ホーム・スウィート・ホーム

aza/あざ(筒示明日香)

ホーム・スウィート・ホーム

 買い物から帰ると、妹が床に貼り付いていた。




「この時期床に転がるんは体にあかんと思いますけど?」

「訛り取れないねぇ」

「ちょ、僕の話聞いてはります?」


 地方に住んでいた幼少期。十になるかならないかに、母親の再婚で東京に出て来た。

 友達が出来ないんじゃ困るとばかりに、何とか標準語をマスターしたものの、生粋の方言使いたる母親との会話で、どうしても訛りが残ってしまったのだ。


 まぁ、支障は無いし構わない。そう考えている。


「聞いてますよー。でも気持ち良いんだもの、床。冷たくて」

「冬やって言うのに……しかもスカートの裾がはだけてますやん。はしたない。そんなん、オナゴのしはることやおましませんえ? ええ加減になさい」

 彼女が余りにもあっけらかんとしているので、つい口調が小言になってしまう。生前の母親が、よくこんな風に言った。


 本来、僕と血が繋がらない父と妹である彼女は、母のいない今接点は無く僕とは他人になるのだ。だが父も彼女も僕を見捨てず、現在大学四回生で来年就職になる訳だけれど、この年まで面倒を見てくれた。頭の下がる思いが在った。

 だからだろうか。妹の世話と躾は己の役目の一端だと思っている。母が死んで数年経ったと言うのに、再婚もせず、僕や妹を養うために懸命に働く父のため、家事も一手に引き受けて。


きよしくんにはいつも悪いなー」

 父は僕をくん付けで、妹を呼び捨てで呼ぶ。しかしこれはただの名残で在ることを僕は知っていた。僕を家族として扱ってくれる。僕は報いなければならない。

「せやからね、」

「お兄ちゃん、腹空いた」

 人の話を聞く気は無いのか。母がする説教は、この傍若無人な妹だって、きちんと正座して聞いたものだ。

 単に僕が嘗められているのかもしれない。嘆息を付く。虚しくて。


 そうして僕は夕飯作りへ戻った。いい年の妹に、匙を投げたのだ。




 僕の嘆きの深さを感じ取ってか、この日めずらしく妹が手伝ってくれた。驚くなかれ。飲料を用意したり皿を並べただけだって普段からすれば立派な手伝いなのだ。


「いただきまーす」

「いただきます」


 手を合わせ向かい合わせで食事を始める。ふと、妹が問い掛けて来た。

「お兄ちゃん、“お母はん”の墓参りいつ行く?」

 妹は母を『お母はん』と呼ぶ。実母を『ママ』と呼んでいたらしいので、別に普通に『お母さん』で良いと思うのだが。母や僕の訛りのせいか、こちらのほうがしっくり来るのだそうだ。

「もうそんな時期……やったんねぇ」

「ね! ね! お母はんの好きな、苺大福作ろうよ!」

「……あんたはんが食べたいだけなんと違いますか?」

「む! ……それも在る!」

「まったく……」


 規格内の会話が箸と共に進む。父は帰りが遅いため二人だけなのも常だった。時計を見、ああ、レポートを纏めなければ、卒論も……と思った辺りだ。妹が不意に黙った。

「どないしたぁ? そんな顔して」

 通常そうそう見ない妹の顔色に少し心配になる。僕の舌では日頃と変わらない出来で、ゆえに料理に問題は無いはずだけど。


 それから待つこと、およそ三分。妹は思わぬことを言った。


「私お嫁に行きたくないな」


 妹には七つ年上の彼氏がいた。妹は、高校を一年前に卒業してからは小さな雑貨屋でアルバイトをしていた。その雑貨屋は彼氏のお母さんが経営しているもので、向こうに気に入られている妹はいつお嫁に行ってもおかしくない状態だった。

 両家の婚約による顔合わせで、父は

「男二人になるのは気兼ねが無くなって良いな」

 と笑っていたが、無理しているのは家族内においては明らかだった。けれど曇り無く円満な現時点での妹のこの発言を、父がよろこぶとは到底思えない。


「……莫迦なこと言わんと、来月までには荷物纏めるんえ?」

「うん……」

 来月、妹は新居に引っ越す。年明けには入籍、結婚、披露宴。おめでたいことなのだ。


「……。明日は鰈の煮付けにしましょか。買い物付き合ってな?」

「うん」


 妹がいなくなるまであと半月。二人の食卓もあと半月。

 それまでは、妹の好きなモノを夕食に添えてあげようと僕は考えている。




   【 了 】

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