第35話 テスト勉強

「さて、成瀬さん。もうすぐ何があるか知ってますか?」


 ゴールデンウィーク最後の日、いつもとは違い昼に俺の家にやって来た相坂さんは急にそんなことを聞いてきた。


 もうすぐ何があるか……って、なんかあったっけ?


「え? えっと…………体育祭、とか?」


 ――ばちーん。どこからともなく出てきた広辞苑で頭をたたかれる。


「――いってぇッ⁉」

「すみません、叩けばそのすっからかんの脳みそが治るかなと思いまして」

「すっからかんってひどくない⁉ ってか、広辞苑重いな⁉」

「成瀬さんの頭の中よりたくさんのことが詰まってますから」


 酷い言い草だ。まあたしかに俺の頭にあって広辞苑に書いてないことなどないだろうけど。


「体育祭は6月……その前にすることがあるでしょう?」

「え……あ、テスト!」


 俺がそう言うと、相坂さんは「当たり前です」と返してきた。


「学校行事で盛り上がることができるのは、テストできちんと相応の結果を残した人間だけです」

「なんか急に教師みたいなことを言い始めた」


 今日の相坂さんはカジュアルな格好をしているが、なぜだか俺にはスーツ姿をしているいつもの相坂さんを幻視してしまった。


「それでですね。早速ですが、きちんとした結果を残してもらいたいわけですよ」

「でも、本格的に勉強を始めてまだ1か月ですよ? 今回ばかりはまだ見逃してほしいというか……」

「そんなこと言ってると奈落の底まで叩き落としますよ?」


 現実で奈落の底とか言ってる女子を初めて見た。そしてそんな脅しをされるのも初めての経験である。なに、相坂さんの腕力って奈落の底まで落とすだけの力があるの怖いんだけど。


「でも『きちんとした結果』ってどれくらいのことを指すんですか? 赤点取らないくらいなら、もしかしたら可能かも……」

「大丈夫です、そこはきちんとした判断基準を設けてきました」


 すると相坂さんはどこからともなく取り出したフリップを机にバンと立てた。

 なんか昼の芸能人たちが討論してる番組だ。さては影響されたな?


 と、そんなことはともかく、俺は内容を確認する。


「――って、え?」


 だがそこには明らかに達成不可能な内容が書いてあった。


「クラスで10番以内……?」

「そうです、クラスで40人中10位以内に入ってもらいます」

「待て待て待って」


 俺は相坂さんから言われたことを頭の中で反芻して、計算する。


「それって、上位25パーセントに入れってことですよね? さすがに厳しいんですが、だってうちの高校って進学校ですよ? 上位25パーセントなんて、それこそ有名な国立大学に行けるレベル……ってまさか」

「そうです。狙うはそこ、ですから」


 俺の心境を音で表すと、『ガビーン』というやつだった。古い? 古くないよね。この効果音、いまだに現役だよね?


「というか、狙うはT大ですよ」

「ああ、とうとう相坂さんは現実が見えなくなってしまった……」

「失礼なことを言う人ですねあなたは」


 諦めている俺に、相坂さんはため息をこぼす。

 それから面倒くさそうに説明をしてくれる。


「いいですか。受験勉強なんて、今から始めたら十分早い方なんです。たしかにT大を目指すような人たちはすでにたくさんの勉強をしているでしょうが、成瀬さんならいけると思いますよ」

「でもだいたいT大に行く理由なんてないし……」

「真理の第一志望はT大ですよ?」


 なん……ですと? なんですと?


「ちょっと待ってください。あの……めっちゃ失礼なんですけど、先輩って頭いいんですか?」

「…………まああれだけのポンコツっぷりですからあれですけど、ぶっちゃけ超頭いいですよ。T大も余裕のA判定です」

「…………」


 なんか裏切られたような気持になった。カラオケの時と同じような気持ち。

 一緒に勉強頑張ろうね! みたいなことを言って、先に追い越していかれた、みたいな。やっぱり何を言っているんだおれは。


 というか大体、鳴といい先輩といい、俺の周りに頭のいいやつ多くないか?


「なんかすごく勉強のやる気がなくなってきた……」

「相変わらず分かりやすい人ですね。でも、そんなときのために」


 と相坂さんは用意していたフリップの右側の白紙部分をめくる。

 あれ、そんなところまで準備したんですか?


 そしてそこにはこう書いてあった。


『10位以内→〇〇○○‼』

『それ以外 →○○○○‼』


「なんですかこれは?」

「じゃあ発表していきますね」


 ワクワクでどう見てもテンションが上がっている相坂さん。絶対にこれがやりたかっただけだろ。


「はい、まずは10位以内に入ったら、ですが。なんと」


 デデンっ、と自分で効果音を付けて糊付けされていた部分を、その真っ白な爪の先でめくる。


「はい。嘉瀬真理との温泉旅行券、が手に入ります!」

「な、な、な。なんだってえええぇぇええええ⁉」


 先輩との温泉旅行券だと⁉


「はい。この時のために、一泊二日の旅行券を手に入れておきました」

「まじか!」

「しかも場所は熱海‼」

「えーやばくね⁉」


 何がやばいのかもわからなかったが、とりあえずやばい。


 てか。


「『一泊』……?」

「はい、お泊りです」

「相坂さん。俺、死ぬ気で勉強しようと思います」

「簡単……」


 何か呆れている様子の相坂さんだったが、先輩とお泊りができるとなったら頑張らない理由はない。というか頑張らない選択肢がない。


「よし、じゃあめちゃくちゃ勉強しますから……」

「そして気になる、『それ以外』の方ですが」


 全然気になっていないんですが。

 嫌な予感しかしないんですが。


「じゃじゃん! あなたのパソコンに入っているAVが全部消去されます」

「――――え」


 ちょっと待て。なんでそれを相坂さんが知っている?

 待て待て待て、あれはたしか俺のパソコンの「subject」というフォルダの中の「math」というフォルダの中の「漸化式」というフォルダの中に入れておいたはずなのに⁉


「そ、そんなものはし、知らないけどなあ?」

「数学嫌いなくせに、そんなフォルダを作るはずがないじゃないですか」

「――たしかに⁉」


 というわけで、俺の命がけの勉強が始まりました。

 あと、地味にそういうビデオを見てるのがバレるって恥ずかしいね。奈落があったら入りたいもん今。

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