5話
朝になると、二人とも結局は眠れていたことに目が覚めてから気付く。
ルチカが作った朝食を食べてから、着替えなどの支度を始める。ハンナは服だけでなく靴も借りたりして外出の準備をしているが、唯一サイズの合わなかった下着だけはルチカが無言でそっと差し出した絆創膏で場をしのぐことになる。
全てを整えて外に出ると、空は晴天。雲もなく絶好のお出かけ日和であった。
「よし、それじゃ行くか」
ルチカが家から持ち出した箒に跨がって後ろのスペースにハンナが乗るのを待ったが、彼女は乗ろうとはしなかった。
「あの、もしかしてそれに乗って行くんですか?」
「もちろん。空飛んで一気に行くぜ」
「わ、わたし。ダメです! 無理です!」
首を横に振り拒否反応を示す。
「どうしてだい?」
「怖いんです。それで飛ぶのが・・・・・・」
さっきから自分の愛用の箒をそれ扱いされていることにムッとしたルチカがぶっきらぼうに言い放つ。
「怖いって、大丈夫だよ。ちゃんと掴まってりゃ落ちることなんかないし、アタシは操縦が上手いんだぜ」
「いえ、あの。ルチカさんを信用していないわけじゃないんですけど。ちょっと嫌な思い出というか、その」
ハンナはこの世界に召喚されてからの衝撃的な出来事がフラッシュバックで蘇ってくる。箒に連れられて飛んだ空の高さと強い風を思い出すと、とてもじゃないがルチカの後ろに座る勇気はでなかった。
「あー・・・・・・そういやそうだったね。でも本来空は楽しいもんだぜ。乗らなきゃ慣れないし、歩くよりずっと早い」
「で、でも」
ついには泣きそうな表情になるハンナを見て、ルチカは考え直した。嫌がるのに無理矢理やらせるのは性に合わないし、昨日の今日で空から落ちてきた人間をすぐに空へ連れていくのは酷な気がしてきた。
「歩いたら時間がかかるけど、いいのかい?」
「大丈夫です!」
ぱぁっと明るく安心しきった表情になり両手で握りこぶしを作って前のめりで食い気味に答える。空は嫌だというのがひしひしと伝わったルチカは仕方なく箒から降りて家のなかへと戻しに行って帰ってくると、森へと歩き出す。ハンナは彼女の後を付いていく。
朝の森は陽射しをところどころで切り取ったように地面を照らし、木々の緑を幻想的に映しだす。一歩踏み出すたびに落ち葉を踏む音が鳥たちのさえずりの手伝いをする。
迷いそうな森のみちも自分の庭かのように歩いてくれるおかげでハンナは純粋に自然の空気を感じながら付いていくことができた。
「ほら、ここらへんがアンタが落ちた場所だよ」
田舎を感じるハンナの前でルチカが足を止めて地面を指さした。同じく足を止めてしゃがみこんで足場を見る。手を置いてみると、葉っぱは柔らかいが土は湿り気も少なく固い。
「そんで、落ちてきたのはあそこらへん」
今度は上を指さす。ハンナはしゃがみながら顔を上げて木の上らへんを見るが。
「違う違う。もっと上」
ルチカに指摘されてもっと顎をあげると、木と木の隙間から青と白が見える。空と雲は近く見えるほど大きいが、高さは計り知れなかった。全く実感が湧かなかったが、気絶するまえに体感した空を思い出すと身震いした。
「わたし、よく助かりましたね」
「アタシが助けたからね」
「どうやってですか?」
ルチカが見てな、といった笑みを浮かべて手を地面に置いて詠唱する。
「クジョンメッシン」
地面がたゆむ。落ち葉が揺れる。鳥たちが飛び立つ。虫たちがざわめく。足元が柔らかくなり踏ん張りがきかずしゃがんでいたハンナが尻餅をつく。
「わわっ。すごい!」
どんな魔法を見せてもすごいと驚いてくれるハンナに鼻を高くして説明し始めるルチカ。
「これは飛行訓練の際に使う魔法さね。どんな高さでも、どんな姿勢で落ちても衝撃を和らげて怪我一つしないように地面だけでなくその周辺にあるものを柔らかくしてしまうものだぜ」
「これを使ってくれたんですね!」
「だぜ。距離はあったけど広範囲に届くようにかなりの魔力を使ってね」
