第4話 乱す者

 あれから、更に何日も経過した。

 プロウのことも、また少し分かったことが増えた。

 物心ついた頃には、既に人間の奴隷であったこと。

 いつも流暢な言葉で話すのは、全て魔者の主人の方だということ。

 魔者の主人に体を変えられて以来、肉体年齢は止まっていること。

 植えているのは焼け野原の森を掘り返して見付けた種や草の実ばかりで、ここを耕す以前には、他の土地を耕していたということも聞けた。


 また、予想通りプロウは人間の世界で起きていることを全くといっていいほど知らなかった。

 何十年も前に、魔法士を含む精鋭隊により魔者の一斉討伐があったことや、その討伐が完全には成されず、精鋭隊のほとんどが消息不明になったこと。その数年後には人間と魔者との全面戦争が勃発、数を減らした魔者が撤退し、一部両者の間で暗黙の棲み分けがなされたことさえも、プロウは知らなかった。

 だが戦争自体を知らないということは、彼女はその頃には既に魔者の棲み処にはいなかったということになる。彼女曰く「突然追い出された」そうだが、それはある意味、魔者の仲間として理不尽に殺されるのを防ぐために逃がしたとも考えられた。


 魔者になれば、理性はあっても善性は消える。

 これは当時の学者たちが口を揃えて言ったことだが、俺にはそれがどこまで真実を言い表しているのか、よく分からなかった。だが、その疑問は決して口にしてはいけないものだとは分かっていた。

 もし彼らに善性や情というものが僅かにでも残っていれば、それはもう魔法士と何がどう違うのか、一切定義できなくなるからだ。

 本能や衝動に従うことが悪なのか。

 理性や常識に従い、万人に受け入れられることが正義なのか。


 では、何もすることがないからと鋤をふるい続けるプロウは、どちらなのか。


 こういったことを一つ聞き出すのにいちいち時間がかかるため、退屈はしなかったが、夜になれば聞き出したことについて考える番になるわけで、一概に良いこととも言えなかった。

 結局、これだけの情報を聞き出して整理できるまでに、一か月、二か月と、時間はあっという間に過ぎた。

 その間、プロウは相変わらず土に鋤を押し込んで、畝を作り、種を植え、水を遣っていた。時には森の跡地に種などの植えるものを探しにいく時もあり、俺はそれにも当然のようについていった。

 勿論、会話のない日もざらにあった。

 何もない、けれど不足もない日々だった。


 変化が訪れたのは、畑の所々に雑草にしか見えない双葉が芽を出し始めた頃だった。


「…………?」


 魔獣を一匹仕留めて戻ってきた途中、日々拡大する畑から少し離れた場所に、見慣れぬ靴跡があった。

 プロウは靴を履かない。一度瓦礫の中から良さそうなもので作ってみたが、触感が気持ち悪かったのか返却されてしまった。

 プロウに、不在の間誰か来たのかと聞いたが、知らないと言った。最初はそれで終わった。

 だが数日後、今度は二人で森に出向いた日の帰り、再び同じことが起きた。靴跡である。


「…………」


 俺は、自分の靴跡を見間違えたりはしない。そして、現時点で二人しかいない広大な荒れ地に他の生き物が紛れ込む気配は、そう何度も見過ごせないほどに酷く俺の五感を刺激した。


「……見られてる」


 強い不快感に、とうに忘れたはずの警戒心と観察眼が嫌でも戻ってくる。ささくれだった神経に幾つもの雑多な気配が引っかかる感覚は、相変わらず嫌なものだ。


「っぃで!」


 プロウが変わらず土を耕し続けるある日。

 俺はついに、そう遠くない廃墟の陰に隠れた男を一人捕まえて、壁に押し付けた。


「どこのどいつだ」


 利き腕を背中側に限界まで捻り上げ、もう片方の腕で携帯していたやじりを目玉のすぐ前に突き出す。男は目を開けてもすぐには状況が呑み込めなかったのか、変な声を上げては忙しなく瞬きを繰り返してからやっと口を開いた。


「ジジイがなんで……」


 第一声がジジイとは失礼な、と思いながらも、捕まえた男は十代後半か二十代前半の年頃だ。若造から見れば、少しは俺も年を取ったのかもしれない。抗議はせずに、「質問に答えろ」と更に腕をきつく締め上げる。


「パ、パイシス村の、ミゲルだ」


 所属を聞いたつもりだったのだが、村の名前で返されてしまった。だが、まぁいい。

 とりあえず、少なくとも魔者は新人類だとか魔者に帰属しようと考える頭のいかれた宗教団体や、再度戦争をしかけて魔者全滅を謳う過激派や反政府組織の密偵と言う可能性は低そうだ。


「目的は何だ」

「も、目的?」


 その上擦った声に、おや、と思う。案の定、男は口ごもりながら目を泳がせた。


「目的って、そんなの……近くに変な奴らが住み着いたって聞いたから、ちょっと様子を確かめに……」


 末尾は、そのまま尻すぼみに小さくなった。

 やはりこの男に明確な行動理由はなく、ただ未知のものを見に来ること自体が目的だったようだ。大方、近所の威張り散らした悪ガキが度胸試しと興味本位に動いたという程度だろう。

 だが確かに、村の近くに許可も挨拶もなく余所者が住み着けば、村に噂が広まるのは必定だ。最終的には村長などの代表に報告が上がり、偵察や対処について議論されるのもまた当然の帰結といえた。

 しかも場所は、魔獣との棲み分けの境界地域だ。人間としては最果ての村で、政府上層部はその境界地域を拡大させたいとも後退させたいとも明確にはしていない。が、そこに住む者たちからすれば、自分たちの土地である。少しずつでも開拓が出来るのならば、その分豊かになるのだからしたいという思いは常にあるだろう。

 余所者は、それを邪魔する者、或いは自分たちの土地までも奪うかもしれない危険人物と見るかもしれない。

 俺は目玉と鏃の距離を常に一定に保持したまま、そう結論付けた。


「俺たちは、ここの土地を奪いに来たわけじゃない。お前たちの村にも何かするつもりはない。住み着くつもりもないから、そっとしておいてくれ」


 睨むというには力なく、俺はそう牽制した。男は怯むような懐疑的な視線を向けたままだったが、俺が鏃を引いて腕を解放すると、脱兎のごとくプロウの畑から走り去った。


 だが、それはただの予兆に過ぎなかった。

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