聖夜(イブ)と弾丸

冷門 風之助 

ACT.1

 鼻の頭に何かが付いた。

 手で触ってみると、それはすぐに水と化す。

 頭を上げてみる。

 灰色になった空から、雪がちらつき始めた。

 折しも今日は、キリスト教に於いて、天にまします神の御子である”主イエス”とやらが誕生したとされる前日。もっとわかりやすく言えば、

『クリスマス・イブ』である。

 今の日本ではそんなおごそかな空気なんぞどこへやら、若者たちがただ浮かれ騒ぐだけの日になってしまっているが・・・・・

 ま、そんなことはどうでもいい。


 そんなめでたい日に、俺はくしゃみをこらえ、垂れかけた水っぱなをすすり、うしろに向かって合図をし、ウェイターを呼んでコーヒーのお代わりを頼む。

 時刻は丁度午後1時、人々がせわしなく歩き回っている時に、コートの襟を立て、わざわざカフェのテラス席に陣取り、小一時間近くも道路を挟んだ反対側の公園の入り口を見張っている。


 俺の目線の先に居たのは、白い杖を持った四人の男女と、その足元に毛布を敷いて貰って、大人しく座っている二頭の薄茶色の毛並みをしたラブラドール・レトリーバー。

 つまりはこの一団は視覚障碍者の団体で、彼らは盲導犬育成のための寄付活動を行っていたのだ。

”だから何のためにお前がこの連中を監視しているのか”だって?

 かしなさんな。

 これから話してやるよ。


”彼女”から、

『ちょっと用事があるのよ。今から会ってくれない?』という電話が、俺、即ち乾宗十郎探偵事務所にあったのは、11月も終わりかけの、ある日曜の事だった。

 俺は彼女に指定された通り、帝国劇場の西側にある、

『ベル』という名前の小さな喫茶店に、待ち合わせ時間の10分前に入った。

 ほんの少し遅れて、”彼女”も顔を出す。

『久しぶり、元気だった?』

 ”彼女”は俺の真向かいの席に腰を下ろすと、肩から下げていた小粋なバッグからくすんだ銀色のシガレットケースを出し、赤いマニュキアを塗った指で、シガリロをつまみ出し、ジッポの音を響かせて火を点けた。

『何でこんなところまで呼び出したか分かるでしょ?』

 煙を中空に吐き出し、わざとらしい口調で言う。

『ここが喫煙者にとって天国パラダイスだからだろう?』

『ご明察』そう言ってまた煙を吐いた。

 注文オーダーを取りに来たウェイトレスにカプチーノを頼み、大きく足を組む。

 スリットが深く切れ込んでいるタイトスカートからは、マレーネ・デイトリッヒばりの美脚が、向かいに座っている俺の目にも見える。

 ブラウンのスーツの下のインナーからは、これまた見事な胸の谷間が覗けた。

 これで警察官、それもキャリアだなんて、誰が信じるだろう。

 そう、彼女は”切れ者マリー”こと、警視庁外事課特殊捜査班主任、五十嵐真理警視その人だ。

『で、何の用だ?警察官おまわりってのは師走間際の真昼間にこんなところにやって来るほど暇な商売なのかね?』

『意地悪ねぇ、貴方にお仕事を回して上げようと思っていたのに』

『前にも言わなかったか?俺はサツからの小遣いで動くような、さもしい岡っ引き根性は持ち合わせていないってさ』

 彼女は俺の言葉を聞くと、苦笑して一本目を灰にすると、続けてもう一本点けた。

『あなた、そろそろ銀行預金に赤ランプが点滅しているんじゃなくって?やせ我慢は身体に毒よ』

 何だ。見抜いてやがったのか。これだから警官オマワリは苦手だ。

『まず、話を聞こうか。内容次第だ』

 俺は運ばれてきたキリマンジャロのブラックを口に運び、それからシナモンスティックを咥えた。

『実はね、ある人物の逮捕に協力して欲しいのよ。ブラック・ハウンド、知ってるでしょ』

 空中に吐かれた紫煙と、彼女の身体から漂うゲランの香りが肩を並べ、俺に悩まし気に迫ってくる。

『ああ、知ってるよ。あのいま世界で絶賛大人気のテロリストか』

『さすが乾のダンナね。』

 彼女は妙な感心の仕方をしながら、紫煙を立て続けに吹き上げた。

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