第16話 眠り姫と朝ごはん

「朝ごはん、すぐ用意しますので待っててくださいね」

「あーうん……うん?」


 あまりにも自然に言われたため流れで肯定してしまったが、2秒考えて首を傾げた。


「朝ごはん?」

「はい、朝ごはんです」

「誰の?」

「黒崎さんのですよ?」


 なにを言ってるんですか?

 と言わんばかりの表情をされるものだから、驚く。


「それはこっちのリアクションだよ」

「普通食べません? 朝ごはん」

「いや、食べるけど。俺も一緒に食べる流れなのがわからない」


 普通に着替えて、そのまま先に出るつもりだった。


「ええっ。じゃあ朝ごはん、どうするつもりだったんですか?」

「コンビニで適当に」

「時間に追われているサラリーマンさんみたいですね」

「毎朝時間がないのは間違いない」


 主に、自発的な夜更かしが要因ではあるが。


「せっかくなので、一緒に食べましょう!」

「え、いや……それは悪いというか」

「悪いのは私の方ですよ。黒崎さんには昨晩たくさんご迷惑をおかけしたので、お返しさせてください」


 迷惑だとは思っていない、本当に大丈夫だから。

 と返すのは違うんだろうなと、叶多でもわかった。


 人の言葉には表面的な意味とは別に欲求に基づく深層的な意図が隠されていることが多い。

 つまるところ、白音はシンプルに手料理を振る舞いたいのだと、爛々と輝く澄んだ瞳を見て叶多は判断した。


「じゃあ、お言葉に甘えて」

「はいっ」


 ぱあぁっと、満開の桜のような笑顔。

 胃袋ではない、別の部分が満たされたような気がした。


「いただきます!」

「いただきます」


 白音の言う通り、朝食はすぐに用意された。

 曰く、冷蔵庫にある程度ストックしているとのこと。


 メニューは玄米ご飯、卵焼き、豆腐の薬味がけ、ほうれん草のごま和え、味噌汁。

 想像以上にしっかりとした、和の朝食だった。


「どうですか?」

「まだ食べてないんだけど」

 

 反応を急かされているような空気に押されて、箸を伸ばす。


 ……ん、美味い。


 卵焼きはふわふわで、ほのかな甘みと卵の風味が癖になる味わい。

 豆腐の薬味がけは、ネギや生姜などの薬味と酸味のあるタレが合わさってご飯が進む一品。

 噛めば噛むほど味が染み出すほうれん草のごま和えや具沢山の味噌汁など、一品一品丁寧に作られていることがわかる仕上がりだった。

 

「美味しい」

「よかったです!」


 両手でガッツポーズを表現する白音。

 母に褒められた幼子のような、無邪気な喜びよう。


「黒崎さんは普段、朝ごはん、なに食べてるんですか?」

「どんぐり」

「リスさん?」

「冗談だ」


 言うと、白音が口に手を当ててくすくすと笑みを溢した。


「そんなツボることか?」

「いえっ、黒崎さん、そういう冗談言わない人だと思っていたので、意外だったというか」


 確かに、言われてみるとそうだ。

 自分はあまりそういったボケをかますタイプではない。

 いや、そもそもかます相手がいなかったというべきか。


 そう思っていたが、もしかすると。

 人と話すことによって、自分でも認識出来ていなかった一面が表出している、のかもしれない。

 だからどうしたんだという話だけども。


 ていうか、さっきからほんと美味しいなこれ。


「朝から胃に優しい、絶品ヘルシー献立って感じだね」


 豆腐とかほうれん草とか、ご飯も玄米だし。

 食事面にはかなり気を遣っているのだろうか。


「あっ、すみません! いつもの癖で」

「癖?」

「え、えーと」


 ちょっぴり恥ずかしそうに、白音が頬を人差し指で掻いた。

 

