第18話 尊ちゃんのバイト先に行こう


『中上。中上です』


 車内に響くアナウンスに気がつき、スマートフォンから顔を上げると、いつのまにか家の最寄り駅に到着していた。

 膝の上に置いていたビジネスバッグを手に取り、そそくさとホームへと降りる。


「……バイト先に、ね」


 スマートフォンの画面には、雨宮から届いたRIMEのメッセージ。


『尊ちゃんは居酒屋バイトの日です(ビールの絵文字)』

『どうせだし、ウチの店で晩ごはん食べちゃわない?』

『お安くしますぜ、旦那(ニヤリとしている絵文字)』


 俺が定時退社した頃に、ポンポンとこんなメッセージが飛んできたのだ。ちゃんと最後に店までの地図が添えられている。

 15分ほど前に届いたメッセージだが、なんて返事をしようか迷っている間に、中上駅に辿り着いてしまっていた。

 そもそも女の子とRIMEでやり取りすること自体がハードだというのに、その内容がバイト先に行くかどうかだなんて、俺にとっては最高難易度である。


「……俺は雨宮の何なんだろう」


 バイト先に行ったとして、俺はなんて紹介されるのだろうか。彼氏ではないし、友達というにも年が離れているし、兄弟にしてはあまりにも似ていない。

 だからと言って、普通に顔見知りとか紹介されたら、それはそれで物悲しいものがある。いや、その通りであることは分かっているけれど。分かっているけれど。


「というか、同居してることがバレたら捕まってしまうのでは?」


 もちろんバイト先の人たちは、雨宮が高校生だと知っているはずだ。

 そんなところにスーツをビッシリと着こんだサラリーマンの男がやってきて、万が一でも口を滑らせてしまえば……。


「……やっぱり、ここは断るべきかな」


 あまりにも危険すぎるだろう、いろいろな意味で。断じて逃げたわけではない。ないったら、ない。


「よし……ええっと、『邪魔するのも悪いかろ、今日はコンビニで買って帰』」


 ピコン!


「――うわっ!?」


 俺が断りのメッセージを打とうとしていると、図ったようなタイミングで、雨宮からメッセージが送られてきた。

 俺はビックリしすぎて、スマートフォンでお手玉を披露してしまった。何度か空中を舞ったものの、なんとかキャッチに成功する。


「あ、危なかった……」


 スマートフォンを落として壊していたら、いろいろな意味で死んでいたところだ。家計的にも、雨宮との連絡手段的にも。


「まだメッセージも返していないのに、どうしたんだろう」


 RIMEの画面には、まだ作成途中のメッセージ。つまり、断りのメッセージに対する返信ではないということだ。

 不可解な現象に首を捻りつつ、おそるおそる雨宮から届いたメッセージを確認してみると……。


『待ってまーす(大量のハートの絵文字)』


 この一文だけ。

 俺は生まれてはじめて、ハートマークが恐ろしいモノに感じた。


「まさか、断ろうとしたのがバレている?」


 いや、そんなはずはない。

 RIMEは相手がいまメッセージを書いているかどうか分からないし、ましてやその内容なんて分かるはずもない。


「ぐ、ぐうぜんだよな、ぐうぜん……」


 絶対に偶然だと分かっているが、気づけば俺の指は、作成途中のメッセージを削除していた。


 勘の鋭い雨宮のことだ。俺の返信が遅いことで、断ろうとしている雰囲気を感じ取ったという可能性も捨てきれない。

 というか、そう考え出したらそうとしか思えなくなってきたぞ。


「……はぁ」


 大きくため息をつき、緩慢とした動作でスマートフォンを操作する。


『了解です』


 敗北宣言とも言える、短いメッセージ。

 数秒後に金髪ナルシストが髪をかきあげている謎のスタンプが返ってきた。それからは、パタリと雨宮からの連絡がこなくなった。

 もうバイトの時間だし、仕事に戻ったのだろうか。


「仕方ない……行くか……」


 こうなってしまえば、もう逃げることはできない。我ながら情けないけれど、雨宮に逆らえるわけがないのだ。

 俺は何倍も重たくなった足を引きずりながら、送られてきた地図を頼りに、雨宮がバイトする居酒屋へと向かうのであった。

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