調子に乗り始めて恩着せがましくなってくるが、ハンナは尊敬の眼差しで彼女を見つめている。
「ルチカさんって、すごい人なんですね!」
「ハハハ、それほどでもないさ」
機嫌が良くなったルチカは手を差し伸べてハンナを起こす。立ち上がったハンナはお尻を軽くはたいて落ち葉と土を落とすと頭を深々と下げて改めてルチカに礼をする。
「ありがとうございます。わたし、ルチカさんに助けてもらわなかったらどうなっていたか」
あまりの低姿勢、丁寧なハンナの態度にむずがゆさを感じてくるルチカ。
「まあ助けてあげたのは事実だけどさ。あまりそう改まられたら照れるよ。それにアタシとそう年も変わらないんだからもっと気楽に話してくれよ」
さっきまで調子にのっていたが、ルチカはべつに上に見てもらいたいというわけではない。同等な友人として褒めて欲しかったのだ。
「でもルチカさんのほうが年上ですし」
「関係ないさね。あとルチカでいいよ」
フランクに接してくれているが、ハンナはまだ彼女のことを呼び捨てにはできなかった。
二人は森を抜けて草原に出て塗装された道まで出てきた。ここまで来るのに一時間は軽く歩いていた。思ったより長い森の道を不安に感じていたハンナはやっと抜け出したことに安心感を覚えると同時に、まだ街が見えるような風景ではないことに新しい不安に襲われる。おそるおそるハンナは聞いてみた。
「あの、ルチカさん。街ってあとどれぐらいかかりそうですか?」
「なんだい? 疲れちまったのかい?」
「いえ、まだ大丈夫ですけど」
と言いつつ、慣れない借り物の靴と獣道ですこし息が乱れている。
「ならいいけどさ。それじゃちょっと確認するさね」
ルチカは立ち止まって空を見上げる。
「森のなかで大体一時間かかったのか」
「ん? なんで空を見て分かるんですか?」
「そりゃ雲と太陽の位置で分かるだろ?」
さも当然のことだと言わんばかりのルチカ。
「いやいやいや、普通分からないですって」
「ふーん? 魔法を使うならそれぐらい習うけどな」
魔法とどう関係するのかハンナには分からなかった。
「どうやったら分かるんですか?」
いつもはスマホか腕時計で時間を知るハンナは自分の世界からそういった類を持って来れなかったせいで外で時間を確認する方法がないため、教えてもらっておいたほうがいいと判断した。なにより自分の世界に戻ったときにも役に立ちそうだった。
「えーっと。まず風速を感じて雲の動きを把握して、太陽の位置を覚えてから四大元素の気を魔力で感じて」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「なんだ?」
いきなり風速を感じるなんて高難易度のことから始まり訳の分からない言葉まで飛び出したので自分には無理だと察した。
「やっぱりいいです。わたしには難しそうなので」
「そうかい? 慣れれば感覚で分かるもんだけどな」
やっぱりここは異世界なんだな、と感じているハンナにルチカはなぜ彼女にはこんな簡単なことを難しいと言うのかが分からずに首をかしげる。
「ところで、街まではあとどれぐらいで」
「ああ、このペースならあと二時間はかかるぜ」
「二時間!」
歩きやすい道に出たとはいえ、ここからさらに倍の時間がかかるという事実に軽くめまいがするハンナ。
だから言ったじゃないかというふうにルチカが眉をひそめながら口角をあげて彼女の肩を叩く。
「箒でくりゃ一時間もかからずに行けたんだぜ」
「そ、それは、やっぱり嫌です」
これだけは譲れないといった様子でハンナは背を真っ直ぐに正して歩く決意を見せる。
「よっぽどだな、こりゃ」
華奢な見た目とは違って意外と体力があるルチカはまだまだ歩けるが、あまり運動を得意としないハンナは合計三時間の徒歩はキツいものがあった。それでも飛ぶのは怖い。
空のしたで二人は街を目指して歩き続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます