第11話 愛車で通うボクシングジム

日曜の午後はボクシングジムで練習をする事が多い。

昼飯のオムライスを食べ終えて暫くお腹を休めた後、支度をして家を出た。


今日の夜は冴木先生が家に来て夕飯を一緒に食べる事になった。

買い物と料理の時間も考えると、軽く動くくらいしか時間はないな。


スウェットパンツを履き、ノースリーブのコンプレッションウェアの上からナイロンのパーカーを羽織る。

ジムに着いたらパーカーを脱ぎ、スウェットパンツを運動用のハーフパンツに履き替え、室内シューズを履けばそのまま練習に移る事ができるのだ。


家からジムまではバイクで通う。

昨年の夏、祖父が亡くなって暫くしてもまだ塞ぎ込んでいた僕の気を紛らわせる為に、ジムの先輩が普通二輪の免許合宿に誘ってくれたのだ。


ジムは祖父と一緒に住んでいた家から徒歩で通える距離にあり、今の家に住み始めてから電車で通っていたのだが、バイクの免許を取ってからはバイクで通っていた。


ちなみに愛車は400ccのネイキッドタイプだ。

本当はアメリカンに乗りたいのだが、高校生でアメリカンを乗り回していると調子に乗っていると思われるんじゃないかという小心でネイキッドを購入した。

まぁ乗ってみればスポーティでカッコいいし乗りやすいし愛着も湧いたんだけどね。






「……っし、着いた。」


家を出て30分弱でジムに着いた僕は、バイクを降りてヘルメットを取った。

建物の看板には『鷺川ボクシングジム』と書かれている。


ジムの中に入ると、グリップの効いたシューズが床を擦るキュッキュッという音や、グローブでミットを打つパンッパンッという音が鳴っていた。


「お疲れ様です!」


元気に挨拶して更衣室へ向かう。

練習中の人達がこちらを見て手を振ってきた。


「よう、お疲れさん。」


「おっ、誠じゃん。お疲れー。」


「青山さん、山村さん、お疲れ様です。」


クールな雰囲気イケメンの青山さんと、優しいけどたまに鬱陶しい山村さんだ。

2人は現役のプロボクサーで、僕と違って毎日のように練習に励んでいる本物のボクサーである。

ちなみにバイクの免許取得を勧めてくれたのもこの2人だった。




更衣室でパッと着替えて外に出る。

今日はロードワークをしている時間はない。

さっさと体を温めよう。

まずは準備運動と柔軟で体をほぐす。


「1…2…3…4…」


屈伸や伸脚、アキレス腱を伸ばしたりしていると、歳の割に元気なお爺さんが話しかけてきた。


「おう誠、やっとるのぅ。」


「あ、会長…お疲れ様です。今日も宜しくお願いします。」


このお爺さんは鷺川ジムの会長であり、僕の祖父の親友でもある鷺川源太さんだ。

出会った時から変わらず元気なお爺さんだ。


「うむうむ。しっかり鍛えてやるから覚悟するんじゃぞ。」


「えっと、実は今日はあんまり時間がなくて……」


「む、なんじゃ、何か予定でもあるのか?」


「えぇ、いつもより早く帰らないといけなくて。」


ここで"だからあんまり練習できません。"なんて言うと機嫌を悪くしてしまう。

こういう時はこうするんだ。


「だから、最初からハイテンションでいきますから、お願いします。」


すると、会長は愉快そうにニヤリと笑った。


「よぉ言うた!任せておけぃ!」






「はぁぁぁ……疲れた……」


短時間に詰め込まれたハードトレーニングを終え、ジムでシャワーを浴びていた。

会長は付きっきりで鍛えて虐めてくれた。

それなりに鍛えているんだけど、明日は筋肉痛だな。


「よぉ、随分絞られてたじゃねぇか。」


「あ、鷲村さんも練習終わりですか。お疲れ様です。」


このジムでも一際大きな体を持つこの熊のような人は、現役チャンピオンである鷲村さんだ。

ヘビー級で戦える体格を持っているが、今は主にスーパーミドル級やライトヘビー級で戦っている。

やがては日本人初のヘビー級世界王者になれるのではないかと業界でも期待されている凄い人だ。


「お疲れ。何か急いでたみてぇだが、コレか?」


鷲村さんが小指を立ててニマニマ笑う。

この人は功績と実力に反して内面が残念すぎる。


「そんなんじゃないですよ。ちょっとした野暮用です。」


苦笑して流す。

この人の言葉に一々反応していたら身が保たない。



「鷲村さんこそ今日は早いですね。何かあるんですか?」


「合コンだ。今日こそエロい女を捕まえてみせるぜぇ。」


「……そんな事してると、また週刊誌に撮られちゃいますよ?」


何度同じことを繰り返すんだこの人は。


「へっ、マスコミが何だってんだ。今更俺が女を抱きまくってる写真や記事が出たところで、炎上なんざしねぇよ。」


「まぁ、それは確かに。」


ボクシングファンなら"またかよ鷲村!"と笑い飛ばして終わりだろうね。

そういう人だから。



「お前もたまには遊んだらどうだ?まだ若いんだしよぉ。」


「若いっていうか高校生ですから。遊ぶも何もないですよ。」


「抱きたい女の1人や2人くらいいねぇのか?性欲持て余してる年頃だろ。」


「偏見ですよ。僕はそこまで飢えないですから。」


「んなもん持ってんのに勿体ねぇぞ。」


鷲村さんの視線が僕の下半身を見る。

会長、シャワー室に仕切りくらい置いてくれませんか。


「いや、どこ見てるんですか。」


「はっはっ!悪りぃ悪りぃ。…んで、気になる女とかいねぇのか?」


「急に言われても、そんなの……」


脳裏に浮かぶのは、優しく微笑む冴木先生の顔。



「……そんなの、いませんよ。」


「お?」


鷲村さんが目を丸くして僕を見た。

そして次にニヤッと笑う。


「なんだなんだ。あの誠坊やについに春が来たか?中学ん時は結局別れちまったからなぁ。」


「いやいや、何の話ですか。」


「どんな女だ?タメか?歳上か?まさか歳下?」


「だから付き合ってる人とかいないですって。」


「つまりまだ片想いってわけか。誠、男なら思い切ってぶつかるんだ。まずはそれからだぜ。」


合コンでがっつきすぎて引かれまくってる鷲村さんに言われても説得力は欠片も無いんだけど。

これ以上変な勘繰りされる前に退散しよう。


「すみません、急いでるので出ますね!お疲れ様でした!」


「あ、ちょ、おい!」


鷲村さんの声を聞き流し、僕は慌てて脱衣所に逃げるのであった。

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