じられない。


 それに何より、その胸元。男としてはその一点に視線が集中しそうになることもしばしば。今はコート越しだか、それでも形が分かる。それぐらいに暴力的なものを彼女は持っているのだ。


 背はちっちゃいけどおっぱいはちっちゃくないよ!


 だから、俺からすれば背が低いことなんて気にしなくていいのにと感じる。


 彼女はまぎれもなく美少女であり、言ってしまえばその背丈さえも彼女の武器なのだ。それは彼女も理解しているような気がする。


 しかしそれとコンプレックスはまた別であるらしい。


「でも、やっぱり心配になりますよ」


「ふぇ?」


「あんまり食べてないと心配になります。それに……なんつーか、嬉しそうに食べる先輩の顔、俺嫌いじゃないし。もう少し食べてもいいのではないかと……思います」


 また怒られるだろうか。しかし俺は言いたいことを言ったのだ。後悔はない。


 ちらと先輩の顔を窺う。すると先輩はいつもより幾分か優しい大人っぽい顔で微笑んだ。それから、俺の頭を撫でる。


「まったく……さいかくんはたまにズルいよねぇ。お姉さんきゅんきゅんしちゃうよ」


「いや、べつにきゅんきゅんとかしなくていいです。ちゃんと食えって話です」


「はーい。わかりました。では……んっ」


 先輩がぽかんと口を開け渡すようにしてこちらを向く。大きく開けているはずなのに、その入り口は小さい。


「は……? え?」


「はーやーくー。あれだけ言ったんだから、もちろんさいかくんが食べさせてくれるんだよね?」


「あ、いやそれは……てか俺のカツサンドですけど。いいんですか?」


「いいよぉ。ののかもカツサンド、大好き♡」


 少し意外だ。先輩は肉なんてほとんど食べないかと思っていた。ガツガツと何でもかんでも食べる幼馴染とは違うのだと、そう思っていた。


 しかしこの流れは……


「ほら、あーんして~」


 口をんーっと広げる先輩。


「マジっすか……カツサンドくらいいくらでもあげますから自分で食べてくださいよ……」


「い~や~。それならいらなーい。ののか、ご飯食べませ〜ん」


 ぷいっと、先輩は顔をそむける。もうすべてがあざとい。あざとすぎる。それなのに可愛いから、困る。


 俺はしぶしぶカツサンドを構えた。


「えと、……じゃあその、あーん……」


「あーんっ♪」


 差し出すと、先輩は迷わず飛びついた。もぐもぐと、口いっぱいのカツサンドを咀嚼する。小動物のようで可愛い。


「おいひい~♡」


「それはよかったです」


「じゃあ次は、ののかがさいかくんにあーんしてあげる番ね?」


「は? いやけっこうです」


「よいではないかよいではないか。先輩は後輩に受けた恩は必ず返すのです」


 先輩は楽しそうに俺の口へポッキーを突き出す。最初からこれが狙いだったのかもしれないというくらいの行動の速さだった。


「はい、あーん♪」


「うう……むぅ………あむ……」


 至近距離で笑顔の先輩が俺の様子を窺っている。その状況そのものに耐え切れず、俺は早く終わらせてしまおうとポッキーへかじりついた。甘い。甘すぎる。何もかも甘くて頭がおかしくなりそうだ。


「そしてぇ……ののかも、あむっ」


「はふぇ……!?」


「ポッキーゲーム、だよ?」


「いや、ちょ、それはさすがに……っ!?」


「ほーら、唇、ごっつんこしちゃうかなぁ? したい? したいよねぇ……♪」


「まっ、き、キスぅ!?」


「あっ……」


 動揺から思わず首を振るとあっけなくポッキーは折れてしまった。


 先輩は自分の方に残されたポッキーをぽりぽりと胃に納める。俺も同じように、ポッキーを食べた。


 そして少しの沈黙の後、先輩が再び口を開いた。


「もう一回、ね♪」


「いや絶対やりませんよ!?」


「えー、じゃあじゃあ、さっきのカツサンドをさいかくんが食べるのを眺めるゲームね♪」


「はあ!?」


 先ほどのカツサンドに視線がいく。そこにはくっきりと先輩が口をくけた後が残されていた。


「直接はできなかったけど、間接なら大丈夫だよね♡」


「これはもう先輩が食べてください!」


 屋上に俺の上ずった声が響き渡った。


 これでミルクティーの分はチャラだ。それでいいだろう、もう。

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