第8話 トラウマはテニスサークル

「そこのソファに座ってちょうだい。」


「はい。」


「紅茶で良いかしら?」


「はい、ありがとうございます。」


「アイスとホット、どっちが良い?あとレモンかミルクはいるかしら?」


「ホットのミルクでお願いします。」


「わかったわ。」


荷物を下ろした冴木先生がキッチンへ向かう。

僕は薄ピンクの可愛らしいソファに座った。

……緊張する。




僕はいま、冴木先生の家に来ていた。

エレベーターでちょっと話した後、降りようとした僕の袖を掴んだ手。

あれを振り切れる男なんているのだろうか。

僕には無理だった。

誘われるまま先生の家にお邪魔していた。

僕としては嬉しい展開だけど……倫理的にどうなのこれ。


「はい、どうぞ。」


「ありがとうございます。」


「熱いから気をつけてね。」


……冴木先生の微笑みを見てたら倫理とかどうでも良くなったよ。


「いただきます。」


軽く息を吹きかけて冷まし、口に含む。

ミルクティーらしいすっきりした優しい甘さが心地良い。


「美味しい…」


「ふふっ…良かったわ。」


先生の笑顔、可愛すぎない?

ブロマイド欲しいんだけど。






「急に誘ってごめんなさいね。」


「あぁいえ、気にしないで下さい。」


「今更だけれど、何か予定があったりしなかったかしら?」


「特にないので大丈夫です。明日も休みですし。」


動画の編集作業はあるけど、先生の家にお邪魔できる機会と比べるとタコの嘴みたいなもんだ。

美味しいけど無いなら無いで良い…みたいな。

ちょっと違うか。


「一人暮らしってふと寂しくなる時があって…私は普段もあまり人と話さないから特に……って、長谷川君も一人暮らしだったわね。」


「まだ1年くらいですけどね。」


「高校生で一人暮らしなんて凄いわね。」


「そうでもないですよ。」


いるところにはいるんじゃないかな。



「長谷川君は、お休みの日は何をしているの?」


「僕は…まぁ、友達と出かけたり、体を動かしたり、家でゴロゴロしたり……ですね。」


某動画サイトについてはまだ言わないでおこう。


「体を動かす?何かスポーツでもしてるのかしら?」


「一応、小学生の時からボクシングをしてます。」


「え、そうなの!?なんだか意外ね。」


小さいからですか…?

これでも体は結構鍛えてるんですよ。

祖父の親友に元ボクサーがいて、その人が開いてるジムに昔から通ってたんだ。

元ボクサーっていっても白黒の時代だけどね。


「将来はプロになったりするの?」


「ライセンスは取るかもしれませんけど、それで食べていこうとまでは思ってませんよ。」


試合とか出たくないし。

怪我したくないし。



「先生は何かスポーツされてるんですか?」


「私は働き始めてから全然動いてないわ。すっかり体が鈍ってしまって…。」


「そうなんですか。その割にはスタイル良いですけど。」


あ、やべ。

これセクハラだよね。


「そ、そうかしら……」


照れてる。

とりあえず引かれなかったみたいで良かった。


「働き始めてから…って事は、学生の頃は何かされてたんですか?」


「中学と高校ではテニスをしていたわ。」


「テニスですか。」


テニスウェアを着ている先生を妄想した。

これだけで1週間は頑張れる。



「大学ではしなかったんですか?」


「大学では……1度サークルには入ったのだけれど、そのサークルの男性とちょっと……」


これは踏み込んではいけなかったやつか。


「ごめんなさい、不躾な事聞いて。」


言い方からなんとなく察した。

男女の云々だろう。


「いえ、良いのよ。聞いてちょうだい。」


え、良いの。

もしかして先生って、結構話し好き?

……人見知りで話し好きって、だいぶ可哀想だね。




「私が入ったテニスサークルは、他のに比べると比較的まじめな人が多くて、だから安心して入部したんだけど。」


大学のテニスサークルってチャラい人達ばっかりってイメージあるからね。

先生もそこらへんは注意して調べたんだろう。


「でも入部して少しすると、サークルの男性達に遊びや飲み会によく誘われるようになって。」


先生綺麗だもんね。

男なら誰だって惹かれるよね。


「それが他の女性達には嫌だったみたい。だんだんサークル内で居場所が無くなっていって。」


女の嫉妬ってやつか。

怖いなぁ。


「そのうち男性達から告白とかされるようになって…全部断ってたら、どこからか変な噂が流れて……。」


「変な噂?」


「私が他のサークルの男性達と、その……いかがわしい事をしてるって……」


「え……」


「しかも、社会人のおじさん相手に援助交際してるとか、ホテル街でよく見かけるとか……」


「な、何ですかそれ!?」


その噂を流した奴はどこでそれを見たんだよ。

ホテル街でよく見かけるって……お前こそホテル街で何してるんだって話だ。



「……はぁ…ごめんなさい、急にこんな話して。」


冴木先生が潤む瞳で苦笑した。

先生にとっては過去の話。

それでも思い出すと悔しくて悲しいのだろう。


「……それで、サークルを辞める事になったんですね。」


「えぇ、そうよ。ちょっと耐えられなくて。」


恥じるような表情が痛ましい。

先生が恥じる必要なんてどこにもないのに。


「私、なんでこんな事を生徒に話してるんでしょうね。……まぁ、そんな事言ったら家に上げてる時点で問題かしらね。ごめんなさい。」


「謝らないで下さいよ。」


僕は先生の眼をまっすぐに見つめた。


「僕は、先生の事を知れて嬉しかったです。先生が好きですから。」


「……ふふっ、ありがとね。」


先生が柔らかく笑った。

まるで告白みたいな言葉だったけど、真剣に取り合わなかったようで良かった。

僕としてもただ正直な気持ちを言葉にしただけで……どんな意味で言ったのか、自分でもわかっていないのだから。

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