第32話 眠り姫と”相手に興味を持つこと”


「叶多くんは、どの教科が得意なのですか?」


 数学のテスト範囲を終えて一息ついていると、興味深げな様子で白音が尋ねてきた。


「哲学」

「フランスですか」

「よく知ってるな」


 フランスの高校においては、哲学の授業が必須科目である。


「この前、クイズチョップ見てて学びました!」

「ああ、確かあったね。って、もうすっかりハマってるな」

「大ハマりも大ハマりですよ。面白いし、知識もつくしで、一石三鳥です」

「もう一鳥はなんだ?」

「もちろん、叶多くんと楽しい時間を過ごせるからですよ? ……? どうしたのですか、急に固まって」

「……なんでもない」

 

 澄み切った笑顔での不意打ちに、息が詰まりそうになったのは内緒である。


「得意な科目は、特にない」


 話題を変えるため、そして僅かに上がった心拍数をなだめるためぶっきらぼうに返答する。

 

「なるほど……苦手な教科はどうです?」

「ない、全部まんべんなく平均」

「逆にすごいですね」

「どこぞの綾小路みたく、全点ぴったし平均って訳じゃないから、ただの凡人だよ」

「ピアノと書道を習ったら最強になれますね」

「実力至上主義の教室は性に合わないから遠慮しておく。俺は平和な学園生活を送りたい」

「ふふっ、それはそうですね」


 この子、やっぱりサブカルかなりイケるクチだと確信を深める。


「将来、何かやりたいこととかないんですか?」

「特にないかな」

「即答ですか! でも確かに、高校から将来の夢が決まってるって人も、そこまで多くないですしね」

「そもそもどんな職業があるのか、そこの知識が乏しい」

「それは確かにですね。では、進学先とかは、意識してたりするんですか?」

「いや、全く。そもそも、卒業したら働こうと思ってるし」


 間髪入れずに答えると、白音は意外そうに目を丸めた。

 そりゃそうか。


 日野宮高校の生徒は全員と言っていいくらい、進学を前提に入学してきている。

 先ほど白音は、高校で将来の夢が決まってる人は多くないと言ったが、日野宮高校に入って進学せずに働くことを考えてる人はそれこそ自分くらいかもしれない。


「ど、どうしてですか?」


 おそらく、純粋に湧いてきたのであろう疑問に、叶多は明確な解を口にできなかった。


 蘇る。過去の記憶。

 

 線香の匂い、黒い服の人たち。

 内容の全く理解できないお経。


 2つの遺影の中で無機質な微笑み浮かべる男女。

 

 後ろから抱き締められる感覚。

 耳元で囁かれる、湿っぽい声。


 ──大丈夫。安心して。お姉ちゃんがなんとかしてあげるから。


「……まあ、いろいろあってな」

「そう、ですか……」


 それ以上は深掘りされなかった。

 多分、察してくれたのだろう。

 こうやって空気の変化を察知してくれるのは正直なところ、随分と助かっている。


 自然な流れで、それからまたしばらく勉強モードに入った。

 陽が地平線に隠れ始め、窓の外が薄暗くなってきた頃、膝周りが妙に寒くなってきた。


 暖房をかけているとはいえ、確実に侵食しつつある冷気に充てられたらしい。


「膝掛け、いりますか?」

「え?」

「寒くありません?」

「や、ちょうど寒いなーと思ってたところだけど……よくわかったね」

「先ほどから、定期的に太ももを摩ってらしたので」


 驚く。


「よく見てるね、本当」


 シンプルに、驚いた。


「はい、どうぞ」

「ありがとう」


 膝掛けを受け取ると、ふと、先日の店長とのやりとりが頭を過ぎった。

 

『灰皿、いっぱいになってるみたいだから、ついでに変えてきてあげて』

『……ほんと、よく見えてますね』

『場数と、気遣いの意識づけが違う』


「変なことを聞くかもだけど」


 気がつくと、尋ねていた。


「えっと……なんかその、周りを見るコツというか、気遣いが上手くなるコツって、なんかあったりするの?」

「気遣いのコツ、ですか」


 ぱちぱちと、白音が目を瞬かせる。

 それから「んー」と顎に手を添え考える素振りを見せた後、


「簡単ですよ」


 ふんわりと、シフォンケーキみたいな笑顔を浮かべて言った。


「相手に、興味を持つんです」

「興味?」

「ですです。この人はどんな人なんだろう、今、何を考えてるんだろう、って、たくさん見て、たくさん考えるんです」


 それは、簡単のように思えて実は非常に難しいことのように思えた。


「もはや超能力じゃ?」

「大げさですよ〜。意識的に繰り返してたら、意外とわかるものですよ? 外見や仕草、言葉から、パターンが結構決まってるんです」

「なる……ほど」


 目から鱗だった。

 こういった気遣いは生まれつきの才能に依るものだと思っていたが、白音の話によると意識と反復によるものらしい。


 店長が言う、”場数”の意味が、この時なんとなく腑に落ちたような気がした。


 ──少しだけ、自分にも出来るんじゃないかと、思った。


「ありがとう、教えてくれて」

「いえいえ、どういたしまして」


 そう言う白音の表情はなぜだか、やけに嬉しそうだった。

 なんで嬉しそうだったのか、場数の足りない叶多にはさっぱりわからなかった。


 勉強会はこうやって過ぎていった。

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