第3話 名家の敷居③

 俺一人で色媒の精製方法を作り上げたのか、そして色媒は原料さえあればいくらでも作れるのか。二つの質問は確信を突いている。特に一つ目の質問は俺にとっては急所ともいえる。


「二つ目の質問から答えさせていただきます。超級色媒は原料さえあれば今後も作り出すことは可能です。ただし、その運用にはいくつかの条件があります」

「どういう意味かな」

「精製の過程を経ることで最終的に得られる色媒量がかなり減るのです。現状では通常の調整に比べて大体十分の一になります」


 精製色媒の魔力伝導率の向上は、俺の標準をはるかに下回る魔力を補おうともがいた結果だ。目の前の三人のように資質に恵まれた騎士にとっては、過剰な品質であるともいえるのだ。合同演習の時は時間的に複雑な術式を描く時間がなかったから問題にならなかった。


「代償は大きいというわけか。十分の一となると確かに普通に用いるには厳しいな。サリアの話から運用の条件の一つは、色媒の安定性を活かす形だろうことは想像できるが……」

「わかったわ。合同演習であなたが使っていたあの不思議な術式、この色媒のあり得ない性能と関連しているのね」


 王女様が言った。俺は素直に「そうです」と頷く。彼女には隣で俺の魔術を見られている。


「色媒自身の魔力伝導率と、それを前提とした術式の改良を合わせれば、私の魔力量でも上級魔獣と渡り合うだけの魔術とすることができます」

「…………なるほど、我々が不思議に思っていた君の力については確かにそれで説明は付くわけだ」


 老騎士はそこまで言って大きく息を吐きだした。


「だが、同時に想像を超えるものだ。君の力の根源がその触媒である以上、それを提供されれば誰でも恩恵を受けられることになる。サリアの例はその一端にすぎないということだな。同時に君はその力の源泉、錬金術による色媒の精製について具体的には何も明かしていない。無論、明かさないのは当然と言える。だが、ここまで話したということは、君には何か思惑があるはずだ」

「はい。それが一つ目の質問。この方法は私一人で作りだしたものか、に関わります。まず、この色媒の精製の方法は私一人で工夫したものです。ですが、私がそれを出来たことには前提があります」

「その前提とは?」


 同級生の祖父の目がすっと細まった。


「錬金術は旧時代の学問で、現在は書物の中にしか存在しません。その知識が有用でも、記録だけから私一人で復活させることは不可能だったでしょう。ですが、錬金術の技術は実は現在も残っていたのです」


 俺はそこまでいうと窓の外を指さした。都市を騎士と平民に分ける運河の向こう側、茶色の建物だ。


「蒸留酒や染料を作る工程の中には錬金術の、つまり特定の物質を取り出す技術がいくつも存在しているのです。私はここに来る前は職人見習です。つまり、色媒の精製にはそういった技術を用いました」


 俺の色媒精製には大きな泣き所がある。まず第一に、騎士の本来のやり方からあまりに逸脱している。一歩間違えば禁忌扱いされる。いや、そう難癖をつけて断罪可能だ。デュースター家に知られたら確実にそうなるだろう。


「職人の、技術?」

「平民の技で魔術を扱った……」


 王女様は理解できないという表情。ご令嬢は手を置いていた鎖から一瞬手を浮かせた。老騎士は表情を消した。これまでで一番大きな反応だ。俺は先ほどまでのこの家の使用人を思い出いし、思い切って続ける。


「私のこの色媒についていまだ関心があるでしょうか」

「なるほど、君に悪意を持つものが聞けば放ってはおかない話だな。だが、王家の現状を考えると我々には選択肢はないだろう。ましてや、その技で助けられた側としてはな。それで、関心があるといえば、どうなる」

「私が錬金術を完成させるのに庇護と援助をいただきたいのです」

「……今の話が未完成だと」


 老騎士は虚を突かれたような顔になる。


「私の錬金術にはまだいくつも問題があります。一つは最初に言いましたが収量の問題。もう一つはこの精製は騎士が行うには複雑すぎることです。精製は職人の技術と大きく繋がっています。水まで気を使わなければならず、また使用する薬品には手につけば爛れ、目に入れば視力を奪う物もあります。仮に私が精製の方法を教えたとしても普通の騎士では品質、つまり魔力伝導率も収量も減るでしょう」


 「私には三年間の職人見習の経験があります」と付け加える。嘘ではない、単純な調整ですら俺と同級生では差が付くのだ。


「確かに容易ではなさそうだな」

「私としては現在の精製の方法をさらに洗練して、より収量を上げると同時に、扱いやすいものにしたいと考えています」

「先ほど量が十分の一になるといったな。どれほど上がる?」

「やってみないとわかりませんが、私の現在のやり方はまだまだ付け焼き刃ですので、倍くらいにはできるかもしれません」


 ハッタリではない。精製の過程で捨てられる液や沈殿の中にも魔力伝導率が残っているのは確認している。道具に関しても工夫したいことは山ほどある。


「それだけで、大分話が変わってくるな」

「方法が確立すれば色媒精製の為の専用の道具と薬品を一式揃えます。それらの言わば『優れた触媒を“調整”する』道具一式を御当家、あるいは王家を通じて騎士に配布する仕組みができればどうでしょう」


 俺がそういうと騎士院における王家派の重鎮の顔がはっきり変わった。


「そんなことが、本当に可能なのか」

「今はまだ机上の空論です。必ずうまく行くなどとお約束はできません。ですが、ある条件が整えば、実現可能性は大きく上がります」

「その条件とは?」

「資金と、設備です。例えば、私の古巣である染料工房の設備と道具を用いれば精製を改良するための効率は上がります。また、道具や薬品を工夫するにも職人街なら容易です。秘密を守るという面からも、こちら側ではデュースター家の息のかかったものの目につきやすい。染料工房で色媒の改良が成されているとは思わないでしょう」

「我らは想像すらせんな」

「もう一つは。原料の供給と、出来上がった色媒を用いた術式改良のテストです。私はこの通りの魔力で、緑一色しか扱えません。同じことが他の色や術式でどの程度有効か、確かめるすべがないのです」


 俺は青と赤の魔術に関しては学院でも一二を争う二人の同級生を見て言う。


「私はまたあれを手にできるということか」

「私もあなたの色媒を使うことができるのね」

「なるほど、我々は君の力を取り込み、優先的にその成果を享受できる。しかも、将来的にはそれが王家の力になると」

「そのためには資金。そして、私が運河の向こう側に定期的に赴ける許可。そして私の錬金術を染料工房の人間が“手伝って”も罪に問われない保証が必要です」

「…………外出許可は理事として何とでもなる。運河の向こうで扱うことに関しては難題だが、都市の管理は王家の管轄。元々あの禁忌は商人を通じて色媒や狩猟器が都市の外に流出させぬためだ。何かあったときは手を回そう。資金というのはどれほど必要かな」

「一月当たり、これくらいでしょうか」


 俺は職人街では高い相場をメモした紙を出した。ゆっくりとそれをひっくり返したベルトリオン翁は拍子抜けした顔になった。


「この程度なら当家でも何とでもなる。すぐにでも用意させよう」

「ありがとうございます」


 交渉は成功だ。俺は頭を下げて、テーブルに向かって息を吐いた。


「しかし、将来有望な騎士を一人王家の味方にできればという話だったのだが、信じられんほど大きな話になったものだ。今の話が本当に実現できるなら、ベルトリオンの家督を君にやっても足りんな」

 ベルトリオンの家督? 何の話だ??

 驚いて顔を上げると、老騎士が「なあサリア」と孫娘を見ている。

「…………当主であるお爺様の命令とあれば」

「ちょ、ちょっと二人とも」


 二人の同級生女子の表情で、やっと意味が分かった。


「そ、そういう冗談はこの仕組みが上手く動いた後の話では」

「そうだな、王家が騎士院での力を取り戻してから出なければ、横やりが入るな。ああなるほど、ベルトリオン家程度では不足ということか。となると……」


 老人は次に反対側、王家の一人娘を見た。


「そうじゃなくて、どこまでうまくいくかはまだ分からない話です」

「ふむ。いや、老い先短い身ゆえ先走りすぎたか。ははははは」


 まるで二人の孫娘をからかうように笑う老人。心臓に悪い冗談はやめてくれ。名門の騎士同士なら冗談で済む話でも、平民出身者が下手な対応したら危ないんだ。


(まあ、これが本当に実現すれば……)


 俺は将来有望な騎士ではない。色媒と術式のアドバンテージを失えばただの落ちこぼれ騎士見習だ。この二人に超級色媒とそれを扱う方法を教えたら騎士としての俺は用なしだ。


 だから俺の目指すのは一人では維持できないこの色媒精製の保護。そして、新しい調整の道具の注文を通じたレイラ姉の工房の安泰だ。しいて付け加えれば錬金術の可能性の追求だ。


 とにかく、そのために出来ることはやった。

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