第22話 クノッソス 其の四

 イカロスは、薄暗い部屋の隅に薄い上掛けを掛けて寝ていた。女房はまだ仕事から戻ってきていない。ひとりぼっちで寝ている息子を見ると、不憫で胸が締め付けられた。

 俺が顔を覗き込むと、眠っていると思った息子は目を開けた。ぼんやりした目の焦点が会うと、にっと笑った。この子はいつもそうだった。赤ん坊の時から、目を覚ますと、まず、にこりと笑うのだ。夢の世界から人の世に戻ってこられて嬉しい、とでもいうように、にこりと笑ってこの世界に挨拶する。

「お帰り、父さん」

「気分はどうだ?」

「いいよ」

 そう言ったが、イカロスの顔色は土気色で、つやがなかった。

「ちょっとどきどきして、気分が悪くなっただけなんだ。今日、暑かったから。皆、大騒ぎし過ぎるんだよ」

「そうか。だが、医者様は、寝てろ、と言った。医者の言うことはきかなきゃいかんぞ」

 息子はちょっと不満そうに、うん、と言った。

 女房が戻ってきた時、息子は眠っていた。

「王の家令がエンパロメトスに使いを出したそうだよ。奴隷頭がこっそり教えてくれた」

 エンパロメトスは、王家に出入りしている奴隷商人だ。女房の顔色は真っ青で、声は震えていた。

「どうしよう。どうしよう」

「落ち着け」

 俺は叱りつけた。今、ここで狼狽しても何もならない。俺は泣いている女房を眺めた。

 こいつはどこまで信用できるだろう? どこまであてにできるだろうか? あまり利発とはいえないのはわかってる。

「身の回りのものをまとめておけ」

「身の回りのもの?」

「着替えとか、そんなものだ」

「あんた、まさか、この子をエンパロメトスに渡すつもりじゃないだろうね?」

 女房の顔がひきつった。目を釣り上げて、狂人のようだ。

 俺は、そうじゃない、と言おうとして、黙った。そう思わせておいた方がいい。本来、奴隷は主人の持ち物で、売るも捨てるも主人しだいだ。反抗する奴隷などいない。反抗したところで殺されるだけだ。女房だって、そんなことはわかっている。顔に手をあてて、めそめそと泣き出した。

「静かにしろ。イカロスが目を覚ます」

 俺は立ち上がった。

「どこ行くんだい?」

「仕事だ」

 俺は言い捨てて、宮殿を出た。

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