「私、昼は寝てて夜は寝てないのですけど……ご飯は朝昼夜としっかり食べてるのですよ」

「ふむふむ」

「それで、その……深夜は起きていると、必然的に小腹が空いて夜食を食べたくなるというか……」

「あ」


 そうか。


「1日4食摂ってる、ってこと?」

「そうなんです!」


 ううう〜と、白音が両手で顔を覆う。


「ほんと、悪魔ですよこの体質。ご飯を食べなくていい夜に限って寝かせてくれないのですもん」

「夜になんか食べたくなるのはわかる」

「あれが罠なのですよね。食欲の赴くままぱくぱくやってたらあっという間にベイブさんです」

「ベイブって」


 むしろ痩せてる部類のピッグじゃないかあれ。


「なにはともあれ、人よりも一食多い分、なるべく低カロリーなご飯を心がけているといいますか」

「結果、ヘルシー料理が得意になった、的な?」

「得意かどうかはわかりませんが、そこそこ自信があります」

「だろうな、めちゃ美味しいもん」


 率直な感想をそのまま口にすると、白音が「んぇっ?」と変な声をあげた。


「ど、どうした?」

「い、いやー」


 へにゃんと、口元がだらしなく緩んでいる。

 ぽり……と、人差し指が添えられた頬は僅かに赤らんでいた。


「美味しいって、不意打ちで言われると、その……照れるといいますか」

「あ……ご、ごめん」

「い、いえ! 謝ることはないです! むしろ、嬉しかった、です……」


 徐々に視線を下に落としながら言う白音。

 なぜか、こっちまで恥ずかしくなる。


「く、黒崎さんは、料理はするのですか?」


 流れを断ち切るように、白音が会話の舵を切った。

 

「えっと、バイトで暇な時に賄いとか作ってる」

「おー、賄い! バイト、居酒屋ですよね?」

「そうそう、『ぎるがめっしゅ』っていう」


 そこで、あれ? と思う。

 自分がバイトをしていることは、担任以外には誰にも言っていない。

 だけど白音は、叶多が居酒屋でバイトをしていることを知っている。

 なんなら昨日に至っては、店の前で出待ちしていたような……。


 疑問には思ったが、すぐ次の会話に流された。


「『ぎるがめっしゅ』って、なんだか金ピカの英雄王がやってそうなお店ですね」

「店長の名前は入谷(いりや)四郎(しろう)だよ」

「うええっ、どんぴしゃFateじゃないですか」

「その名前でいじられて、Fate見て、どハマりしたことがきっかけで、店名にもしちゃったらしい」

「なるほど……店の名に歴史あり、ですね」


 ふむふむと、しきりに頷く白音。

 おや、夢川さん、実はサブカル系にけっこう明るかったり?


「それで、賄いはなにを作ってるのですか?」

「オムライスとかハンバーグとか、あとは、油そば?」

「おおっー、がっつり! 油そば! 食べてみたいです」


 いいなーと、朝ごはんを食べている途中にも関わらずお腹ぺこぺこみたいな表情。


「がっつり系、昼に食べると消化にエネルギー使って寝つきが悪くなりますし、夜は眠くなっちゃうしで、なかなか食べられないのですよねー」

「おおう、なるほど……」


 昼夜完全逆転生活の弊害は、食生活にも表れているらしい。 

 食べたいものが自由に食べられない。

 想像すると、なかなかに辛いものがある。


「今度、作ろうか?」

「えっ」


 自分でも、なんでこんな提案をしたのかはわからない。


「俺が泊まる日は、あとは寝るだけだろうだから、食べても大丈夫なんじゃないかなって」


 難儀な食生活を送る彼女に対する同情か。 

 それとも、先日助けてくれたことや、昨晩、想像以上に心地よい時間を提供してくれたことに対する返礼のつもりか。


「迷惑でなければ、だけど」


 叶多の提案が意外だったのか。

 最初、白音は目を丸めてきょとんとした。

 しかし徐々に意味を噛み砕いて感情が『喜』方向に伸びていき、


「はい、ぜひ!」


 絵にして飾りたくなるような笑顔で大きく頷いた。

 今度は、叶多のほうが顔を熱くする。


 また早まったかもしれないと、叶多はひとり胸の中で独り言(ご)ちた。


 それから、白音の上機嫌な鼻唄を聴きつつ朝食を食べ進める。


 その間に、ふと思った。

 姉以外の誰かと食事をするのは、何年ぶりだろうと。


 そして、気づく。

 こうやって誰かと食卓を囲むのも、意外と悪くないと思っている自分がいることに。

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